演説
――――名誉は、死よりも重い。
「鋼鐵」騎士ガルシカ
血が、騒ぐ。
己の全身を巡る血潮が沸き立つ。
そうして、溢れ出る衝動の波はダランを急き立てる。
鉈を振るえ。
敵を、殺せと。
魔獣に人間がとどめをさそうとした瞬間、ダランは勢い良く飛び出し魔獣の額を斬りつける。次いでその流れのままに蹴り飛ばし、壁際に叩き付ける。
たまらずたたらを踏んだ魔獣にダランは確信に満ちながら挑発を行った。
分かっているのだ。
この魔獣は、逃げはしないと。
案の定、魔獣はゆっくりと立ち上がると、先ほどの醜態が何かの冗談かのように厳然とこちらに視線を向ける。
じっくりと足に力を溜め、それでありながらも力を抜きながら。
軸にぶれはなく、怒りのままに放出していた魔力はなりを潜める。
――――血が、騒ぐ。
興奮と緊張が入り交じり、極度に集中したダランはじっくりと相手を観察する。
先ほどの暴れようからの一転したこの冷静な魔獣の態度。
額を切り払った時の一瞬の――ほんのわずかな違和感。
怒りではない。
憎しみでもない。
諦観でもない。
魔獣がダランに向ける瞳は、ダランの判断を逡巡させる。
奴が向けてくるものは、見慣れた感情ではない。
だが、確かに知っている。
どこかで、確かに俺は知っている。
冷静に敵を見据えながらも、ダランは思考の海に埋没し、過去の記憶を探り出す。
深く思い出の欠片を探るまでもなく目当てのものを見つけ出し――――ダランは淡い笑みを浮かべた。
そうか。
しばらくぶりの感情を思い出し、楽しげにダランは笑みを浮かべる。
凶相に満ちた笑みを。
「すまないな、どこかで私はお前のことをただの獣と侮ってしまったようだ。詫びよう魔獣よ。」
戦士。
この魔獣は、戦士なのだ。
誇り高い矜恃を持つ、闘争へと大地を駆ける巡礼者。
そうだ。
――――お前も、俺も。
「だが、お前も悪いぞ。薄汚い魔人に術をかけられたのだろうが、あのように闇雲に暴れられては分かるものも分からん。」
ダランの言葉に、知ったことかと魔獣はかぶりを振る。
凄惨な笑みを、二頭のけだものは浮かべた。
――――さあ、殺し合おう。
◇
先に動いたのは魔獣だった。
真正面から、わずかのためらいもない。
十分に力を溜めて放たれた筋肉は、十分な「ばね」と化し弾かれたように弾丸ととなりダランへ向かう。
そのもって生まれた強大な顎をもって、ダランをかみ砕かんと突進する。
さらにいえば、魔力を内に込めることで身体能力の底上げを行っており、その突撃の威力は城壁すらも崩しうるものだろう。
その一撃を、ダランは躱す。
紙一重の境目を見破り、その巨大な胴体の下に器用にくぐり、手にした大鉈をもって斬りつけた。
その痛みからか、魔獣の怒声が響き渡る。
「音」という莫大なエネルギーに、無意識に魔力を上乗せしているのか、魔獣の咆哮はそれだけで周囲に甚大な影響を捲きおこす。
爆風とともに土埃が舞い、木々はその枝を散らし、だばだばと溢れ出たどす黒い血液が周囲に飛び散り、爆音は鼓膜を破らんと突き刺さる。
さらにそれに伴う異臭に、ダランは微かに顔を顰める。
この臭い、毒か。
若草と泥を混ぜ合わせたような歪な臭い、それに付随する身体への違和感。
恐らくは神経に作用する毒。
人間程度ならば、神経を犯され身動きが取れなくなるであろう。
なるほど、中々に厄介だ。
そう思うも、疑問がよぎる。
この魔獣が、毒のような姑息な手段を使うのかと。
いや、そんなはずはないとダランは先ほどの戦闘を思い出す。
討伐隊であろう人間達の一団に対して、操られはしていようがこの魔獣は己の肉体をもって戦っていた。
血を流しながらも、魔獣は再度ダランに襲いかかる。
緻密な組み立てのない、単純な、粗雑とも言ってしまえる突撃。
その一撃を僅かに体を動かすことで紙一重に見切り、跳躍。
