大鎌男、不機嫌男
気色が悪いほどその夏は暑かった。うだって汗はほたほた流れ、喉は渇ききってかさついていた。
夏休み恒例の広場でのラジオ体操もつい先刻終わってしまい、高校生活最後の日は呆気なく終わろうとしていた。
青年、楼城巴椰は、公園の隅の水飲み場で喉の渇きをしばらく潤していた。昔からずっとここで、毎夏夕方までよく遊んでいた。
滴り落ちるしずくに満足して体を起こし、彼は夕闇迫る朱紅の広場をじっと眺めていた。
秋の気配は早く、目の前を落ち葉がひゅらんと流れた。
「もう紅葉してんのかー、早いな」
うっすらと肌寒くすらあった。公園のすぐ前の短い踏切が、カンカンと赤く警告する。電車の音は微塵もしない、昔から壊れた踏切だったのだ。
アイスの棒をくわえて巴椰は、狂ったように叫ぶ警報機を無視して鉄骨を渡った。
夕闇は随分と速く--町を侵食していた。誰に気づかれるわけもなく。
*
両親は慰安旅行に行ったっきり、帰るのは明日になるだろう。兄弟もおらず一人きり、自由奔放な生活を堪能していた。
帰るなり冷蔵庫へと直行し、駆けつけ一杯。そうして自室へと階段を踏んだ。
--自室のドアノブに手をかけたその刹那だった。
「っ----ぅおりゃあぁッ!!」
怒号。後、バラバラメキメキ。木製の厚めのドアはその主の前で派手に砕け散っていた。
呆然と声も出ず、巴椰はぐったりと壁によりかかって体勢を保った。
そうして、屑の木片の向こう、部屋の中に男の影を見た。
「何だ、鍵掛かってないのか。早く言えっての」
悪びれもせず、その慎重ほどもある鎌を肩に掛け、男はごく自然ににひゃっと笑んだ。
鍵が掛かっていればドアを破壊する。支離滅裂な考えに、巴椰ははぁと解らずに声を漏らすばかりだった。
「まー、怒んなって」ドアを壊した張本人は至って楽観的にそう笑っていた。「あんまり他人と交渉すんのは好きじゃないんだよ。なっ」
「いや、っていうか……あんた、誰」
怒りや混乱を通り越し、むしろ冷静だ。頭の芯まで冷え切っている。余りに現実的でない。
世にも珍しいライトオレンジの髪を掻き、長身の男は鎌をぐるんと一度回した。
「俺は朔門冴。あんたを迎えに寄越されたんだ」
「いやいや、何それ。誰が、何でだよ」
「いちいちうるせぇな。楼城巴椰、来ないなら無理強いするだけだ」
ギラギラと刃先が煌めいている。鋭利なそれは玩具と言うには恐怖を秘めすぎていた。
二、三歩後ずさるもじりじりと刃先は首もとへと近付き、ついに巴椰を捕らえた。
何の迎えか、考えたくもない。何であれ、こんなものに応じろと言うのは無茶だ。
易々と片手で大鎌を振り上げ、冴は少々冷めた声で言った。
「来て、くれるよな?説明は誰かがしてくれんぜ?」
「っ、嫌に決まってんだろ!?」
「手荒な真似はしたくないって言ってんだよ、従ってくれ」
元より話を聞く気はない癖にそう笑う。強行突破する気がないならこんな現実離れしたものは持ってこない。
止めることも逃げることもできず、強く横に振った首に鈍い銀色が閃いた。
音もなく抗うこともなくあっさりと裂かれた脈に手応えはなく、なぜか満足げに、冴は大鎌をまた振るった。
*
はっと、唐突に意識は覚醒した。
今まで夢を視ていたのか、酷く記憶は朧げだった。勿論、理解の範疇を越えていたということは覚えていたが。
重い体を起こし立ち上がると、まず目には自分を阻む鉄格子が両手を広げて待ちかまえていた。
現実離れに離れ、巴椰はぐっとその骨の一本を握った。
「・・・・・・え、何なんだよこれ」頭が認識を拒否する程、混乱は極まっていた。
「ちょっ、看守さぁぁぁぁぁぁん!?冴っ、あいつ今度会ったら絞めるからな!?」
看守なんているかどうかも知らないが、事情説明すれば解放してくれるはずだ。
大声を張り上げたお陰か、微かに光の射す入り口であろう方角からこちらに近づいてくる足音が反響して聞こえ始めた。
歩み寄るその音は、巴椰の期待通り檻の前でぴたりと止まった。
「五月蝿い、騒ぐなバカが。その首跳ねるぞ」
看守とはおおよそ思えない不機嫌な調子で、男はそう言った。
説明も何もできず閉口し、それでも何とか口を開こうとしたまさにその刹那だった。
長い脚を振り上げて、男は唐突に鉄格子を蹴り倒した。
がっしゃんがっしゃんと凄まじい音を立てて倒れ伏すそれに、巴椰はまた閉口させられていた。
「出してほしかったんだろう。拘束したいわけじゃない、来い」
ふんと鼻で伏し、不機嫌男は元来た道を戻ってしまった。何事もなかったかのように。
とんでもなかったことに今更気がつき、慌てて巴椰はその後を追いかけた。