森の惨事
レナが瞼に光を感じて目を覚ますと、朝陽が昇ろうとしていた。
いつもとかわらない朝の訪れであった。
獣除けの香はすでに燃え尽き灰だけが残されている。どのくらい効果があったのかはわからないが、襲われなかったのだから一応効果があるということなのだろう。
レナは鞄から肉塊を取り出す。昨夜、かなりの量を食したので減ってしまっていた。この調子では明日の朝までもつかどうか怪しい。
少しばかり食べるのを加減することにしよう。そう思ったのだが、しかし、これは絶妙な塩加減が何ともいえず、手を止めるのは至難の技だった。
やっぱり美味しいなぁ。
そうぼんやりしているところへルィンの赤い姿がレナのいる岩上に現れた。
「おはよう。ルィン」
レナはルィンにそう声をかけた。
ルィンは、無言でレナの周りをうろうろと転がっている。
何か拗ねているのか、抗議したいことでもあるのか、ルィンの行動はそんなふうに思わせる。
「どうかしたの。何か言いたいことがある?」
レナはルィンの様子に気を取られながらも、手のナイフはサックリと肉塊を切っていた。
もう止めなければと思っているのではあるが、レナはもう一切れだけ、あとちょっとだけと思い、ついつい小さくナイフで切り取ってしまうのだった。
『昨日の、もう一回やらないか?』
ルィンの控えめなぼそりと呟かれたその言葉に、レナの脳裏には忘れたい昨日の光景が蘇ってきた。鮮明に。音声付で。まずいだろう、そう思いながら眺めた風景が。
「昨日の、は、やっぱりまずいんじゃないかな?」
レナは遠くの森を見ながら乾いた笑いを顔に貼り付けそう答えた。一応、森は一見すると昨日と何ら変わりのない様子に見える。実は、昨日は音が大きかっただけで心配するほどのことではなかったのでは?
キューッ、キュィーッ、と遥か遠くの空に鳥達が朝の挨拶を交わしている。昨日のことは幻だったのかも。
『まずいのか?』
どんよりとしたルィンの声。くるりと視線の先で回転ながらキラリと煌くルィンのひしひしと訴えるような赤い輝きが、レナには眩しすぎた。
「森へ行ってみようか」
レナはそう言い、結論を避けた。まずは、見てみよう。私の勘違いかもしれないし。レナはにっこりとルィンに笑いかけ森へと足を向けた。
希望的観測を抱き、現実を否定し続ければそれが真実に変わるのではないかと自分を誤魔化しながら。
さほど時間もかからずに到着した森は、外観は変わりがなかった。
ただ、奥へと入っていくと、すっぽりと円を描くように丸く空が切り取られていた。
つまり、森の奥に大人の身長の十人分くらいの直径の穴が開けられていた。そこだけ、木が生えておらず、円の外側へむけて薙ぎ倒され土をかぶっていた。円の中は窪んでおり中央に小山ができている。
これが?
まさか、これ?
外輪部に立ち、窪地をレナは茫然と眺めた。こんなはずはない。こんなに威力があったら、人に向けて投げて生きていられるはずがない。この威力、は?
レナは頭を抱えてしまった。よくもまあ、こんな物騒なものを人に向けて投げたものだ。殺していたらと思うと、背中に冷たい汗が流れそうだ。
「どうして?こんな、威力?」
レナはルィンに問いかけた。混乱をきたしたまま口に出した言葉は、変な問いかけになったがレナの胸の内そのものだった。
『威力? 受け止めるものがないからな』
ルィンは淡々とレナに答えた。受け止めるとは、威力を減らす意味があるのだとは。レナは領主の息子の頭を思い描く。森に投げるくらいなら、あれに向かって投げる方がよほど被害が少ない気がする。
ルィンではないけれど、あの男、追ってくればいいのに。
レナがそう思っているとルィンはすぐさま反応した。
『そうだろう! いい奴だと思わないか!? 早く追ってくればいいがなぁ』
いい奴? まあ、そうなんだろうか? 望んでルィンを受けとめてくれるのだし?