魔獣の体を巧みに利用し足場と為し、その背中を一文字に切り裂いた。
今度は雄叫びをあげることもなく、魔獣は静かにこちらを睨み付けた。
それに伴って強まる異臭。
先ほどと同じ、若草と泥をかき合わせたような臭い。
それに伴い、冷静さを取り戻しつつ魔獣。
まさか――とダランは一つの確信めいた事実を想定する。
考えられる仮説はこれしか――だが、しかし。
ほんのわずかの、揺らぎといえるかも怪しい、刹那の間。
それを、魔獣の勘か、ただの偶然か、魔獣は流れ出る血を気にすることなく再度突撃を行った。
それは見事な一撃。
微塵のためらいのない、揺らぎの欠片もないその一撃には心体ともに無駄がなく。
美しくて。
心が騒ぐ。
魔獣の突撃にダランは真っ正面から挑んだ。
左手にした大鉈を大地に突き刺し、両の手に構える。
圧倒的な質量と、魔素。
それに付随する速さ。
その混合された一撃にダランは大鉈を構える。
敵の速さ。
自身の踏み込みと、腕の稼働速度。
間合い。
戦闘に必要なおよそ全ての要素を、ダランは自身の第六感に委ねる。
目の前に魔獣の強靱な両眼が迫り――――
爆発が迸る。
その爆音が大気を吹き飛ばす。
砂塵が舞い、視界は塞がる。
木々や、その場に横たわる人間の死骸、負傷者達は吹き飛ばされる。
しばしの静寂。
無音が大地を支配する中、薄れゆく砂塵の中から先に姿を現れたのは魔獣。
堂々としたその姿に変化はなく、泰然とした様が窺える。
次の瞬間見えるのは、ダランの肩口を深く貫いた強大な牙。
鋭く抉ったその先から、ダランの深紅の血が滴り落ちる。
魔獣は微動だにせず。
対してダランは、ゆっくりと表情筋を動かし――邪悪な笑みを浮かべる。
それは、確固とした手応えを得たがため。
そして、それを視界におさめる。
砂塵が晴れ、露わになるは肩を貫かれたダランと――その眉間を巨大な大鉈をもって穿たれた魔獣。
互いに必殺の一撃を繰り出したその結末は、ダランの勝利。
肉を切らせて骨を断つ。
ダランは自身が貫かれるのを厭わなかった。
自身の肩を貫かれるのを代償に、魔獣の眉間に必殺の一撃を与えることに成功したのだ。
ずぶりと、緩慢な動作でダランは大鉈を引き抜く。
それとともに溢れ出る血潮。
同時に増す異臭。
「お前は・・・」
ダランは、あえて問う。
理解したが故に問う。
「そうなのか・・・そういうことか、魔獣よ!」
ゆっくりと、魔獣は大地に伏せる。
その巨体が崩れ落ちた時、地面が揺れるも、ダランは意に介すことなく詰め寄る。
凶暴性。
冷静さ。
異臭。
力。
魔素。
錯綜していた要素が一つに絡まり、ダランの脳内で決着を見た。
ぎり、とダランは歯ぎしりする。
【いいんだ】
突如ダランの脳内に、直に響くような声。
声帯ではない、魔力を用いた声がダランに話しかける。
その正体は、言うまでもなく。
【俺は、実に満足している。お前のおかげで満足のいく勝負ができた。】
「・・・そうか。」
その言葉を、ダランは否定しない。
この魔獣は――戦士は、誇り高い矜恃をもっていると理解したがために。
【いい・・・闘いだった】
それが、魔獣の――戦士の、最後の言葉だった。
◇
戦士の首を刈り取ると、紐を用いて縛り上げる。
魔力による強化が施された紐は、成長した人間の拳ほどはあろう。
いつもならば首塚を作り上げるところだが、今回はそうしない。
理由は二つ。
一つは、今回の討伐の証明である頭部を依頼人まで持って帰らなければならないため。
もう一つは、比較のしようがないためだ。
首塚は、敵と味方を互いに誇るためのもの。
敵の勇猛さと、一族の強さ。
その二つを讃えるための首塚だが、今回闘ったのはダラン一人。
味方に損害は出ていない。
