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ハッピーエンドはここじゃない  作者: 水月康介
2年次2学期 ―修学旅行―
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部屋から抜けられませんか?


「高校生の集団って、ほとんど公害ですよね」


 長い黒髪の女子高生は、自らもその集団の一員でありながらそんなことを言った。しかも自分はその長といえる生徒会長を務めているくせに。


 ただまあ、言い分はわからなくもない。僕が自由気ままな一人旅を満喫中の一般客だったとして、移動型騒音発生源たる修学旅行生と同じ列車に乗り合わせたり、同じ観光地にかち合ったりしたら、それだけで車窓からの景色は色あせてしまうだろうし、観光地への興味も減衰してしまうだろう。


「でもね、繭墨」僕はそっと彼女をたしなめる。「父さんの運転する車の助手席に乗っていたとき、前を走っている教習車のあまりの遅さに不満を漏らしたことがある。

 そしたら父さんが言ったんだ。

 誰でも最初は不慣れで当然。教習車をちんたら走らせている運転手は、未来の自分か、あるいは昔の自分と同じなんだと心得なさい。大目に見てやらんといかん。――ってね」


「素敵なお父様ですね」繭墨はメガネの奥の瞳を細める。「それで阿山君は素直にうなずいたんですか?」


「まあ、うん」

「そのエピソードを今ここで語るのは、わたしの暴論をたしなめる意図があるんですよね」


「まあ、うん」暴論って自覚はあるのか。


「そういうことでしたら、申し訳ありませんがまったくの的外れです。わたしは未来永劫、集団での騒乱に加担することはありませんから。独りぼっちでおとなしく、文庫本を開いて周囲を拒絶し、世間様から隔離された自分の殻に閉じこもって、マイペースで生きていきます」


「どうしたの繭墨、何か嫌なことでもあったの?」


 と僕は一応、班のメンバーがそばにいる手前、繭墨を心配するふりをする。


「いえ、わたしは至って平静ですよ。うんざりするような騒々しさの中でも、落ち着いて行動できています。ほら、苛立ちなんてみじんも表に出てないでしょう?」


 繭墨は自らの言葉を証明するように微笑を浮かべる。

 確かにそれは、一流企業の受付係と比較しても遜色のない、ナチュラルな作り笑いであった。


「さすがの面の皮だね」

「セルフコントロールに長けていると言ってください」


 繭墨が澄まし顔で離れると、それを見計らったように赤木が近づいてきた。


「おい阿山、お前はすごいな。あんなピリピリした繭墨にビビることなく話を続けられるなんて、肝の座ったやつだ」


「そんなことないよ」


 これは謙遜じゃあない。

 繭墨がピリピリしている、という認識が間違っているのだ。

 むしろ上機嫌といっていい。


 列車やバスの車中で、繭墨はときおり旅行のガイドブック『ぶるる特集号~コレ1冊で秋の京都はすべて満喫スペシャル!~』を開いて口元を上げていた。冊子のあちこちに付箋を貼りつけ、ページの右上に折り目をつけたりして、かなり読み込んでいることがうかがえた。


 世の中を斜めに見つつも、イベントごとにはノリノリの、つまりはいつもの繭墨乙姫だった。このかわいさがわからないとは、赤木もまだまだだ。


「心なしか上からの――しかもどこか安らぎに満ちた視線を感じるぜ」

「それは大仏様の視線じゃないの。僕たちを見守ってくれてるんだよ」


 と適当に応じて、僕は行く手にそびえる木造の巨大な門を見やった。


 伯鳴高校2年生一同は、現在、修学旅行の第一日目を消化中である。

 最初の目的地は奈良の東大寺。境内を巡回するため、バスから降りて待機しているところだ。


 静かに待てと教師たちは言っていたが、それは無理な相談だ。元気のあり余っている初日に、僕たちのような学生風情が大人しくできるわけがない。太陽に西から昇れと言うのと同じくらい無茶なことだ。繭墨もなんだかんだで雑談に花を咲かせていて、彼女の言うところの公害の一部になっていた。


