ブルネットの女人狼
着飾ったご令嬢にマントを翻す紳士。誰一人として狼と猫の奇妙さには目もくれず、ただ談笑して会場へと群をなして入っていった。
招待状に添付された地図を頼りに会場まで二人を引っ張って歩き、巴椰は少し辺りの人々を見回しては場違いな自分に頭を抱えていた。
流れにあらがうことなく進んでいくと、一層目映くシャンデリアの光が開け放たれた扉から垂れ流しになっていた。会場だというのは、その力の入れ具合からしても明白だった。
その気もないのに眼を細め、猫が笑む。
「さて、もう居るかね。ブレットのことを殺したくってたまらないって顔して待ってるさ」
「は?何それヤンデレとか聞いてないぞ。ブレットがなんかしたの?」
にゃおんとおどけて猫は誤魔化し気味に笑った。「それは見てのお楽しみ」
他の客に混じって入った会場に、丁度最後だったらしくその扉は静かに閉じた。
広々とした空間に赤いビロゥドの絨毯、白光のシャンデリア。中央の長方形の巨大テーブルには料理が並び、まず巴椰の心を躍らせていた。
「な、食べよう。今すぐ食べようすぐ食べよう。二人とも腹減ってるよな」
「食い意地の張った客は嫌われの対象だぞ」そう言いつつ自分もビュッフェへと向かい、ブレットは取り分け用に大皿を抱えた。
まだほとんど手はつけられていなかったそれらを適当に盛り、当初の目的通り巴椰はもしやもしゃと物珍しいそれらを咀嚼しては猫にもやっていた。目的の外れた一行だろうと、誰も咎めることはなかった。
と、不意に部屋の照明が落ち、前方のステージに灯りが点った。
「--おや、お出ましみたいだね。まだ食べ切れてないのに」
閉じられたカーテンが開き、観客の注目する中ステージの端から中央へと一人の女性がヒールを鳴らして進み出てきた。
遠くからでも解ったその姿に、巴椰は驚愕し食べる手を止めた。
真紅のマーメイドドレスを引きずり、薔薇を頭に飾り付け、そのブロンドの髪は写真と同じくウェーブがかかって長く、少し釣った目もそのままだった。しかし、それに写らなかったものが巴椰の眼を釘付けにしていたのだ。
彼女の頭頂部に、見覚えのある大きめの獣耳--そして、腰からは同色のふさふさの尾。隣に立っている獣と、まごう事なく同じ形をしていた。
美しき獣であるその彼女が、静かに客席へと微笑みかけた。
「……折角ここまで来たのに、相変わらず笑わないのね。つまらない男だこと」
スピーカーを通して放たれた言葉は、ただ一人の獣に向けて。周囲の客人はおかしな程にそれへの反応がなかった。
ステージを表情なく見つめ、ブレットはわざとらしく巴椰の口元へと料理を刺したフォークを持って行った。
「さぁ、食べるといい。あっちのワイン漬けは格別だった」
「、いや、ブレット。あの美人さんこっち見てるけど、お前の知り合いとしか思えないんだけど」フォークを突き返し、しどろもどろに巴椰は彼とステージを交互に見やった。
もふもふと毛並みよく、ブルネットの女人狼はその様を黙って眺めていた。遠く表情まではしっかりしないものの、良い機嫌ではなかった。
「ブレット=ベリオロープ」冷たい声が彼を呼ぶ。「そんな幼気な子に手を出して、恥を知れ。猫ちゃんも手助けして、頭の悪い連中ね」
「……振られた女が、随分未練がましいな」
ようやっと彼女へと反応を示したかと思えば、ブレットは何ともくだらなさそうにそう吐いた。これだけ嫌悪感を表すのも少々珍しいものであった。
傲慢に笑み、女人狼は自身の右手をすっと前に伸ばした。
「今宵は私の華燭の典。呼んでも来ないと思ったのに来たと言うことは、今までの精算と受け取るわよ。お前の所為で私は思う存分楽しめない」