自分より先に動いていた人間達は味方ではないし、そもそも先の戦闘によって肉片と化してしまっているため集めようがない。
ともかく、これで依頼は完遂。
次の目標へ思案を巡らそうとしていたところで、ダランは近づいてくる気配に気付く。
「へっへ、あの魔獣を一人で倒しちまうとは・・・相変わらずでさぁ、ダランの旦那」
自身を小馬鹿にしたような、卑屈でありながらも底の知れない声。
それを聞き、振り返るとダランは意外そうに小首を傾げる。
そこにいるのは赤ら顔のにやにやと卑屈な笑みを浮かべる中年の男。
丸太のように太い四肢と、それに張り合うかのように突き出た太鼓腹が印象的な脂ぎった男だ。
「先に討伐に赴いた人間も、皆腕の立つ連中だったんですがねえ・・・血と肉片しか残っていないとなると、いやはや事情の説明に組合の連中も苦労しそうでさぁ。まあ、旦那には関係のないことでしょうが」
「世間話をしにきたわけではないだろう?下らない前置きはやめて、さっさと要件を言ったらどうだ。」
「いやぁ、旦那は話しが早くて助かりまさぁ。実は、久しぶりに依頼を受けて頂きたいと思いましてね」
久しぶりに見るその人間を見て、ダランは薄く笑みを浮かべる。
「どうせ、またろくでもないことだろう?ドロホフ。」
その返答と言わんばかりに、ドロホフと呼ばれた男はにんまりと醜悪な笑みを浮かべた。
「そんなこと言わんでくだせえや。――――いい話なんですぜ?」
朱く染まった砂塵が、大地を舞った――-―
◇
間近でみると、その重厚さは胸をつくものがあった。
三重に敷かれた分厚い城壁。
それに併せて作成された20メートルはあろう奥深い堀と、その底に設置された鋼鐵の針。
壁には弓兵が待機し、油断なく周囲の警戒に当たっている。
これだけでも大したものであるが、さらに二人を驚かせたのはその色だった。
岩石を削って形を整えて作られたはずのそれらは、本来明るい灰色かそれに準じた――ようは地味な色なのだ。だがこの城壁は色こそ同じだが光沢がある。
それは城壁を魔力を用いて強化しているに相違ない。
そして、それを維持しているという途方もない事実が二人を驚かせた。
「・・・地脈から魔力を吸い上げて、いや大地の加護を?なんにせよ、とんでもないことをするなあ人間ってのは。」
つくづく腐ってやがる、とライルはぼやく。
「これじゃあ、土と木々が力を失ってしまう。そんなことをしたら、最後は自分達に戻ってくるだけなのに・・・」
城門に向かって歩みを進める二人だが、初めて見る城の異様さには驚愕を隠せない。
大地に流れる力を奪って自分達のものにしようなんて、愚かとしか思えないのだ。
大地を――この世界を循環する魔力というのは、人間や亜人が内包するそれとは比べものにならない。人間の魔力が一滴の雫だとすれば、大地の魔力は大海原のようなもの。
大いなる大地には、それほどの力が渦巻いているのだ。
だから、確かにそれを利用するというのは有効な手段である。
だが、力を利用するというのは、大地の循環に不整脈やこぶをつくるようなものなのだ。
一時的にならまだしも(エルフの場合は恐れ多いとして一族で禁止する場合が多いが)恒常的に利用し続けるというのは大地の力を奪うのと同義であり、その結果はろくでもないことになるというのが亜人達の常識なのだ。
まあ、つけは人間が払うからいいか。
もっとも、ライルにとっては馬鹿な人間のやることなぞどうでも良かったのだが。
◇
入国手続は、思いの外すんなりと終わった。
この状況では城門での手続は厄介だと思ったが、傭兵として働きにきたと言ったら、あっさりと通過。荷物の点検などがあると思ったが何もなく、エルフだからといってこちらを見下したような態度を取るものもいなかった。それがライルには新鮮に感じ、同時に相当追い詰められている状況なのだろうと感じる。
