牢の外へ
レナ達は貴賓牢を出て、階下へと降りていった。
もちろん、階下にも見張りがおり、彼等が降りてくる一団の中にあるセスの姿を見逃すはずはなかった。
「セス様は、まだ牢を出る予定ではないはずですが?」
見咎めた見張りに、ダリウスが下手な説得を開始した。
「牢の扉が壊れてしまってね。王女様が直々に尋問なさるので、心配ない。殿下は逃げるようなことはなさらない」
「しかし」
ダリウスの目の前で、渋っていた見張りの男が動きを止め口を中途半端に開いたまま後ろへと飛んだ。そして男はそれ以上咎めることはできなくなっていた。
ダリウスは、くるっ、と後ろを振り返る。
「君ねっ! 僕が話している間くらいじっとしていてもらえるかっ? すぐ暴力に訴えるのはどうかと思うが!!」
そうダリウスが言いたくなるのも無理はない。
降りる階で見張りに出くわすごとに同じことが繰り返されているのである。
ダリウスが説得を試みては、レナがひょいっとルィンを投げつけ問答無用で黙らせてしまうということが。
「おじさんが遅いからだよ」
レナは横を向いてしれっと答える。ダリウスの怒鳴り声くらいで驚くようなレナではない。
実際、ダリウスのやり方はまどろっこしいものだった。暴力で片づけてしまうというのは問題だが、ダリウスの説得では時間がかかりすぎるのだ。さしたる説得材料がないのだから、そうそう短時間で納得させられるわけがない。
そういう訳で、ダリウスの言い分にもレナの行動にも文句も言わず、黙ってゴルタナは倒れた男を確認する。倒れている者は皆、気を失っているだけである。今回もそれを確認すると、その腰から剣を拝借した。
「さっ、下へ降りよう。もう王は近くまで来てるんだから」
暴力と言うのは問題を悪化させるだけだ!とか何とかわけのわからないことを言い続けるダリウスに気を使うでなくレナは階下へ向かった。
スタスタと歩いていくレナの横をセスがついて歩く。
もちろん、その前をゴルタナが、その後にはインゲがついている。ダリウスは歯噛みする思いだったが、ここで置いていかれるわけにはいかない。もっとレナに抗議したいダリウスだったが、セスは彼をレナの側には寄せ付けなかった。
ダリウスは不満ながらもアルネリーナの手をとり彼等の後へ続いた。
ゴルタナとインゲは、一応はレナを守ると約束したものの守る必要があるのかと内心では思っていた。こうも次々と簡単に倒していく様を目にしてしまえば、そう思うのも無理はない。
牢の扉を壊した時に気付くべきだった。牢の扉は普通の人間がしかも片手で簡単に壊せるようなものではないのだから。その後、レナの身体が邪魔してよくはわからなかったが、最初の見張りが倒れたのを見て慌てて彼等はレナの身の安全を確保しなければと戸口へ駆け寄った。何者かが見張りを害したと思ったのだ。しかし、そこで見たものは、レナは一人何かを投げる動作を繰り返し、その先の男が次々と倒れていく様子だった。
人攫い達が言っていたのは、これか。彼等はレナの背後でそれを見ていた。
レナは誰ひとり近付けることなく、見張り達を倒していく。
動く岩がついているとはこういうことなのか。見えないために実感することはなかったが、二人はようやくレナが普通ではないということを思い知った。レナはただ動く岩を知っているというだけではない。どんな力を秘めているのかは謎だが、きっとセスを救う力がある。二人はそう信じた。
ゴルタナとインゲはセスとレナを守ることだけに集中した。彼等一行は牢を破っているのだから、いつ攻撃されてもおかしくない状況だったからだ。
レナの一撃で簡単にすんでいるとはいえ、油断なく周囲に目を凝らしながら彼等は徐々に階下へと降りていった。
多くの見張りを気絶させた彼等が牢の外へと辿り着いた頃、牢の外壁の門から王達が入ってこようとしていた。
王の周囲を騎士達や側近達が取り巻き、王へ口々に王宮の執務室へ戻るよう説得している。
