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貴賓牢の中で

 

 冷たい固い石の床でセスは目を覚ました。だが、暗い闇の中では今が夜なのか昼なのかはわからない。

 カツン、カツンと人が歩く音が響き、それはセスの檻の前で立ち止まった。

 

「今日からは本番なんで、下の層へ移動してもらいますよ」


 セスにそう告げる男は、非常に楽しそうに鞭を握った手を見せつけるように振って見せた。昨夜、セスに向けて何度も打ち付けたものである。

 男はにやにやとセスを眺めている。人をいたぶるのが趣味なのだろう。そういう意味では適切な職業についていると言うべきか。

 その男の指示で、セスは腕に金属の手枷をはめられ、閉じ込められていた牢から出された。そして、枷に繋がれた鎖を引かれ、より暗い下層への階段へ向かう。階段下の薄い暗がりから引っ切り無しにあがる悲鳴や呻き声にセスの顔は歪みそうになる。息を整え、階段へと足を進めた、その時。


「お待ちなさい」


 薄暗い場所には不似合いな涼やかな声が降ってきた。

 階段を優雅に下りてきた声の主は、妹アルネリーナだった。階上から差し込む朝の光が美しく結いあげられた彼女の金髪を照らし輝かせている。

 ドレスのすそを揺らしながら背後に二人の侍女と騎士を連れ、彼女はダリウスに左腕をあずけゆっくりと階段を下る。

 その姿に、男達は膝をついた。


「セシレイル殿下の取り調べは、わたくしが執り行います。上の貴賓牢へ移しなさい」


 朗々と響きわたる彼女の声に、男達は動かない。


「何をしているのです。早くなさい。上の牢へ、それに相応しい格好に身を改めさせるように」


 動かない男達へ淡々とそう告げると、アルネリーナは男達からセスへと視線を移した。

 感情を隠した表情だが、真っ直ぐにセスを見つめる。わずか数秒のことだったが無音の言葉を残し、彼女は踵を返した。

 ダリウスは澄ました顔で彼女につき従い階段を上って行った。


 セスは、地下を出て貴賓用の牢へと移されることになった。




 昨晩の鞭打ちの跡は治療を受け、風呂を使いさっぱりしたところへ、アルネリーナとダリウスがやってきた。

 牢と言ってもここは清潔で綺麗に整えられた部屋である。テーブルやソファなど豪華で手の込んだ調度品が置かれている。出入口には鍵がついているが、使用人が出入りするため常に鍵がかけられているわけではない。とはいえ出入り口には見張りが立っており、塔の最上階に位置するため簡単に脱出できたりはしない。

 アルネリーナは使用人を下がらせ、三人でテーブルを囲んだ。


「お兄様は一体何をなさっていらっしゃるのですか? 動く岩とは何なのですか?」


 アルネリーナはセスに問いかけた。

 昨日から何度も考えて考えて、わからなかったことである。


「陛下に命じられて動く岩を捜している。もう二年になるが、陛下の望まれる動く岩はまだ見つかっていない」

「昨日、陛下はお兄様が見つけているはずだとおっしゃっていたわ」

「そうなのだが、私にはまるで心当たりがない。なぜ陛下がそう思われたのか」

「動く岩、陛下がどんな動く岩を捜しておられるのかまるで見当がつかないんだよな」


 ダリウスが愚痴るように呟いた。

 セスとは定期的に手紙のやり取りをしていたダリウスは、セスの動向はほぼ把握していた。ダリウスが王宮内の状況を書き送っていたのと同様に、セスは自分達の調査結果をつぶさに知らせていたのだ。もちろん、そこには少しでも多くの情報を入手したいという互いの思惑が働いている。

 しかし、二人とも言葉にはしなかったものの、王の言う動く岩というものは実在しないものなのではないかと思っていた。それを理由に、別の意図があってセスに国内中を放浪させているのではないかと考えていたのである。そういう考えに至ったのは、王以外の人物に動く岩のことを知るものはおらず、王からは動く岩の詳細な情報がほとんど得られないということが一番の原因だった。

