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ハッピーエンドはここじゃない  作者: 水月康介
2年次2学期 ―修学旅行―
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悪くない修学旅行だった


 伯鳴高校の2年生で埋め尽くされた車両には、だらけた空気がただよっていた。

 列車の乗り換えを終えた生徒たちの多くは、ハイテンションと疲労がないまぜになったゆるい笑顔を浮かべている。早々に居眠りを始めている者も、ちらほらと。


 1日目は奈良、2・3日目は京都と連日の古都見学。

 4日目は大阪の遊園地で丸一日を過ごし。

 5日目――最終日はほぼ移動のみ。

 僕たちは車上の人となっていた。


 少しばかり気まずくなることもあったが、おおむね悪くない修学旅行だった――というのは控えめな感想だろう。正直いって最高だった。好きな子が隣にいるだけで、あんなに夢心地になるとは思わなかった。


 繭墨と一緒なら、どんなにつまらない映画だって席を立たずに最後まで見られるだろう。そして、あとでどこがどうつまらなかったかを語り合うのだ。


 繭墨と一緒なら、賽の河原の石積みだって笑いながらやれるだろう。積みやすい平らな石を譲り合ったりして、編み出した積みテクを教え合ったりして。


 無人島に何かひとつ持っていくとしたらもちろん繭墨だ。モノ扱いしないでください、ピグマリオンコンプレックスですか。そんな反論が聞こえた気がした。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 やがて伯鳴駅に到着し、帯同していた先生のありがたいお話――家に着くまでがどうのこうのというベタなやつだ――が終わると、ようやく解散となった。

 

 生徒たちの多くは駐車場へ向かったり、ロータリー付近で待機している。

 あいつらは家族が車で迎えに来るのだ。地方都市の自動車保有率はべらぼうに高い。ウチの姉さんだって大学進学と同時に免許を取って車も買った。それは決して珍しいことじゃない。


 しかし、一人暮らしの僕にそんな甘やかしはなく、自力でアパートまで重い荷物を持って帰らなければならないのだ。自由の代償とはいえ、旅行帰りで疲れた身体にはあまりに憂鬱。タクシーはさすがに無理だからバスを待とうかと財布の中身と相談していると、


「鏡一朗さん」と繭墨に小声で呼びかけられる。こんなところで名前呼びだ。「父が迎えに来るので、乗っていきませんか? 途中まで送りますよ」


「え、でも、いいの?」


 僕は周囲を見回す。いまだ生徒の目が多数あるなかで、よその家族の車に同乗するなんて、目立つどころの話じゃない。家族公認を疑われてしまうレベルだ。


「構いませんよ、遊園地ではほとんど一緒だったじゃないですか。疑う人はとっくに疑っていますよ」


 確かに昨日の遊園地では、班行動のていをとっていたものの、その実態はダブルデートのようなものだった。4人乗りのアトラクションなのに二人ずつに分乗したりしていた。同級生に見つかったら勘ぐられるような距離感だったかもしれない。


 距離感といえば、赤木と百代は修学旅行前よりも少しだけ親しくなっているように見えた。あれこれ言える立場じゃないが、上手くいってほしいと思う。


 ちなみに直路はさっさと別行動をとって彼女とよろしくやっていた。


「それに……、正直に言います。あなたと親しくするたびに、周囲の視線を気にしなければならないのが、面倒で仕方ないんです」


 思わず荷物を落としそうになる。


「あー、まあ、そういうことなら、うん、僕もね、秘密のお付き合いで高揚感を得るなんて子供じみた状態はもう卒業かな、なんてね」


「何をぶつぶつ言っているんですか、早く入ってください、往来の邪魔です」

「あっはい」


 先ほどのしおらしさから一転、塩からい口調に急かされて、僕は繭墨父の高級外車に乗り込んだ。


 曇りガラス越しにほかの生徒たちがこっちをガン見したり指さしたりスマホを向けているのが見えた。こらこら、見世物じゃないよ。繭墨の流麗な横顔ならともかく、僕みたいなボンクラを写したところでインスタ映えしないよ。


