表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

婚約破棄されたので、王宮の悪夢を祓う鐘から手を引きます 〜十年朝を守った私を捨てた王は、三日目の朝、玉座も失いました〜

作者: 中身無男
掲載日:2026/06/22

「君は、もう必要ない」


謁見の間で、王レオンはそう言った。


私の十年が、その一言で終わった。


「明日からは、夜明けの鐘も別の者に鳴らさせる。鐘を鳴らすことしかできない女に、王妃は務まらない」


レオン様の隣には、カミラ様が立っていた。


新しい婚約者。絵のように整った、見栄えのいい令嬢。


レオン様はその肩を抱いて、私を見もしなかった。


「父上が、お前を王家に入れろと言うから、置いてやっていただけだ。地味で、面白みもない女を」


その言葉に、悪意すらなかった。


ただ、本当に、そう思っているだけ。


私は、彼にとって、はじめから物だった。


「鐘など、誰でも鳴らせる」





夜明けの鐘は、ただの鐘ではない。


王宮には、夜のあいだに悪夢が溜まる。


怒り、嫉妬、後悔、隠した本音。眠る人の胸からこぼれたそれは、夜ごと王宮の暗がりに澱んでいく。


鐘が鳴る朝、それは祓われる。


そして鐘は、もう一つの務めを果たしていた。


眠る人々の夜が、互いに混じり合わぬように。一人の悪夢が、隣の誰かに流れ込まぬように。朝ごとに、そっと仕切っていた。


——けれど、それをしていたのは、鐘ではない。


私だった。


私は、その力を持って生まれた。


私の意思を訊かれたことは、一度もない。


それでも十年、毎朝、鐘楼に登ってきた。


務めだと思っていた。


その務めが、たった今、「朝からうるさい」の一言で終わろうとしている。


謁見の間の隅から、ノア様が、私を見ていた。


レオン様の弟。第二王子。


何か言いかけて、けれど王である兄の前で、口を閉ざした。


私は、礼をして、鐘楼に背を向けた。


——あの人だけは、いつも私を見ていた。


幼い頃、悪夢に泣いていた小さなノア様に、私は一度だけ、鐘を鳴らしてみせたことがある。


その朝、彼が初めて悪夢から救われたのだと、ずっと後に聞いた。


だからノア様だけは、私の鐘がただの音でないことを知っている。


けれど私は兄の婚約者で、彼は弟だった。


それきり、私たちのあいだには、十年の沈黙があった。



◇ ◇ ◇



【一日目】


別の者が、鐘を鳴らした。


音は、鳴った。


朝の空気を、いつもの通りに震わせて。


けれど、それだけだった。


その日、王宮は少しずつおかしくなった。


侍女が寝坊した。近衛兵が嫌な夢を見たと言って、剣を取り落とした。文官が会議の最中、ぼんやりと宙を見た。


それぞれが、それぞれの、小さな悪夢を見ていた。


仕切りが、消えはじめていた。


夜、私の小部屋の戸が叩かれた。


ノア様だった。


人目を避けるように、一人で。


十年、ほとんど言葉を交わさなかった人が、私の戸口に立っていた。


「リリア」


その声で、私の名を呼ぶのを、初めて聞いた気がした。


「鐘のことだ。——王宮で、何が起きているか、君なら分かるだろう」


「私はもう、鐘から外された者です」


私は、目を伏せた。


「外された者が、口を出すことではありません」


ノア様は、何か言いかけて、やめた。


そして、静かに言った。


「……すまない。十年、君が一人で背負っていたものを、私は、見ていることしかできなかった」


私は、顔を上げられなかった。


その夜、ノア様は、それ以上は何も言わずに帰っていった。


——私も、悪夢を見た。


鐘から外されて、初めての夜だった。


仕切る者を失った闇は、私の眠りも容赦しなかった。


十年、毎朝祓ってきたはずの澱が、今は自分の胸に重く溜まっていく。


ああ、と思った。


私が守っていたのは、これだったのだ。


捨てられた私にも、その重さは、等しくのしかかった。



◇ ◇ ◇



【二日目】


二晩目の朝。


