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山麓の町で(4)

 

「おい、そこの子供。お前か、俺に石を投げたのは?」

 

 振り返った先には領主の息子が、馬の上からレナを見下ろしていた。つまらないものを見るように領主の息子はレナへ視線を向けている。

 彼は馬に乗っているが、その馬は何度も足踏みを繰り返し落ち着きがない。その彼の後ろには、剣を携えた三人の男が同じく馬に乗り付き従っていた。


 そこの子供、というからには領主の息子が声をかけているのは子供なのだから、レナは自分の周りを見回してみる。

 もちろんレナのまわりに子供はいない。おそらくレナに声をかけたんだろうなと思ってはいたが、違っているといいなと思っての行動である。

 靴屋の娘の言っていたように、領主の息子へ誰かが石を投げたレナの特徴を教えたのだろう。


「おいっ、お前、なんとか言え!」


 領主の息子は馬上から怒鳴り声を上げた。レナがぐずぐずと答えないし、辺りを見回して一向に領主の息子の方へ注意を向けないことに苛々しているようだ。

 レナは、気が短い人だなぁと思いながら、彼らからは横向きで少しだけ首を彼らの方に向けた。

 馬四頭がこちらへ向かってくるのかと思いきや、馬達はレナから一定の距離を置いた場所で足踏みを繰り返しているだけだった。男たちは、馬を操ろうと苦労しているようだが、なかなか馬が従わないという状態のようだ。


 レナはその様子を見ながら、嫌そうな馬達を気の毒そうに眺めた。ルィンは動物に嫌われているから。


『わしの出番ではないのかっ』


 そわそわしているのは馬達だけではない。馬達とは全く違うそわそわ感ではあるが、ルィンは今か今かと、レナがまた投げてくれるのをワクワクしながら待っているのだ。

 この男が相手なら、まあいいのかな、とは思うものの、ルィンの威力を思い出すと問いかけているだけの相手にルィンを投げつけるわけにはいかない。

 例えルィンはものすごく楽しみに待っているとしても。レナは冷静に様子をうかがっていた。


「お前がエラリス様へ石を投げつけたのか?」


 そこへ領主の横にいる男が、レナに向かって声をかけてきた。その言葉はレナを咎める内容ではあるが、口調はただの事実確認をするだけといったやる気のなさが漂っていた。

 その男は彼らの中ではだいぶ年上で落ち着いている。彼は苛立っている馬をうまく宥めていた。他の二人はレナの方を向くどころではなく、馬上の主を振り落とすつもりか馬が飛び跳ねはじめておりレナを見ているようで見ていないようだ。

 領主の息子はというと、馬自体が横を向いてしまい、今にもレナの方へ尻を向けそうだ。だが、そんな状態でも、領主の息子はレナから目を離さない。

 とはいえ、馬が気まぐれな動作をすればすぐに落ちてしまいそうだった。

 それでも落ちないでいられるのは、領主の息子は乗馬が上手いからなのか、それとも、単に馬が運よく興奮を抑えられているだけなのか。

 彼らに横向きのままレナが黙って立っていると、焦れたようにルィンが声をかけてきた。


『まだなのか? もういいのではないか?』


 何がいいと言うのか、何もないのにルィンをぶつけるわけにはいかないだろう。そうレナが考えていると、ルィンはレナのそれを読んでがっくりした。


『駄目なのか。残念だ。……あの男、期待させやがって……』


 ブツブツと文句を言うルィンを横目に、レナは大通りをテミスへ向かって歩き始めた。

 それを領主の息子が黙って見送るはずはない。


「待たんか、貴様ぁ。子供だからといって許されるとでも思っているのかあ」


 領主の息子は、レナの背後で怒鳴っているのだが、なにせ上手く馬が言うことを聞いてくれずレナを追いかけていけないようだ。

 もちろん、他の二人の剣士もその辺りをうろうろしているばかりであった。一人の剣士だけは他の三人の近くにいながら落ち着いている、というか、同行者三人の様子を傍観している。

 ただでさえ町の有名人であるのだから、人だかりができるのは早い。

 見る見るうちに領主達の周りに人が集まってきていた。


 レナは歩くのをやめず、人垣の向こうへと姿を消そうとしている。

 それを年上の剣士は見ないふりをして見逃すつもりだった。レナを追うつもりなど全くなかったのだ。領主の息子が子供相手にまた馬鹿なことをしている、とくらいにしか思っていなかったからだ。仕事だから領主の息子についてはいるが、できるだけ馬鹿な命令には従いたくないと思っていた。だから、子供がこっそりと姿を消してくれればそれに越したことはなかったのだ。

