第一話 勇者立つ!
世界は、混迷の極みにあった。
地の果ては太陽まで続いているといわれる広大な大陸・グランブルグ。そこには、互いに国交を結ぶ七つの国が栄えていた。
太陽の王を崇めし、最も強大な兵力を誇るラグナ王国。
騎士道を重んじ、礼節を宝とするシュテルン公国。
魔道を世界の秩序と信じ、真理の追究を止めないマールブルグ魔道立国。
海運貿易により急激に発展した、新興のプラム&プリム国。
定住を嫌い、草原の風に身を任せるハルーン遊牧民国。
森を城とし、精霊を友とするケルンスト森林王国。
カルデラの内側で素朴な暮らしを営む、辺境の小国カナン。
大陸に根を張りし七つ国は、それぞれが独立性を保ちながらも、長らく友好的な関係を維持していた。
暗雲の合間より下りし、魔王が現れるまでは。
「……い、いてて」
七百年に一度現れるという、闇の世界の支配者、魔王。
その圧倒的な魔力は腕の一振りで町を破壊し、一言の詠唱で城を粉々にする。
邪悪な力に呼び覚まされたモンスターたちはより狂暴になり、平和に暮らしていた人々を次々に襲う。
二年前に突如降臨した魔王による理不尽なまでの暴力の限りに、大陸の平和はあっけなく崩壊した。
まずシュテルン公国が、続いてラグナ王国が悲劇に見舞われた。
マールブルグ魔道立国の魔導士たちは早々に敵前逃亡し、プラム&プリム国は実をとって魔王に多大な貢物を捧げ降伏した。
ハルーン遊牧民国とケルンスト森林王国は必死に抵抗を試みるも、戦況はきわめて厳しい。このまま滅びゆくのは時間の問題と思われた。
そしてその邪悪な手は、最後に残された辺境の小国カナンにまで迫ろうとしていたのだった。
「くそ、いったいなにが起きた――って、なんだここ」
ラグナやシュテルンといった大国でさえかなわなかった魔王とモンスターの群れ。
ケルンストの半分にも人口の満たないカナンに、たいした兵力はない。なすすべがないことは明白だった。それでも、自身が腕利きの剣士である若いカナンの王は戦地に赴き、自らの剣で魔王の軍勢に抵抗した。
王は幾度となく戦場で魔王と対峙するも、周辺の町がひとつ、またひとつと落とされ、ついに彼は魔王の前に屈したのだった。
小国カナンの王を倒した魔法の手が城に迫る。残された王妃はこの絶体絶命の状況を認め、家臣らとともに自らの死を覚悟した。
だがそこへ、異世界からひとりの少年がやってきた。
「さっきまで情報管理棟にいたはずなのに……なんだ、この石造りの部屋」
大陸には、古くより伝わる二つの伝説があった。
ひとつは、七百年に一度現れる、世界を亡ぼし暗雲の魔王の伝説。そしてもう一つは、これを討ち果たし、やがて世界を救うとされる、異世界より来たりし勇者の伝説。
絶対的な力をもつ魔王。それを倒すことのできる唯一の存在は、この世の理に縛られない、不思議な力を有した、異世界から招かれし勇者。
その人物こそ、現代の地球からトリップを果たした大学生・小鳥遊ハヤトだったのだ!
「……なんだよこれ」
さあ、いくのだ勇者ハヤトよ。
人々を絶望の淵に追いやり、平和を粉々に破壊した憎き悪魔・魔王を倒すのだ! 銀色に輝くその剣で!
「さっきから……セリフがかった女の子の声が聞こえて……」
勇者は異世界にトリップしたことに少々戸惑っているようだ。ひとりごとをつぶやきながら、周囲を見回している。
無理もない。さきほどまで彼は大学の情報管理棟にいたのだから。いま彼がいるのは、小国カナンの王宮。その一室に、彼は瞬間的に転移したのだった。
ここから、彼の冒険の旅が始まる。さあ、まずは入り口のドアを開けて王妃との面会よ!
「いや、面会よ! じゃなくて……。なんだよこれ。だれもいないのに、俺の頭の中にさっきから声が聞こえるんだけど。お前、だれだよ」
俺の頭の中にさっきから声が――え、なに?
