リットンの領主館にて
豪華な装飾品が飾られた客室の一つでレナは遅い夕食をとっていた。ここはリットンの町にある領主館の一室である。
目の前にはセスがおり、レナ達のテーブルを給仕するために使用人が三人ほど忙しく働いていた。
本来ならばレナはこんなところへ入れる立場ではないとよく理解している。
しかし、セスが腕を引いてつれてくるのだから、ここにいるのもやむを得ない。こんなこ汚い格好をした子供に給仕したくないのはよくわかる。レナはそう言い訳しながら、目の前の皿を平らげていく。文句があるならセスに言ってほしい、私は連れてこられただけだから。
レナが内心でなぜそんなことを思っているのかと言えば、使用人の視線がレナに突き刺さってくるからである。
彼等はそれが仕事なので、不快に思っていても客には感じさせないよう表情にさないものだと? いやいや、そんなことはない。
セスの前では淡々としているが、セスから見えない角度からジロジロと不躾な視線をレナに送ってくるのである。あからさまに、なに悠長に食べているの?という視線を。ここから出ていけ、とセス以外のすべての視線がそうレナに語っていた。
セスはといえば、お上品な手つきで食事をしている。何が楽しいのか笑顔でレナを見つめて。手元を見ていないのにナイフとフォークが音を立てないとは器用だなと感心する。
レナは、食べるたびに、カシカシガツガツ、と食器とスプーンやナイフが豪快に音を立てている。セスの仕草が身分の高い方々の作法というやつだと思うが、レナはわざわざそれを真似ようとは思わない。
美味しそうな食べ物がそこにある。私は食べたい。私は自分に見合った食事方法で食べるべき。なぜなら、余計なことを考えては、美味しそうな食べ物も味が落ちる。
そういう理由で、レナはガサツな食べ方をするものだから、さらに使用人たちから睨まれるというはめになっていた。
睨まれれば味わえないというほどレナの神経は繊細ではない。むしろ、申し訳ないね、と内心ほくそ笑んでいたりするのだった。
インゲの作った食事とは一味違う味わいをレナは十分堪能した。
レナは、美味しい食事を食べさせてくれる、というセスの言葉に渋々ここへ来ることを承諾したのだから。
「ここの食事も美味しかった」
レナは満足そうに椅子に背中を預け、にっこりとセスに話しかけた。
そのレナの様子にセスもにこやかな笑顔を浮かべ、嬉しそうである。
「それはよかった。インゲの食事とは違って手間がかかっているからね」
「ふうん。じゃ、食事も終わったし、そろそろ外に出たいんだけど」
レナの一言に、セスの笑顔が固まった。
カシャ、コトッ、というごくごく小さな食器のこすれる音、使用人の動きにあわせた衣擦れの音だけが部屋を支配する。
使用人たちによる静かな仕事で、テーブルの上は手際良く食器が片付けられていく。
その間、レナとセスは無言でにっこりと笑顔を向けあっていた。
テーブルの上が片付いたところで、セスは使用人に下がるよう伝えた。張り付けた笑顔のままで。
レナは、話が長くなるのかもしれない、とセスの様子を見て思った。説教をする人達は、大抵、時間が長引いてもいいように前もって準備しておくものである。村の爺様達がそうだった。話し始めると長いんだな、これが。話を何度も繰り返すのだけはやめて欲しいものだ。食後は絶対眠気がおそってくるから、説教を聞きながら睡魔と闘わなければならなくなる。それは非常に辛いので勘弁してほしい。
セスは使用人が出ていったのを確認してから、レナの椅子の側に膝をついた。
なぜ、そんな近くに来る? さっきまで座っていた向かいの席に腰かけて話せばいいじゃない?