 だが、領主の息子は、御しきれない馬に腹を立て、より一層の怒りをレナに向けることにしたようだ。


「待てよっ、こらああぁ」


 男は馬の腹を強く蹴り、人がいるのも構わずレナに向かって馬を駆けさせた。

 人々はレナが馬に跳ね飛ばされるのを息をのんで見つめる。

 だが、その瞬間は訪れることはなかった。


 レナの、レナ達の手前で馬は急ブレーキをかけ足を踏ん張って立ち止まってしまったのだ。馬の脚は大丈夫なのかと思うほどの勢いで。

 その反動で、領主の息子は馬からレナ達の数歩前に無様な格好で転がり落ちた。


 わあっはっはっはっはっはっ。

 あーっはははははっ。


 一人が笑い始めると、様子を見ていた人垣から次々と堪え切れない笑い声が沸き起こった。

 レナが馬の瞳を見ると黒々とした大きな瞳はやや涙目になっているようにも見えた。首を一振りし、たてがみを靡かせ足を大きく上げると、馬は主を置いて駆け去って行った。


 レナは道端に転がった男を一瞥しただけで歩きだした。

 しかし、ルィンは無様に転がっている男に未練を残していた。


『立ち上がれっ。立つんだ!』


 何をしてるのかなルィン、とレナは背後の言葉を聞いていた。足を止めずに。

 後からついてきた冷静な男が馬から降りて領主の息子の側へ近付く。


「大丈夫ですか? エラリス様」


 一応、彼も大丈夫じゃないだろうなと思いながらもそう尋ねた。領主の息子エラリスは、腕を下にうつ伏せたままだったからだ。


『お前はまだ立てるはずだぁ』


 聞こえていないだろうルィンの言葉がエラリスへかけられる。

 その声が聞こえた訳ではないだろうが、エラリスはゆっくりと上半身を起こした。


「あの子供を連れてこいっ」


 冷静な男へ領主の息子がそう怒鳴り声で命じた。人々の笑い声はピタリと収まり、あたりに緊張感が走る。

 男は一瞬眉をしかめたが、周囲を見回し他の二人の剣士の様子をうかがう。馬が嫌がっているため、どうやらこちらへ来ることができないようだ。となると、命令を実行するのは自分か、と男は舌打ちした。役に立たない奴らだ、と内心で悪態をつきながら。

 男が振り向くと、人垣でレナの姿は見えない、ことはないが見えない素振りをしてみせた。

 もちろん、人々はそれを知っていて人垣を崩さないでいる。領主の息子エラリスを知らぬ者などいないが、その男のことも実はよく知られている。

 領主の息子の警護役ではあるが、そういう立場にありながらエラリスの目を盗んで隙を作ってくれる人物として。そのため、運よく被害を免れた人も多いのだった。


 しかし、今回のエラリスは、無様な格好を大勢の前でさらし笑い者になってしまった屈辱をはらさずにはおかないだろう。

 子供に酷い所業をするのではないかと皆不安な顔になっていた。少しでも時間を稼ごうと、レナの方向の人垣を増やしながら。


 そんなことも知らず、レナは大通りをスタスタと歩いていた。ルィンはまだエラリスのもとをうろついている。

 