 あくびを一つ、かみ殺す。

 伯鳴市を出たのは早朝のことだった。伯鳴駅から特急に乗り、新幹線に乗り換え、そして京都駅で下車。そこからバスで奈良まで来たのだ。

 京都から奈良まで30分程度というのは、驚くほどに近いと感じる。いくら隣り合っている県とはいえ、田舎者の僕にはピンとこない距離感だった。


 改めて周囲を見回すと、人出は確かに多いものの、決して不快な密度ではない。老若男女、外国人。個人、ペア、団体客――場所が場所だけに、気が急いている人間がいないからだろうか。


「キョウ君」


 百代がいつもより半オクターブほど高い声をかけてくる。

 松の木の根元でひざを折ってくつろいでいる野生動物を指さして、


「鹿がいるよ、戯れに行こうよ」

「あとでね」と僕は静かに言う。


 修学旅行なんてイベントがあると、いつもはおとなしい生徒だって、年相応の落ち着きのなさを見せるんだろうけど。それにしたって百代は下手をすれば小学生レベルのはしゃぎっぷりだった。


 だが、これはチャンスだ。

 僕は赤木に目配せする。


 赤木はガイコツ人形のようにカクカクと首を振りつつ、ぎこちない声で百代に話かけた。


「あー、百代は鹿が好きなのか?」

「え? 好き嫌いとかあんまり考えたことなかったけど……、つぶらな瞳がカワイイよね、あと、ツノが思ってたよりまるんとしてるのもカワイイかなぁ」

「あれは観光客を傷つけないように削って丸くしてるんだぜ」

「ふぅん、そうなんだ。ちょっとかわいそうだけど、仕方ないよね、こんなユルい飼い鹿生活なんだから」

「ここの鹿って一応は野生動物らしいぞ」

「え、そうなの?」

「天然記念物だから妙なことをしたら罰せられるぞ」

「あたしは別に何もしないよ? ツノの先に鹿せんべいをぶら下げてみようなんて、考えたこともないし」


 などと残酷な試みを自らバラしてしまう百代。


「鹿は神様の遣いってことで、昔から大事にされてきたんだとさ」

「へー、赤木君って物知りなんだねぇ」


 と百代は素直に感心し、赤木は「まあな」とそっけなく答える。しかし百代に見えないところで必死にニヤケ顔を堪えていた。なかなか気持ち悪い表情だった。


 そんな二人の様子を少し離れた場所からそっと見守っていると、


「赤木君もこういうときなら予習ができるんですね」


 と戻ってきた繭墨がため息まじりに言った。そりゃあ、繭墨にとっては男心などお見通しかもしれないが、あまり哀れに思わないでほしい。下心というのは僕ら男子高校生にとって最高の原動力なんだから。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 お香の匂いが香る中を、順路に沿ってぞろぞろと境内を歩いていく。


 僕たちの住んでいるような地方都市だと、国宝がひとつあるだけで名所という扱いになるけれど、東大寺のそれは数も知名度もケタ違いである。

 南大門、金剛力士像、本殿に廬舎那仏――いわゆる大仏様と、仏教徒でなくとも見聞きして名前も知っているものばかり。常に何かしらの国宝か重要文化財が視界に入っているような状況で、すっかり有り難がる感覚がマヒしてしまっていた。


 ここでも赤木は予習の成果を披露しようと張り切っていた。しかし、


「東大寺と大仏って2回も焼失してるんだぜ?」

「焼けたっていえば金閣寺も火事になってなかったっけ」


 百代の意外と知的な切り返しにあっさりフリーズしてしまい、勉強不足を露呈していた。


 大仏って中に入れるんだよ? 目の辺りにのぞき窓があるんだよ? というウソ情報で場を和ませたい衝動に駆られたが、それをじっと我慢する。理由わけあって、二人の間に割って入るのを僕はこらえていた。


 知的好奇心の強い繭墨は、観覧中もほとんど口を開くことなく、文化財の数々に見入っていた。解説の看板にも目を通して、パンフレットもすべて持ち帰っていた。暴論はともかく、その行動は全校生徒の模範的立場である生徒会長にふさわしいものだった。


 僕も繭墨に倣って大人しくしつつ、実際のところは彼女の横顔ばかりを目で追いかけていた。釈迦よりも如来よりも繭墨乙姫だった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 境内の巡回が終わると、百代は解き放たれた獣のように鹿せんべい売り場へと駆けていった。