苛ついた声に、観客がその動きを止めた。
張りつめる空気に、音楽も声も消えていた。それどころか身動き一つなく、まるで糸の切れた人形のように硬直していたのだ。
不気味なまでに静寂しきった世界に、コツリとヒールの音が鳴る。
「、ブレットお前あの人に何したんだよ。今すぐ納得がいくように言え」
「そんなに気になるか。可愛いお前がそんなに懇願するのなら教えてやっても良いが--」
臆することなく、ブレットは余裕を持って彼女を見上げた。唇は弧を描き、意地の悪いあの笑みだった。
刹那彼女の眉間に皺が寄り、伸ばされた手は大きく後ろへと引かれた。
目前の客人たちはまるで最初から存在しなかったかのように--引かれた手の内に、影も残さず消え失せた。
「これであなたがよく見える。ねぇ猫ちゃん、裏切り者にも粛正を与えないと気が済まないわ」
「……お前ら、早く説明しろ」自分だけが何も知らず、しかし危険が迫っているのは明白だった。「あの人は何であんなに怒ってるんだ」
「教えて上げるわよ、チンケな人間の坊」
はッと嘲笑い、彼女は巴椰を見据えた。
「シェリー=ノルタシオ。招待状を送ったのは私。解るわよね?あなたはちゃぁんと私を見ていたんだもの。でも獣までは写らないから解らなかった」
「そう、だけど……シェリーさん、は……」思わず身がすくみ、言葉が上手く出なかった。
「ははっ、つまらない子!教えて上げる、あなたが知りたいこと」
笑い声が反響し、シェリーはブレットを指さしてまた嘲笑った。ふんと、馬鹿にするかのようにくだらなさそうに。
「ブレット=ベリオロープの生前の妻。この私が、『ルーガルー』シェリー=ノルタシオ」
その美しい嘲笑が、弾丸のように自分の脳天を刺し貫いた。
呆然とその場に立ち尽くしたままでいる巴椰の肩を抱き、ブレットはおもむろに銃を引き抜いた。
「さっさと片付けて帰らせてもらう。悪いが、強制でないならお前に会いに来る義理もない」
「冷たいのね、そこは変わってない。まだ弟さんとは疎遠なんでしょう?そうそう、あの時殺したネズミの残党がこの間私の所へ来たのよ。ふふっ、懐かしい」
「語ってろ」照準を合わせ、ブレットは続けた。「欠片も記憶にない」
「嘘。私のことをあんなに激しく抱いた日々のことをお前は忘れない。何てったってあなた、私には優しいものね。どれだけ他の女が言い寄ってきても振り払って私を愛撫してくれたものね!」
壊れたように語り狂い、シェリーは「あぁぁぁああぁぁあ!!」とその場で高く狼のコエを響かせた。遠くまで届く、ケモノのコエを。
照明の落ちた空間を反響し、素早く何かの影が目の前を飛び交った。それは背後、天井、床--目にも留まらぬ異様な速さで、駆け巡っていた。
はっと、巴椰がそれに手首を掴まれて引きずられたのは一瞬のことだった。
「ご苦労、逆叉」シェリーが、愉悦の微笑を浮かべて自分の元へと来たフードの塊を褒めた。
「この子は貰うわよ。私はもう一人じゃない、お前から大切なものを奪って、壊してやるから」
「……お前ごときにその子が壊せるものか」
慌てることすらなく、変わらずに表情のないままブレットは巴椰に目をやった。
シェリーの足元でフードの塊に押さえつけられ、巴椰は絞まる手首に苦しそうに声を漏らした。
「巴椰。きっと、救ってやる」
「ッ……当たり前だろ、このアレキシシミア」
精一杯罵って虚勢を張った笑みを浮かべると、刹那赤いヒールが巴椰の側頭部を黙ったまま冷たく蹴り飛ばした。
世界が一瞬のうちに揺らぎ、それこそ螺旋の切れた人形のように巴椰はぐらりとその場へ倒れ伏した。
あとはただ、発砲音が最後に一度、閉じた眼の上空で打ち鳴る音しか聞こえなかった。