疑心
王女の部屋への秘密の通路の中に隠れていたゴルタナは、隙間から漏れ聞こえる声を全て聞いていた。
王が現れた時、セスが捕まったと知った時、どれほど出て行きたかったことか。
だが、彼は通路を取って返し、出口へと走った。べネッツと合流するために。
その場に出て行ってもセスと一緒に牢へ入れられ、身動きが取れなくなる。それでは通路に残っていた意味がなくなってしまう。ゴルタナは必死で自分を抑えながら暗い通路を走った。
王の心ない仕打ちに悔しさが込み上げる。誰もいない隠し通路で叫び出したいほどだった。しかし、今こそ冷静さを失ってはならない。一刻も早く手を打たなければならないのだから。
ゴルタナは王宮内の隠し通路出口から外へ出た。入口と同じ出口ではない。ひっそりとした王宮内の小さな庭園の一角にある出口から出ると、重い石の扉を閉じた。
その扉は内側からでなくては開かないようになっている。忘れ去られた庭園の隅を通り、庭師の建物へ身体を滑り込ませた。
「ドージェ」
ゴルタナが声をかけると、部屋の奥からのっそりと巨体を起こし男が歩いてくる。
薄暗い小屋のような造りだが、中は意外に広い。地下室まであるのだ。
巨体の男は庭師でありながら王宮警護の一端を担っている。あちこちに侵入阻止用の罠を張り巡らしているのである。
騎士団や衛兵たちとは別の系列組織をもっており、表立って動くことはない。
だが、内部情報について彼等は恐ろしく把握するのが早い。どのような組織体系で動いているのかはわからない。とはいえ、セス様の敵ではない、それは確かだった。なぜなら彼等は国の王家の存続に重きを置いているからだ。今現在世継ぎであるセスに危害を加えるとは思えない。
「どうした」
彼は多くを語らない。仕事柄なのか性格なのかは知らないが、恐らく両方だろう。
頼んだからと言って必ずかなえられるわけではないが、彼等の協力を得られる可能性があるのなら頼むことをためらう理由はない。
ゴルタナは口を開いた。
「セス様が捕えられた。詳しい状況が知りたい」
「どのくらい待てる」
「夜までだ」
「夜にまた来るがいい」
彼はゴルタナにそう言い残し建物から出て行った。相変わらずのそっけない対応にゴルタナは安堵した。彼等にセスを拒絶する態度は感じられない。それは大いに安心できることだった。王の対応によっては、セスがいつ排除される立場になるか今は危ういのだから。
ゴルタナは夜に期待することにして王宮の外で待つべネッツに合流した。
べネッツにはセスが牢へ入れられた経緯を簡単に説明し、インゲ達を王都へ呼び寄せるよう指示した。
まさか本当にべネッツを走らせることになろうとは。
「大丈夫なのか? セス様は」
「大丈夫だ。動く岩の場所を問いただすためだ、酷いことはなさらないだろう。セス様は世継ぎの方なのだから」
まだ今は、と続く言葉をゴルタナは飲み込んだ。ゴルタナは心配そうなべネッツを急ぎ仲間たちのいるヨーゼンの町へと送りだした。
べネッツは必ず一日で連中を連れてくると言っていたが、距離的に急いでも二日はかかるだろう。
二日。
酷く長い。
今すぐにでも救出に行きたいが、出来るはずもない。
牢からセスを救出できたとしても、国中を逃げ回らなければならなくなるのだ。どうすればいいのか。
ゴルタナは王宮近くにある自邸でぐったりと座り込んだ。
動く岩、その場所さえつかめたなら。
だが、そんなものは存在しない。
この二年捜し続けたが、それらしい情報は何一つ得られなかった。動く岩に該当しそうなものは、王宮へと報告書を送ったがことごとく判を押したように、捜し物ではない、との回答が返され続けてきた。その報告書は王と宰相しか読むことのない極秘資料であり、回答は必ず王の直筆だった。
そうであるのに、王はなぜセス様が見つけたと思っておられるのだろう。
あの時は、セス様を牢に送る理由をでっちあげたにすぎないと思っていたのだが。改めて思い返せば、王は本当に動く岩を欲しているように思える。ゴルタナはあの時声だけは聞くことができたが、見ることはできなかったためその考えに確信はなかった。
王女の部屋を訪れたセスを待ちかまえていたように王が現れた。嵌められたのだと思った。あの手紙は罠だったのだと。
筆跡はいつものダリウスのもののようだったが、彼がもしや裏切ったのだろうか。
王宮の誰も信用できるものはいないということなのだろうか。
ゴルタナが思案にくれているところへ、手紙の主がゴルタナを訪ねてきた。
「ゴルタナ、すまない」
「ダリウス」
彼は顔を見せるや悔恨の表情を隠さなかった。
やはり彼が裏切ったのか、とも思ったが。そんなことをする性格ではない。第一に裏切ったならここへは来なかっただろう。来るとすれば捕えるために兵士を伴っていたはずである。
「王女が王位を欲しがっていたとは考えたくなかったんだ。自分の考えが浅かった。まさか、兄を罠に嵌めるとは」
そのダリウスの言葉に、ゴルタナは眉をしかめた。
ゴルタナから顔をそむけ俯きがちなダリウスは、唇を噛み言葉を詰まらせている。
「ちょっと待て。王女は兄を罠に嵌めてなどいない」
「そんなはずはない。王女がセス様を部屋へ呼んでおいて、陛下の目に留まるようにしたのだろう?」
「違う。王女はセス様が部屋へ現れることはご存じなかった」
「知らなかった? しかし……」
ゴルタナの言葉にダリウスは混乱している。
なぜダリウスはそんなことを思ったりしたのだろう。自分がダリウスを疑ったように、彼は王女を疑ったのか。疑心暗鬼になって誰も彼も疑わしい、そんな状況だと思っていたが、冷静になってみればそんなことはないとわかる。ダリウスが裏切るはずはない。
ダリウスはあの場にいなかったはずだが、王女を疑うとは。そう思う何かの根拠があるのだろうか。
「どうしてそんなことを思ったのだ?」
「いや、それは……」
ダリウスは視線を彷徨わせ必死で思い返そうとしていた。なぜそう思ったのかを。
「実は、政務の途中、陛下は迷うことなく王女の部屋へ向かわれたんだ。突然のことだったから、皆驚いたんだが。王女の部屋にはセス様がおられたと聞いて、ああ王女がセス様を嵌めたんだと……」
ダリウスの声は次第に小さくなっていく。
王女の部屋へ、確かに、しかし、とダリウスはブツブツ意味をなさない言葉を繰り返す。
王は迷うことなく王女の部屋へ向かった?