 ところが、昨日のあの王の発言と態度。

 本当に動く岩が存在すると思っているのだろうか。ダリウスとセスはそれぞれに思い悩んでいたが。


「動く岩、という名の生き物ではないのですか?」


 アルネリーナの言葉にダリウスとセスが顔を上げる。

 二人の反応にアルネリーナの方が訝しげな顔を返した。


「生き物? 動く岩という名の?」

「違うのですか? 陛下の言葉ではそんなふうに聞こえましたが」

「そんなふうというのは、具体的にどういうことなんだ?」

「陛下は、動く岩はどこにいるのかとおっしゃっておられました。普通の岩なら、どこにあるのかと表現すると思うのです」

「どこにいるのか、か」


 アルネリーナの言うように、生き物のような岩のことだとセス達にも見当がついていた。さすがに、動く岩という名の生き物とは想像しなかったが。

 しかし、生き物でないことは陛下への報告書で確認がとれている。セス達は、陛下から返される短い回答から、人よりもはるかに大きいと推測していた。


「益々わからん。陛下のおっしゃる、動く岩っていうのは何なんだ? だいたい、陛下は動く岩を見つけてどうされたいのだろう」

「動く岩を見つけたら、吸収するのだそうです」


 ぼやくダリウスに、淡々とアルネリーナが答えた。

 驚いたのは残る二人である。長く関わってきたにもかかわらず、全く初耳の情報だったからである。驚く二人に彼女は話を続けた。


「動く岩を吸収したいのだと。それを聞いた母は、動く岩と呼ばれる動物か何か珍しいものを、陛下が食べたがっておられるのだと思っているようでした」

「そんなこと、言ってなかったじゃないか!」


 眉間にしわを寄せダリウスはアルネリーナの腕を掴み訴えかけた。どうして今まで黙っていたんだと言わんばかりの態度である。

 アルネリーナはさりげなく彼の手を振り払おうとしながら、感情をあらわにする彼とは対照的に淡々と答える。


「昨日母に聞いたばかりですもの」

「君はいつもそうやって後で言うけどね、そういう重要な事は早く伝えておいてもらえるかな」

「貴方はいつも先走りすぎなのです。思慮が足りませんわね」


 アルネリーナとダリウスが言葉の応酬をはじめる前で、セスはじっとアルネリーナの言葉を考えていた。


 動く岩はアルネリーナの考える生き物でないことは、この二年でわかっている。岩、もしくは岩に見えるものを捜していることは間違いない。

 だが、王は、それを吸収しようとしていた? 吸収したら何かが起こるとでも言うのか。頂点に立つものが欲するという不老不死や超人的な力を得るなど、吸収したい理由は様々に考えられる。

 だが、岩、である。食べるでも、口に入れるでもなく、吸収する、という表現。そして、それを吸収するということ自体、人の行いではないのではないか?

 次々と浮かびあがってくる疑問に、セスは一人思考を深めていく。

 アルネリーナとダリウスは結論の出ない会話を続けているうちに、その場の言葉も少なくなっていった。



 溜息と沈黙が多くなる頃、部屋へ使用人が数人入ってきた。

 使用人の格好をしたゴルタナ、インゲ、そして、不貞腐れた様子のレナだった。


「レナっ」


 即座に立ちあがり彼女に駆け寄るセスに、ぎょっとしたのはレナである。インゲの後ろに隠れようとしたが、間に合わずぎゅうぎゅうと抱きしめられてしまった。

 その様子をアルネリーナとダリウスは唖然と見ていた。言葉にならず、豹変したセスをただ見つめるばかりである。

 ゴルタナとインゲは顔色一つ変えない。やっぱりか、という残念感が漂ってはいたが。


「こんな危険なところへ会いに来てくれるなんて。嬉しいよ」

「好きで会いに来たわけじゃないんだけど」

「女官姿もかわいいね」


 使用人の格好をするにあたって、レナは男装するわけにもいかず下っ端女官の格好をするしかなかった。かなり貧相な女官姿ではあったが、牢務めの下働きならおかしくはないといった風だった。

 ぶすっとふくれっ面のレナを抱きしめ頬ずりしまくっているセス。威厳をどこかに起き忘れたかのような兄の態度の急変に、アルネリーナの目が次第に据わってくる。

 ダリウスは目をきょろきょろと動かし、ゴルタナ達を見るが彼等が動じる様子はない。セスの動向を知らせてきた中にレナの記載はなかった。貧乏くさい女官を嬉しそうに抱きしめているセスに、なぜ彼等は何の反応も示さないのか。おかしいだろう。そう思いダリウスが横を見れば、アルネリーナはごくりと唾を飲み込み、冷やかな雰囲気を溢れさせていた。自覚ないけどブラコンだよな、内心そう突っ込んでみるが、彼女に聞こえるはずもなく。


