箱詰め無愛想
「猫、ブレット連れてきたよ」
植物園の扉を叩くと緑色のネコがそこで二人を待っていた。シルクハットにステッキと、奇術師のような姿で。
プレーンな燕尾服を纏い、猫は立ち上がってうぅんと伸びをした。
「うちの妹、花が好きでさ。桜が凄く好きで、でもここには植えられてないんだ。トモ君は髪まで整えちゃって……花みたいだ」
「あー、いいって言ったんだけどブレットに怒られてさ。ちゃんとして行けって、自分は風呂入ったくらいしかしてないくせに」
ふよんふよんと尾が揺れる。ご機嫌なのだろう、耳も嬉しそうにぴこぴこと動き、ごろにゃーんと喉も鳴っていた。
後ろから巴椰の頭を鷲掴みにし、ブレットはきゅっと猫を睨んだ。
「人を呼んだくせにまだ来てないのか。カトレアはどこだ」
「用事があるから先に行ってろってさ」蔑みのネコの目で嘲笑い、猫は巴椰の手を取った。「参ろうか。向こうの人も待ってくれてる」
そう言うなり杖の先で地面を突き、猫はあの林檎の木に目をやった。
その上に立ちこちらを見つめる少女--授受は、「おにーさん!」と巴椰を呼んだ。
返事をするよりも早く、彼女の手から紅い果実が巴椰へと投げられその手の中に収まった。
「あげるー!行ってらっしゃぁぁぁぁい」
ぶんぶんと千切れんばかりに腕を振り、授受は満面の笑みで細い枝の上で跳ねていた。口の周りにまた赤い液体が付いていたがそれは気にするとキリがない。
艶々と人工灯の元で煌めくその禁断の果実をとりあえずポケットにしまい、巴椰は猫の側に寄った。
「それでは」もう一度地面を突き、猫が声高に芝居めいて説く。
「夕刻の城にあさき、手を差し伸べる回帰に!」
*
言うなれば落とし穴、言うなればジェットコースター。あの固い地面が足元のみ開いて、自分は真っ逆様。あろうことか地上にいながら落下。何のこっちゃ自分が一番解らず、悲鳴すら喉の奥で詰まった。
ドスンという音とともに身体は風を切るのをやめ、しかし落ち着いた身体には酷い衝撃が走り、巴椰はどこか狭い箱の中へとその身を落とされていた。
「っだぁぁ……猫お前何すんだよ……!」
体の落下は止まったものの、未だ暗いその箱はガタゴトと動いているようだった。舌を噛みきらなかったのを奇跡だと思いたい。
手前の椅子らしきものに腰掛けて服装の乱れを直している巴椰の前で、ごく自然な風に猫はにやにやと笑っていた。服は一つも乱れてはいなかった。
「あぁ、トモ君がここへ来たときは眠ってたね。転送は二回目って思ってたから注意するの忘れてたよ」
「てめぇ……わざとやっただろ。お前は俺が痛がってるのを楽しんでる」
んふふと猫は端から見て苛立つ風に笑む。痛くないでしょ?とでも言いたげに。
体の節々の痛みも引いてきて、巴椰はふと自分の左側を見やった。
これまた飄々と--こちらを見ることすらせず、白狼は仏頂面でそこに座っていた。こちらも乱れず、綺麗なまま。
「……説明しろよ。今お前ら何したんだよ」
「めぇるひぇんに、テレポートだよ。原理は海を造ったのと同じ、うまく着地できるかどうかは人による。けど、海に続くくらいの距離のを造ると時間がかかりすぎるから、多少危険でも早い方を使ったってわけ」
「よし解った、さっぱり解らん」
解るわけがなかったのになぜ聞いた。しかし聞かざるを得なかった、それがヒトの性だ。
諦めかけの巴椰に猫が続ける。
「これは君は乗ったことないかな。馬車を借りてきてね、今はそれが移動中」
「馬車?」面食らい、わざわざ聞き返す。「メルヘンにも程があるな。もう諦めてるけどさ」
「君が理解力のある子で良かった。他に聞きたいことはあるかい?」