 男は一応辺りを見回して探すふりをしてみた。ようやく片腕を抑えながら立ちあがったエラリスは、肩までの髪をバサバサに乱し鬼のような形相で辺りをねめつける。

 ギョロリとした目を向けられた人々は、思わず視線をそらせた。これまで誰も見たこともないほど怒っているようだ。


「どけっつ」


 エラリスの前で視界をふさいでいた男を顎でどくように指示すると、エラリスはレナの方へと歩き始めた。

 沸き立つ怒気を背負ったエラリスの形相に、人々の人垣は徐々に押され途切れていき、その開けた視界の先にレナの後ろ姿が現れた。


「そこかあっ」


 エラリスがレナを視界に捕えたころ、ルィンはレナに向かって一直線に転がり向かっていた。


『レーーーーーナーーーーーっ、やつが来るぞぉーーーーっ』


 うわはははははっと笑い声付きで叫んでいる。

 レナが振り向くと、鬼の形相の男が剣を振りかざしレナへ突進してくるところだった。

 ぎょっ。

 どころの騒ぎではない。

 一瞬、凍りつくほどの恐怖が湧きおこり、レナは転がってきたルィンをすぐに手にすくい上げた。

 ルィンを手におさめた途端、レナの中で膨らんでいた恐怖が興奮へとすり変わる。

 そして、レナには、近付いてくる髪を振り乱した男の一歩一歩がひどくゆっくりとした動きのように見えていた。レナの視界に迫りくる鋭い剣の切先と、醜く歪んだ顔の男。

 湧き上がってくる高揚感。それは、ルィンの興奮がレナに伝わっているかのようだった。


 誰もがもう駄目だと思った。

 顔をそむける人もいる。

 エラリスの後ろでは剣の下ろされる先を、その子供の姿を、冷静な男が無表情で見つめていた。


 その中で、レナは、ルィンをエラリスに向かって投げた。

 至近距離のそれは外れようもなく。

 ルィンを鼻に受けたエラリスは後方へと身体を宙に浮かせて吹っ飛んでいった。


 ガシャンッ、ズザザザザザッ。


 その音がやけに大きくあたりに響いた。

 息をのんだように静まり返ったその場所で、人々は何が起こったのかわからなかった。

 いや、わかってはいた。

 目の前で見ていたのだから。ただ、理解するのに時間を要したのである。

 子供に向かって剣を振りおろそうとしたエラリス。

 そして、子供が何かをエラリスに向かって投げつけたように見えた。

 後、エラリスが飛ばされていた。エラリスの握っていた剣も。

 そこまでわかっていながら、人々は眼をみはりエラリスと子供をただ茫然と見つめているのだった。


『立てっ! まだ立てるはずだな? ほら、立てっ、また向かってこいっ!』


 吹っ飛び白目をむいているエラリスの側で、ルィンはエラリスを激励しまくっていた。先程の投げでは近すぎて楽しさが足りなかったらしい。


『頼むから立てっ、何度だって相手をしてやるぞ!』


 いやいや、ルィン、相手をして欲しいなんて思ってないんじゃないかなぁ、その人は。レナはエラリスとその身体の周りを転がっているルィンの様子を眺めながら心の中でそう呟いた。


『それは違うぞ、レナ。相手をしてほしいから会いに来たんじゃないか。そうだろう? さあ立てよ、いつまでも寝てないで』


 うーん、ある意味では合っているのだろうか。無視しても執拗に声をかけてきたわけだし。レナはルィンの言い分にも一理はあるのかもしれないと思いながらも、あの形相を見ては近付きたいものではないので遠くから眺めるだけにとどめる。

 

 始終冷静だった男は、エラリスを正気つかせようとしてやめた。子供がそこにいるからだ。気を失った状態でエラリスを連れて帰る方が面倒がないと判断したためだった。


 エラリスが気を失ったまま起きそうにないので、ルィンは諦めたのかレナのもとに転がってきた。

 ルィンは非常に残念そうである。エラリスの方を何度も何度も振り返るように確認していたが、諦めたのかレナに声をかけてきた。


『レナ、投げなくていいから、わしを手に取れ』


 レナはがっくりと気落ちした様子のルィンに同情し、訳がわからないままに足元にいたルィンを手に取った。

 するとレナは再び不思議な高揚感に包まれた。先ほどよりも身体全体が痺れるような感覚が鈍くなるような感じを覚える。そして、それと同時に指の先まで力が満ちていくような。

 不思議な感じがする、とぼんやりレナが思っていると、レナはおもむろにエラリスの方へ歩き始めた。


 ええっ?


 驚いたのはレナである。あんな気持ちの悪い男に近付きたくなどないのに、男の方へどんどん歩いていくのである。


 どうして? なんで?


 驚いているうちに、エラリスと彼を抱えようとして膝をついている男の側で立ち止まった。男がレナを見上げる。

 男だけでなく、その場の大部分の人々の視線がレナへと集められた。


「その男に伝えろ。いつでも追ってこい。何度でも相手をしてやる、とな」


 レナはそう告げると、踵を返した。


 ルィンのばかーーーーーっ。


 レナは心の中でそう怒鳴っていたが、声にはならなかった。手のひらからぽろりとルィンが大通りに落ち、レナは自分自身の感覚を取り戻した。

 だが、レナにも大衆の面前で行ったことをなかったことに出来ないことは知っていたので、ひたすら引き締めた顔で足早にその場を立ち去ることに集中した。

 それはそれは必死で、レナは周囲から注がれる視線を無視し大股で歩き去ったのだった。


 レナが町を去った後、レナの言葉は、エラリスに正確に伝えられた。

 伝え聞いた最初こそ怒りを露わにしていたエラリスだったが、実際、町で薄汚れたマントを羽織った子供を見るたびにビクつく反応を示すようになってしまった。

 もちろん、それは町中の噂となり、エラリスは子供に怯える臆病者として陰で笑われることになってしまう。

 エラリスは外を出歩くことを嫌うようになり、次第に屋敷に閉じこもるようになった。改心したわけではないが、彼が閉じこもるようになったおかげで町の人々の被害は激減することになり、人々は大いに喜んだ。

 レナのことは、悪い領主の息子を懲らしめた子供の姿をした神の使いの話として語られることになるのだが、それはまた後の話である。


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