 それを見送って、僕と赤木と直路――男衆が密集する。そして、


「ここがポイントだぞ」


 九回裏ツーアウト満塁――のような緊張感で直路は言う。しかしその内容は『狙い球を絞れ』や『初球は待て』などの具体的な指示ではなかった。ここは野球場ではないし、僕たちは高校球児でもなかった。深紅の大優勝旗なんて欲していない。女の子と仲良くしたいという欲望に忠実な、ただの男子高校生だった。


「女子との仲を縮めるには、動物園が鉄板なんだ」


 直路はドヤ顔で言った。それがどうやら必勝の策らしかった。


「動物が嫌いな女子なんていないし、かわいいものを見ているだけで機嫌は常に上向きだし、共通の話題にも事欠かない、豆知識をネットで仕入れておけば、物知りをアピールできるって寸法だ」


「ストレート一本だった直路も、いつの間にか小手先の技を覚えてしまったのか」

「直球がいいからこそ変化球が活きるんだろうが」


 僕の批判に対して、直路は野球でよく使われるレトリックを用いて反論してくる。まっすぐが速い方が、変化球との速度差や曲がりなどの落差によって、打者をより翻弄できるという意味合いである。


「ここは動物園じゃねえが、動物がいるんだから似たようなもんだ。チョクで触れるってところも有利だと思うぜ。まあがんばれよ」


 赤木の肩をぽんと叩くと、直路はどこかへ去っていった。よそのクラスにいる彼女と合流するのだろう。


 そんな直路と入れ違いに、小走りの足音が近づいてきた。

 僕はそれに気づかないフリをして、肩をすくめつつ口を開く。


「それにしても、鹿せんべいなんてねえ」

「どうした阿山。伝統文化を小馬鹿にするいけ好かない南蛮人みたいな口調で」


「だって考えてもみなよ。ここには毎日たくさんの観光客が訪れている。みんな東大寺と言えば大仏と金剛力士像、そして鹿を思い浮かべるはずだ。仏像には触れないけど、鹿とは触れ合える。餌もやれる。そう、鹿せんべいだ。

 しかも困ったことに、鹿には鹿せんべい以外の食べ物をやることが禁止されている。僕が鹿だったら、間違いなく食べ飽きてるよ。

 きっと鹿たちがおいしそうに食ってるのはサービスの一環――」


 ゴシャッ、という音が聞こえて振り返ると、両腕一杯に鹿せんべいを抱いた百代が立ち尽くしていた。その足元には鹿せんべいの束が落下して粉々になっている。


 赤木が慌てて百代を慰める。


「き、気にすんなって百代。バカという字は馬と鹿って書くだろ。鹿なんてどうせ味音痴に決まってる」


 その言葉が聞こえたわけでもないだろうが、鹿が数匹、百代たちへと近づいてきていた。地面に散乱した鹿せんべいに興味を持ったのだろうか。食欲の前ではしゅを愚弄される屈辱も気にならないらしい。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 動物は鉄板。

