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プロローグ 2/2


 ひとつ目を引いたのは、メールに書かれていた場所だった。

 先端科学領域情報管理棟。

 ここは彼の通っている大学――学校法人椥辻学園の学生が、ふだん立ち入ることのない区域にあった。


 「先端科学領域研究区域」は、おもに大学教授や外部の研究所所員、提携企業の研究部署員などが使用する、日本でも最先端かつ高度・広域な実験設備の整った棟が立ち並ぶ科学研究区域である。

 洪水や地震などの災害シミュレーションを視覚的におこなえる実験設備や、宇宙の謎をひもとくためのプラズマ発生装置、再生治療に応用できる細胞培養装置とその研究スペースなど、あらゆる分野の第一線の研究者がこの区域の設備を毎日利用していた。

 逆に大学の学生は、講義の一環でまれに使用することはあるものの、それ以外にはよほど専門的な研究テーマをもつ学生でない限り、この区域に入ることはなかった。

 そのため、区域の最奥には魔法や心霊の研究施設まであるという学園伝説が創られるほど、その内部は大学の学生にとって神秘のベールに包まれていたのだった。


 情報管理棟は、そんな中でも比較的、学生に近い役割を担っている施設である。

 大学にある全ての固定式端末を総括し、ネットワークを介して演算・保存領域を運用する複合サーバー。

 ある意味で大学の根幹となる部分を一手に引き受けるこのサーバーを保守・管理する施設。それが情報管理棟だった。

 一、二階ではエンジニアによる監視が二十四時間体制でおこなわれており、夜中になっても煌々と明かりがともっている。その様子は、学生に「不夜城」と呼ばれていた。


 だがもうひとつ、この棟には重要な設備が存在していた。それがこの地下階に鎮座しているといわれている「高度量子コンピュータ」である。

 従来の量子コンピュータは計算機能に特化していることから、「一秒間に二の○○乗の計算速度が実現」などという部分だけが強調されるが、実際の利用には従来の万能型コンピュータに接続しなければならなかった。

 しかしこのコンピュータは横断的な演算を膨大なデータ領域内で直接おこなうことができ、その結果を瞬時にディスプレイへ映し出せる。理論的には、仮想的な惑星をシミュレーション領域につくることができるといわれているほど、そのコンピュータは大きな可能性を秘めているといわれている。

 だが処理能力があまりに高く広範にわたるため、世界的にも稀有なこの機能を十分に使いこなすだけのソフトウェアがほとんど存在しないことから、使用用途も使用者も非常に限られていた。現実的には、計算機能にしか応用できていないのが現状で、これを将来使いこなすのは人間ではなく人造人間、アンドロイドではないかとも――


 ――要するに、非常に高性能かつ貴重なコンピュータが、この情報管理棟の地下にほとんど使われることなく、眠っているということである。


 そんな「不夜城」情報管理棟の地下に、ハヤトはいた。

 時間は夜の十九時。

 結局、彼は来てしまった。

 あやしげな高額バイト募集に一縷いちるの望みをかけ、彼は薄暗い廊下に足を踏み入れていた。


 メールの文面はぞんざいだったが、彼は送信者の指定したこの情報管理棟という場所から、二つの推測を立てた。


 まず、情報管理施設であることから、薬品実験で人体をどうにかするという危険そうな仕事ではないだろうということ。

 そしてもうひとつは、この部屋に入ることのできる人物が非常に限られているということだった。


 世界的にも貴重なコンピュータ。それを保存している場所なのだから、当然厳重なセキュリティがかけられている。学生や外部の人間がアルバイトの面接に利用しようとして簡単に入れる場所ではない。

 となると、アルバイトを募集していたのは、常日ごろからこの部屋を使用している者――大学教授やこの部屋の管理責任者、ということになる。「実験」というからには、おそらくは大学教授の方だろう。

 であれば、メールのエラそうな文面もしかたないことかもしれないと、ハヤトは思うようになっていた。

 アルバイトの募集にあまりなじみのない大学教授が送ったメール、と考えれば納得できないこともない。特に年配の先生なら、メールをあまり使用しない人もいるだろうから、はからずも端的な文章になってしまったのかもしれない。

 あのテキストだけの募集チラシも、教務課の許可印がなかったことも、アルバイトの募集などしたことのないがゆえのことだったのかも。

 ハヤトは自分の考えが給料の高さにつられた都合のよい想像でないか、自分なりに何度も考えを検証した上で、ここに来たのだった。


「……暗いな」


 ハヤトの踏み入れた地下一階は、電灯がついていなかった。

 情報管理棟の一階と二階は「不夜城」の名にふさわしく、棟内は白い明かりに満ち満ちていたが、地下に入るとそこは一様に広がる暗い闇の世界だった。

 廊下の天井には蛍光灯があるものの、なぜか点灯されておらず、塩ビシートの床を照らすのはわずかに差す非常灯の緑の光だけだった。


 周りに人気はない。ハヤトは徐々に高まる不安をおさえながらその中を進むと、廊下の先に明かりのついた部屋があることに気付いた。


「――あれか」


 近づくと、扉の横にうっすらと「B101」という文字が見えた。どうやら目的の場所には少なくとも人がいるらしい。

 ハヤトはほっとする思いと緊張する思いとがない交ぜになるのを感じながら、チラシに書かれていたうたい文句を思い出した。


【被験者募集! 日給五万円 食事支給 勇者歓迎!】


 あの貼り紙をつくった人物が、この中に。


「――大丈夫。ただの大学の先生だって」


 自分に言い聞かせるようにしてそうつぶやきながら、ハヤトは扉をノックする。

 内側から「カチャッ」という機械音が聞こえた。たぶん、セキュリティロックの解除音だ。これで部屋の中に入ることができる。


「失礼します」


 教授の研究室に入るときのようなかしこまった態度で、ハヤトは扉をゆっくりと押し開けた。

 中は天井に並んだ白色の蛍光灯で強く照らされている。廊下との明るさの違いに慣れず、目の前が一瞬、真っ白になる。

 まぶしそうに右手を額の前にかざしていると、徐々に目が慣れてくる。そうして彼の目に映ったのは、広い室内に置かれた大量の「箱」だった。


 高さ二メートルほどもある、コンピュータとおぼしき四角い物体が、部屋中に整然と居並んでいる。

 いったいいくつあるだろう。部屋は大学図書館の所蔵庫並の広さがあり、その中に所狭しと巨大なコンピュータが連なっている。


「すげえ……」


 感心のあまりぼう然とするハヤト。

 するとそのとき――


「がっ――!?」


 とつぜん、彼は自分の真横から強い衝撃を受けた。


 だれかから、不意に体当たりを受けたような感覚。だが、それだけではない。

 痛みとともに全身のしびれが、ハヤトを襲った。


(なんだ!? どうなって――)


 わけもわからず、塩ビシートの冷たい床に横倒しになるハヤト。

 状況を把握しようとすぐに立ち上がろうとするが、体に力が入らない。


「う……」


 混乱したまま、意識が徐々にもうろうとする。視界がみるみる暗くなっていく。

 だれが……

 だれが、こんな……?

 体から急激に力が抜けていくのを感じながら、ハヤトの意識は混濁し、やがて失われていった。


 最後に一瞬、白衣姿で口元を引き上げた、若い女性の顔がみえた気がした。


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