興醒めの寄る辺
白い波の寄せる、白い砂浜。光を失った星屑の集うそれの中、青年が一人異様に不機嫌に立っていた。
くっと巴椰の耳に口を寄せ、ブレットはさも面白げに言った。
「あの竜、随分と不機嫌のようだ。相手をしてやろうか?」
「一緒に遊べばいいだろ。相手って……」
「お優しいことだな。あいつはそんなこと望んじゃいないさ」
彼から距離をとって砂浜に上がり、ブレットは巴椰をその上におろした。
不機嫌で周囲の空気までもが歪んで見える竜の子。彼はただ何も言わず、二人を見つめていた。
ブレットから離れて彼の元へと駆けて行き、巴椰ははしとその腕を掴んだ。
「冴?なぁ冴、どうかした?具合でも悪いのか?」
「--なぁ、巴椰。悪いけどちょっと待っててくれるか」
こちらからの質問には一切答えず、冴は冷たい表情を称えたままブレットの元へと静かに歩み寄った。
つまらなさそうにそれを眺めるも、ブレットは彼の感情をしかと捉えているようだった。その風に根性悪く口端が歪んでいた。
巴椰が呼び止めようとしたその刹那、冴は突然体勢低く駆け出した。
「ッ、はァッ!」
右手を大きく広げた瞬間あの大鎌が手品のようにその中に出現した。物騒極まりなく、彼はそれを手加減なしでブレットに振り上げたのだ。
同じく手品のように大型のライフルを出現させ、その身で彼は斬撃を防いだ。
ギィンッと、鈍い鋼の打ち鳴る音が響く。
「ははッ、その程度か。珍しく苛ついているが、何かあったか?」
「別に。ただ、あんたに苛ついて仕方ない。どうにかしてくれよ、なぁブレットォォォォォ!」
猫が相手でも狼が相手でも変わらず苛々と。一体何が彼をここまで苛つかせているのか、把握のしようがなかった。
繰り返し襲ってくる刃を上手く防いでは弾き、ブレットは余裕綽々とでも言いたげに嘲笑めいて笑んでいた。
「俺はお前が嫌いなんだがな。話し相手はそこそこの知能がないとつまらない」
「こっちこそてめぇなんか願い下げだ。こうして斬らせてくれんの以外はな!」
「斬らせる物か。俺の体は一つ、魂も一つ。そう易々と好意を抱かない者に渡せるか」
決して反撃に撃たず、ブレットは弾くばかりだった。それでも優勢、頭に血が上っている冴は明らかに不利だった。
腕を大きく振るって斬撃を繰り返し、冴は獣のごとくギッと牙をむいた。
「俺にはその怒りの理由が解らんが、また例の『発作』なんだろうな。あの子にそれを訴え投げつけるのはお門違いじゃないか?」
「あの子なんて呼び方するな、クソが!」また、キンッと刃が弾かれる。
狂っている。助け船は見回してみても見えず、どこにもその存在はなかった。誰も助けてはくれないまま、目の前の青年の命が削れる音が響く。
はっと嘲笑し、ブレットは冴の刃を突然思い切り弾いた。
「『あの子』は俺の友人だ。誰かに傷つけられるのを見るのも、嫌がらせされているのを見るのも趣味にない。特にお前のような低脳だと、可哀想で憐憫も堪えん」
「誰が煽れっつったよ馬鹿狼!」
あいつはこの状況を楽しんでいる、ある意味一番の狂い野郎だろう。止める気もなければ嘲笑を撤回する気もない。最悪としか言いようがない。
笑ったまま、ブレットは試すかのように銃口を冴へと向けた。
安全装置が外されてから発砲まで数秒かからなかった--それよりコンマいくらか早く、四肢が反応を示していた。
砂の地を蹴って高く跳ね、冴は両手を使って大鎌を振り上げた。
「--心外だな。お前に笑われるとは」
背後に陽を従えたその瞬間、ブレットは非情で残酷な表情を浮かべていた。
殺気こそ薄れていたものの、冴の斬撃が届くよりも早く凶弾がその肩を掠めた。
避けられない恐怖の色、三発目がその胸部を捉えた。
「冴、避けろ!」
叫んだのは、届いただろうか。引き金を引くのよりも早く、声は届くものなのだろうか。
その悲鳴に似た声すらも悦び、ブレットは確信的に見開いた狂気の笑みを浮かべた。
*
遠浅の空から、夕日に照らされて水面は一面朱に染まっていた。ただ美しい夕方の暮色の色、誰も彼もがその浪漫に酔いしれる時間だった。
募らせた苛々を波打ち際にため息として吐き出し、巴椰は隣に佇む竜の子のわき腹をこづいた。
「お前なぁ。いい加減馬鹿じゃないのか、ひっ叩くぞ」
「悪かったって。その、目ぇ醒めた」
ばつが悪そうに額を掻き、冴は足下の砂を足の指先で弄った。
不意に、シュル、と巴椰の腰に緩く腕が回る。
「ね、俺のお陰でしょ?お礼してよ、トモ君」
「ふざけんなニャンコ」ぐりぐりと押し返し、巴椰はまたため息を吐いた。「感謝してるけど、ブレット物凄い不機嫌なんだぞ」
冴に銃弾が当たる寸前、それは手品のように虚空に消えてしまった。そんな馬鹿な芸当ができるのはこの猫をおいて他にはなかった。冴の助かるその代わりに、あの狼の機嫌は真っ逆様に落ちてしまったが。
とうに興醒めして帰ってしまったと嘆き、巴椰は猫の拘束を解いて飛沫に足を浸けた。
「……もっと話したかったなぁ。ブレットってさ、あぁ見えて賢そう」
「そりゃ賢いよ。無知は恥って思うタイプで冴の敵」
「敵とか言うな。いがみ合ってくっだらねぇ」
仲良くしていれば良いヒト達だと思う。仲良くしていないのでどうしようもない。
ジャブジャブと膝まで浸かってしまい、巴椰は夕日をその目に映した。
「猫、どうも。冴も喧嘩さえしなかったらいつだって遊ぶ。だから発砲しない・喧嘩しない」
「けどよ、巴椰。あいつはお前の思ってるような殊勝で該博な奴じゃない」
「殊勝でないのは解ってんよ。嫌いだけど、話してて苛つくけど、なんか--」
なんと説明していいのかは解らない。したところで理解されるとも思えない上、自分でも上手くは言えないだろう。頭のいいのと話している楽しさは本当ヒトによる。理解できないのは仕方ないことで、自分も理解できるほど説明できるとは思えない。
夕陽を背後に従え、巴椰は帰ろうかと夕日を欺くかのように明るく笑みを浮かべた。不満や文句など言えないほどに、ただその笑顔は眩しい物だった。