「お兄様、その女官は一体何なのですか」


 彼女は冷やかな声を発した。

 彼女の横に座っているダリウスも彼女と同じ質問をしたいと思ってはいたが、彼女とは少々ニュアンスが違う。が、それを言葉にはせずにダリウスは彼女と同様にセスの返事を待った。


「彼女はレナだ。可愛いだろう」


 そう言うことを聞きたいわけではない。

 自慢げな兄の様子にアルネリーナの中で何かがぶち切れる音が、ダリウスには聞こえたような気がした。


「可愛くありません。この重要な時にそんな女官は邪魔です。誰か外へ連れて行きなさい」

「まあまあ」


 ダリウスがアルネリーナを宥める。

 レナはくっついてくるセスを押しのけるのも面倒なので、その姿勢で周囲を観察していた。豪華な部屋である。

 ここは牢だと聞いていたのに。身分が高いと牢でもずいぶん優遇されるんだなと思うと、それはそれで腹が立つ。レナはここへ来るため、幻の甘いものを口にできなかった。女官衣装に着替えなければならない、やれ風呂だ着替えだと、肌をこすられ、髪を痛いほど引っ張られ、その挙句に支度ができたら、時間がないから甘いものはまた次の機会にときた。

 レナが不機嫌になるのも無理はないはずである。いやだ、甘いものが先だと抵抗したが、インゲに肩に抱え上げられてしまえばどうにもならなかった。

 かくして甘いものの姿を見ることも匂いを嗅ぐこともできずここにいるのである。そうして連れてこられた牢では、閉じ込められているとはいえ綺麗な部屋で身分の高そうな男女を前に歓談しているセスの姿。とても困っているようには見えない。レナの気分は下降の一途を辿っていた。

 

『レナっ! レナの匂いが腐るっ、そいつから離れろ!!』


 ルィンの声が響き、レナの側にルィンが転がってきた。

 腐るって、ああ、セスだからか。


「セス。もう離してくれるかな」


 というレナの不機嫌な口調の言葉に再びアルネリーナの眉が上がり、呼び捨てにするとは無礼者!と怒り始めた。

 レナはそんな彼女を気にすることなく、セスを手で押しのけようとする。セスもようやくレナを腕から解放することにしたらしい。セスはにっこり笑顔で、レナの背中に手を置いたまま彼女が自分の側にいることで満足しているようだった。



『レナっ! わしを、わしを持てえええええっ、持ってくれえぇ」


 突然、必死なルィンの声があがり、レナは足元を見下ろす。

 真っ赤に照り輝いてルィンは早く早くとレナを急かす。よくわからないながら、レナは腰を屈めルィンを手にすくい上げた。

 ぶあっと拡散する世界。

 ルィンを手に取るために屈んだレナに、セスが声をかける。レナは何でもないと返事をしたが、その自分の声はどこか遠かった。

 手の中で縮こまっているルィン。

 広がった世界は牢の建物に留まらない。その外へと感覚が広がっていき、やがて、ルィンの行動の元凶を発見した。

 牢の建物に向けて大勢の人を引きつれた行列が歩いてきている。

 その先頭には、ひときわ煌びやかな衣装を身につけた壮年の男性がいた。立ち止まり、こちらを見上げている。真っ直ぐに見えない位置にいるレナをとらえていた。

 その男性から向けられた視線は動いたレナをとらえることはなかった。見失ったらしい。恐らく、ルィンを。


 レナが広い視野で見ている横で、セスは不思議な光景に見入っていた。

 レナの淡い光が一瞬で膨張し、すぐに部屋全体を満たしてしまいセスの視界は真っ白になった。視界が元に戻った時、レナの光がのびている方向をセスは目で追った。壁を突き抜けている。

 窓へ歩み寄り、レナの光が当たる壁の外を確認した。それは壁を突き抜け建物の外に広がる空間を一直線に下へと延びており、その光の先には人の行列があった。


「陛下」


 思わずもれたセスの言葉に、一同は動きを止めた。

 みな、窓へと競うように駆け寄り、窓の外を覗き込む。


「ほんとだ。陛下だ。ここへ来る予定はないはずだが。それにしても動かないな」


 ダリウスが下を眺めて言った。その言葉の通り、王を含める行列は立ち止まったまま列を崩しひと固まりになっていた。牢の建物は高い壁が周囲を取り囲んでおり、牢からその壁までは見張りやすいよう木もなにもない空間があるだけだ。王の一団の動向は上からよく見える。