貴重な人材だったんだなぁ。でも、もう来ないだろうけど。
レナは冷静に考えた。あの男でなくても、同じように悪いことをする人になら受け止めてもらってもいいのでは? 被害も少ないし、丁度いいような気がする。
『悪い奴ならかまわないのか? また、同じことが出来るんだなっ!』
ルィンのテンションは急上昇した。レナも何とか明るい解決策が見つかったことで、かなりホッとした。やはり、ルィンのあの落ち込みはかわいそうだったから。
「そうだね。また、そのうち投げられる相手が見つかるのを待とう。いるよ、きっと」
あの領主の息子だけじゃないはず。レナは解決とばかりに笑顔になった。とりあえず、目の前の光景は忘れることにして。
『よしっ。悪い奴か。誰でもいいから早く来いーーーーっ』
悪い奴が現れるのは、困った状況なのではないかと少しだけ思ったけれど。レナはルィンのために、悪い奴が現れることを願うことにした。
そうしてぼんやり前方を眺めていると、反対側の外輪沿いに数名の騎士姿が現れた。大きな剣を腰に挿し腕や肩などに軽い武装をしている。彼等が連れている馬もそれなりに立派な大きさだ。
通常の馬車を引く馬達とは大きさが違う。レナはすっと身体を引いた。木に姿を隠すように。
一般人が武装集団とお近づきになりたいわけはない。あれだけ派手ななりであれば、盗賊ではないのだろうが。
レナは顔をしかめて彼らを見やった。一行は、森の窪地を眺めているようだ。おそらく昨日の衝撃の原因を見に来たのだろう。レナが木の枝の間から見ていると、一行の一人がぱっと顔を上げこちらを向いた。レナがそこにいることを知っていたかのように、男はまっすぐレナへと視線を固定する。
見えるはずがないのに。それとも目がいいのか。明るい日差しの中で、薄暗い木の陰にいる自分に気付くなんて。
レナは進行方向は武装集団の方角だったけれど、遠回りして一端道まで戻ることにした。道を通って森を迂回するように。あの男たちは、進むにしろ戻るにしろそのまま森を直進すると思ったからだ。
別にあの一行とすれ違うことに問題はないだろうけど、人を殺める武器を持つ人達には近付かないのが賢明だろう。
レナは黙々と森を抜け、道を歩いた。ルィンは、といえば。
『悪い奴~、早くこ~い』
先を楽しみに転がっているようである。
このままルィンと道を歩いて行けると思っていたのだが。レナの考えは、甘かったようである。なぜか、道前方の森の端に、あの連中が群れて立っていたのだった。
彼等の方を見ないように視線をそらし、レナは道を通り過ぎた。レナは、なんだか視線を感じるけど、絶対に視線を向けまいと道の前方に視線を固定したまま黙々と歩き続けた。ようやく彼らが後方に見えなくなったかと思いきや、なんと彼らはレナの後を一定の距離を保ちながらついてくるではないか。
なぜ? 馬に乗ればいいのにっ。
内心で後方の一行にむけ罵倒を繰り返しながら歩くが、一行がいなくなる気配はない。徐々にレナの苛々が募っていった。
何がしたいんだろう、あの連中は一体? レナの中で不審感が山積みされていく。
盗賊には見えないし、レナを襲ったところでなんら得るものはない。
たまたま同じ方向へ移動する? いや、子供の歩調にあわせて馬をひきつれて歩いているのは、どう考えてもおかしい。大人の足なら、レナに簡単に追いつき追い越してしまうはずだ。馬を休めたいのか? なら休憩すればいい。わざわざレナの後ろを歩いている意味がわからない。
不審に思いながらも、村らしきものが前方に見えてきた。石を積んで造った家がぽつんぽつんと点在している。その向こうは所々木が生えた草原の丘のようだ。村を過ぎ、その草原にのびた道を通る間も、後ろに一行がついてくる。
レナはげんなりしながらも、後方のことは無視することにした。何もしてこないようであるし、レナにはどうすることもできないのだから。
