恋のはじまり
【9月】
「そういえば私の自転車さ、ライトないんだよね。」
苦笑交じりに言った。
まさかこの一言で、恋に落ちるなんてことも知らずに。
駐輪所を歩いて行く。
狭い駐輪所だから、ライト発言から10秒もしないうちに私たちが通う塾の自転車スペースに着いた。
水色の自転車。
もうボロボロだなあ。そろそろさすがにもうちょっと大きい自転車が欲しい。
そう思いながらポケットから鍵を出そうとしたそのとき、
無言で歩いていた彼が自分の自転車のハンドル部分に向きあい何かを取り外す動作を始めた。
「……?」
不思議に思い、彼の背中からひょいと顔を出してみる。
何して…ってまさか!
「……。」
彼は取り外し式のライトを取り外し、私の自転車に付けようとしていた。
「ちょっ、いいよ!」
慌てて止めようとするけど手際が鮮やかだった。
「いいからー。」
くはは、と独特の笑い声を上げて何事もなかったかのように自転車に跨る。
胸がトクン、と高鳴った。
「あ、ありがとう…。」
この瞬間、私は恋に落ちた。
「そういえば、全部90円の自販機あるの知ってる?」
「え、し、知らない!」
「行く?」
「…うん!」
駐輪所を出た所は少し坂がきつい。
だからいつもここでは自転車を押しているんだけど。
今押しているのはその理由だけじゃない。
「自転車押すの?」
「えっ、あ、あぁ!ご、ごめん…。走る?」
「どっちでもいいよー。」
お言葉に甘え押させてもらおう。
ゆっくり、ゆっくり君と歩きたい。
一度は自転車に跨った君だけど、降りて私に歩調を合わせてくれる。
こういう所、前から思っていたけどジェントルマンだね。
真っ暗い道を歩いて行く。
暑いとは言わないけど肌寒い訳でもない。
もう秋かぁ。
「さっきさ、塾長が何か言ってなかったっけ?」
「あぁ、日和ちゃんを守ってあげてなんたらかんたらってやつ?」
「そう、それ。」
「私中2だし大丈夫だからね!」
冗談ぽく言ってみると彼は普段通りの穏やかな表情で
「まあ、いざとなれば『逃げろ』くらいは言ってあげるから。」
と言って私の方を向いた。
「そ、そりゃあどうも…。」
また不覚にも心臓が跳ねた。
こいつ私の寿命を縮める気か。
「自販機、全部安い代わりにめちゃめちゃ暗い。」
「で、電気代の節約…?」
「だねー。あ、それ。」
「え、どれ?」
本通りから一本中に入った所は電灯もない暗い路地だった。
ここってそういえばママから塾の帰りは通っちゃダメだよって言われてる所だ。
お地蔵がある。
自販機どこですか。
「それ。」
「……あ!あれか!」
暗っ。言われなきゃ気付かないよあんなの。
「安いでしょ?見てみて。」
自転車のスタンドを下ろし、よく目を凝らして見つめる。
「うわ、本当に90円って書いてる!」
「でしょ。…あっ。」
そこで彼がポケットからケータイを取り出した。
「静かにしててね?」
私はこくりと頷き、自販機とお地蔵さん付近をうろうろした。
後ろからは感情があまり読み取りにくい声が聞こえてくる。
「…うん。うん。もう帰るから。」
………。
っておい!!!
習い事帰りに男の子と寄り道とかいうシチュエーションにドキドキしてるじゃないぞ七瀬日和!!
めっちゃ迷惑掛けてんじゃん!
何が「走る?」だよ!!向こうは走りたいに決まってんじゃん!
こんなコミュ障クソ女子とゆっくり歩くなんてつまらない以外の何物でもないじゃん!
すげー迷惑じゃん!!何やってんの私!!
引き攣った顔のまま振り向くとちょうど通話が終わった所だった。
「どうも。じゃあ帰ろ。」
「…あ、あの…。」
「自転車、乗らない?」
「乗ります。」
やばいやばいやばいやばいぞ!!!
怒ってない!?ねえねえ怒ってない!?絶対ちょっと怒ってる!
自転車乗ろうとか言ってくるし!!まぁそりゃあそうですよね!!!
人に監視されたりするのが嫌いな望月くんのこと、
絶対今の電話とその電話が掛かってくる原因となった私に怒ってる!!!
で、でも居残りしてた(させられてた)のは望月くんだからね!
それを私が待ってあげてただけなんだから!
何で待ってたのかよく分からないけど!
ブツブツ言い訳を心の中で呟きながら前を走る黒い自転車に付いて行く。
怒ってる(?)のにも関わらず後ろを振り返りながら走ってくれるジェントルマン。
…優しい。
信号を2つ渡るともう私の家。
ストンと自転車から降りると結構先を走っていたはずの望月くんがすぐ前にいた。
何故気付いた。
「じゃあな!」
「…バイバイ!ありがとう!!」
心を切り替え、見えてないだろうけど精一杯の笑顔で叫ぶ。
器用に彼は走行しながら左手を上げ答えた。
口を一文字に結んでも勝手にだらんと緩んでくる。
やば。引き締めないと。
「おかえりー。遅かったね?」
「…ジェントルマンと帰って来た。」
お母さんと私の間では望月くん=ジェントルマンという共通認識が出来上がっております。
まぁ詳しい説明はまたどこかで。
「へえ。いや、自転車どんだけゆっくり漕いでんのよあんたら。」
「押しながら。」
「押して喋りながら帰って来たの?」
「そうだけど。」
「ふーん。」
何ニヤニヤしてるんだババア!!
自室の扉を開け、バッグを置きながら自分の頬の内側を噛む。
もちづきけい。望月慧。
ゆるりとした笑顔と特殊な笑い方、そして学年一と言っていいかもしれない位の紳士さ。
さっきまでのやり取りを思い返すたびに胸の奥がかっと熱くなる。
そっか、これが恋する感覚だった。
服をぎゅっと握りしめた。