自分ですらセス様の後をついていって初めて行き先を知ったくらいだ。セス様が王宮のどの部屋へ出るつもりなのかは知らなかった。そう、セス様の行動を予測できた者は誰もいないはずだ。
王女の部屋に入ったセス様のことに気付いた女官か衛兵が王へ連絡したのだろうか。
「ダリウス。政務の途中で陛下は抜け出したと言ったな? その直前に誰かから陛下へ連絡が入ったのか?」
「いや、会議の最中だったからな。本当にいきなり立ち上がられたんだ。好きにすればよい、そう笑って会議室を出ていかれた」
「おかしいと思わないか? セス様の行動は予測できなかったはずだ。だが、陛下は王女の部屋へ向かわれた? なぜ王女の部屋なんだ? いつもそんな行動を取っておられるのか?」
「王女の部屋には、そうだな、ここ何年も行ってないはずだ。今回はセス様がいらしたからではないか?」
「セス様が王女の部屋にいることを、陛下はどうやってお知りになったのだろう」
「……」
「それに、陛下は、セス様が動く岩を見つけたと断言している。それなのに隠していると。なぜそんなことを思っておられるのだろう」
「……それは、おかしいのは、陛下、だと?」
ダリウスの低い声が部屋に響く。
ゴルタナは断言する。その言葉に決意を込めて。
「そうだ」
息を飲むほどの緊張感が二人の間に漂う。
王を非難するなどあってはならないことだった。本来ならば。
不敬罪として牢に入るに十分な理由だ。
しかし、ゴルタナは確信していた。全ては王に問題があるのだと。
「実は、セス様が王宮を出られてから、何度も検討されてきた」
ダリウスは溜息交じりにそう話しはじめた。
セス様が王宮を出た時、世継ぎを王宮から出し国内を見聞させる機会を設けるにしてもあまりに突然すぎ、普段の王からは考えられない行動だった。用意周到に準備するはずの方だというのに。まずそこで、誰かがおかしいと王に苦言を呈した。その者は即刻、職務を解かれ領地で謹慎するよう申しつけられた。
その王の行動がますます怪しいということで、王が別人にすり替わったのではないか、薬か何かで何者かに操られているのではないかと散々調査を繰り返してきたという。
ゴルタナはあっけにとられた。
自分は王を疑うことは禁忌だと思っていたというのに、側近達ときたら。
「驚いたか? 陛下は思慮深い方で、はいはいと王の言うことを聞くだけの者に用はない、とおっしゃられるような方だった。その方が、ま逆の行動をすれば、信頼の厚い者は当然疑う」
「疑った結果はどうなんだ? 結論は?」
「結論は、陛下は病にかかっておられるということだ。年齢を重ねると、短気な性格となる病があるらしい。今は専属医師達による治療中だ」
「治療中?」
ゴルタナはダリウスの結論に脱力してしまった。
短気な性格となる病? 病のせいでセス様を牢に入れたとでも言うのか?
病のせいなら、セス様はいつまで不遇の立場を強いられるのだ? 陛下の病が治るまでずっとなのか? 動く岩の調査は何のために行ってきたのだ。その結果にあれほど執着しておられる王は全て病のせいだと?
次々とゴルタナの中に疑問が沸き起こる。馬鹿馬鹿しい怒りの感情もまた同時に膨れ上がっていく。
動く岩の情報を捜してもセス様は助けられない。では、牢を破るしかない。
不穏なことを考えるゴルタナに気付いたのか、ダリウスが声をかけた。
「まあ、待て」
「何を待てと?」
「治療には時間がかかる。陛下には病を理由に引退していただけるよう準備しているところだ。それが整えば、セス様へ王位を譲られ平穏が戻る。だから、もうしばらく我慢してくれないか。今、セス様に陛下へ反逆するような態度を取られては、混乱が外にもれてしまいかねない」
「今セス様は牢に入っておられるのだぞ?」
世継ぎでありながら実の父である王に牢へ入れられたセス様を思うと、居ても立っても居られない。
いずれ牢から出られるよう算段をつけるというのだろうが、それまでのセス様の気持ちを考えてみろと言いたくなる。なぜそういう情報をセス様に伝えてくれなかったのか。
執政者と言うのは、無性に腹の立つ奴等が多いものだが、やはりこいつも。
ゴルタナは苛々と室内を動きまわった。そして。
「夜にはセス様にお会いする。セス様がご無事でなければ、脱出する」
「セス様は貴賓用の牢に入っておられるだけだ。数日中には出られるよう手は打つと伝えてくれ」
「……わかった」
ダリウスが帰っていき、ゴルタナは一人、部屋の中で薄暗くなっていく壁を見つめた。
次第に全てを闇に包んでいく。
夜が来る。
強い風がザワザワと木々を揺らす闇の中、ゴルタナは王宮の庭園へ向かった。