 陛下が牢へ来るつもりなのは明白だった。

 室内の空気が張りつめる。

 息を飲んで時を待った。

 しかし、いつまで待ってもその時はやってこなかった。

 結局、王の一団は牢へ来ることを断念したのか、もと来た道を戻っていった。


 

 遠去かる集団を、ずっとレナは見ていた。窓からではない。その広い感覚で。

 あれが、王。

 王はこちらの部屋を見上げていた。その王から発せられる執拗な感覚は、レナの広い感覚を素通りした。

 何かを捜していた王のそれは、レナの広い感覚と良く似た性質のものだった。しかし、王は、そこにあるレナには気付かない。自分の前で、ただひたすらきょろきょろと捜しまわられ、レナは透明人間になったように感じた。実体がないのだから同じことではあるのだが、レナには王のそれが同種と感じるだけに、自分だけが気付いて相手が気付かないのが不思議だった。

 王が捜しているのは、ルィンなんだろう。

 王を知っている?

 レナはルィンに問いかけてみた。


『王を、ではない。王についてる嫌な奴を知ってる。奴はわしが大好きなんだ!』


 ルィンは身震いするようにレナの手の中でごそごそ動きながら、声を大にして答えた。

 その様子から、ルィンは、その王についている奴が、非常に苦手であるらしい。はっきり言えば、大嫌いである。そんな相手に好かれるって一体どんなことになっているのだろう。

 王についているものとルィンの関係をレナは想像した。

 さきほど恐ろしいほどに漲らせていた執念から、相手はしつこい粘着性を持っていることは確実だ。

 動物達には嫌われ、あんなのに好かれるとは、ルィンも気の毒なことだ。もてないキーロン達の方がましかな。レナは彼等が聞いたら憤慨しそうなことを考えていた。


『レナ、ひどいぞ』


 いつもの元気はどこへやら、ルィンはレナの手の中で不満を口にした。その声に力はなく弱々しい。珍しいことだ。

 それにしても、王はルィンを見つけることができるのかな? ここへ来ようとしていたくらいだし。でも、途中で見失ったようだったから、違うのか。

 レナの考えにルィンが答える。


『この距離なら奴にもわかる。だが、まだまだ鈍い。今はレナに隠れているから奴にはわからぬ』


 へへん、ざまあみろ、と言いたげである。レナに隠れているというのは、手に持っているからなのか。では、ルィンがレナの手を離れて転がっていれば気付かれるということになるのかな?


『レナがわしを持っているという意識があれば隠れていられる。だから、寝るな!』


 意識が必要なのか。さすがに、ここでは寝ないよ。たぶん。いや、きっと。必ず。

 レナは自分に言い聞かせた。こんなところで夜を過ごしたくはない。いくら豪華な部屋でも、牢は牢である。

 ここでルィンを投げたらどうなるのだろう?


『投げるなっ。ここでは駄目だ。一発で見つかってしまうではないかっ!』


 やっぱり、か。せっかく来たのに残念だったね。

 そのレナの言葉に残念そうなルィンの感情が手の中で脈打った。悪人が大勢いると楽しみにしていたのに受け止めてもらえない上、変なものとは遭遇するとは、ルィンにとっては踏んだり蹴ったりというところか。


 それにしても、とレナは思う。

 セス達は、陛下とレナに共通点があるとか言っていた。そもそも、それが牢へきた理由だったような。


 レナが室内へと意識を向けると、心配そうに見つめるセスがそばにいた。そして、こちらの様子をうかがうように向けられた顔はそれぞれに異なっている。

 始終冷やかな美少女とその隣で奇妙なものをみる顔の男。ゴルタナは複雑な顔で、インゲは真剣そのものだ。

 何故か自分がここの中心にいるような気がして、レナは居心地が悪かった。


 インゲ達は動く岩を陛下に命じられて捜している、そしてセスはレナと陛下に共通点があるはずだという。

 そして、変なものにつかれている王。

 彼等がレナに求めているのは何なのか、レナは考えを巡らせた。彼等が求める答えを出せば、すぐに解放されるはずだ。

 しかし、慣れないことは簡単にはいかず、考え込むには時間がかかった。なにせ、レナは普段それほど深く考えたりはしない。つい考え込むより先に、解放されたら早く今夜の寝床を捜さなくては、と余計な事に気が取られてしまいなかなか集中できなかった。難しいことを考えるのが苦手なせいだろう。

 レナは大きく息を吐いた。

 お尻も痛いままだというのに、まだまだ長い一日になりそうだった。

 

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