 百代たちから離れ、繭墨を捜し歩いている僕の頭の中では、このフレーズが繰り返し響いていた。


 先ほどさんざんディスった鹿せんべいを、神の遣いであるところのお鹿様に食べさせるだけで、男女の仲が進展する。そんな上手い話があるのだろうか。特殊詐欺じゃないのか。


 ひとまず流れを考えてみよう。

 ……確かに、ネット上にあふれる投稿動画では、動物にエサをやったときのリアクションによってウケているものは数多い。


「チョー食べてる! このいやしんぼめ」

「へぇ、鹿って動物は女を見る目があるんだな」


 ……となると、鹿の食事を目の当たりにした女の子は、その仕草をかわいいと喜ぶだろう。

 それに、手で直接餌を与えられる距離感も大事だ。動物との近さは、やがて男女の距離感を縮める一助になる。


「目がかわいくない? 絶対かわいいよね?」

「キミの方がかわいいよ、ずっとね」


 ……今や自らの体験はSNSにアップするのが当たり前の時代だ。

 撮影を担当するのは男子ということになるだろう。スマホを一時的とはいえ相手に預けることは、相手への信頼がなければできないことだ。


「早く撮ってよ、鹿がもっしゃもっしゃ口動かしてるところ! 違うってば、あたしじゃなくて鹿の方!」

「お前があんまり楽しそうだから、その笑顔を記録に残しておきたかったんだ」


 僕の考えを裏付けるように、アベックどもがいたるところで、鹿をダシにしてイチャついていた。なるほど、直路が言いたかったのは、こういうことだったのか。


『動物を間に挟んで二人の距離を縮めよう作戦』は、一般的な女子に対しては有効らしい。しかし、はたして、あの当代一の偏屈ガールに通用するのだろうか。


 やがて、みやげ物屋の店先にたたずんでいる繭墨を発見した。

 すでに買い物は済んでいたらしく、声をかけるとすぐにこちらへ近づいてくる。


「どうですか、これ」


 繭墨は一冊の本を差し出してくる。かなりぶ厚いそれは写真集だった。仏像の。

『MIHOTOKE~三千大千世界に遍く~』という徳の高そうなタイトルだった。


「一般客は閲覧不可の国宝まで網羅した、学術的価値の高い写真集ですよ。普段は見られないローアングルも含めた全周囲からの撮影によって、仏像の表情の豊かさを捉えることに成功しています。いい買い物でした」


 興奮気味に語る繭墨に対して、


「繭墨って……」歴女? という単語を口にしそうになる。

「阿山君」繭墨の声のトーンが下がった。

「ハイ」

「歴女に腐女子、ゆるふわ森ガール……、そういったレッテル貼りは、わたしの最も嫌うところだと知ってますよね」

「ハイ」


 だから踏みとどまったのに察せられてしまった。

 あとなんだろう、最後のゆるふわ森ガールって。


「えーと、そ、その写真集、あとで見せてもらってもいい?」


 と趣味にすり寄って機嫌を直してもらおうと試みる。


「興味あるんですか?」

「もちろん、僕にも功徳を積ませてよ」

「念仏を唱えただけで救われる、みたいな手軽さを期待されても困りますが」

「そういえば女性の仏様っているの?」

「仏様に性別はありませんよ、その辺りはキリスト教の天使と同じです。……性別を気にするのは、ローアングルという言葉に反応したからですか?」


 底冷えのするような繭墨の声音に、僕は小さく首を振って否定の意思を見せる。


「ただの好奇心、知的好奇心だから」

「そう……、恥的好奇心ですか」

「うん……?」

「そういえば、さっきの土産物店に警策けいさくのレプリカがありましたね」


 みやげ物屋に引き返そうとする繭墨をどうにか引き止めて、集合場所に向かっていると、一頭の鹿がとととっ、と僕たちに近づいてきた。神の遣いという言い伝えのごとく神がかったタイミング。チャンスだ。


「繭墨は、鹿って好き?」

「獣臭くて食べられたものではない、という批判はよく聞きますが、それも調理方法しだいですね」


 鹿はたたたっ、と足早に離れていった。


狩猟肉ジビエじゃなくて、生き物としての見た目とか仕草とか、そういう意味で聞いたんだけどね」


「それは失礼しました」


 繭墨は口元を上げる。100%わかっている顔だった。

 動物を介して場を和ませ、二人の距離を近づける――そんな浅はかなやりかたなんて、繭墨にはバレバレなのだろう。


「鹿と言えば、ヨーコはどうしたんですか? 奈良じゅうの鹿を餌付けしてやると息巻いていましたが」

「あ、ああ、百代なら赤木と一緒に、鹿と戯れてるはずだよ」

「そうですか。赤木君と一緒に……」


 繭墨はこちらを向いて、何か言いたげに鋭く目を細める。

 しかし、続く言葉はない。

 明らかに空気が張り詰めたのがわかった。


 唐突な変化に戸惑ってしまう。

 鹿はいなくとも、それなりにいい感じの雰囲気になっていると思っていたのに。

 何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。



 それからホテルに戻るまで、僕たちの間に会話はなかった。

 繭墨はこちらと目を合わせようともしなかった。

 だから、


『消灯時間後、部屋から抜けられませんか?』


 スマホにそんなメッセージが届いても、ちっとも胸は躍らないのだった。


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