亜人を見下さないような人間の集団、国家というのはライルの知っている限り二つの場合がある。
一つは『平等』を謳う国家だ。
これはどこが平等だ、ええ?と鼻で笑いたくなるようなものというのが本音だが、ライルの知っている限り露骨に態度に出していなかった覚えがある。
実際にその国に行ったわけではなく、国の人間を見たことがあるという程度なのであまり参考にはならないかもしれないが。
二つ目が、差別をしているどころではないという場合だ。
この場合は、国が窮地に貧しており人間万歳と言っていられる状況ではなくなっているのだ。
大領主同士の争いに、魔族からの介入。
資源も乏しくなると、自然と兵士の士気も下がる。
そうなればどうなるか。
亜人の傭兵達が出張るというわけだ。
普段は下に見るくせに、こうした時だけへる下る人間達。
それはライルにとって侮蔑の存在以外の何物でもない。
どこも変わらねえな、とぼそりと呟きながら城門をくぐり抜け、二人は良く整備された石畳を馬車で進む。
喧噪の中、いくつかの路地をてきとうに曲がり見えてくるのは酒瓶を三つ描いた看板がかけられた石造りの店。
酒場である。
古来より、情報が集まる場所は人が集まる所。特に、それが人の口を緩くするような場所ならばなおさらだ。
ライルはニコに馬車の番を頼み、ライルは酒場へと足を踏み入れる。
ちりん、と鈴の心地よい音色がライルを迎えるも、次の瞬間には噎せ返るような臭いに顔を顰める。酒気と汗、肉と脂の焼ける臭い、さらには香水が入り交じったそれは、鋭敏な嗅覚を持つライルには苦痛でしかない。
「おっさん、ビールとスープをくれ。豆を多めにな」
カウンターの木製の椅子に腰掛けながら、手慣れたように注文をする。
あいよ、と中年の腹の出た店主らしき男が返事をし、奥へと消えていく。
「おい、ここは嬢ちゃんが来るところじゃねえぜぇ?」
「へっへ、可愛いエルフの嬢ちゃんじゃねえか。こっちこねえか?たっぷり可愛がってやるぜ!」
案の定、真っ昼間から酔った男達がライルに詰め寄る。
いささか目つきが悪いということを除けば、華奢な肢体、中性的な容姿、肩にかかった艶やかな金髪と白磁のような肌と、少女に思われることが非常に多い。所見で男と見破るのは、鼻が効く獣人くらいだ。
こういうのは、良くあることだ。
「うるせえ、どこに目ぇつけてやがんだ酔っぱらいども。」
静かに、ドスをきかせるようにライルは言葉を発する。
「ああ、随分と態度のでかい嬢ちゃんだなあ、ええ?」
だが、悲しいかなライルの華奢な肢体と中性的な容姿では、どんなに目つきが悪かろうが酔漢にはちょうどいいちょっかい相手でしかない。
「はっは!その様子じゃ股の下もさぞかしでかいんだろうぜ!こりゃあ期待させてもらおうじゃねえか!」
一人の男が赤ら顔に下卑た妄想を浮かべ、にやにやと笑みを浮かべる。
男の股下が膨らんでいるのは何かの冗談だと思いたい。
「だから、うるせえっていってんだろうがっ――てめえ、何のつもりだ?」
ライルが再度男達に文句を言おうとするも、酔漢の一人がライルの腕を掴み出す。生来非力なエルフは、酔っているとは言え筋骨逞しい男の手を振りほどけないのだ。
「まあ、そう邪慳にするなって。別に売り飛ばそうってわけじゃあねえんだ。ちょいと酌をしてくれりゃあいいんだよ。なあ、お前等。」
そう男が言うと、同意とばかりに周りの男が下卑た笑みを浮かべながらも頷く。
このやろう。
実に、むかつくやつらだ。
売りとバス、だと?
誰が、誰に向かっていってやがる。
低脳で、卑怯で、数ばかり多い非力な人間が。
口ばかりの、薄汚い罪人どもめ。
筋力では相手が上だが、こちらには魔力がある。
その力を解放すれば、貴様等なぞ一撃で肉片に変えてしまえる。
本当に、潰してしまおうか?
