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人攫いと賑やかな夜

 

 レナは揺れる馬車の中でこれからどうするべきかと考えていた。

 ルィンを手に持つ自分一人ならなんとでもなりそうだが、ここの女性を放っておくわけにはいかない。

 馬車から脱出するにはどうしたらいいのか。後方の扉を開けようものなら、見張りについている者が即座に気付くだろう。

 どこかにルィンに穴をあけてもらうか。しかしと、レナは森の惨事を思い出す。あの事態は避けなければならない思う。あの威力では、ここの皆は無事ではいられない。


『ひどいぞっ。わしが無差別に吹っ飛ばすと思っているな!』

 でも、ルィンが落ちたら、ああなるんだよね?

『受け止めてくれればよいのだ』


 ルィンは胸を張ってそう主張する。本当に胸を張っているわけではない。

 キラリンッと横板の隙間から洩れる月明かりを引き寄せた丸いルィンは、星がまたたくように赤い輝きを放っている。その姿が、そういう態度にみせていた。


 えっへんというルィンの主張はおいておいて、レナは自分の手を見た。

 先程、手綱を引きちぎったことを考えると、レナは現在怪力になっているのではないかと思う。

 身体が軽い上、視野も広い。広いどころではなく、見ようと思えば何処までも見えそうだ。馬車の外も見えるのだから、もしかすると山の向こうまで見えるのかもしれない。

 そうすると意識までこの身体から離れて戻ってこれなくなりそうだからやらないが。

 以前ルィンを握った時ほどの浮遊感と高揚感はない。今溢れてはいなくとも、力は尽きることなく湧いてきそうだ。

 この前はルィンが自分を操ろうとしたからで、今はレナがルィンを借りているような状態だからなのだろうか。

 ルィンを握った状態なら、怪力でいられる?

 レナが考え込んでいると。


『わしを握ったまま? つまらん』


 残念そうなルィンの呟き。

 レナは機嫌を取るように話しかけた。


 ここから脱出するときに、悪人から逃げないといけなくなる。その時、追手にルィンを投げることができるよ。

 みんな悪い人達だからルィンも心おきなく受け止めてもらえるんじゃないかな。


『そうか。そうだったな。外の奴らは皆悪い奴等なんだよなっ』


 そんなに嬉しそうに言われてもな、とレナは複雑な気分でルィンの言葉を受け止めた。

 まあ、悪人だし、いいか。そんなことより怪力を確かめてみよう、とレナは馬車の床板をルィンを握った拳で軽く叩いた。


 ドゴッ、とレナの拳は床板を突き抜けた。床板につきささったままの自分の手首を、レナはぼんやり見つめる。

 床板の感触、あった?

 板というより水に拳を打ち付けたような。いや、水面程の感触もなかったような。レナの頭の中を疑問符が埋め尽くす。常識ではありえない事態。しかし。

 ルィンだし。その一言で全てが完結した。

 レナは静かに拳を引き抜いた。

 暗くて見えないが、そこから風が流れ込んでおり明らかに穴があいていることがわかる。

 あまりにも簡単に突き抜けた板。床板はそんなに薄いものではない。

 怪力が十分役に立つと理解したレナは、これからのことを考えはじめた。

 脱出するための穴を床に開けよう。でも、馬車が止まらなければ脱出はできない。まずは、馬車を止めて……。


 レナが思案している両横の女性は、レナの動きを注視していた。

 馬車の音がかき消すといっても、さすがに隣にいれば床板にめり込む音もその振動も感知するわけで、何事かが起っているのを感じていた。

 暗闇にも目が慣れ、彼女が何かをしているのが見えている。その上、両隣の女性は、レナと繋がれている女性である。レナが手縄を簡単に引きちぎったのを目の前で見ているのだ。

 何を始めるつもりなのか、と思いながらも彼女達は言葉にしなかった。

 彼女の行動が自分達が助かる可能性を秘めていると同時に、見張りの誰かに見つかればその可能性が消えてしまう。

 ハラハラしながら彼女達は、がんばって、そして上手くいきますように、とレナに心の中で密かに声援を送っていた。

 その女性を隔てた気の強い女性はそれに気付かず苛々と手を握りしめている。

 あの変な子供が、何かをするはず。まだなの?

