始宴
吠える声に反応して戻り、ゲナは面倒そうに頭を掻いた。「用事でも?」と、返ってくる言葉が解っていても尋ねたくなる物だったらしい。
にまっと笑み、シェリーは巴椰の身体をその細腕で担ぎ上げた。
思わず慌て、巴椰は浮いた自分を信じられず口を開けたまま彼女の背を見つめていた。
「あ、の!?シェリーさん、ちょっと待って!女のヒトじゃないって!」
「五月蠅いわねぇ。あなたくらいなら全然大丈夫。八十キロまでは逆叉でも余裕だから」
つまり怪力集団なのか。いやまさかそんな、これは本当に夢だということを疑ってしまう。さらわれたよりもインパクトが強いのは何故だ。
カラフルなネイルで巴椰の鼻をぷにぷにと摘み、面白そうにゲナは巴椰と笑っていた。
「何遊んでるのよ、馬鹿じゃない。あなたも、今から相手をするのはこの人間の仲間だって認識しなさい」
「してるさの。逆叉と話しゅうち、面白ぇこと考えしょ」
すっと、逆叉もその隣につく。相変わらずの表情無し、きゅっと口元は真一文字に結ばれていた。
ふと鮮やかな蛍光カラーがすぐ目の前に迫り、ちゅっと柔らかな唇が巴椰の額に触れた。
「あの狼もニャオンも、shadowも何もかんも。ぶっ倒した暁にゃー、あん様をこっちにぁもらっちょろうしょってよ」
「そのために、倒す。渡さない」
「へぇ、この人間を。私は要らないから勝手にすればいいわ、骨抜きになってつまらないこと」
呆れと嫌悪を含んでそう言い、シェリーは浅いため息を吐いた。
当人の意志などお構いなしに子供のように何度も巴椰の額や頬にキスを繰り返し、ゲナは言った。
「あん様をよ、逆叉と俺で何とかしちゃろうやぁ思う。もっと話しゅう聞きとぉし、もっと笑うてほしいんしょ」
「……じゃあ、今のは信頼のキス?」
「勿論。下衆には渡さんよ」
その眼が、ほんの一瞬意味を持った。殺気の満ちた、真っ赤な意味を。
指を鳴らして目の前の扉に手をかざし、ゲナははっと嘲笑めいてワラった。
*
まるで硝子の匣の中に居たかのように--周囲の風景という風景全て、調度品も含めて、全てにヒビが入り破裂音をたてて眼前で脆く崩れ去った。
広がる先刻までのホール、シャンデリアには灯が灯り、真っ赤な天鵞絨の上に三人は立っていた。
「無粋な転移だこと」主人は呆れ、周囲をさっと一瞥した。
「今宵契りを交わせば、もう二度と離れない。私の傍からあのヒトは消えない。誰の手にも--ネコにだって奪う権限など!」
「あぁ、解っとるよ。この子のためにもあん様のためにも、全力で撃退しゅらんね」
いつの間にか一歩前に出た逆叉はその手に長い日本刀の抜き身を構えていた。その体に似合わず、きりりと表情を称えて。
扉の向こう、それはもうすぐ傍まで--
「ッ……興、悦ッ……!」
軋んだ音を引きずってゆっくりと重く開いていく扉。その姿に見る影にゾクゾクと身を震わせ、シェリーは何とも悦に入って笑んだ。
--開く扉に逆光を従え、銀青の狼がそこにいた。眼光鋭く、その胸中に感情を含ませ持って。
蒼く燃える眼で射抜き、ブレット=ベリオロープは堂々と凱旋するかのようにシェリーへと向かっていた。
「……やっと呼んだかと思えば、人質を取らねばならんほど苦しんでいたとはな。軽蔑に値する卑怯ぶりだな」
「うふふ、そう?ぜぇんぶ、あなたの為に用意した宴なのに」
恍惚の表情で彼を見つめ、シェリーはそのまま踵を返した。
「来なさい、ブレット=ベリオロープ。この子、助けたいんでしょう?」
「……行ってきなよ。後は任せてくれてもいいから」
ステッキで床を突き、猫は歩んでいくブレットにそう笑った。普段のそれとは違い、ただシルクハットの陰の元で笑って。
ゲナが手をかざすと、シェリーとブレットは瞬く刹那のうちにその場から消え失せた。巴椰もろとも、幻のように。
刀を構え直し、逆叉はネコを見据えた。
「あとは、あなた一人。敵でも味方でも、今更わっちらに乞わないで」
「乞うなんてとんでもない」また前の調子に戻り、猫は奇妙なまでに落ち着いていた。「君らが強いことは重々承知してる。シェリーを慕う者が多いのも知っている。だからこその隠し玉という奴が必要なのさ」
企みめいた言葉を吐いて、猫はもう一度ステッキの先で床を突いた。
カンッと乾いた音が鳴り、その床の部分が数メートルほど真一文字に裂け、人の腕がそこから這い出した。
「--ったくよぉ、人使い荒ぇんだよお前らは。待ってろだの来いだの、ふざけんな」
「んっふっふー。主役は後から登場するもんだぜ、諸君!」
面倒そうに頭を掻きながら冴が這い出、猫はいつも通りににまにまと笑んでいた。解っていたのも当然、嬉しいのか何なのか楽しげに。
続けざまにレインがその姿を現し、はぁとわざとらしくため息を吐いた。
「主役と言いますが、私はそんなものに興味は。猫は敵かどうか、こちらでも判断が付かない」
「判断なんてする事もないさ。それに君らは、メリットがあるからここに来た。あのトカゲ様は影がべったりだから来る必要もないし」
「うるせぇな、ゴチャゴチャ言ってんなら引っ込んでろ雑魚ども」
大鎌を構え、冴はゲナへとそれを向けた。ひどく苛つき、睨んで。
驚くことすらなく面白そうにくるくると笑み、ゲナは丸腰のまま人差し指と親指で輪を作った。
「花に竜なんし、片付けらるんしょ。影は居ないようじゃに、それんは簡単」
「そう思われるのは心外ですね。私は目的を遂行できればそれで構わなかったんですが、恩返しといきましょうか」
そう言うなりその手にサーベルを喚び、やれやれとでも言うかのようにレインは逆叉へとその切っ先を向けた。
しんと静まり返る一瞬に輪は弾け、パチンと指が鳴らされた。
開戦の火蓋が切って落とされた刹那、両者の調度中間の壁がめきりと軋んだ。
「--ォォォォォォオアァァァアァァァ!!!」
轟音、唸る声。予期せぬケモノのそれに何度も壁は震え、軋み、遂にはただ一撃の下に破壊された。
飛び散るコンクリートの奥、多少なりとも驚いた両者ともが見つめる中からそれは姿を現した。
眼を細めてそれを悟り、猫のみが可笑しそうに笑みを浮かべた。
「……なぁるへそ。これはまた、面倒な刺客を用意してくれちゃって」
塵を被ってふらふらと立っている、黒髪の青年。ボロ切れのような服に肌も煤け、その頭頂部には一対の獣耳が長く伸びて生えていた。まるでそれは、『兎』のように。
それを取り押さえるためか突如として大勢の警備員がなだれ込み、その隙に逆叉が一瞬早く動き出した。
大乱闘さながら、声が混ざり合いあらゆる所で武器がかち合い、怒号が一つまた上がった。




