苦い再会
「お兄、さま」
王宮の奥の一室で突然目の前に現れた兄に、王女アルネリーナは茫然と立ち尽くしていた。
ようやく十五歳になったばかりのまだ幼さの残る美しい少女は、二年以上前に会った時とは違い大人の女性になりつつあった。セスはそれを感慨深げに眺めていた。
セスの元に届いた手紙には王宮の状況が報告されている。定期的に送られているのだが、今回は急ぎリットンまで届けられた。
その手紙には、妹の婚姻話が進んでいることについての懸念が記されていたのだ。
王女の婚姻は外交問題だ。王や側近達が国交手段として議論の末に決定されるべきことであり、セスが介入できることではない。だが、この婚姻話はどうみても不自然だった。
王子が王宮を出て二年、王女が世継ぎになる可能性を王の側近達は模索しているようだ。正式にはまだセスが世継ぎではあったが、王宮へ戻される予定もなく、政務でセスのことを持ち出せば王の不況を買うのだから、それを考えるのも無理はない。王へそろそろセスを呼び戻してはどうかとの進言をした数人の臣下は、職を解かれ領地へと下がっていた。
王女の婚姻は、将来、王女が王座に就いた場合、お飾りの王とするための人物を国外から迎えるためのものだった。それ自体はおかしくはないのだが、問題はその相手だった。
王女のお相手として話が進められているのは、隣国の王弟であった。四十七歳になる男性で、複数の妻を持っており子供もいる。顔もよく愛想もいい男で、隣国内でも人気者らしい。そんな男性を、なぜ十五の小娘の婚姻相手に選ぶのか、セスにはまるで理解できなかった。その男性を選んだ経緯を知っているはずの手紙を書いた人物にも理解できなかったらしく、文章はその本人の混乱を如実に顕していた。
お飾りの王が欲しいはずなのに、これでは、実質の支配権を隣国に譲り渡してしまおうとしているかのようだ。セスは真意を知るべく、王宮へと急ぎ駆けつけたのだった。
「久しぶりだね。アルネリーナ」
王宮は王が知る脱出経路がいくつもある。セスも世継ぎの王子として秘密の通路を幾つか知っていた。その通路を使って王宮へ潜入したのだ。セスは王の命を完了するまで王宮に入ることを許されていないため、こうした方法を取らざるを得なかった。
「どうして、ここへ?」
言葉を取り戻した王女は、落ち着きを取り戻し、笑みを浮かべてセスへ話しかけた。しなやかな細い手が呼び鈴に伸ばされる。セスはそれを苦い思いで見る。
「誰も呼ぶな。すぐに帰るつもりだから」
母違いであるため親しくしていた兄妹ではないが、警戒されるのは寂しいものだった。
妹にゆっくりと柔らかい口調で諭すように告げる。
それに応じてか、彼女は呼び鈴を鳴らすことを思い留まったようだ。だが、警戒を解くわけではない。変わらず探るような視線をセスに向けていた。
「お前が結婚するという話を耳にした」
セスは静かに話しかけた。
王女は、セスの登場の理由を納得したようだった。冷淡な笑みを浮かべセスを見返してくる。その表情は精いっぱいの強がりに見え、セスには痛々しく映っていた。
「よくご存じですね。まだごく一部の人物しか知らないはずですのに」
暗に王宮内の人物に密告者がいるのかと咎める彼女は、セスのことを真っ向から敵対視している。
セスは戸惑う。なぜこんな風になってしまっているのか。
大方、彼女の母である現王妃がセスのことを悪し様に語っているのだろうが、それは昔からのことだ。王女の教育にあたっている者は、その偏った情報のみが彼女に伝わることのないよう気を配っている。現に最後に彼女に会ったときは、このような態度ではなかったのだから。ごく普通とは言えないにしても、会話にはそれなりに血の繋がりを感じさせるくらいの親しさは漂っていた。会わなかった間に、彼女を取り巻く環境も変わっているのかもしれない。