 メッセージアプリに複数の着信があったが、それらはすべて未読スルーである。



「以前は、ただの友達だと言っていたが……」


 静かにするりと走り出した車内で、繭墨父――秋浩あきひろさんがバックミラー越しに僕を一瞥する。


 秋浩さんは物腰がやわらかく、あまり威張り散らさないタイプの大人だと思うが、僕に向けられる視線はいささか鋭いものだった。


「以前、2人はただの友達だと言っていたが……、もしかして、今は、お付き合いを始めていたりするのかな?」


 牽制するような問いかけ。

 それをしてきた理由は、繭墨の行動にある。


 最初、秋浩さんは自分の娘に助手席へ座るよう促したのだが、彼女はそれを断って後部座席へと座ったのだ。つまりは、僕の隣へと。


 その瞬間の秋浩さんは、かなりのショックを受けている様子だった。洗濯物は分けて洗ってほしいと言われた父親はこんな顔をするのかもしれない。


 その衝撃が、僕への反感めいたものとなって、ちょっとばかり敵対的な視線がこちらへ向けられていた。しかし、ここでひるんではいけない。前からの視線にはもちろん恐縮してしまうが、隣からの無言の圧力だって、それはそれは恐ろしいものなのだから。


「ええと、はい、お付き合いを、させていただいております」


 やんわりと認めると、秋浩さんの頬がピクリと引きつった。窓の外の景色の流れが、少しだけ早くなったような感覚。


「……付き合いの深さについて、聞いてもいいかな」

「清い交際です」

「キスをしたわ」と横から繭墨。


 車体が揺れた。落下物を避けたのかな?


「乙姫、そ、それは少し性急じゃないかな?」

「おお、お嬢さんの冗談ですから」

「ウチの乙姫ちゃんとの付き合いは冗談だと?」

「言ってないじゃないですかそんなこと」乙姫ちゃんて。


 穏やかそうな人だと思っていたのに、娘のこととなると少しおかしくなるらしい。なんか面倒くさくなってきた。


 僕は機嫌を取るつもりで僕はカバンの中の荷物を探って、


「あの、修学旅行のお土産をお父さんにも」

「お義父さんなんて呼び方は少し気が早いんじゃないかな」


 身体がシートに押し付けられる感覚。高級車特有の静けさのせいで実感しづらいが、明らかにスピードが上がっている。……これはいけない。もう黙っておこう。



 そうこうしているうちにアパートに到着すると、僕に続いてなぜか繭墨も車から降りた。荷下ろしが終わっても戻ろうとしない。


「乙姫ちゃん?」


 と秋浩さんが上ずった声を上げる。


「わたしもここで降りるから。荷物よろしくね」

「何を言って」

「ほらお父さん、早く行かないと。公道でだらだらしてはいけないわ」


 バタン、とドアを閉めてこちらに向き直る。

 繭墨の荷物は大きめのショルダーバッグだけだ。


「修学旅行でちょっと近づきすぎたせいでしょうか。なんだか、歯止めが利かなくなってしまって」


 頬を染めて視線を合わせてくる繭墨。同時に僕の腕に手を回してくる。身体が密着する。胸はないが、やわらかい。


 これは何かの罠だろうか。緊張よりも先に、相手の注意を引いて仕事をやりやすくするスリの手口を思い浮かべてしまう。繭墨がこんな露骨に媚を売ってくるなんて、話がうますぎるじゃないか――


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――その違和感が決め手だったのか、目を覚ました僕はソファに腰掛けていた。伯鳴駅のホームに停車中の、列車のソファだ。ほかの生徒はほとんど外へ出ている。


 赤木が僕の肩をゆすっていた。


「おい阿山、起きろって」

「……あれ? 乙姫ちゃんは?」

「知らん、ヨダレを拭け」


 ちゃん付けかよ糖度高すぎだろ、と赤木は戦慄の表情を浮かべていた。


 ここまで妙なリアリティのある夢を見たのは初めてかもしれない。僕はまだモヤのかかったようにぼんやりした頭を振り、立ち上がって荷物を手に取った。


 解散後に繭墨の姿を探したが、彼女はどこにもいなかった。父親の高級外車に乗ってさっさと帰ってしまったのだろうか。スマホを見ても着信はなし。


 まあ、現実はこんなものだ。

 人前でイチャつくなんて繭墨のキャラじゃない。哲学の道でのアレはスーパーレアイベントだったのだ。長く付き合っていればまた遭遇する機会もあろう。


 わかっていてもあんな珍妙な夢を見てしまうなんて、つくづく重症らしい。苦笑しつつ重いバッグを肩にかける。


 駅舎から出ると、旅行先とは違う街なのだということが五感ぜんぶで感じられた。空気の匂いや、雑踏の音や、風の温度。あか抜けない地方都市の、イマイチ冴えない街の景色。それを好きとか嫌いとか考えたことはなかったが、落ち着くことだけは確かだった。

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