プロローグ 1/2
※この物語は第十五話の後の間話でいったん休止しています。
そのことをご了解の上、お読み頂けると幸いです。
【被験者募集! 日給五万円 食事支給 勇者歓迎!】
小鳥遊ハヤトが大学の掲示板でみかけたのは、大きなテキストが印刷された、アルバイト募集のチラシだった。
A4版の白い紙になんのイラストも装飾もなく、ただゴシック体の文字が羅列されているだけの貼り紙を、ハヤトは食い入るように凝視していた。
大学二年の春。
ハヤトはお世話になっていた親戚のもとを離れ、新学期から一人暮らしをはじめた。
だが引っ越し費用や敷金・礼金、生活用品の購入などに思いのほか費用がかかり、彼は手持ちの金をほとんど使い果たしていた。
財布の中には千三十円。銀行口座の残高は八百九十円。家の冷蔵庫はカラッポ。その他、部屋に食料じみたものは皆無。
このままでは、いずれ餓死する――。
生存の危機を感じたハヤトは、大学の掲示板にアルバイト募集のチラシがよく貼られているのを思い出し、帰宅前に立ち寄って高額日払いの働き口を求めたのだった。
だが掲示されていたのは、いずれも月末払いの仕事ばかりで、彼の生活を救うものは見当たらなかった。
しかたがない。ここがダメならバイト雑誌をあさるか。そう思いながら掲示板の端のほうに目をやったとき、冒頭の文言が視界に入ったのだった。
「被験者……。てことは、なにかの実験台になるんだよな」
よく薬品の被験者を製薬会社が募集しているが、これもその類だろうか。
それにしても、日当五万円とは割がいい。しかも食事支給ときた。もし日払いOKなら、一日だけだとしてもかなりおいしい仕事だ。
だが問題は、その実験の内容について一切記載されていないこと。
「――あやしい」
一目みたときの感想は、それだった。
勤務条件や勤務場所などの記述もなく、ただ白い紙にでかでかと「被験者募集!」の字が躍っているだけ。それに「勇者歓迎!」の文言も意味不明だった。
「『困難に立ち向かう者』って意味とか。それくらい大変な実験なのか……」
ハヤトは腕組みをしてうなる。だが、推測するには情報量が少なすぎた。
身体は健康だが、特別体力に自信があるというわけでもない。これまで平々凡々の、あまり目立たない学生生活を送ってきた彼にとって、これだけで働き先を決めるにはややハードルが高かった。
だが、日当五万円は正直惜しい。
よくみると、チラシの左下に小さく「詳細はメールにて」という文字とともに、メールアドレスが記載されている。
「……訊くだけ訊いてみるか」
それで条件が合わなければ――というよりヤバそうなら、やめればいい。
ハヤトはとりあえずそのチラシを、スマートフォンで撮影した。
「あれぇ?」
そのとき、急に横から大学の職員とおぼしき中年男性の声が聞こえ、ハヤトはおもわず飛びすさった。
男性はハヤトにかまわず、掲示板のチラシをにらみつける。いまハヤトが撮影した、あやしげなアルバイト募集のチラシを。
「大学に無許可で貼り紙をしてはならんと書いておるのに。まったく……」
ぶつぶつと不満げにつぶやきながら、その男性は「被験者募集!」のチラシをすぐさまはがしてしまった。
そしてそばにいたハヤトに気がつくと、その顔を一瞥する。
「きみ、いまこれを撮影していたな。このチラシを貼った学生を知っているのか」
「い、いえ、俺はなにも……」
多少焦りの色をうかべたまま彼がそういうと、男性はいぶかしげに眉間のしわを寄せつつも、結局なにもいわずにその場を立ち去っていった。
危うく、いらぬ疑いをかけられるところだった――。
男性の後姿を目で追ってから、ハヤトは再び掲示板に目を移すと、たしかに掲示板の隅に「大学の許可印無き掲示物は即刻処分します」と書かれていた。
ほかの掲示物をみると、どれも右下のあたりに「椥辻学園 教務課許可」という赤い印鑑がある。
さきほどのチラシにこんなものは押されていなかった。だからあの職員も気づいたのだろう
「――ますますあやしい」
ハヤトは顔をひきつらせながら、はたしてメールを送るべきかどうか思案した。
さきほど撮影したメールアドレスも、よく見れば携帯電話のアドレスだった。ということは、このメールの送り先は個人の電話につながっているということだ。
あんなチラシを無許可で張り出した、得体のしれないだれかの電話に。
春という季節を演出していた桃色の花びらがはや散り去り、緑の新葉が出始めている桜。
その木陰にある古びたベンチに、ハヤトは腰を下ろした。
少しだけ考え、やはりさきほど撮影した画像を表示させると、彼はメモ帳にアドレスを記録した。
――まあ、ヤバそうなら、すぐにやめればいいだろ。
さきほど考えた言葉を心の中で反すうしながら、彼は新規メールにアドレスを打ち込む。
そして本文に、募集内容の詳細を知らせれくれるようメッセージを書き込み、送信する。
とりあえず返信を待ってから、検討すればいい。そうハヤトは考えた。
返事は五秒後にきた。
「はやっ!?」
着信音が鳴り、あわててハヤトはスマホの画面をフリックする。
新着メッセージをひらくと、さきほど送ったアドレスが送信者となっているメールの本文に、こう書かれていた。
『本日十九時、椥辻学園先端科学領域情報管理棟B1F B101室に来ること』
自動返信メールだろうか。
レスポンスの早さに驚きながら、彼はその文面にますます不信感を募らせた。
結局、知りたいことが何も書かれていない。待ち合わせの時間と場所が示されているだけ。
おまけに有無を言わせぬような命令調の書きぶり。『来ること』とは。送信者のエラそうな態度がハヤトの目に浮かんだ。
正直、行くのがためらわれる。
だが頭によぎるのは、ほかにあてのない生活費補てんの苦悩。
ハヤトの脳内に、制止する自分の声と後押しする自分の声が響く。
『ヤバいって。ぜったいやめといたほうがいいぞ。そんなヒマがあるならバイト雑誌でもめくったほうがいいって』
『支払い期限が迫っているのに、えり好みしている余裕はないだろ。つかめるチャンスはつかんでおけよ』
「うーん、これは――」
どうすべきか。
ハヤトは新緑の桜の下で、これまで受けたどんな講義よりも深く思案した。