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森を出て

 

 薄い霧が立ち込める朝もやの中、山麓の森から薄汚れた長袖に長ズボン姿で擦り切れた革靴を履いた少女が現れた。

 少女は時代遅れの細い紐で腰を結び、くたびれたマントを羽織っており、ぱっと見には少年といってもわからないだろう姿だ。近くで見ればその細く小さな顔は、汚れてるが丸く少女のものであり十五歳くらいだろうか。

 森の淵に沿うように道が続いており、少女はその道なりに歩いていく。ゴツゴツとした大きな岩が多く草原に点在している場所で、少女の位置からではその道の先は小高い丘が視界を遮っていて見ることができない。


 少女はゴツゴツした岩の影に隠れながら草地をゆっくりと観察した。彼女の視線の先には、数匹の小動物が草からひょっこりと顔を出している。巣穴から出たところなのかもしれない。

 少女は距離を詰めていきながら、小さなナイフを取り出しいつでも投げられるように準備した。しかし、小動物はピクリと何かに反応したように動きを止めて、くるっとこちらを向く。四匹の小さな顔に大きな耳をもつ茶色い毛皮達の瞳は揃ってこちらをじっと見つめていた。

 その視線の先は、正確には自分ではないようだと右に視線をずらすと、少女が隠れているつもりの岩を軽快なリズムで螺旋状に登っている赤い石の姿があった。

 ふっふふんふ~んとでも鼻歌を歌っていそうなリズムで軽やかに動くその真っ赤な姿は、非常に目を引く。それでいて全く物音をたてない。

 少女が赤い石から小動物達へと視線を戻すと、すでに小動物達は背をを向け草叢の中と走り去って行くところだった。

 少女は残念そうにがっくりと肩を落とし膝をついた。小動物を朝食にしようと狙っていたのである。肉というのは、かなり長く口にしていないご馳走であったので、さっきまで非常に期待でいっぱいだった。ちょうど程良くお腹のすいた今、久しぶりに焼いた肉が食せる、と。

 しかし、よく考えてみれば、少女は今まで満足に狩りができたことはない。罠をしかけて、延々と待つという非常に気の長い狩りしかしたことはない。

 であるにも関わらず、なぜ簡単にあの小動物が狩れると思ったのか。その理由は簡単だった。

 山で赤い石に出会ってからというもの、目や耳がよくなり体力も回復しており、現実が奇跡の連続という状態であった。そのため、少女は、今なら何でもできるんじゃないかという錯覚にとらわれていたのだった。

 奇跡的なことが起こっていたからといって、自分が何かできるようになったわけではない。目と耳がよくなっただけで、簡単に狩りができたりはしない。なのに何故簡単にできると思ってしまったのか。少女は朝から思いあがっていた自分を少しばかり恥ずかしいと思った。

 そうは思ったが、一応、心の中で反省したのち、再度真剣に狩りに挑戦することにした。

 つまり、肉にはやはり強烈な魅力を感じており、反省は反省、肉は肉と、少女は気分を切り替えたのである。


 この草原には、いたるところに同じ小動物が生息しているようで、その耳を立てた茶色い毛皮の頭が草葉の間からひょっこりと出ているのを簡単に見つけることが出来た。その簡単さもまた肉への魅力を捨てきれない理由の一つだった。

 今度こそ、と少女は息を殺し、風上へとゆっくりと近付いた。しかし、今度も結果は全く同じであった。

 小動物達は急にピタリと動きを止め振り返り、警戒され逃げられたのだ。そこでやっと少女は気付いた。

 私だけの問題ではなく、小動物達は赤い石に気付いてしまうからではないのか、と。この場所でこれほど光り輝く真っ赤なものが動いていれば、気付かない方がおかしいというものだ。