レナは至近距離のセスに思わず背中をそらして遠ざかろうとした。セスはレナの側で腰を落としているので、レナを見上げる格好だ。椅子がテーブルの方へ向いていて助かった。この距離で真下から覗きこまれたくない。
そんなレナの考えも知らず、セスは椅子の背もたれに腕をかけレナに問いかけた。
「レナ。こんな夜遅くに女の子が一人で何処に行くっていうんだい? この町に知り合いがいるのか?」
「知り合いなんていない。寝られるところは探せばいくらでもあるよ」
「また野外で眠るつもりだったんだね! 危険だよ。ちゃんと宿に泊るか、知り合いの家に泊るのでなければ」
「そんなこと言ってたら、どこにも行けないよ」
その辺りで眠ればいいものを、わざわざお金を出して宿に泊まることが理解できないレナは、顔をしかめた。
「女の子なんだから行かなくていいんだよ。女の子は家にいるものだ」
「そんなことをしたら、生きていけない」
「大丈夫。俺が養ってあげるよ」
「あ、そう」
興味なさそうな空返事で、レナは立ちあがった。セスのいない反対側に。
ゆっくり部屋を見回しルィンの姿を探したけど、どこにもいない。てっきり後ろをついてきているものと思っていたけど。まだ、あの鞭男に未練を残してうろついているのかもしれない。
セスも立ち上がり、レナの背後に手をおきソファへと促した。
レナがそこへ腰を落とすと、ふかふかのクッションがレナのお尻と背中を包み込む。これはいい。快適な座り心地だった。
ふああっ、と欠伸をしそうになり、途中で噛み殺す。
「で?」
レナはセスに問いかけた。問いかけるにしては、少々乱暴だったが。
その言葉は突然のことで、セスはレナが何を言おうとしているのかわからないようだ。
「泊るとこじゃなくて、何か話があったんじゃないかと思って」
レナは柔らかいソファの座り心地に、じわりと睡魔が訪れようとしていた。欠伸を噛み殺し、噛み殺し。だが、目が据わってくる。瞼が落ちていくのだ、重力にひかれて。
「今日のことだよ。だいたい、どうして人攫いに捕まっていたりしたんだい? テミスの町で働くと言ってたじゃないか」
ああ、そんなことを言っていたんだった。自分の嘘っぱち発言をレナは思い返しながら、他に何か言っていなかったかなと頭をひねる。
そのゆっくりしたレナの動作に、はぐらかされていると感じたのかセスはレナに詰め寄った。
「レナっ」
「えっと、テミスの小店がたくさん並んでいるところで、脇道に入ったら人攫いに捕まった」
「テミスでも女性を攫っていたのか」
「テミスでも?」
驚いたセスが言うには、こういうことだった。
リットンの町ではこの数日で何人もの女性が失踪していた。二日前には領主館の娘も失踪した。これは人攫いの仕業に違いないと領主が判断し、領主に仕える騎士達が捜索することになったらしい。
そこへ到着したセス達一行も、その捜索に加わることになった。だが、領主の率いる隊は街道を見張れば必ず捕まえられるとの見解で、そんなに見つかりやすいところを通らないだろうというセス達の意見と対立してしまった。
結局、隊は街道を、セス達は独自の道を捜索することになったらしい。そうして、レナ達をみつけたのだという。
「そう。リットンでも攫っていたんだ」
あの女性が繋がれていたのは、各町で攫ってきた人達毎に繋がっていたのかもしれない。大人しい様子だったのは、あそこに一日以上とらわれていたせいらしい。
それにしても、このソファはとにかく気持ちよすぎる。このまま寝入ってしまったらさぞいい眠りにつけることだろう。
レナはセスと会話をしながら、ぼんやりと寝心地について想像していた。
「あの騒ぎはレナが起こしたのかい?」
「ん? 違うよ」
すんなりと嘘が口からこぼれた。まるっきり嘘ではない。半分はルィンが原因だからとかいい訳してみる。心の中で。
レナは眠気を振り払おうと目をぱちぱちさせる。いかんいかん。このままここで眠ってしまう訳にはいかない。目の前にいるのは変態だった。昨日の人攫いの方が安全だったような気がするな。ぼけた頭でレナは必至で睡魔に抵抗しようとした。
「レナ?」
完全に瞼が下がりきった状態で、レナはセスを見る。
眠い、眠い、眠い。
変態。眠い。変態、眠い、変態……。
どうして眠ってはいけない? そうだよね、じゃ、眠ろう。
レナはソファに背中を預け目を閉じた。
この柔らかいソファがいけないんだ。レナはソファの背もたれをずるずると横になりながら、丸まった格好になり睡眠体勢に入る。
「レナ? 眠ってしまったか。疲れていただろうからな」
セスはあっけなく眠ってしまったレナを横で見守る。
