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ハッピーエンドはここじゃない  作者: 水月康介
2年次2学期 ―修学旅行―
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月下に答えがないのなら


――繭墨乙姫視点――


 わたしたちが宿泊している旅館は、廊下の突き当りに小さなベランダがあります。避難通路となっているそこで、わたしは夜の街並みを見下ろしていました。


 伯鳴市のそれよりもはるかに華やかな夜景を眺めること数分、少し肌寒さを感じ始めたころになって、阿山君がやってきました。服装は学校指定のジャージではなく、客室に置いてある浴衣を着ています。


「どうしたんですか、その格好」

「ふだん着ないからみんな興味があったんじゃないの、一人が着替えたら、あとはもうなんかノリというか同調圧力というか。……い、乙姫は?」


 と阿山君が問い返してきます。

 二人きりのとき限定の名前呼び。まだ言い慣れていない〝いつき〟というぎこちない響きが、わたしは嫌いではありません。


「浴衣なんて実用的じゃないでしょう。はだけるのを気にしないといけませんし……、まさかそれが狙いですか」


 わたしは半身になって胸元に手をやり、阿山君を睨みつけます。

 場を和ませるための、軽いジャブでしたが――


「個人的には帯より下の辺りがはだけてスリットみたいになると嬉しいかな」


 ――というマニアックな返事。

 もう少し恥ずかしがると思っていたのですが、なかなかの上級者ですね。


「鏡一朗さんの性癖は置いておいて。ここまで誰かに見つかってないですよね?」

「言われたルートで大丈夫だったけど、なんで先生の巡回パターンを知ってるの」


「先生だって人間ですし、わたしは生徒会長です。ほかの生徒よりは、良くも悪くも特別視される立場ですから。例えば……」


『生徒の面倒を見ながらの旅行なんてちっとも落ち着けませんよね』

 と話を振ると、

『その分、知らない土地で飲みに出歩くのが楽しみなんだよ』

 なんていう話が聞けたりします。ほかにも、

『今まで、修学旅行中に起こった一番の問題ってどんなものがありますか?』

 などといろいろ質問をしていき、その返事に含まれる断片的な情報から、先生たちの夜間の行動パターンを割り出したのです。


「そんな下準備をしてたのか……」

「しっかり準備をして次の戦いに臨みたい――最近のスポーツ選手の定型句じゃないですか」

「どこで何と戦うつもりなのさ」

「もちろん、ここで」わたしは足元を指さして、正面を見据えます。「あなたと」


「物騒だね」

「そう身構えないでください。少し、確認したいことがあっただけです」

「確認」と阿山君は繰り返します。

「今日一日、ヨーコに対して素っ気なかったのは、気のせいではないですよね」


 わたしが阿山君の目を見つめながらそう尋ねると、やっぱりそのことか、とばかりに力の抜けた苦笑を浮かべます。隠すつもりはなさそうです。


「赤木がさ、百代に興味があるらしいんだ。だから、2人が話をできるように、いろいろ気を回してみたんだけど……」


「歯切れの悪い言い方ですね」

「乙姫はどう思う? こういう、裏で手を回すみたいなやり方」

「別にいいじゃないですか」

「え?」


 阿山君は意表を突かれたように目を丸くします。


「どうしましたか」

「だって、ま……乙姫はなんか不機嫌そうにしてたじゃないか。だから、こういうことが好きじゃないのかと思って」

「そんなことありませんよ。今までのことを思い出してください。わたしは本質的に姑息な手を使う女です」

「でも状況が違う」


 と阿山君はすぐに切り返してきます。

〝今までのこと〟を詳細かつ鮮明に覚えていなければありえないレスポンスの速さ。それがうれしくて、つい口元が緩んでしまいます。


「そうですね。でも、だからこそ、阿山君の行動には賛成なんです」


 曜子はまだ阿山君への好意を諦めていません。

 それを少しでも紛らわすために、別の人との接点を増やしてみるというのは、きっと親切といえる類の試みのはずです。


 ただし、恋敵ともいえるわたしがそんなことを考え、仕向けるというのは、ひどく利己的であると思います。わたしが不機嫌そうに見えたというなら、それを自覚してしまったからでしょう。


 仮に、阿山君の気持ちがわたしから離れてしまう瞬間があったとして、そのタイミングで曜子との仲が接近しようものなら、2人がそこでくっついてしまう恐れもゼロとは言い切れません。


