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崩れる日常


 王女の部屋という普段は実に静かな場所で、女官達は緊張しきりだった。

 王が王女のプライベート空間を訪れるなど過去に数えるほどしかない。しかも、このように何の前触れもなく突然の来訪とは。そして、部屋にはいつの間にか王子までいるのだ。

 予測しえない事態に女官達は黙って状況を見守るしかできなかった。何が起こっているのかを把握するよりも、何が起こっても対処できるようにと部屋のわきに控えていた。


 王女は王への礼をとり腰を下げる。急な父王の登場だったが、少し前に兄が部屋に現れたこともあり、普段とは違うことに驚きはしても衝撃を態度に出さずにすんだ。比較的冷静に見えているだろうとアルネリーナは他人事のように思った。

 王の視線は兄セシレイルに向けられ、他は一切目に入っていない。王女の部屋を訪ねてきたというのに、部屋の主に用なはく父王の目標は兄であるらしい。自分がここにいることすら父王は気付いていないのかもしれない。アルネリーナは、妙に冷静に父王と兄の様子を眺めていた。今の自分が空気のような存在であるからだろう。

 青ざめた様子の兄は、ただ真っ直ぐに父王を見返している。

 その眼差しは深い悲しみをたたえていた。しかし、それだけではない強い意思がそこにあった。


「ご無沙汰いたしております、陛下」


 兄は優雅に礼をとる。その振る舞いは、埃にまみれた騎士姿であっても、十分に威厳を感じさせた。

 遠目に見た兄を、かっこいいと思っていたのはそれほど昔のことではない。アルネリーナにとって、兄は理想の男性像であった。自由に旅をしたいなどという理由で王宮を飛び出す前までは。


「動く岩はどこにいるのだ?」


 王は兄へと詰め寄る。足取りも荒く兄へと歩み寄りながら、ここ最近は不満顔が常の王にしては珍しく笑みを浮かべていた。その笑みは、なぜかうすら寒いものを感じさせた。兄が王宮を出たと知った時、高らかな笑い声を上げ続けた母を見たときのように。


