ハンムラビ その2
太陽の光は、ぽかぽかと俺といるかちゃんを照らし、心地よく体を暖めてくれている。
こつこつと、新調した靴に違和感を覚えながら、住宅街を歩く。
歩く先には、ライトグリーン色のマンションが見える。
建築されてから、時間はそんなに経っていないようで、汚れは少ない清潔な印象を与える。
「このマンションの701号室が周防マコト君のお家です。」
俺は、いるかちゃんとここ、数日、連絡を取り合うようになってから、少しだけ、本当に少しだけ・・・
この少女が怖くなっていた。
「それにしても、いじめっこのお家に直接乗り込むというのは、問題を大きくすると思うのだが・・・」
「大丈夫だよ。この時間は、マコト君も遊びに出かけているし、両親も共働きで不在だよ。」
「あれ? 何で、俺達、歩いてここまで来たの? 家の場所を確認しに来ただけ?」
「ちょいと、仕掛けにね。」
・・・・・・不安がよぎる。
マンションのエントランスは、オートロック式のスライドドアになっていた。普通は、設置されいている電気錠に部屋の番号をプッシュして、住人に開けてもらうことを想定している。後は、住人が入るときに、何知らぬ顔で一緒に入るかだ。俺は、後者の方法で入ると思っていた。しかし、いるかちゃんは流れるような動きで電気錠に対して何か数字の羅列を打ち込んで、ロックを解除したのであった。
引きずるような低音を出して、スライド式のドアは開く。
「つーくん、早く、早く」
いるかちゃんは、まるでこのマンションの住人かのように俺を出迎える。
俺の腕を取り、耳元で囁く。
「デバッグ用の解除パスワードだよ。よかった。デフォルトのまま残っていて。」
「・・・・・・そんなのがあるんだ。」
背中に汗をかく。俺は、こんな天気が良い日に一体、何をしているんだ。
取り返しのきかない犯罪に巻き込まれているのではないかと錯覚する。
「701号室の前に来たけど、その後はどうすんだよ? まさか、合鍵まで持っているとは言わないよな?」
本当に言って欲しくなかった。しかし、少女はあどけない笑顔を見せて
「ほら、♩」
可愛らしい猫のキーホルダーと共に鍵を見せるのだった。
あれー? ティンプルキーってそんなに簡単に合鍵作れるんだっけなー?
少しずつ、しかし、確実に俺を蝕む毒のように、彼女の、復讐屋の異常性に気がつきはじめていた。
いけない。
飲まれて行けない。
俺は、俺の道を進むだけだ。
「つーくん、早く入るよ。」
「おお・・・・・・」
「目的はマコト君の部屋だけだからね。つーくんは、このカメラと盗聴器を見つからないように仕掛けてね。」
「さらりと怖い発言の連続すぎて、若干ついていけなくなったのだが?」
「大丈夫、復讐の先輩に任せなさい。私は、マコト君のベッドに、犬の鳴き声を録音した音源をセットしとくね。おっ男の子の部屋発見♪」
いるかちゃんの作戦は以下のとおりだ。
周防マコト君が眠りにはいった頃合を見て、遠隔操作で犬の鳴き声を流す。
起き上がって来たら、音源を止める。
「そうやって、罪の意識を認識させて行くんだな。そして、近藤君に謝らせる。」
俺は、的外れだと思っていたが、いるかちゃんにそう話しかける。
いるかちゃんは魅力一杯の笑顔で
「違うよ、つーくん。近藤君は謝りにきて欲しいんじゃないんだよ。苦しんでほしいんだよ。」
俺は苦笑する。
やはり、この少女は恐ろしい。
睡眠というものは、必要不可欠だ。
少し、不足するだけで、免疫力が落ちて体調を崩しやすくなる。
記憶力、集中力、認識力も低下し、心ここにあらず状態になる。
睡眠が不足するという毒は確実に体を蝕んで行く。
それが、恒常的に続くとネガティブな考えが精神に及ぶ。
そして、死にたくなる。
人が人らしく、生きるためには、・・・・・・維持するためには睡眠が必要なのである。
愛犬が、亡くなった恨みに対して、この少女は・・・・・・
「今日から、熟睡できると思わないでね。マ・コ・ト君!」
睡眠を奪うという陰湿な復讐を企てていた。
見た目上機嫌にマコト君のベッドに何かをしかけているいるかちゃん。剥き出しになっている彼女の大腿に少し、目を奪われながら、俺は室内を見渡す。
野球、サッカー、バスケ、スポーツは好きなようだ。ランドセルは、ベッドの上に放り込んでいる。すぐに遊びに行ったようだ。
さて、どうする?
近藤君は愛犬を死なせてしまった周防君に恨みを持っている。
放っておいたら、近藤君自身がナイフか何かで周防君を傷つけてしまうかもしれない。
逆もしかりだ。
それが、最悪パターン。
このまま周防君を苦しめて、苦しんでいる姿を近藤君に見せて安心させるのは、今は良いかもしれない。
しかし、歪みすぎている。
果たして、この復讐方法は理に適っているのか?
くじらさんが説く理とは?
性善説、性悪説どちらも説くつもりはないが、このやり方に俺は納得していない。
姉も復讐屋を手伝っていたと聞かされていたが、小学生相手にこういう陰湿なやり方を認めはしないだろう。
俺だったら、どうだ? 認めるのか?
自問自答する?
仕掛け終わったいるかちゃんは、素敵な笑顔のまま、俺の顔を見る。
「さっ つーくん 帰ろう!」
「ああっ帰ろう。」
俺は、阿呆なことを考えていた。