 レナと同じ縄に繋がれた女性達には、徐々に絶望に打ちひしがれていく女性達と異なり、別の緊張感が高まりつつあった。



 しばらく後、レナはごそごそと背中の鞄を下ろす。

 鞄から小さなナイフを取り出し、隣の女性の手首の縄を切るとナイフを手に握らせた。


「隣へ回して」


 レナがそう囁くと、女性は小さく頷いた。

 とうとう始まったのだ。女性は震える手でナイフを握り、反対側の隣の女性の方へ向いた。隣の女性の縄を切るために。

 手が自由になっていく女性達の間で小声の短いやり取りが交わされる。

 誰もがレナの方に注意を向けるが、声を出さず大人しく座っていた。その手には力が入っており、レナへ向ける視線には祈りを込めて。


 ガタガタと音のうるさい馬車の真ん中でレナが拳を二回ほど連続して振り下ろすと、バキバキッツと音を立て簡単に床に穴が開いた。やや派手な音がしたが、動いている馬車の音にかき消される程度であり、馬車の周囲を見張っている男達に気付かれた様子はない。

 バキッ、バキッベキッ。

 次々とレナは馬車の床に拳で穴をあけ、床板を大きな楕円形になるよう切り取った。

 その切り取った板を道に落とすと男達に気付かれてしまうため、レナは後方扉に斜めに立てかけた。後方扉が開かれた時、一時でも視界を塞ぎ邪魔してくれるだろうことを期待して。単に邪魔だったので、そのくらいにしか役に立たないのではある。


『まだなのかぁ?』


 つまらなさそうにルィンがレナに話しかけてきた。

 外の男たちが何人もいるので、ルィンは早く投げてもらいたくてたまらないようだ。次第にテンションが上がりつつある。

 それはレナにも影響を与えており、レナにもむずむずとしたどこか痒いところに手が届かない感覚がせり上がってきていた。

 人攫いの集落からもだいぶ離れたし、そろそろいいかな。

 レナは隣の女性達に声をかけた。


「私が上から出て騒ぎを起こす。馬車が止まるのを待って、この穴から逃げて。いい?」

「わ、わかったわ」


 レナの言葉は、うるさい車内であるにも関わらず女性の耳に届いた。

 その言葉にあの強気な女性が答える。その声は震えてはいたが。

 言葉はレナが声をかけた隣の女性と、その隣の強気な女性くらいにしか聞こえていない。だが、誰もがレナの動きを目で追い、これから何かが起ころうとしていることを察していた。

 女性達は、床にぽっかりと開いた穴を見つめる。女性なら二人は入れるほど大きい。

 暗闇しか見えない穴からは風が吹き込み、車輪が軋み石を散らしながら走る馬の足音が、床板という隔てをなくし大きく鮮明に車内に響いている。

 その闇の穴を前に、誰もが震え、戸惑い、恐れを抱いていた。逃げられるのだろうかと不安を、逃げられるかもしれないと希望を。

 言葉なく女性達は静かに時を待った。


 馬車が揺れる中、レナは次なる行動を開始する。

 立ち上がり、レナは馬車の天井部分へと拳を上げた。床板よりも簡単に突き抜けたそれはあっけなく。天井板は床板よりはるかに薄かったらしい。拳が何かに触れた感触はあるのだが、その手ごたえのなさときたら。

 溜息をひとつつき、レナはサクサクと天井を切り取る作業を行った。天井に通れるだけの小さな穴をあけると、注意深く馬車の屋根に這い上がる。男達は馬の上から周囲を警戒してはいるが、馬車の方は出入り口の扉以外あまり注意を払っていない。

 とはいえ月夜で明るいため、レナは身体を伏せ、前方の御者台へと屋根の上を這った。馬車屋根の端から顔をのぞかせて御者台を見下ろすと、そこには男が二人座っている。

 一人が手綱を握っており、もう一人は腕を組み何をするでもない。


 ルィンをあの男に投げた後、戻ってこられる? レナはルィンに問いかけた。


『突き抜けなければ馬車から落ちずに戻れるぞ』


 ルィンは澄ました声でレナに答える。が、期待感でいっぱいなのを無理に押し殺そうとしている。バレたら期待が裏切られてしまうとでも思っているかのようだ。

 声には出さなようにしてはいてもルィンの気持ちは隠れてない。ルィンは楽しげに男達を眺め、自分が受け止められる場所を検討している。

 突き抜けるって何?と思ったが、レナは戻れるというルィンの答えに満足しておく。


『頭の上からいくか、あの肩へいくべきか。やっぱり顔で受け止められるのがよかったよなぁ』


 と、ルィンは男にとってはかなり痛々しいことを楽しげに考えている。

 顔? なぜ顔?

 顔だと男が吹っ飛んじゃうよ、馬車から落ちたらルィンは馬車に乗れないでしょ?


『乗れないことはないぞ! だが、まあ、乗るのに時間がかかる、か。せっかくだから連続で行きたいしなっ』


 連続で……。

 さすがに一人の男が倒れれば、隣の男は異変にすぐ気付くだろう。時間をかけるわけにはいかない。


 片方の頭の上に落とすから気絶させて。私も御者台に降りるから、すぐにルィンを拾って隣の男の顔に向かって投げてあげるよ。どう?