 ふふふふ~んふんっ、クルリっと回って少女の方へ転げ戻ってこようとする赤い石に、少女は渋い顔をしてみせた。


「少し離れていて。動物が逃げてしまうから」

『うん? 逃げると困るのか?』


 赤い石はのんきな言葉を少女へ返す。その間も、少女のまわりをゆるゆると転がっており、一定の距離から警戒する動物達の視線が少女へというか赤い石へと向けられている。

 少女はそんな周囲の状況を見渡してふうっとため息をついた。


「狩りは諦めて、携帯している木の実を朝食にするよ」


 仕方なさそうにそう言うと、少女は道のわきにある小さい岩の上にのり朝食をとることにした。

 その岩は上が平らに近くちょうど少女が三人くらいは座れるだろう広さがある。少女の太腿あたりの高さがあり、その岩の上に立つと道からでは見えなかった遠くまで辺りを見渡すことができた。

 歩いているときには岩が邪魔をしてよくわからなかったが、もうすぐ丘は下りになるようで、ほんの少し丘向こうの景色が垣間見えた。

 遥か彼方はまた小高い丘と森があるようだが、その手前に町の一部が見える。背の高い細く突き出た四本の塔や家の屋根がいくつも連なっているのが目に入り、育った村しかしらない少女にとってそれはものすごく大きな街のように思われた。家が並んで建っているということも驚きだったが、この距離からでも高いとわかる塔は一体どれほどの高さなのか見当もつかない。

 少女は腰をおろして携帯の袋から木の実を取りだした。相変わらず固い実なので、噛むのに時間がかかってしまう。


「赤い石は食事をしないの?」


 先程から少女のいる岩へ上がったり降りたりを繰り返している赤い石に向かって少女は声をかけた。

 すると、赤い石はピタッと動きを止めた。少女はその様子をじっと見つめていたがそれは固まったように動かない。不思議に思って少女はなおも問いかける。


「どうかしたの?」


 少女が二つ目の木の実を口に放りもぐもぐと噛んでいると、ようやく答えが返ってきた。


『その呼ばれ方は好かん』


 先程の少女が呼んだ、赤い石というのが気に入らなかったらしい。少女へ答える声も不満そうな低い声のようだ。ようだ、というのは声といっても赤い石の声は音として聞こえるわけではないからだ。

 赤い石は赤い石だろうに。少女がそう思いながら赤い石を見ていると、さらに声が言いつのる。


『お前、人って呼ばれるのが好きか? 好きだとは言うなよ。一般的にそういう呼ばれ方は好かれんのだ』


 赤い石の言葉を聞いて好きじゃないといった理由を少女は理解した。そんなものなのかもしれない、とあくまで彼女の想像でしかない。少女は特にそういったこだわりというか繊細さを持ち合わせてはいなかったが、それを他人にあてはめるつもりもなかった。


「わかった、もう呼ばない。じゃあ、なんて呼んだらいい?」


 彼女が承諾したので気を緩めたのか赤い石がふらふらと動き始めた。少女はそれを見つめながら、本当に始終転がっているなぁと妙なことに感心していた。ひとしきりふらふらした赤い石はようやく少女に返事を返した。


『ルィンと呼んでよいぞ』


 その言葉を告げた赤い石はまるで少女の反応を待つように一か所に留まり、ユラユラと揺れるのを繰り返している。


「ルィン?」


 少女はその名を口にした。その音はキラリと太陽の光を反射して輝く赤い石にはよく似合っている。呟くように自分が発した音を耳から拾い、頬笑みながら少女はそう思った。


「ルィン。素敵な名前だね。よく似合う」

『そうだろう? わしも気にいっている』


 ルィンと声をかけられた赤い石は、嬉しそうにくるりと少女の座る場所を一周して見せた。薄い雲から顔を出した朝日がルィンを照らし、少女の影から出たときには見事に光り輝いた。その完璧な丸さゆえの輝きなのか、まるで赤い石自体が光を放っているように見える。


「ルィンは、地面にいる小さな太陽のようだね」


 少女の言葉に反応して、赤い石はすぐさま答えた。


『そうか? 似ていると言われたことはないのだが』


 ルィンは少女の周りを転がっているのだが、照れたような嬉しそうなその様子は言葉づかいの割りにかわいらしい。少女には、顔があるわけではないその赤い石の動きや頭に響く声の調子から、なんとなくそういう機微が読み取れるように思った。


