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心理学の端っこ

 良い人がもちろん居て頭の悪いのも居て、心底悪いというのは会話のデッドボールで双方ダメージを受けることだろうか。今のところそれに該当するのは三名、いや四名だろうか。例え偽善であろうがそちらの方がまだありがたいと感じるほどに面倒でたまらない。

 若干憂鬱になった足を重く引きずり、巴椰は教えられたとおりの道をぼんやりと歩いていた。実際廊下は景色が変わらないので目印も何もどうしようもできないのだが。

 初めて部屋に行くときは何か手みやげを持って行くものなのだろうか。いやしかしあいつも何も持ってこなかったのではなかったか。それどころか迷惑ごとを増やしてくれたじゃないか、手ぶらもお相子だと思う。

 教えられた通りを歩いて、巴椰はそのドアの前でうぅんと小さくうなった。

 --何度かノックをしても返事はなし。仕方無く、巴椰は恐る恐るノブを回した。


          *


 しんと静まり返るモノクロな調の室内。カーテンが引かれていて採光こそされているものの、調度品や絨毯に至るまでが黒に統一されていた。入ってはいけない領域かと、思わず後ずさるほどだった。

 カラーこそ統一されているもののそれといっておぞましいものや危険なものがあるわけでなく、多少拍子抜けして巴椰は辺りを見回した。

「ブレット--?」

 飽和せず柔らかな絨毯に吸い込まれ、声はか細く掻き消えた。まだ彷徨っているのか、その姿はどこにもなかった。

 帰ってしまおうかと考えた刹那、背後から驚いたように彼の名が呼ばれた。

「巴椰?」何とも不思議さを禁じ得ない調子で、彼は言う。「何故ここにいるんだ。今更、どうして」

 あまりにも、奇妙なくらいに嬉しそうだった。主人を迎える犬でもこんなに奇妙な極端な喜び方はしないだろう。

 振り返って言葉を返そうとするも、巴椰の喉からはヒキガエルのようなぐぇっという声が漏れた。

 喜んで振り返った巴椰に飛び付き、白銀の狼殿は柔らかな毛並みの中に二人そろって倒れ込んだ。

 音はすべて絨毯に吸収され、痛みすらなかった。

「ッ、ブレットてめェ……!阿保が、どけ!」

「興醒めさせられたんだ、会いに来るのを待っていたぞ可愛い子」デッドボール一発目、大変痛い。「さぁ、遊ぼうか?」

「だからまずはどけって阿呆犬。殴るぞ」

 腹部の上に乗しかかられたまま、優位に立ってブレットはご満悦だった。下敷きにされている方の身としては、今にも胃から何かが逆流しそうになっていたのだが。

 床を叩くも音はせず、押し倒され乗られたまま巴椰は持参した本を一旦離して彼のコートに掴みかかった。

「いっ、たぁ……下が絨毯じゃなかったんならぶっ飛ばしてた」

「ここなら大丈夫、痛い箇所は舐めて治してやる。また邪魔が入らないことを願って」

「何でそんなに固執するかな。俺はあんたのこと嫌いだってずっといってたろうが。いい加減受け止めろ」

「それでもこうして会いに来たということは、俺との時間もまんざら悪くないんだろう?」

 あぁ、この感じだ。この言えば揚げ足を取って返してくる、悪びれもしないこの男。これが楽しいのだとしたら自分も相当参っているだろう。

 巴椰の隣にぺたんと倒れ込み、ブレットはからからと声を上げて笑った。あまりにもらしくなく、不気味にすら映った。

「あぁあぁ、呆けてくれるな。あまりにも可愛らしいじゃないか」

「お前病気だろ。そんなに面白いこともないのに馬鹿みたいに笑って……いい加減にしろよ」

 それで謝るような謙虚な奴でないことは百も承知だ。あれだけ絡まれるとさすがに対策も頭に浮かぶ。

 体ごと横を向き、巴椰は彼の柔らかなケモノ耳をぐにぐにと掴み揉んだ。

「あんた趣味悪いな。俺なんかと友達になって」

「お前こそネガティブだな。何がそう気に食わないんだ」

「気に食わないっていうか」力が入らず、耳から手が離れ絨毯に落ちた。「あんた顔はいいのに性格は最悪。会話も出来ないし我が侭だし、うざいし死ねばいいって思ったこともあるし、大体人を殺しに追っかけてきたのもまだ根に持ってるし」

