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間話 ゲームスタート


 約八時間前。











「――気絶した、かしら」


 情報管理室の床に倒れたハヤトを見下ろしながら、白衣を着た女性――早瀬レオナは、手にしたスタンガンの威力を目の当たりにして少しの恐怖と興奮を感じていた。


 創作した異世界へ人間をトリップさせるゲーム「P.T.I.S.」。

 その被験者となる人物を、彼女はようやく確保したのだった。


「目を覚ますとやっかいなんだけど……」


 四角い赤フレームの眼鏡の奥で目を細めながら、レオナはハヤトの前にしゃがみこむと、ためしに人差し指で横腹のあたりをつついてみた。

 つんつん。反応なし。むしろぐったりしている。


「……死んでない、わよね」


 念のため、首筋の脈をとってみる。それがスタンガンで眠らせた人の状態を測るのに適切な方法なのかどうかは不明だが、ひとまず脈拍に異常はなさそうだった。


「……まあ、人類の偉業を達成させるには犠牲が必要なものよ」


 倒れたハヤトを目の前にして、レオナは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「P.T.I.S.」を開始するため、レオナはハヤトの体を操作PCの前に横たえる。

 二階の宿直室から失敬した銀マットを床に敷き、その上にハヤトの体を引っ張ってくる。パソコンオタクで一日十時間以上をディスプレイの前で過ごす非力な彼女には、男性の体を脇の下から抱えて引きずるだけでも相当な重労働だった。しかし、夢の実現を目の前にして労苦を惜しむことなどできない。


 複雑にからみあった何本ものケーブルが床を走る横に、気絶したハヤトは寝かされた。

 すぐそばには、レオナがこれから操作するホストPCがある。液晶のディスプレイが四つ、タブレット型のミニディスプレイが三つ。灰色のビジネスデスクの上にきれいに配置されていた。

 真っ黒なキーボードはテンキーのないショートタイプ。最初は文字盤がキーに描かれていたはずだったが、酷使されたいまはアルファベットと数字、EnterにShift、ほかいくつかの文字がかすれて判読不能になっていた。

 マウスは通常の上からつかむ形ではなく、斜めに挟める特殊な形状をしていた。人間工学に配慮し、長時間操作しても肘から先の筋が疲労しにくいという代物で、レオナはこの製品が気に入っていた。


 そのマウスを指でわずかにスライドさせる。すると、スリープしていたディスプレイに明かりが灯り、各々の役割に応じた画面が再表示された。

 メインとなる液晶ディスプレイ四枚組は整然と縦横二枚ずつデスクの上に並べられている。上二つはおもにゲームのステータスやシステムのパフォーマンスを示すもので、ネイティブの外国人が一見しても意味のつかめない、このソフト専用の英単語と動き続ける数字がところ狭しと並んでいる。

 下二つは「Stand by」という表示が画面の左下にあるのみで、ほとんどのスペースは青一色だった。認識はしているが、信号がないという状態を示している。


 ゲームを開始すれば、ここに創造した異世界の風景が映し出されるはずだった。


 夢にまでみた「P.T.I.S.」のプレイ。

 そのために――そのためだけに、レオナは「情報管理室長」という肩書を手に入れたのだった。






「P.T.I.S.」を初めて知ったのは、高校三年生の春だった。

 いつものようにデスクトップ型のマイPCと仲良く夜更かしをしていた土曜の夜。

 海外の裏サイトをサーフィンしていて偶然目にした、聞いたことのないベンチャー企業が開発した新作ロールプレイングゲーム。それが「P.T.I.S.」だった。

 重度のパソオタであり、RPGゲームマニアである彼女は、翻訳ソフトを駆使して英文のマニュアルを読み進めるにつれ、このゲームの二つの異常性に気づいた。

 まず、この世界にいる人間を異世界に転移させる、というにわかには信じられない機能を備えていること。

 そして、ゲームを実行するためのコンピュータのスペックが、あまりに大きなこと。

 このゲームソフトは、日本に――いや、世界に何台もない演算能力を備えた、スーパーコンピュータ並のハードウェアを要求していた。


 普通の人間なら、こんなゲームに手を出そうとは思わないだろう。

 スパコン並みのコンピュータを所持することがまず不可能であるし、そもそも人間を違う世界に転移させるという機能自体が奇想天外だ。

 ソフトを頒布しているサイトには、インストール方法とゲーム中の操作方法の記されたマニュアルがアップされているのみで、実際のプレイ映像や画像は掲載されていなかった。

 どうせ時間をかけてダウンロードさせて、いざ解凍したとたんウイルスがあふれ出るしかけなのだろう。好奇心の過ぎた人間のPCを乗っ取るためか、破壊するためのトラップに違いない。


