ネコが笑うと
*
誘拐。はっきり言ってしまうとあの連中は誘拐犯な訳だ。それも質が悪い現実離れのメルヘン仕様。ギラつく刃物の数々に、変に面立ちの良い面々。これは当てつけとしか思いようがない。
殺されるほど追われたのにも関わらず、けろりとして洋風の客室が用意されていた。調度品は清潔で埃も見当たらない。個性のコの字もないシンプル感には安堵感さえあった。
--そうしてうやむやのまま一晩を過ごしてしまい、巴椰は後悔と不安の念にぼんやりと苛まれていた。
こっそり夜のうちに抜け出そうとだだっ広い廊下を探索するも、見つけた階段は上へ行こうと下へ行こうと同じ景色、どう足掻いても同じ階に戻ってきてしまっていた。まるで狐に騙されているかのように。
ベッドの縁に腰掛けて何をするでもなくぼんやりと部屋を眺め、巴椰はもしゃもしゃと面倒そうに髪を掻いた。
不意にドアがノックされたのは、何もかもをやり尽くした昼下がりだった。
「とーも君、遊びに来たよ」
返事を待たずにドアが開き、ほわりと柔らかく緑色の何かが部屋を転がった。
その奇妙さに我が目を疑い、巴椰は眉間に皺を寄せていた。
「まだ俺は名乗ってなかったよね。始めましては初めまして、杯のネコと申します」
「・・・・・・ネコ?」
昨日後ろから襟を掴んできたあの男の声だった。何故か礼服を纏い、くるくると笑っていたが確かに。
しかし、ただ頭が。そして腰が。メルヘン仕様だった。
髪は鮮やかなエメラルドグリーンで、その頭頂部、一対の猫耳がほわほわと揺れていた。腰から生えた猫の尾も同色、人の姿こそしているが、まるで奇妙な猫だった。
その姿を揺らし、ネコは巴椰の隣に腰掛けた。
「不思議そうだねぇ。あの狼はまだちゃんと見てないって顔してる」
「はァ?狼って・・・・・・あんた以外にもそんなふざけたコスプレの奴いるのかよ」
「ごめんね、このカラダは本物なんだ」目を細め、ネコは自身の耳をぴくぴくと動かして見せた。
「流石はメルヘンだな。あの冴とかコールとかと同じ、常識はずれ甚だしい」
「そう言わないでよ。君はまだまだ、この杯猫以外のイカれと会わなくちゃいけないんだから」
「ふざけんな」恐怖すら忘れ、巴椰は猫を睨んだ。
「ふざけてなんか」肩をすくめてわざとらしく、猫はくっくっと笑った。
手の届かない、高い位置の窓。射し込む光は部屋一杯に、笑う猫は幻想的だった。
「俺は、君を好いているよ。馬鹿らしくて人間的、目の前に迫った恐怖にも怯えてくれる」
「とんだチキン野郎だな。今なら怯えないぜ?」
「嘘だね。俺が羨む間は君は怯えるよ」
どこから沸いたのか解らない自信でそう言い放ち、ふと猫は巴椰の背後へとその身を屈めて隠れた。
その数瞬後、木製のドアをぶち壊して巨大な鎌がその切っ先を見せた。
凄まじい破壊音、木っ端微塵になっていくドア。デジャヴを感じるそれに、悪寒が走った。
「ごめんね?あの竜の子と追いかけっこしてたんだよ」
「ただの追いかけっこでドア壊す馬鹿がどこにいるんだよ」
最悪としか言いようのないこの疫病神。言葉もなく、木屑を払いながらそれはゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。
「よォ、バカネコ。さっきはよくもアソんでくれたな」
怒っているのは一目瞭然、冴は悪党面を引っ提げて巴椰の背後にいる猫に笑みかけた。
巴椰を盾に立ち上がり、猫はその肩越しに彼を嘲笑った。
「間抜けで鈍足な竜に付き合う暇はないんでね。もっとこの子と楽しいことしたかったのに」
「あァ?」チンピラのように笑い、冴は肩に掛けていた鎌をふっと構えた。
「--そんなふざけた口利けないように、その首刈ってやるよ」
「ルール違反じゃないけど、解ってる?この世界は俺の世界だよ」
「知るか。な、巴椰」今度は少し優しめに笑み、冴は猫に焦点を当てた。「じっとしてろよ。でないと、昨日より惨くなる」
「・・・・・・馬鹿ばっかりかよここの奴らは!」
元より言葉を失うレベルの子供じみた喧嘩だ。ただし血を伴いそうだが。
--合図もなく駆け出し、殺気を垂れ流して冴は猫へと襲いかかっていた。勿論巴椰も数ミリしか違わずにそこにいるのだが。
ぶぅんと風を切る鉄の塊が頭の上を過ぎ、とっさに身を伏せるも冷や汗が体を濡らしていた。
「っ、避けんなよアホネコ!そいつに当たったら責任とれんのか!」
「じゃあ襲わないでよ。友達に嫌われるよ?」
「お前らいい加減にしろよ、子供じゃないんだから・・・・・・ッ!」
叫ぼうが聞こえてはいないだろう。二発三発と刃が閃き、その度に部屋の花瓶やらクローゼットやらが問答無用でフルボッコにされているくらいなのだから。
巴椰から離れひらりひらりと冴を避け、猫はにまりと笑んだ。
ベッドの上に座ってそれを眺め、巴椰は現実味のない二人にすっかり呆けていた。
「メルヘンメルヘン。あぁもうすっげぇメルヒェンだわ」
「へぇ、これがメルヘンなんだね」
独り言のつもりだったが、不意に返事が聞こえた。それも、いつの間にか背後から。
しかし振り向くも誰もおらず、刹那、キィンッと甲高い音が足音を止めた。
「人間君、メルヘンなんだって。俺はそう思わないけど」
にっこりと愛想良く。金髪碧眼の王子様が、剣を交えてそこに立っていた。