その内の一人が牢の外にいるセスに気付いた。すぐさま王を守る騎士達は王の前に立ちはだかり、王の姿を背後に隠す。
「アルネリーナ、下がっていなさい。お前が巻き込まれてはいけない」
セスは背後の王女へと声をかけた。そして隣のダリウスへと視線で合図すると、彼は王女の腕を引くようにセス達から離れる。王女は抵抗しようとしたが、思いとどまった。王女として、この場でどういう結果が出ようとも自分は残らなければならない、そのことをよくわかっていたのだ。セスとともに咎められる立場に立つわけにはいかなかった。彼女は大人しくダリウスの引く手に従った。
王女が彼等からも、王達からも距離を置く。そちらには、庭師の格好をしたドージェがどこからか現れ、王女を守る体勢に入っていた。
レナは王を見ていた。王の方も、レナ達を探っているのがわかる。だが、レナの手の中で大人しくなっているルィンを捜しあてることができないでいるようだ。
ルィンは嫌がっているのかと思えば、ばーか、ばーか、と聞こえないだろう言葉を奴に向かって投げかけていた。その言葉がうっすらとあれに届いているようで、きょろきょろしながらも王が歩き出した。騎士達が動く王にあわせて移動してくる。向かう先は、彼等からしてみれば、セスしかいなかった。
「まずいな。あいつら、セス様と陛下の間を遮るつもりかな」
インゲはゴルタナへ言葉をかけた。
インゲはゴルタナと同じくレナが倒した見張りからぶんどった剣を手に、セスとレナの前で騎士達と向かい合っていた。距離はまだある。
「セス様へ剣を向けると思いたくはないが、今の陛下は何を言い出すか……」
インゲもゴルタナもじりじりと迫る同僚の騎士達に渋い眼差しを向けていた。たとえ同僚といえど、相手が剣を抜けばこちらもそうせずにはおかない。いつでも抜けるように、それは相手も同じ状態のようだ。だが、相手の方が戸惑いが大きいことは近付く彼等の様子からうかがえた。
事情がわからない彼等は、なぜ王が突然牢へ来たのか、なぜ牢からセスが出ているのか、全くわかっていない。世継ぎのセスに剣を向けたくないという思いもあってか、迷いがあり動きも判断も鈍いようである。
そんな彼等の背後で、レナは王の手元を見ていたのだが、今日は拳を握っているのでよく見えない。奴もどうやら自分を隠すようにしているらしかった。
「セス。今は王が手を握っていて姿がよく見えない。たぶん、まだ王の右手についているとは思う」
レナはセスの後ろに身を隠すように立っていた。セスが彼女を庇っているというのもあったが、レナはルィンがいるのはセスのところだとあれに誤解させるつもりだった。
ゴルタナとインゲは、セスの後ろにいるレナにいい顔はしない。お前が庇われてどうする、怪力があるなら丸腰のセスを守れ、とでも言いたげである。言いはしないが、視線でレナを咎めていた。レナは彼等の思惑に気付きもしない。
「わかった。右手のひらか。拳を開かせなければならないんだな」
セスはそう言って近付く王に視線を集中させた。
ゆっくりと王の集団が近付いてくる。
動きの鈍い王達にレナは焦れた。何をそんなにもたもたしているのか、と苛々していた。忍耐力に欠けるようである。
そうしてレナは、ルィンを王の前で守護している騎士達へ向けて投げつけていた。来ないなら、誘い出すまで、と。
『うあぁぁーーっ。はあっはははははははーーーーーーっ』
ルィンの驚いた声と、だがやっぱり楽しそうな声が響き渡り、先頭の騎士の顔面へ一直線にルィンがめり込んだ。
いつもならその顔面のめり込み具合を十二分に堪能するはずのルィンも今度ばかりは慌てて倒れる男から滑り降りた。
『うああああああああっつ、レナのばかやろおおおおおおぉぉぉっ』
ルィンは超高速でレナの元へと転がり戻ってくる。
仲間の騎士が突然倒れ、騎士達が慌てているところへ、王はいきなりセスの元へと駆けだした。もちろんルィンの後を追ってのことだ。しかし、その走りは遅かった。