「おや、嫌われているな。それでまだ何か?」

 まだまだ余裕そうなその表情。崩すにはまだ少し足りない。思いつく限りの分では予想もついたか。

 どうダメージにしてやろうかと考えつつ、巴椰は自分をみて笑うその蒼い眼をふと見返した。

「--そんな最悪なのにそう喜ばれると、気分が悪くってたまんねぇ」

「今は楽しそうに見えるがな。少なくとも俺はお前が怯えているのを見たことはないし、本当に殺したいほどの嫌悪感を醸し出しているのも知らない。勿論今もだが」

「あぁそう、そう見えんのならやっぱりあんたの眼は節穴だね」

 思わず言った自分に吹き出し、嫌みを含めて笑う声が漏れた。

 何ともなくただ気味悪く、違った意味で二人して子供のようにくすくすと笑いあう。悪戯をした後の子供か、それとも秘密基地に隠れている兄弟か。秘密を共有しているような、そんな含んだ笑みだった。

 幼く見えるような笑い方もまた珍しく、ブレットは寝ころんだまま巴椰の持ってきた本の一冊に手を伸ばした。

「読書をしに来てくれたのか。これを選ぶあたり、手当たり次第に持ってきたという感じか」

「、よく解ったな」思わず白状してしまい、巴椰も天井を背景に一冊をバラバラとめくった。「コールの机上に乗ってたのを拝借してきたんだけど、読めないんだよなぁ。どこの言葉か解らんし」

「調度俺もお前と読書でもしたいと思っていたんだ、それはよかった。ただ、本くらい選ぶ時間は待つぞ」

 並ぶ文字列、きちんと選べばよかったと後悔するのはもう遅い。頭の良いであろうコールの手元にあるような本だ、そんなものを持ってくるなんて。

 読めているらしくくつくつと笑い、ブレットはまた巴椰の方を向いた。

「お前は読めなくて良いさ。しかしあの堅物が異国のこんなものを研究ねぇ……あとで適当なことを言ってからかってやるといいぞ」

「は?読めないのにからかうって何言って……」

「あいつが読みそうにもない本だ。そうだな、特に面白いと言ったことはないが、あいつは読んだ方がいいのかもしれん。お前はきっと俺にも読めと言うだろうな」

 何を言っているのだろう。挿し絵も入っておらずブレットがどこをどう読んでいるのかも解らない。

「慕う相手の心を掴む為の心理学をかじったような書--とでも言っておくかな。陳腐な話だ、お堅いあいつには似合わない」

 嘲笑に似た笑いで、くだらないとでも言いたげに声を上げる。失礼なことこの上なく、またそれを隠そうともしなかった。

 はぁと気の抜けた返事をし、巴椰はまたはらはらとめくった。

「……別に、あんたに読めなんて言わないけどさ、そんなの」

「おや、そうかい。てっきり言われるものと覚悟したのに」

「何でさ。あんたが好きな奴のことを知りたいんなら読めばいいんじゃないかとは思うけどさ」

 自分のとやかく言うような話ではない気がする。ここにいる女性というと今のところあの鳩の子だけなのだが、まさかこいつまでロリータコンプレックスということはあるまい。じゃあ、誰だという話だ。

 ぽかんとしてブレットを見ていると、彼は何かほんの少し嬉しそうに微笑んでみせただけで隠すそれを言ってくれる風にはなかった。

「つくづくまぁ、鈍い子。友人だろう、友人なら仕方ない。友人なら、お遊びでも問題はないわけだ」

「またイカレてんの?何言ってんだかさっぱり解んね、友達じゃ嫌なのかよ」

「別にそうとは言ってないさ。ただ、ここまで言わせておいて素面を決め込むお前はどうかと思うがな」

 本を置き、ブレットはゆっくりと半身を起こして巴椰の頭を撫でた。気に入っているらしく、何度も何度も。

 気怠い午後の夢現を友人とまた気怠く。惚気話に火がつくことはなく、じりじりとくすぶり、青い炎が火の粉を撒いて飛散していた。

「可愛い子」そんな気もないのに、狼はワラった。

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