真昼の碧青
空気を読めと言ってやりたいが言うとまた少々面倒なことになりそうだ。この図書館までぐちゃぐちゃにされると、流石に聖母様でもキレることだろう。自分でもキレる。
呆れ警戒し、コールは眉間に皺を寄せた。
「何の用事だ。その様子だと、随分良いことでもあったみたいだが」
「あんたにゃ関係ねぇよ。俺の用事はそっちの子」
ヒュッと、鎌がこちらを向く。切っ先こそ湾曲した刃のお陰でやや別を向いているが、危険である事に変わりはない。
「俺?」苛立ちと警戒を込めて、巴椰はその切っ先を見据えた。
「そ。お前、あのワンコロの重い腰上げさせたんだな。手懐けたにしても、あり得ないくらい早い」
「手名付けるって言い方が悪い。大体、ブレットを手懐けられた気はしないけど」
「いんや、充分だ。アレが興味を持つこと事態珍しい」
ぶんっと振った鎌が、一周してまた自分を向く。首筋に紅い線が走り、またあの時のような閃きを見せられるのかもしれない。
構えるとほぼ同時にコールが巴椰の前に立ちふさがり、冴に言った。
「お前があいつとそんな話をしていたとは驚きだな。私とこの子の平穏を壊す権利はないはずだ」
「うるせぇな。俺はただの口達役、あんたを連れて来いってよ」
にかっと愛想良く、自分にはもったいないくらいの笑顔が向けられる。それこそ、彼がどうしてこんなにも嬉しそうなのかが解らない。
困惑する巴椰に、冴の説明が続く。
「あの狼とバカネコがあんたを招待してる。何をさせたかは問わねぇがよ、さっさと行かねぇと不機嫌増すぜ?」
「は!?何だよそれ、約束守ったのか!?」
適当に言っていたアレに猫まで巻き込んで。そんなのどうしようもない。実現しない絵空事の口約束ではなかったか。
ばっと咄嗟にコールの腕を掴み、巴椰は潤み始めた瞳で彼を見上げた。
「コール、頼まれて!一緒に行こう?」
「ッ!?」こちらも別の意味でうろたえ、表情が悪い方へ向く。「私がか!?どうして私まで巻き込むんだ!」
「だって、あんたみたいな真人間がいないと俺死んじゃう!精神的にも!」
「そんな子鹿のような事を言う性格じゃなかったろうが!お前、何を言っているのか理解しろ!」
もとより約束はコールや冴達が居ることが条件だったはずだ。だからこれも間違っていない、自分は正しいことをしているはずなのだ。そもそも守らなかったあの狼が悪い。
二人して押しつけ合っていると、不意に冴がぽんと手を打った。
「たしか、カトレアも待ってんぜ。あんたが来るのを見越して」
「あの阿呆、また首を突っ込んでいるのか。ふざけるのも大概にしろ」
「それはあいつに言えよ。んじゃ、行くか」
ふっと冴の手から大鎌が消え、その表情に光が満ちた。
突然子猫よろしく体を担ぎ上げられ、不可抗力にも巴椰は冴の右肩から彼の背越しにコールと目があってしまった。
大変嫌悪感を撒き散らす、麗しの聖母様のタイガーアイと。
*
喚いて騒いで暴れても、冴はびくともせずにガシガシと歩き続けていた。驚いた後すぐに抵抗し始めてもう何分か、一向に力はゆるむ気配がなかった。
もう暴れる気力すら残っておらず、巴椰はぐったりとその肩に体を預けていた。
嫌々ながらも聖母様もその後を来てくれる。相当嫌らしく、唇はずっと堅く閉ざされていた。
不意と、冴は「着いたぞ」と歩くのを止めた。
ガチャリと、ドアノブを回す音がしてたようだった。そうして、真っ青な潮の香りが--
「やぁ、遅かったね。来ないんじゃないかと思ったよ、トモ君」
「ね、ネコ?何で?」
ドサッと下ろされたのはカーペットの敷かれた床ではなく、手をすり抜ける砂の上だった。
今し方、ドアを開けてたどり着いたのはコバルトブルーに染まる海だった。廊下に並ぶ同じようなドアを開けて、海に。
メルヘン、と一言呟き、巴椰は呆けて目の前の猫を見上げた。
「ブレットが面白いことするって言うから、俺の空間操作使って弄って楽しい感じにした。大丈夫、ちゃんとここの全ては本物だ」
「精巧な偽物でしょ。ここの海には生き物が居るだけ、呼吸も何にもしてないお飾りだ」
ひょっこりと、水着姿のカトレアが猫の肩越しに現れてそう言った。何とも楽しそうに爽やか詐欺をして。
厚手のコートを着たままのコールの腕をとり、カトレアは紳士めいて彼のコートを腕に掛けた。
「俺はコールと遊んでるから。用なんて無いでしょ?」
「勿論。あんまり酷いことしたら存在消すからね、ちゃあんと肝に銘じといて」
「解ってるよ」最高の詐欺がその場で弾ける。「俺、コールのこと大好きだから大丈夫!」
そう言うなり多少嫌悪の残るコールの腕を引いてカトレアは駆けていってしまった。
よたつきつつも立ち上がり、巴椰は同じく水着姿の猫の耳を黙ってむんずと掴んだ。
「阿呆、馬鹿。何だよ、存在消すとか何とか」
「いだだだ、何でもないってば。少なくとも君は消さないよ、まだ全然解ってないもん」
「はぁ?解ったら消すのかよド畜生」
未だに猫の言うことはよくわからない。解りたいとも思わない。それでも唯一解りあえた人にあんなことを言うのなら苛つくのも当然だ。
ぱっと巴椰から逃げ、猫はまた不機嫌そうな冴に向かった。
「悪いね、カトレアの言ったとおり未完成だ。俺の技量の問われるところだけど、冴なら多少マシな設計できると思うんだけど」
「てめぇが作るよかセンスはある。手伝えってかバカネコ」
「そ。トモ君は用事あるみたいだし、君くらいしかいない」
にゃォんと、卑怯めいた猫の笑み。子猫のように愛くるしく、化け猫のように狡猾な笑顔だった。
苛ついてがしゃがしゃと頭を掻き、冴は巴椰をちろりとだけ見やった。
「、また戻ってくるから。ここの狂いに飲み込まれんなよ?まぁ、されたとこで取り返すけどよ」
「ご心配どうも。そんなに柔じゃないから安心して」
「けど、あんまし驚いてないのがな。もっとあんたと話したいんだ、今消えたらまた退屈に逆戻りするんだよ」
つい先日自分に襲いかかってきた男の言うことだろうか。きっと頭は緩いのだろう、前々から解っていたが、これは重傷だ。
苦笑しつつ、巴椰は猫に向かった。
「で、肝心のブレットは?呼び出しといてとんずらか」
「んにゃぁ、向こうでまだ何かしてたみたい。君のため、ちゃぁんと水着も用意しといたよ」
猫特有の意地の悪い優勢の笑みに早変わり。これはまた、苛つく。
ビニールのスイミングバッグを猫の手から受け取り、巴椰は二人に軽く手を振って教えられた方へと駆け出した。
実は二回くらいデータ飛びました。遅れて申し訳ないですorz