「陛下っ、どうされたのですか」
「お待ちください、陛下!」
数人の騎士が王へと駆け寄る。そのうちの一人に王がゆっくりと右手を伸ばした。
その手のひらに青い小さな炎をレナは見た。
「陛下の右手についてる。あの騎士につくよっ」
セスは王の手に目を凝らす。何も見えない。だが、レナはそこにあるという。
その手が、騎士に触れる。
そして、ゆっくりとその場に崩れ落ちる王の身体。
傾いだ体勢で王は視線を、そしてわずかに手をセスへと伸ばした。その姿は、もう青い炎に包まれてはいなかった。
「陛下!」
「陛下っ!!」
皆が王へと気を取られている中、一人の騎士だけが猛然とセスへ向かって駆け出した。
「来たっ。あの人の、右手の甲、手首の辺りについてるっ」
騎士は走りながら剣を抜いた。セスに向かって。
その背後では騎士の名を呼ぶ同僚の叫ぶ声が上がっていたが、騎士はとどまることなくセスへと迫る。
騎士の前にゴルタナが立ちふさがり、剣を合わせた。しかし、その騎士に例の奴がついている以上、下手に接触するわけにはいかない。しかも、騎士の視線は始終セスを捕えている。
「ゴルタナ、後を任せろ」
ゴルタナが騎士と対峙している間にインゲから投げ渡された剣で、向かってきた騎士の剣をセスが受ける。
騎士へとゴルタナとインゲが剣を向けて迫っても、騎士はそれらを無視した。まるで、剣を受けても構わないようだった。彼には目の前のセスだけしか見えていないのだ。
操られているとわかっているだけに、この騎士に無駄に傷を負わせたくはない。ゴルタナが騎士へ持っていた剣を投げた。騎士の手に横から剣がぶつかった衝撃が伝わり、動きが緩む。
その一瞬、セスが踏み込んだ。騎士の右手首を左手で掴み上へと持ち上げる。セスも右手の剣を放り投げ、そのまま騎士の右手首を返すように捻りあげた。
何も見えない騎士の右手の甲を、ここにあるはずだと思いながら左手でさらった。
「とれたよ」
セスのすぐ背後でぽつりとレナが呟いた。
セスは騎士から手を離したが、騎士はぼんやりと剣を落とした。彼には、なぜ目の前にセスがいるのかわからないようだった。
ゴルタナとインゲは心配そうにセスを見た。とれた、ということは、つまり、セスに例のやつがついているということである。今しがたまで操られていた男は、ついてからほんの短い間で操られていた。セスがそうなっていないという保証はない。普段と違う素振りはないかとゴルタナはセスを見ていた。
「大丈夫のようだ。操られてはいない。少し頭が重いくらいだな」
落ち着いた様子のセスに、ゴルタナとインゲはほうっと大きな息を吐いた。
セスはそっと左の手を開いた。
相変わらずそこには何も見えない。ただ、自分の手のひらが見えるだけだった。
そこにレナは青い炎がゆらゆらと揺れているのを見ていた。
レナの手の中でルィンが相手に向かって挑発的な態度をとっており、かなり青い炎は感情を高ぶらせているようだった。
喧嘩するほど仲がいい、そういうことなんだろうか。レナはルィンを手から離しながらそう思っていた。
ルィンは、それは絶対にない!、と断言して再び地面を自由に転がり始めた。
操ることが出来ないセスが手に持っているため、青い炎は動きたくても動けない。ルィンは奴が追ってこられないと安心して動き回っていた。奴が臭いのでできるだけ離れたく、また、しばらくレナの手の中にいたので転がりたくなったのだろう。
普段は人の姿のない牢の外で、大勢の人が騒がしく動き回っている。
王には王女がつき従いすでに王宮の奥へと向かった。
セスやゴルタナ達も詳しく事情を知りたい側近達に囲まれていた。
人々の足元を軽快に転がっていくルィンをレナは眺めた。
日差しは傾き、だんだんと赤みを帯びようとする太陽の光が影を強めていく。
長い一日は無事に終わりを迎えようとしていた。




