変わらなくデッドボール
間近に迫る、まっさらな器に紺を一杯に垂らしたようなミッドナイトブルー。まるで夜空がそこにあるかのように、澄み切った色をしていた。
ぐっと息を呑み、巴椰はブレットの腕を一気に振り切った。
おや、と狼は少し呆けて緩く離れた。
「細切れで、餌って?ふざけんな、俺にはあんたじゃない好きな人が居るんだよ。例え叶わなくても、想うだけでいい人が」
「……叶わないものを願うとは、くだらないな。俺には理解できそうにもない」
恐怖を虚勢を張って誤魔化し、巴椰はギッと彼を睨んだ。それは酷い意地の張り方だった。
すっかり醒めてしまったらしく、ブレットはふんと一笑に伏した。
「つまらん、くだらん。人間とはそんなにくだらないのか。その姿を得た俺達もそうであれ--あァ、くだらん」
「理解できないならしようとするな。でも俺は、あんたのことは大っ嫌いだ!」
「結構。それもまた興味の一つ、忘れずに居てくれるのだろう」
「興味なんか失せた。もう二度と俺に構うな」
あぁ、まただ。
昔から、いつだってこうだ。今だって完全な本心かと訊かれればきっと即答はできずに言葉を詰めただろう。張ったバリアは重い。しかし確かに、今言ったのも嘘ではない。
ちゃぷんと深く体は沈んだ。白く寄せる波に、頭はぼぅっと冷たかった。
「--それは、困るな」
謝ることも弁解することもなく、ブレットは一言そうこぼした。
はッとして顔を上げると、目の前の端麗な男はまた無表情で目を伏せた。
「困る。俺はお前に失望されに来たわけじゃない。お前がそう思うのなら止めはしないが、本当にその体を裂いてしまう」
「ッ……お前、それ本気で言ってんのか」
「いつだって本気だ。つまらないものは消す、面白い物は近くに置いておく。強弱あれ、誰だってそうするだろう」
そうして、ブレットは呆けた巴椰の膝の裏と肩に腕を回し、一気に抱き上げた。
自分で引っ付いたときよりもはるかに慌て、巴椰は地にあげられた魚のように跳ねた。
「やめて、やめろ、ホントやめろ!触んな性格歪みの馬鹿狼!」
「きゃんきゃん吠えるな、心地よすぎる」うざがるかと思いきや多少喜んでブレットは続けた。「お前がそう吠えると言うことは、まだ完全に興味を失われた訳ではないんだろう。もし違うのであれば、俺を殺してでも逃げるはずだ」
「それはッ……!」
返す言葉の見つからないことと言ったら。仲良くなろうとしているのかただ遊んでいるだけなのか、どうにも一歩向こうにいるそれを崩せない。しかし、虚勢を張っていたのを見破ったか、それともあてずっぽうか。どちらにせよ、見抜かれたという点では同じ事ではないか。
ザブザブとブレットが海を闊歩する中、巴椰はようやく落ち着いて水面にその足を浸けた。
「……あんた、趣味とかないの?」
「唐突だな。お前こそ、何か無いのか」
「は?俺はその、本読んだりゲームしたり友達とくっちゃべってたり……」
ああ、最悪だ。そんな答えが聞きたくて話しているわけではないだろうに。
会話の保たない空気に辟易し、巴椰は小さく「ごめん」と零した。
「えらくしおらしくなったな。趣味だの何だの、普通はそんなものだ」
「あんたには当てはまりそうにないだろ。こっちだって、何とか仲良くなってやろうってしてんのに」
ただしそれが、可か不可かは置いておいて、だが。
何故かそれに呆け、ブレットは少しばかり目を見開いて巴椰を見やった。
「……お前が、俺と?」
「それ以外誰が居るんだよ。あんたが魚の餌だの何だの言うから……妾とかふざけたことは無いけど、俺は面白いんだろ?」
『面白い物は近くに置いておく』つい先程のこの狼の言葉だ。殺されるだの何だのされていないということはそう言ってもいいはずだ。
波に打ち寄せられ突っ立ったまま、狼は彼を抱く腕に力を入れた。
「--その言葉が嘘になるなら、俺はお前をきっと殺す。騙すような悪女になるなよ」
「ならねーよ馬鹿。本当、あんたっておっかしい」
ようやく笑うことができ、巴椰はくっくっと声を殺して笑った。未だ目の前で呆けている狼を面白がって。
また静かに歩き始め、ブレットは言った。
「と言うことは、『友人』の括りで良いのか?他に思いつかん」
「『誘拐犯』でもいいけど。ちゃんと友達らしくしてくれるなら友達でいい。メルヒェンすぎる友達だけど」
「いいだろう、狼の友人なんて望んでも手に入らんさ」
そうしてようやく、ブレットも笑んだ。やんわりと、優しげに。
和み掛けたが、続きをその口が発した。
「狼の恋人も、もっと手に入らんがな。どうする?」
「どうもしねぇよ雰囲気ブレイカーが」
どうしようもない雰囲気ブレイカーだと思う。今の今まで友情の芽生える下りをしておいてこの言葉が出るのか、おかしいんじゃないかこの男。
面倒臭いと悪態を吐くと、うざがって巴椰は彼の耳を千切れんばかりに引っ張った。
「こんの、阿呆が。友達友達、お前とは友達!仲良くしような馬鹿狼!」
「その喧嘩腰で仲良くしようだなんてとんだ常識知らずだな。千切る気か」
「その白々しい涼しい顔も千切ってやろうか」
嫌われている感じはしない。それは心地良い現だ。しかし幻、この耳は本物であるというのに、滑稽で堪らない。
白波の打ち寄せるそれにふざけて戯れていると、狼は不意に「おや」とまた何かに気づいて声を漏らした。
また随分遅れてしまいました。本当申し訳ないorz