「動く岩については逐一報告させていただいておりますが、未だ発見には至っておりません」

「お前は見つけたはずだ。さあ言え! どこにいるのだ!」

「いいえ。見つけてはおりません」


 激昂する父王は、兄の顔へ拳を振り上げた。

 あっと言う間もなくそれは振り下ろされ、兄の唇の端に血が滲む。兄は避けようともせず父王の拳をその頬に受けた。

 父王が拳を握ったまま兄を睨みつけているが、兄は表情を変えず頭をふり姿勢を正した。

 そこにはただならぬ緊張感が張りつめている。

 アルネリーナは口を挟むことができなかった。

 口を挟むと言っても、何を言うべきなのかわからない。二人の間で交わされる会話がまるで理解できないのだから。


「もう一度聞く。動く岩はどこにいるのだ?」

「私にはわかりません、陛下」


 腰を落とし礼の姿勢を取り続ける兄を見下ろし、王は踵を返した。

 ほっと一同が安堵した瞬間。


「衛兵っ、セシレイルを牢へ連れて行けっ! 何としても、動く岩の居場所を吐かせるのだっ」


 王の厳しい声が響き渡り、辺りが凍りついた。

 次の瞬間には騎士達が兄を取り囲む。

 思わず顔をそむける女官もいる中で、兄は騎士に両脇を取られ部屋を出て行った。真っ直ぐに前を向いている兄に、声をかけることもできずアルネリーナはただ茫然と見送った。




 来訪者が全て去り、部屋はいつもの穏やかさを取り戻した。女官達がたてる小さな物音や衣擦れの音、部屋の外でさえずる鳥の声が少女らしい装飾の明るい部屋を満たしている。

 落ちついた室内はいつもとなんら変わりがない。

 アルネリーナは静かにソファに座っていた。少し前に部屋へ兄が、そして父がいたのが嘘のようだった。整然とした室内に時は流れていく。

 女官が心配そうに茶を彼女の前へ置いた。

 僅かに立ち上る白い湯気が風に横に流れる。それは開いた窓から入る風を感じさせた。その茶をゆっくりと香りを吸い込み、口に含む。

 緊張感が解けていく。強張っていた頬も、手も。アルネリーナはようやくいつもの自分を取り戻した。


 突然現れた勝手な兄が、王に咎められただけ。

 アルネリーナはそう結論付けた。陛下の行動に疑問を持ってはならない。陛下は正しいのだ。自分に言い聞かせるように、何度も心の中で呟いた。



 そこへ、新たな来訪者を女官が告げた。

 今日はいつになく忙しい日のようだが、女官が取次ぐ来訪者の相手をするのは日常のことである。アルネリーナは女官へ入室を許可するよう伝えた。

 宰相の息子、ダリウス・ロウディングルトであった。


「貴女は、殿下を売ったのか!?」


 部屋へ入る早々、彼はアルネリーナへそう怒鳴った。彼は国内でも屈指の高位貴族であり、父は宰相という要職にあるため、歳の近い王女のアルネリーナとは幼少の頃から顔を合わせている。気安く物が言える数少ない相手であった。

 しかし、いきなりの言葉にアルネリーナはついていけなかった。何を言っているのか?

 不思議そうな顔をしている彼女に、ダリウスはなおも言い募った。


「どうして。どうして殿下を売ったりしたんだ。貴女はそんなに王位が欲しかったのか? そんな人ではないと思っていたのに!」


 兄を売った? 王位が? 何を言っているの?

 戸惑いながら、アルネリーナは彼の言葉を反芻する。彼は、兄が忍びこんだところを陛下に知らせて捕えさせたとでも思っているのだろうか。


「何を言っているの? わたくしはそんなことはしないわ」


 その彼女の言葉に、彼はふんっと鼻で笑って見せる。


「結果的には同じことだ。貴女は黙って殿下が牢へ送られるのを見ていたんだからな!」

「それがなぜいけないの? 兄は陛下の怒りを買ったのでしょう? わたくしには何の関係もないことだわ」

「貴女のことを心配してやってきた兄に、こんな仕打ちをしておいて関係ない、か? ああ、貴女はさぞいい女王になるんだろうさ」

「わたくしのことを心配? 自由に遊んでいる兄が? そんなことあるはずないでしょう」

「自由に遊んでいる兄か。貴女はいつまでも現実を見ない。この王宮でそんなことを信じているのは、貴女くらいのものだよ」


 ダリウスはそう言い放つと、部屋を出ようと扉へ向かった。


「お待ちなさい。ダリウス」


 アルネリーナの制止も聞かず、彼は足早に部屋を後にした。彼は一体何をするために来たのか、言いたいことだけ言って帰るとはなんて無礼な、とその時は腹が立った。

 しかし、彼が去った後の静かな中で一人彼女は思い返した。

 普段ならダリウスは物静かな人物なのである。将来は父の後を継ぎ、次代宰相となるべく研鑽を積んでいる。感情を高ぶらせるなどということはないのだ、いつもならば。

 兄を売った、そう彼は思っている。

 そうは言っても、兄は勝手にやってきたのであり、父王も何の前触れもなく部屋を訪れたのだ。自分がどうこうしたわけではない。

 完全に彼の言いがかりだと彼女は思った。

 黙って見送ったのは、確かだったが。

 

 なぜ黙って兄が連れて行かれるのを見ていたのだろう。

 自由に遊んでいる兄、そう信じているのはわたくしくらいのものだ、と彼は言った。そうではないと?

 陛下はそうおっしゃった。セシレイルは勝手に王宮を出て行ったのだと。

 陛下は兄に、動く岩がどこにいるのか、と尋ねていた。

 不思議だった。何処にあるのかではない、何処にいるのか、という言葉が。まるで生きているものであるかのような表現である。そして兄は報告しているが見つけていないと答えている。

 報告? 見つけていない? 陛下は見つけているはずだと、兄が隠していることを白状させるために牢へ送った。

 兄は遊んでいたのではないの?

 陛下はなぜ動く岩がいる場所を知りたいの?

 それは兄を牢へ送るほど重要な事柄なの?

 いいえ、陛下の行動に疑問を持ってはならない。陛下は正しい。それを疑ってはならない。

 それがわたくしの役割なのだから。


 でも。

『お前の役割は、盲目でいることではない』

 兄の言葉がアルネリーナの脳裏に蘇る。


 窓の外の長閑な風景に眼差しを送り、やや冷たくなった茶を喉へ流した。

 気まぐれな風が時折強く舞い込みカーテンをはためかせる。

 カーテンをまとめていた飾り紐が緩みするりと床へと滑り落ちる。次の風がカーテンを大きく波打たせた。

 止めるものもなく風に煽られバサバサと音を立てるそれを、女官があわてて抑えに向かう。

 アルネリーナはそれを眺めていた。

 

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