陽も傾いてきており、そろそろ今日の寝床を確保しないとなぁ、レナはそう思いつつ歩き続けた。
道中での水汲み場となっている井戸を見つけ、レナは水袋に水を補給した。その近くに、恐らく誰かが野営したのだろう岩で囲み木を燃やした後があった。レナはここで夜を過ごすことにする。
今夜はあの肉をあぶるといいかもしれない、レナは辺りから枝を集め岩の囲みの中へ置いた。よく燃えそうな枯れ草がないので、火がつくのが難しそうだ。そう思いながら、レナは腰をおろした。
『今日は来なかったな』
レナの腰かけた横に転がってきたルィンは、しょんぼりした声でそう呟いた。
「今日は無理でも、明日があるよ」
ルィンに答えながら鞄から香や火打石を出そうとしていると、道から男が一人走ってきた。レナを目指して。もちろん、レナの後を延々と歩いていた男達のうちの一人だ。
レナは、なんとなく、森でレナを見ていたあの視線の男だ、と思った。視線を区別できるわけではないけど、なんとなく。無視するように顔を下向けたままにする。
「君っ、子供がこんなところで一人で夜を過ごすつもりじゃないだろうね?」
驚いたように男がそう言いながらレナの側に膝をついた。
君って……。
手を伸ばせば届くくらいの距離でかがみこまれては、顔を上げないわけにもいくまい。レナはしぶしぶ男をみた。
やや赤くなりかけた日差しを受け、さらりと風になびく金髪が綺麗な、なんというか上品な顔の男だった。カデナの領主の息子を、かなり男前に修正し、気品を持たせたような感じだ。領主の息子と違って、顔や態度では悪人に見えないのだが、こちらは物騒な武装男なので油断はできない。
レナは無言で男を見るだけにする。
男の後から一行が馬を連れぞろぞろとやってきた。
彼らもここで休憩するのか……。水があるから、それはわからないではないけれど。
レナは顔をしかめて男とその一行に胡散臭そうな視線を向けた。とりあえず、レナにできるのはそのくらいだった。
「夜、この辺りは獣がいて危険だ。僕が一緒にいてあげるから、さぁ、こっちへおいで。一緒に夕食にしよう」
男は心配そうな顔でレナの肩に手を置き、ポンポンと叩いてそう言った。レナは、無言である。
なぜ、こんな胡散臭そうな男に一緒にいてもらいたいなどと思うのか、私が知りたい。レナはやんわりと男の手を避けるように身体をずらした。
その反応に、男は驚いたようだった。
「どうしたんだい? あぁ、女の子だから、気安く触られたくなかったよね。ごめん、気付かなくて」
そういう理由ではない。それ以前に、今日半日、ずっとつけてきておいて、今頃、親しげに話しかけるとは、どういう神経しているんだろう。
レナはジロジロと不躾な視線を敢えて男に向けてみた。
が、男の反応はいまひとつだった。つまり、心配そうな表情で、こうのたまった。
「心配しなくても、もう怖くないからね?」
誰が怖いと言ったのか? この男の頭の中はどうなっているのだろう。そう言う男が危険だと思うのは間違いだろうか。
レナが警戒したまま、男を睨んでいると、男の後方から声がかけられた。
「その男は、お前を心配しているだけだよ。子供が一人で旅をしているのが、心配で心配でたまらんらしい。まぁ、そう警戒せずに、こっちへ来な。飯食わせてやるから」
そう言いながら、その男はテキパキと鳥をさばいていた。その隣ではレナのもとにある一人用の小さな囲みとは異なり、大ぶりに作った岩囲みに枯れ枝を積み上げ火をつけようとしていた。何かの細工を施していたのか、火は一気に燃え上がり炎の勢いが増した。
レナは、この状況ではなるようになるに任せるのがいいだろうと判断した。
男がさばいている鶏肉が焼けたら美味しいだろうなと思ったとか、そんなつもりはない、はずである。レナは立ち上がり、火の側へと歩み寄ったのだった。