『お前はどう呼ばれたい?』


 お返しにと思ったのかどうかはわからないが、ルィンが少女にそう問いかけた。少女は首をひねりながら考えた。少女の名前は、エレーナ・ホルトンというのだが、ルィンにそう呼ばれたいかと言えばそうでもなかったからだ。


『エレーナ・ホルトン? いまいち似合わん気がするが』


 少女の考えることが読めるのかルィンはそう言った。それに不平を述べるでもなく、少女はそうだなと自分もそう思うと納得していた。彼女は村ではレナと呼ばれており、エレーナなどと呼ばれたことはない。しかも、多くても数十人程度の村では知り合いだらけで名字など呼ぶ習慣がなかったのだ。


『レナか? そちらの方がお前には合う。では、これからそう呼んでやろう』


 偉そうな口調でルィンがそう言ったが、レナと呼ばれる方がしっくりくるので彼女に異論はない。レナは、なんだかおかしなものだと思う。

 友達というものを話で聞いたことしかなかった。もちろん、村人がみな友達のようであったのだが、やはり皆は彼女のことを孫娘のように思っていたので、対等な友達ではなかったように思うのだ。

 ルィンと対等という訳ではないかもしれないが、友達というものに一番近いのではないかと思うのだ。人ではない相手ではあるが、そうだったらいいと、レナは思った。

 ルィンを見ると、少しくすぐったそうに誇らしそうに見える。それはルィンの気持ちではなく、彼女自身の感情がそう見せているだけなのかもしれなかったが。

 

 彼女が空を見上げると、今日はいい天気になりそうだった。照りつける日差しは、そのうち汗ばむほどの暑さになりそうだ。少女は木の実の袋を口を縛り腰に括りつけ、立ち上がった。


「さっ、あの町まで行こうか」


 そう言うとレナは石から飛び降りた。ルィンはそれを真似したそうに岩の端あたりでうろうろしていたが、諦めて転がり降りることにしたらしい。

 レナは不思議そうにそれを見ていたが、彼女の口から出た言葉は別の言葉だった。


「ルィン。動物を狩るから、少し離れて影でじっとしておいてくれる?」


 レナは性懲りもなく再び小動物を狙うことにしたらしい。目の端に、またも簡単に狙えそうな位置に発見してしまったのである。憧れの肉の元である毛皮の塊を。

 あまりにあっけなく見つけてしまうことが、レナの肉への憧れを捨てきれなくさせてしまう要因なのだろう。


『いいぞぉ』


 ルィンは調子のいい返事を彼女へ返して、レナの後ろをゆっくりとついて転がった。それは、楽しそうである。

 よしっ、とレナは耳の大きな小動物を狙いゆっくりと近寄った。

 そして、同じ結果を繰り返した。レナはがっくりと肩を落とした。


『何を隠れているのだ? 狩るのではないのか?』


 そのつもりだったのに逃げられたんだとは口にし辛い。すごく簡単に実現できそうなのに、できないというのは、己の力量がまるで素人なために簡単だと思ってしまうのだろうか。レナは自分のどこがいけなかったのか考えてみたが、結論は出なかった。


『それにしてもレナも動物達には嫌われているな』


 ルィンの呑気な言葉にレナは引っかかりを覚えた。レナも? 訝しく思ったレナはルィンに尋ねた。


「ルィンは動物達に嫌われているの?」

『嫌われているし、わしは恐れられている。大抵は気配で逃げて行くからな。レナは鈍いから感じんだろ』


 もしかしたら、レナの狩りの腕も今一なのだろうが、狩りに失敗するのはルィンにも原因の一端があるのかもしれない。恐れられているというなら、ルィンの気配を動物達が感じ取っている可能性がある。レナはじっとりとした視線をルィンに落としたが、いずれにしても狩りは成功しそうになかった。

 肉……。

 レナは名残惜しげにだがふりきるように頭を振り道を歩き始めたが、しばらく妙な空想が頭を支配し離れなかった。


 諦めの悪いレナの頭の中では、軽快なルィンの転がりに合わせて幻のメロディーが流れていた。

 肉、肉、肉、ふふっふ~ん。

 それに合わせて耳でか小動物が並んでレナに向かって腰振るダンスを踊っているのだった。


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