向かいに座ったこの猫、何ともムカつく。聞きたいことというよりかはきちんと意味の通る説明をしてくれることを望みたいのだが。
揺れる籠と蹄と嘶き、手元には招待状。一つの名前が頭に浮かんだ。
「お姫様とか美味しい料理だとか何とか言ってたけどさ、これに書いてあったシェリー=ノルタシオって人結局どういったヒトなんだよ」
「友人みたいなもんだってば」そんなことかと猫は背もたれに深く腰掛ける。「彼女は気高く麗しく、ただひたすらに孤高で嫉妬深いまでに愛情を持っている。その美麗な風は誰も彼も虜とする--と、思ってなさい」
「何だよそれ。綺麗なヒトってことなのか?」
「悪く言えば美しいが故に気が強い。俺は嫌われてるしどうしようもないけど、そこの狼なら」
ちらりと猫が笑みを向けるも、やはりぶすっとしたままブレットは窓の外を眺めていた。話に混ざりたくないらしい。
面倒ながら、巴椰は多少意地悪く彼を呼んだ。
「もしかしてあんたに惚れてたりして。顔だけは良いもんな、照れてんの?」
「まさか」こちらは向かないがそのままの声で返事は返ってきた。「惚れられても困る。俺が情を注ぐのはただ一人に決めてある」
「あぁそうかい」つまらないと、こちらも同じ声で返す。「その相手が今から会う人じゃないからってその不機嫌やめろ。さっきまで機嫌良かったくせに」
乙女心は移ろいやすいと言うが狼の心もそうなのだろうか。自分は狼でないので一生解りもしないだろうが。
結局ジャケットは持ってこられずいつものファー付きコートが主に着慣れられ佇むばかり。古式豊かな馬車の中、流れていく地面の唸りに何度もそれは主を護っているようだった。
窓を開けて風圧で乱れる髪を押さえ、猫は不意に嬉々として遠くを指した。
微かに、ぼけた灯りが遠く蜃気楼か幻灯のように待ちかまえているかのようにその目に映っていた。
近いのに間は開き、互いに面倒がったままそれ以上言葉は出なかった。
*
正しく夏の終わりの気温、むしろ涼しげな秋のはじめの気温だった。ゆっくりとスピードを落としていくと、その風も心地よいものになっていた。
集う同じような匣の群。灯りは強まり、客人は幻のようにふわりふわりとその方向へと歩いていた。
『城』と形容するに相応しいお伽噺の中から飛び出したその建物に思わず見とれていると、馬車はいつの間にか停車していた。
先に降り、ブレットは巴椰に手を差し伸べた。
「お手をどうぞ。段差がある」
「何してんの早く行ってよトモ君」
ムードも何もなく、返事をする前に猫が今まさに降りようとしていた巴椰を強く押した。
今し方注意された段差を越え、巴椰の身体は狼のその胸中に頭を打った。
「何すんだよバカネコ……ッ。ブレットも、離して」
「他にまず言うことがあるだろう。礼くらい言えないのか」
「、ごめん。ありがとう」
たまに突きつけられる正論がまた痛い。機嫌は相変わらず結構悪いが。
「なぁに公衆の面前で男同士でイチャついてんのさ。これだから節操のない獣は」
「悪いな、獣の性分は変えられない。それともお前、こいつのことを特別に好いたのか?」
「友人の貞操を守ってあげるのも友人の努めさね」これこそ公衆の面前で潜めもせず言う。「狼にロストバージンさせられたらたまんないもんねぇ。強行されたら可哀想で」
青い眼が苛つきにひそみ、猫の嘲笑がブレットの機嫌を逆撫でする。他人の幸せを祝う席にこの態度は何なんだ。
尾を一振りし、猫はその形を変えることもなくステッキを振り回しながら一人で先に行ってしまった。遅れ、二人も反対の気持ちで歩き始めた。