短気で、一度頭に血が昇ると思慮が浅くなりがちなライルは短絡的な行動に出ることが多い。
自然、その掌に魔力が籠もる。
別に、こいつらをここでミンチにしたところでどうということはないのだ。
一瞬で潰せば、後はどうにでもなる。
だったら、別に――
「おい、お前等。」
不意にドスのきいた声が突き刺さり、ライルはその声の方向に頭を向ける。
そこにいるのはビールを持って現れた腹の突き出た店主。
「遊びてえなら余所でやれ。うちはそういうことは専門外だ。」
そう男が言うと、腕を掴んでいた男は舌打してその場から立ち去った。
急に手を離したために体のバランスを崩されたことが疎ましい。
内心苛つきながら、店主がカウンターに置いたビールを引ったくるように掴み口にする。良く冷やされたビールはキレがあり、アルコールと相まって喉に心地よく突き刺さる。
「っはあ、いいねえこいつは。魔導具で冷やしてるのか?」
先ほどの事は何処へやら、楽しげにライルは店主に問いかける。
思慮が浅く、短気だが、ころころと感情が入れ替わる。それがライルの長所であり短所でもある。
「ああ、まあな。この辺りでも魔石がちょろちょろとれるからな。そのおかげでいつもきんきんに冷えた飲み物が出せるってわけさ。」
そう言うと店主は顔を近づける。
ついで薄く目を細めて言った。
「なあ、あんた。俺はあんたが人間だろうと亜人だろうと気にしないんだが、ここで魔術を使うのは勘弁してくれ。最近は長続きする内戦で皆苛々しているんだ。ここであんたが魔術を使ったら、あっという間に流血沙汰になってしまう。」
「・・・あんた、分かるのか?」
「話をそらさんでくれ。とにかく、頼むぜ。特に今は、あの『気違い』どもが出てきてさらに厄介なことになって――」
男の言葉を遮るように、ガランガランと鐘の音が響く。
それは壁を意に介すこともないように、不思議とライルの耳に響いた。
否。
不思議とではない。
壁や距離を意に介すこともなく音を響かせる。それは何らかの魔術を使っているに他ならない。
「っち、まぁた始めやがった。――おいあんた。この国で何が起きているのか知りたけりゃあ、外に出な。隣の広場で、まぁたやってやがる。あの野郎ども。役人どもが抑えていてこれだ。まったく、たまったもんじゃねえぜ。」
そういうと、店主は奥へと消えていく。
その姿が、妙に悲しげに見えた。
◇
ビールを一息に飲み干すと、ライルは酒屋のドアを開け外へと繰り出す。
一度に吸収されたアルコールがわずかに感覚を鈍らすも、頓着することなく石畳を歩き出す。
嫌な感じだ。
ライルは感情が満ちた空間独特の、ぴりぴりとした感触を感じた。
それは戦場のような殺伐として殺気に満ちた世界とはまた違う、しかし人間達の感情の迸りが精霊達を追い払ってしまう
二つ三つ角を曲がると、視界が広がり大きな広場にでる。
周囲を住宅や宿屋、酒屋に囲まれるようにできた円形の石畳の広場には人々が集まっていた。
「――!」
間近にきて明らかにわかる状況。
ばらばらなのだ。その場に集まった人々が。
人間に限らず、その場には様々な亜人がいた。様々な種族がある獣人。栗鼠型、犬型、猫、熊、虎、犀など、数え上げればきりがない。
自分と同じであろうエルフ、人間の腰程度の背丈しかないホビット。
全身が鱗のような肌に覆われたアルゴニアン。
背中に羽が生えた鳥人。
珍しくもドラゴニアン――竜人すらいる。
比率では言えば、人間と亜人で6対4といったところだろうか。
亜人の数を考えると、これは如何にヴェルン公国にとって亜人が重要視されているかがわかるところだ。
だが、それよりも先にライルが感じたのは、感情のうねりだった。
幾多の感情が混ざり合った混沌としたこれは――
「――太古の昔、世界は一つであった。」
声が、響いた。
無理矢理胸に突き刺さるような、低く重い声。
「神々は我らとともに在り、世界は豊穣に満ちていた。常に黄金の稲穂が大地に満ちあふれ、森には祝福たる黄金の実が溢れていた。魚は海を覆いつくさんとばかりにあり、人々は飢えることも、苦しむことも、悩むことも知らずに生きていた。」