 だけど、すでに曜子が新しい恋人なり、好きな人を見つけていたならば。ゲスでも鬼畜でも肉食系でもない阿山君が、曜子に手を出すことはないはずです。


 端的に言って。

 曜子が阿山君への想いを諦めてくれないと、わたしが落ち着かないのです。


 阿山君のことは信じています。

 ですが、それを無条件で与えられるものだと考えるのは、単なる怠慢です。


 かつては仲睦まじい二人であっても、いつの間にかすれ違って遠ざかり、やがて手を伸ばしても届かなくなってしまう。


 離婚寸前の両親がそうでした。

 男女の仲の栄枯盛衰をリアルタイムで目の当たりにしてきたわたしにとって、幸せな結末(ハッピーエンド)という言葉は、心地よい余韻とともに、拭いようのない疑念を感じさせるものなのです。


 曜子は大切な友達ですが、阿山君を渡すかどうかというのは別の話。わたしが不治の病でこの世を去ってしまうとなれば、一考しても構いませんが。


 ともかく、曜子は長期戦を狙っている節があり、油断はなりません。

 誰か別の男子とくっついてくれたなら。

 友達としても、恋敵としても、安心できるのです。


 そんなことを考えていると、ふと、阿山君が浮かない顔をしていました。


「鏡一朗さんは気が乗らないんですか? ヨーコと赤木君を引き合わせることが」

「百代は僕のことを、たぶん、まだ……」

「好きでしょうね」


 わたしの率直な言葉に、阿山君はわずかに眉をひそめます。


「……それをわかってて、別の男子を紹介するっていうのは気が引けるんだよ。お前が言うな感がすごくて……」


「キープしているわけではなくて?」

「――違う」


 阿山君の鋭い視線を感じつつ、わたしは言葉を連ねます。


「でも、ヨーコには友達でいようって言ったんですよね。その約束は、今も続いている。周りに付き合っているのかと疑われるくらい、仲のいい〝友達〟ですよね」

「それを言うなら乙姫だって――」

「なんですか?」

「……いや、なんでもない」


 阿山君は首を振って視線を逸らします。

 売り言葉に買い言葉を放ちかけて、ギリギリのところで自制が働いたようです。しかし、何を言いたかったのかは、まったく隠せていません。


 ――わたしは進藤君を、もう、なんとも思ってないのか?


 そういう意味合いのことを聞きたかったのでしょう。


「一年間も片思いし続けた相手なんですから、完全にただのお友達と見るのは、今はまだ、難しいです。いきなり視界に姿が入ると、心がこわばってしまうこともあります」


 察してしまった以上、わたしは本心を語りました。

「……正直なんだね」阿山君は苦い顔で言葉を絞り出します。


「鏡一朗さんの感情よりも、わたしはわたしの疑心を明かすことを優先しました。そんな人間が相手の疑心に素直に答えないのは、不誠実だと思ったので」


「そっか」阿山君は短くつぶやき、スマートフォンを取り出します。「……先生の見回りローテーションって、だいたい30分くらいだっけ」


「はい」

「じゃあ、そろそろ行くけど……。繭墨は、戻らないの?」

「もうしばらく夜風に当たっています。わたしなら見つかってもお咎めは弱いはずですし、二人一緒のところを見つかる方が危険でしょう」

「確かに。じゃあ、また明日」

「はい、おやすみなさい」


 一人きりになったベランダで、欄干に腕を置いて夜空を見上げます。

 天頂には乳白色のおぼろ月。脳裏に〝フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン〟の歌詞と譜面が浮かびました。


 あれこれ言葉を飾りつつも、最終的には『つまり愛してる』と打ち明ける、ロマンティックな歌詞が好ましい曲です。それから、月といえばもう一つ、夏目漱石のどこか投げやりな逸話を思い出して、その対比におかしみを感じてしまいます。


 が、すぐにため息。

 わたしたちは、相手への疑心を明言してしまいました。


 包み隠さない言葉は、相手を傷つけることがあります。

 時間をおけば、それが優しさだったのだと気づくこともあるでしょう。


 あるいは、残酷な真実を隠すために嘘をつくこともあります。

 それが傷ついた心を守り通す盾となることもあるでしょう。


 嘘と、真実。

 ひねくれ者と、正直者。

 月が綺麗ですねと、わたしを月に連れてって。


 この場合は、どちらが正しかったのでしょうか。

 月下に答えがないのなら、朝日が昇るのを待つしかありません。


 ……少し、格好をつけすぎました。

 この気まずさの原因は、わたしにあります。

 冷静になり切れず、余計なことを言ってしまっただけです。


 思い返せば、こういうことは今までに何度かありました。

 後悔や逡巡を抱えて気まずそうな顔の阿山君を見ていると、つい、その心を揺さぶって、隠していることを洗いざらい吐き出させたくなる――そんな衝動に駆られるのです。


 一体なんなのでしょうか、これ。



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