 レナの提案にルィンが乗らないはずもなく。


『おうっ、いつでもよいぞ!』


 レナの手の中でルィンはムズムズ動く。

 その手をレナはそうっと腕を組んでいる男の頭の真上にまで伸ばした。


『目標ぉ~、確認! らあっかああぁーーーーっ』


 ルィンの喜色の声に、馬達が驚き暴れ始めた。ただでさえ落ち着きをなくしていた馬達は、何かが途切れたのだろう。

 暴れだした馬の手綱に気を取られ、男は仲間が隣であっという間もなく気絶したことに気付かない。レナはひょいっと御者台の端へと降り立った。


「なっ」


 すっと横に何かが動くのを感じた男がレナを見て口を開く。

 と、レナは気絶した男の上半身をその男の方へ押しやりながら、御者台で輝きながら待っているルィンをすくい上げ、投げつけた。


『おおぉうーっ』


 口を開いた男が何かを発する前に、ルィンがその顔へめり込んだ。


『うははははははははっ。お前、なかなかいい受け止め方だぞ!』


 一応、ルィンは男を褒めているようだが、嬉しくはないだろう。聞こえない方がいい。

 男は馬車本体に背を預けるように崩れた。その男の顔から転がり降りてくるルィンをレナはその手におさめる。不思議と男の顔には何の傷も跡も残ってはいなかった。


 レナは男の手から手綱を取り馬車を止めようとするが、馬達は興奮していて止まりそうになく、怯えて走る速度をぐんぐん上げていく。興奮したルィンが近くにいてはそれも無理はない。

 レナはルィンを手に握ったまま御者台の下へ移動し、馬車と馬をつなぐ箇所をへし折った。レナの動作に迷いはない。時間をかければ、馬に乗った男達に囲まれてしまう。その前に全てを終える必要があった。


 自由になった二頭の馬は、二頭が繋がれたまま競うように駆け去った。

 馬車が止まり馬が逃げていくのだから、さすがに見張りの男達が異変に気付きはじめた。

 どうしたんだ、何があったんだ、と口々に怒号が飛び交う。が、状況はまだ把握しきれていないようだ。レナは止まった馬車の御者台下の影に隠れ、彼等の視線は御者台の二人に注がれていた。

 レナは影から飛び出し走り出す。そして道の横に広がっている荒地を走った。男達の注意をひくためである。

 しかし、レナの足取りは重く、思うように走れない。ルィンを手に持っているためらしい。


 いくよっ、ルィン。

 レナは馬車に集まっている男達の一人目掛けて振りかぶる。


『わしをっ、わしを受け止めるのだああぁぁぁぁぁーーーーっ』


 あーーーーはははははははっ。

 全開の笑い声を上げ、ルィンは馬に乗った男の顔へと一直線に飛んで行った。

 別に顔を狙って投げたわけじゃないんだけど、本当に顔(で受け止められるの)が好きなんだな。

 レナはルィンを受け止めた男が馬から吹っ飛ぶのを確認し、再び走り始めた。ルィンがいないと走るのは楽だった。

 ルィンを持っていると重くて走りづらいのは、ルィンの特殊な重さのせいなのだろう。


「どうしたっ」

「おいっ、あいつじゃないのか?」

「見張りが死んでるぞ! あいつ何者だ」

「捕まえろっ」


 レナを指差しているのだろう、レナの後方から声が聞こえる。殺していないよ、たぶん、とレナは走りながら彼らに反論していた。もちろん心の中で。

 レナが走っている荒地は生い茂る背の低い草に隠れた石がごろごろしており、うっかり踏むと足をくじいてしまいそうな場所だ。

 馬に乗った彼等はすぐに追いついてくるだろう。月明かりに照らされよく見通せる場所だから、追手の気を引くにはいいが捕まりたいわけではない。


 女性達は上手く逃げる機会を得られただろうか。走りながらレナは後方が気になったが、今は走って距離を稼ぐことを優先する。もう少し騒ぎを起こし見張りの男達の注意を逸らすべきだったのだろうが、レナにはあれが精いっぱいだった。


『レーーーナーーーーー。まだまだ大勢いるぞーーーっ!』


 悪人が沢山いることが、ルィンは嬉しくて仕方がないようだ。

 それはそうだろう。受け止めてもらえる相手があっちにも、こっちにも、そっちにもいるっ、とルィンのテンションは最高潮だ。

 月明かりを受け、赤い姿を強烈な光を放ち真っ白に輝かせながらレナのもとへと直線で転がってくるルィン。


 ルィンだけが狂喜乱舞する賑やかな夜はまだ終わらない。


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