ライルは、人々の視線の先にある一人の男を見た。
大柄の、禿頭の男が広場に据え付けられた台座の上に立っている。
純白の法衣らしき服を身に纏い、金色に輝く首飾りをつけた赤ら顔の男。
遠目には間抜けにも見えるが、その目が放つぎらぎらとした不気味な輝きがその判断を否定する。
「神々は、我らに惜しみなく祝福を与え、我らはそれを疑いもせず甘受してきた。――世界は、それで満ち足りていた」
「だが!!」
ドン、とそこで男は台座に置かれた机を叩いた。その鈍い音は妙に響く。
「我らは愚かであった!無限の愛を持つ神々を、我らは疑った!当たり前のように与えられる祝福を、我らは懐疑した!――その結末が!」
さらに男は机を叩く。
それから一息して言った。
「この、穢れきった世界なのだ!」
男は広場にいる人々を見た。
じっくりと、一人一人を食い入るように。
そのぎらぎらとした双眸に映したものは、如何なるものか。
「遙かな昔、世界が祝福に満ちていた時、我らは一つであった!人間も、亜人も、皆一つであった!差別や迫害はなく、我らは皆神の下に幸せを甘受していた!だが、その幸せは、安寧は失われた!我らの愚かな祖先は神の唯一の規則は破った!かの『異界』への封じられた道を開いたのだ!――その結末はどうなった!!世界には悪が蔓延った!我らは姿を変えさせられ、互いに憎み、争い、奪い合うようになった。差別が広がり、我らは上へ上へと、誰かを見下し、時には蹴落とすようになった!何故我らはこうなった!?」
男は聴衆を見回す。
皆が男の言葉を待っていた。広場は、いつの間にか動く隙間もないほどの人に溢れかえっていた。
男はゆっくりと息を吸った。
「・・・何故、我らはこれほどまでに苦しまねばならないのか。それは、禁じられた道を開いたからだ。封じられていた、あってはならない、おぞましい化け物が溢れてきたからだ!ここにいる皆は知っているはずだ、わかっているはずだ!我らは幾度となく苦しめられてきた!――そうだ、あの忌まわしい魔人どもに!!」
空気は震え、大地は揺れる。
群衆が、吼える。
一つの生き物と化し、皆が叫んだ。
そうだ、奴らが悪いと。
「そうだ!奴らこそは、我らに屈辱を与えた!遙かな古代より、奴らはいた!我らを争わせ、世界を混沌に招かんとした!我らを枯れた大地に騙し導き、奴らは豊穣の大地の上にあぐらを掻いている!――否、かいていたのだ!」
一つの生き物と化した彼らは叫ぶ。
そうだ、もう騙されはしないと。
「幸いなるかな!我らは気付いた!我らの愚かしさを!幸いなるかな!我らは気付いた!敵の邪悪さを!幸いなるかな!我らは気付いた!真なる敵を!我らはいとも気高き神々に祝別された者!なればこそ、我らが世代は我らが手で、真の栄光を取り戻さなければならない!偉大なる神々の大地、数々の祝福された、筆舌に尽くしがたい奇跡の源!それらは、断じて魔人のものではない!それは我らが手に入れるべきもの、約束された豊穣の宝物!――――なればこそ、取り戻そう!我らが確約された栄光を!戦って、取り戻すのだ!我らの大地を!おお、我らが大いなる神々に、我らの血肉を与えよう!そして、取り戻すのだ!奪い返すのだ!我らの栄誉を!」
熱狂。
狂奔。
陶酔。
言葉は数在れど、それを表現するのは何が適切か。
人々の長きにわたって蓄積された感情は、複雑怪奇。
だから、ここでは一人の男についてのみ述べよう。
皆を熱狂の渦を巻き込んだ、一人の男を。
禿頭に、赤ら顔。
純白の法衣を纏った大男。
金色に輝く豪奢な首飾りを身に纏い、熱弁を振るうその様は、かの神聖法国を建立した男を思い起こさせる。
とはいえ、それは些細なこと。
男には、俗世の名誉なぞ興味はないのだから。
男の名は、ゴドフロワ・デ・ブリモール。
その思想の過激さ、実行力から疎まれ、危険視された男。
神聖ルマヌシュ法国において、大司教にまで上り詰めながらも国外追放を受けた破戒僧である――――
感想、お待ちしています。