「P.T.I.S.」など存在しない。


 このソフトを知った誰かが立てたネット掲示板のスレッドでは、そんな見方が大半だった。


 だが並のRPGに飽き飽きしていたレオナにとって、この話題はむしろ魅力あるものにみえた。

 実際のところ、このソフトを稼働させた人間は、ネット上を探す限り一人もいなかった。

 海外ではかなり本気でこのソフトをプレイしようと努力した者がいたようだが、それもあまりに高度な動作環境とゲーム内容のうさんくささのため、途中で挫折していた。

 スレでわざとらしくプレイ記録を書いている者もいたが、みえみえのウソばかりでレオナの関心を引くものではなかった。


 しかし、レオナには少しだけ確信があった。

 分割して公開されたファイルを試しに全てダウンロードし、解凍後、結合ソフトを使って組み立てたソフトのソースを確かめると、そこにはパソオタのレオナが見たことのないコードがいくつも並んでいた。

 ゲームを構成するアルゴリズムとは全く関係のない文字列が描かれたソースをみて、彼女も最初はやはりウイルスの一種かと思った。だが内容を読み解いてみると、それは一連の意味をもった非常に長いコードであることが分かった。

 何かを実行するためのプログラム。その「何か」こそ「人間を異世界へ転移させること」ではないか。レオナはそう直感した。


 人間を異世界へトリップさせることができるのか。正直なところ、疑問は多い。

 だが、見たことのないソース。実行すれば何が起きるかわからないプログラム。それでいて、これはRPGゲームだという。

 製作したのはあやしげな海外のベンチャー企業。ダウンロードサイトはなぜか一般に公表されていない。そして、ダウンロードしてもスペックの要求が高すぎてだれも起動すらできない。

 こんな面白そうなソフト、やらないわけにはいかない。

 しばらく燃えることのなかったレオナのマニア心に、いつしか火がついていた。






 とはいえ、ただの女子高生である自分がスパコンを手に入れることなど不可能だ。

 それなら、スパコンを所持している機関に潜りこめないか。そして、自分がスパコンを自由にできる立場になれないか。

 レオナは探した。「P.T.I.S.」のプレイ条件を満たす性能を備えた国内外のスパコンを。その所属を。

 調べた結果、見つかったものは十三。国内に四。海外に九。

 意外だったのは、国内のスパコンのうち一台が、彼女の住むごく近くにあったことだ。


 学校法人椥辻学園。

 その大学の情報管理棟の地下に、日本でも有数のスパコンが眠っている。それは研究目的で開発されたものだったが、先進性が強すぎて使用する研究者が少ないため、いまは宝の持ち腐れになっているという。

 大学は、レオナの住居から徒歩で三十分とかからない。


 レオナは、運命という科学的根拠のない言葉を信じていなかった。

 だがこのときだけは、神のものとも仏のものともしれない、自分だけに授けられた運命の存在を感じた。






 レオナはゴム製のリストバンドをハヤトの手首に巻いた。その甲側についた腕時計のような表示板には「Log in」というデジタル文字が浮かび上がっている。

 続いてレオナはコード群に埋もれていたヘッドホンを拾い出すと、ハヤトの耳にとりつけた。左耳のイヤーパッドから垂れ下がるコードは無造作に置かれたアンプを介して、高さ二メートル以上あるタワーサーバーに接続されている。


 人間を異世界へトリップさせる。

 その媒介となるリストバンドとヘッドホン。二つとも、このゲームのために用意した自作の品だった。

 特にヘッドホンは、コードから強力な電流が流れる構造にしなければならず、改造に苦労した。だが、このゲームを起動させてみたいという強い思いが、彼女にあらゆる障壁を乗り越えさせた。