レナを包む光がふわふわと揺れ、その動きはレナの眠りにあわせてゆるくなっていく。光も薄く透けて消えてしまいそうだ。それは、レナの姿そのものも消してしまいそうである。
セスがレナの肩にそっと手を置くと、即座にピシャリと叩かれ振り払われた。起きているのかと顔を覗き込んでも、口を中途半端に開けたままソファのクッションに顔を埋めているレナに変化はない。
透き通りそうだと思うのは自分の錯覚でしかない。実体がここにあるのに、どうしてそんな風に見えるのか。お伽噺に出てくる妖精はこんな感じかもしれないと思うが、成人男性である自分が妖精の存在を信じはしない。
信じはしないが、自分の目に見えているものを否定はしない。
人攫い達と遭遇した時、レナは既に馬車から離れていた。見張り達がレナに向かっているのをこの目で見ている。レナを見つけて追いかけようとした時、馬車に火が放たれ、馬もいない馬車の下から女性がわらわらと飛び出した。
その時の見張り達のうろたえようは凄まじく、馬車の下に女性がいたとは知らなかったようだった。それなのに馬車に火を放ったということは、おそらくあの女性達は馬車に乗せられており、人攫い達は全員を殺すつもりだったということだ。
商品にならないとわかればすぐさま殺そうとするとは。卑劣な男達に怒りがわく。そして、やはりレナの行動が不自然に思われるのだった。
なぜ一人で逃げていたのか。逃げだせたのか。二人の男はなぜああも執拗にレナを追い詰めようとしていたのか。小さな子供一人だというのに。
レナのもとへと駆けつける途中で倒れていた男達。
駆けつけたところで対峙した鞭をもっていた男は、突然何かに弾かれたように後方へと飛んだ。何の前触れもなく唐突にそれは起こった。
隣の仲間の男も驚いており、自分と同様に何が起こったのかわかっていないようだった。
その時レナは、後ろにいた。何をしていたのかはわからない。わからないが。
レナが男達に話しかけていた時、誰かがこう言っていたのではなかったか。
『見たんだ。子供が何かを投げるたびに、誰かが倒れていくのを』
何かを投げるたびに、誰かが倒れていく。あの鞭男も、と。
あの鞭男に何かが当たったようには見えなかった。何かが飛んでいったのなら、避けるだろうし、近くにいた自分にわからないはずはない。レナが何かを投げたなら、一番近くにいた自分が何か動きを感じるはずだ。空気が動くはずなのだから。
だが、何もなかった、あの時。それは。
人、ではないのだろうか。
セスはふと浮かんだ思いを打ち消し、レナを寝台へ運ぼうと腕に抱きあげた。
細くて軽い、小さな子供のようなレナ。まるで白いふわふわした雲を抱えているようだった。
このまま連れて行くことははたして正しいことなのか。しかし、こんなことのあった後、レナを一人にすることはできない。せめて、どこか安全なところへ預けるまで連れて行かなければ。
レナに対する執着が、度が過ぎている自覚はある。可愛いと思う。しかし、それだけではなく。
ここ数年、自分の中で何かがおかしいと抵抗する思いがある。おかしいのは何なのか、何に抵抗しているのか突き止めようとしてきたが未だわかってはいない。
常に自分の内にある葛藤が絶え間ない焦燥となって自分を苛む。その焦燥をレナの放つ光は和らげるのだ。自分は間違っていない、と。
説明できない感情、感覚。もう自分はおかしいのかもしれない。
セスは自嘲の笑みを浮かべた。
寝台のシーツをめくりレナを横たえる。レナはもぞもぞと寝やすい体勢を探し動く。しばらくすると動かなくなった。
満足そうにシーツに包まり眠るレナをしばらく眺めた後、セスは寝室を出た。
レナがふと目を覚ますと、柔らかい寝具にくるまっていた。
ここは高級寝具というものでは? だが、夜中の暗闇ではよく見えない。しかし、この肌触り、枕や寝台の柔らかさ。きっととてもいいものに違いない。
さて、レナが目覚めた原因は、ドアの向こうから聞こえてくるくぐもった奇声のためである。女性の声、かな?
薄暗い中、レナはそっとドアに近寄る。耳をつけると、やはり女性の悲鳴と思われる。
そうっとドアの隙間を開き様子をうかがうと、隣の部屋のテーブルに置かれた灯りが、暗闇の中に半裸の男女を浮かび上がらせていた。
レナはそっとドアを閉じた。大人の世界だったから。
夕食の後、眠ってしまったらしい。あの女性のおかげで、変態に添い寝されずにすんでいるようだ。ありがたい。
レナは再び寝台にもぐりこんだ。
もう少し声を落としてもらえると嬉しいかな、そんなことを思いながら、レナは再び眠りに吸い込まれていったのだった。