「そんなことより、結婚相手があのような相手では危険だ。なぜ彼が相手に選ばれたのか知っているのか?」
セスはできるだけ単刀直入に妹に尋ねた。歓迎されていない以上、早めに引き上げる方がいいと思ったからである。
しかし、妹の返事は眉をしかめるものだった。
「陛下がわたくしのために一番よい方を選んでくださったのです。陛下がお決めになったことに間違いはございません」
つまり、理由など知らないということだ。考える必要などなく、従うだけだと。
彼女はそういう教育を受けているのだろう。王女として王を信じ従うことを、己の感情を殺してでも国のために生きることを。本心でどう思っているとしても。気を許した者ではなく敵対する者として対峙する自分に、妹がその内心を明かすとは思えない。本当はどう思っているのか。何かを知っているのか。
まだ少女であるはずの妹は、すでに王女としてその内心を隠す術を身に着けつつあった。
「陛下のお考えを確認したか? すでに子供も妻もいる男性だ。この国に迎えるには問題の多すぎる相手だとは思わないか。もっとお前にふさわしい年齢の王子が周辺諸国にいるというのに」
妹の真意を少しなりとも知りたい。セスはそういう思いで妹へ問いかけた。
冷淡な表情で妹は答えた。
「わたくしは陛下に従うのみです」
「陛下の命令をただ受けるだけなのか? お前が王の後を継げば、今度は迎えた相手に従うのか? アルネリーナ、ただ従うだけでいるつもりなのか?」
「わたくしは、そういう存在です」
「違う。お前はお前だ。何も考えない人形でいることを望まれているわけではない」
「いいえ。お兄さまのように、自由に生きたいと望むほど愚かではありません。王女として生まれたからには、わたくしはわたくしの役割を果たします」
「お前の役割は、盲目でいることではない。よく見るんだ、アルネリーナ。自分を捨てるな」
セスは妹が不憫でならなかった。本当は違う思いを抱いているのではないのか。その思いはセスには告げてはもらえない。手を伸ばすのに手が届かない、そんなもどかしさが湧いてくる。
そして、妹へと語りかけた言葉は、そのまま自分へも跳ね返ってくる。
妹と同じく、自分も目をそむけている事実がある。決して、疑ってはならないと。疑問がわき上がるたびに、己を責めることを選び、ひたすら背けてきた。
「一体、父上は、なぜこんなことを……」
セスは拳を握り、アルネリーナを見つめる。どうにもできない思いに歯噛みするしかなく。
過去にもあった状況を苦々しく思い出す。
なぜこんなことを……。
動く岩の探索を命じられた時のことを。
なぜ? なぜ?
繰り返し考えても、そこに満足できる答えを見つけ出すことができず。
そこに打ち消し続けた考えが残る。
以前の父上ならこんなことはなさらなかったはずだ、と。今の父上の判断や行動は、はたして正しいと言えるのだろうか。
そう思ってはいけないと否定し続けてきたが、もう否定しても消すことなどできない。妹へ言うだけでなく、自分もそれを認めなければならない。周りをよく見なければ。
赤い豪奢なドレスを身にまとい立つ美しい少女と、埃にまみれた騎士姿のセスは静かに見つめあっていた。
互いにどんな思いを抱いていたのかを知らず、沈黙の時が流れる。
しかし、その沈黙は唐突に破られた。
バンッ。
乱暴に開かれる扉の音。そして。
「セシレイル、見つけたのか!」
扉の開く音と同時に興奮した王の声が部屋に響き渡る。
開け放たれた扉の前に立つ王の姿にセスは目を見開いた。
落ちくぼんだ目元とやつれた面ざしは、この二年半で倍以上の速度で歳を取ったとしか思えない様相であった。
その目はランランと異様な輝きを放ち、セスを食い入るように見つめる。
そして、身体中に薄っすらと青い炎をまとわりつかせていた。
淡く光るレナを見た時とは異なり、セスの背筋には冷たい汗が伝い落ちた。