 レオナはスパコンのある情報管理室の管理員になるため、椥辻学園に入学した。

 管理室長は大学の職員が勤めていたが、その下につき、日々の雑務をおこなう管理員は、教育の一環として学生から選出することになっていた。

 管理員はスパコンの使用権限こそないものの、保守用のアカウントをもつことができた。室長の許可があれば、そのアカウントを使ってスパコンを動かすことができる。

 室長はコンピュータに疎く、どちらかといえばスパコンの使用に関わる大学や企業との渉外業務をこなすための役職であること、技術的な知識はほとんど保守契約を結んだ外部の会社に任せていることを、入学前のオープンキャンパスでレオナは知った。


 彼女はそこにねらいをつけた。


 一年間はまじめに大学生活を過ごし、自分がいかにコンピュータに詳しいか、スパコンに興味があるかを、管理室長に積極的にアピールした。

 その結果、やる気が認められた彼女は、本来なら三年生以上の学生がなる管理員に、一年生の後半から就くことができた。


 仕事は週二回、スパコンにログインして不正なアクセス記録がないか確認、報告することと、使用許可申請に応じて部屋の施錠管理をすること。その程度だった。

 給料も出ない管理員のなり手を探すのに、どちらかといえば毎年苦労していた室長は、レオナのような自発的な学生の存在をむしろうれしく思い、管理を任せきりにした。そのため、本来なら許可制である学生のスパコン使用も、レオナだけは特別にいつ何時使用してもなにも言わなかった。

 そうしてログインしたスパコンに、レオナはダウンロードした「P.T.I.S.」をインストールさせ、入力作業をコツコツと進めたのだった。

 自分の中にある異世界を実現するための、入力作業を。


 ひとつだけ、問題があった。

「P.T.I.S.」は一人ではプレイできない。異世界へ転移する「プレイヤー」と、いまの世界からゲームを操作する「マスター」の二名でおこなう必要があった。

 マスターは自分がするとして、もう一人、プレイヤーをどこかから連れてこなければならない。


 極度の人見知りであるぼっちのレオナにとって、これが最大の難問だった。

 彼女には友人と呼べる人がほとんどいない。高校時代の、知り合い程度の関係の人を友人と呼ぶなら数人いたが、大学に入ってからは全く連絡をとっていない。そんな人間が、急にメールでこのゲームのことを説明したあげく「被験者になってほしい」と言ったところで引かれるか無視されるのがオチだろう。

 そこで、いろいろ思案したあげく彼女が思いついたのは「仕事内容・ゲームの被験者」という内容でアルバイトを募集することだった。






 レオナはディスプレイの前のイスに座ると、キーとマウスでいくつか操作したのち、自分もヘッドホンを装着した。マスター用のヘッドホンで、この機械を介することではじめてマスターはプレイヤーの脳内と直接コンタクトがとれる、とのことだった。

 画面上のボタンを押すと、ソフトがプレイヤーとマスターの認証を始める。一分ほどで「Complete」の文字が表示された。

 左上にあるディスプレイを確認する。ゲームを起動させるための全てのチェック項目がクリアされ、右下にある「Trip Start」のボタンの色が初めて明るくなった。

 これを押せば、プレイヤーであるハヤトは異世界へ転移し、ゲームが始まる――。


 ここまでくるのに、約一年半。

 レオナの胸の鼓動は、期待と不安で自然と高鳴っていた。

 イタズラやニセモノである可能性はぬぐえない。常識的に考えれば、あり得ないゲーム。

 だがそうであるなら、わざわざだれも起動できないような高度なスペックを要求する必要はない。

 これだけのことをさせるからには、必ずなにか特別なことが起きる。

 いままで見たことのないような、新しいゲームが体験できる。

 そう信じて――


「いけっ!」


 レオナは強く念じながら、スタートボタンをクリックした。


この物語はここでいったん休止します。

中途半端なところで切ってしまい、

ここまでお読み頂いた方には申し訳ないです。

再開するときは活動報告やtwitterでお知らせします。

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