「なに、じゃねえよ。だれだよお前。ってか、どこから聞こえてるんだこの声?」
なによ。人がせっかく勇者の旅立ちを演出してるってのに。話しかけないでくれません?
「いや、次から次へとお前の声が聞こえてくるのに無視するほうがおかしいだろ。なんだよこれ、どうなってんだよ。ここはどこだ。お前はだれだ」
はぁ。もう、プロローグが台無しね。もうちょっとノリのいい男の方がよかったかしら。あのチラシを見てわざわざやって来るのは、異世界トリップして一も二もなく喜ぶラノベ厨の男子だと思ったのに。
「知るか! ってか、俺の質問に答えろよ。お前は一体だれなんだ」
私は、この世界の森羅万象を操る全知全能の神・レオニラよ。
「レオニラ……?」
そう。この世界を創造し、育て上げ、その歴史の全てを見てきた神。絶対的な神。偉大な力をもつ神。それがこの私なのよ。
さあ、敬いなさい。ひざまずきなさい。こうべを垂れなさい。
「でもその割には、さっき『異世界トリップ』とか『ラノベ厨』とかいう言葉が出てきた気がするんだけど」
……あれは、まあ、全知全能の神として? そっちの世界のことも少しくらいは知っておかないと? みたいな? どうせ大学生男子なんてみんな心のどこかで女の子とキャッキャウフフするハーレムタイプのラノベが好きなんでしょ?
「偏見にもほどがあるだろ……。ってかさらに『大学生』って言ってるし」
……それは、全知全能の神として、トリップさせる男子の身分くらい知ってて当然だし。
「全知全能都合よく使うな。つーかお前もしかして、部屋に入ったとたん体当たりをかましてきた女子じゃないか」
記憶違いじゃないかしら。体当たりをかましたくらいで、男の人がか弱い女の子に倒されるなんて。
「いや、ぎりぎり憶えてるんだ。体当たりを喰らったときに『ビリッ』てきて。そしたらすぐに全身がしびれて立っていられなくなって――。意識がなくなる前に、白衣を着た女の人がみえたような気もするし」
……ふーん。
「体当たりされただけで全身がしびれるなんてこと、普通ないだろ。あれ、もしかしたらスタンガンかなにかを使われたんじゃないかって、思ったんだけど」
…………ふーん。
「いや、ふーんじゃなくて……。どうなんだよ。ってか、俺が気絶してる間に、俺の体になにかしたんじゃないだろうな?」
さて、王宮の一室に転移した勇者ハヤトは、周囲の景色に戸惑いながらも入り口の扉に手をかけるのでした。
「無視すんな!! 図星なんだろ! お前、俺に体当たりをかましつつスタンガンで動けなくして、どうやってかこんなわけのわからないところに連れてきたんだろ!!」
お前ではない。レオニラです。
「んなことどうでもいい! ここはどこなんだよ!! 大学の近くか? 構内か? お前の目的はなんなんだよ!?」
小国カナン、ひいてはグランブルグ大陸を魔王の手から救いたい。その一心であなたを異世界へ転移させたのよ。
「ウソつけ! ぜったいウソだろ! お前ただの大学関係者だろ!! ああ、やっぱあんな怪しげなチラシに惑わされずにコンビニでタウンワークでもみときゃよかった……」
勇者ハヤトは自分が異世界に転移したことが信じられずに少々取り乱しているようだ。無理もない。彼はさきほどまで平凡な大学生だったのだから。
「その白々しい語りやめろ! とにかく俺をいますぐ元の場所に戻せって!」
それは無理ね。魔王を倒さない限り、あなたは元の世界に帰ることはできないのよ。
「だからそういう設定とかどうでもいいんだよ! くそ、もういい。どうなってんのか知らねえけど、ここから出ればどこに連れてこられたかわかるだろ」
ハヤトは部屋の入り口の扉に手をかけた。そして勢いよく開け放つ。
まるでそこに自分の見知った世界が広がっていると確信しているかのように。
「ほら――あれっ」
だが彼の目に映ったのは、どこまでも続く赤いカーペットの敷かれた、松明の灯る広い廊下だった。