悪夢は、祓われないまま、また一夜分積み重なった。


王宮の空気は、目に見えて重くなっていた。


廊下で、侍女がすれ違いざまに肩をぶつけ、互いに睨み合う。文官が、些細な書き損じで部下を怒鳴りつける。誰もが眠れず、誰もが苛立っていた。


そして、最も苛立っていたのは、王だった。


その日の謁見で、私は遠くからその様子を聞いた。


「うるさい。下がれ」


レオン様の怒鳴り声が、扉の外まで漏れていた。


異変を告げに来た文官を、彼は最後まで聞かずに退けたのだという。


「妙な夢を見ただと? 寝不足の言い訳を、私の前でするな」


——けれど、レオン様自身も、眠れていなかった。


その目の下には、誰よりも濃い隈が刻まれていた。


王とて、悪夢から逃れられるはずもない。夜ごと、彼もまた、得体の知れぬ夢に苛まれていたのだ。


ただ、彼はそれを認めなかった。


自分が眠れぬことも、王宮が壊れかけていることも。


認めれば、それは「己の治世の綻び」になる。だから、ないことにした。


己の不調すら、寝不足だと言い張って。


臣下が、悪夢のことを口にするたび、レオン様は不機嫌になった。


自分の治める王宮が、得体の知れぬ理由で軋みはじめている。それを認めることが、彼には耐えられなかったのだろう。


だから、認めなかった。


異変を口にする者を、片端から怒鳴りつけて黙らせた。


「次に世迷い言を申す者は、職を解く」


そう言い渡されて、臣下たちは口をつぐんだ。


異変は、もう誰の口からも王に届かなくなった。


——後で聞いた話だ。


その日、ノア様だけが、王に進言を続けていた。


「兄上、これは寝不足ではありません。王宮の眠りそのものが、壊れかけている。今すぐ手を打たねば」


「お前まで、その話か」


レオン様は、弟を冷たく見据えた。


「鐘係の女がいなくなった程度で、王宮が揺らぐとでも? くだらん。お前は昔から、あの地味な女に肩入れしすぎる」


「兄上——」


「黙れ。私が王だ。お前の指図は受けん」


ノア様は、それ以上、何も言えなかった。


王が「ない」と言ったことは、王宮では「ない」ことになる。


たとえ、人が壊れていっても。


その夜、ノア様は来なかった。


来られなかったのだと、私は知らずにいた。



◇ ◇ ◇



【三日目】


三晩目を越えた朝、王宮は、明らかにおかしくなっていた。


仕切りを完全に失った夜が、人と人のあいだで混じり合っていた。


複数の者が、同じ夢を見た。


自分のものではない悪夢が、眠りに流れ込んでくる。


知らない誰かの恐怖、覚えのない後悔、聞いたこともない泣き声。


目を覚ましても、それが自分のものなのか、他人のものなのか、分からない。


侍女が、廊下で突然泣き出した。近衛兵が、何もない壁に向かって剣を抜いた。文官が、自分の名を思い出せず、机の前で固まっていた。


誰もが、三晩の悪夢に、心を削られていた。


王宮は、緩やかに、壊れはじめていた。


その日の夜、戸が叩かれた。


ノア様だった。


二日ぶりに見るその顔は、疲れ果てていた。けれど、その目には、昨日までの遠慮が、なかった。


ノア様は、私の顔を見て、力なく笑った。


「ひどい顔をしているだろう。——この三晩、ろくに眠れていない。幼い頃と、同じ夢を見るんだ」


その言葉に、胸を衝かれた。


幼い頃、悪夢に泣いていたあの子。私の鐘に、初めて救われたあの子。


鐘が止まった今、ノア様は、あの夜に引き戻されていた。


「君の鐘がない夜が、どれほどのものか。私は、誰よりも知っている。——昔、君に救われたからだ」


だからこそ、と彼は言った。


「だからこそ、もう、見ていることしかできない自分を、許せない」


「リリア。全部、話す」


ノア様は、部屋に入ると、低い声で言った。


「兄上は、何も認めない。異変を口にする者を、片端から黙らせている。私の言葉も、もう届かない。——あのままでは、王宮の誰も、まともな朝を取り戻せない」


「兄上を、玉座から下ろすつもりだ」


息が、止まった。


「君を侮って捨て、王宮の眠りを壊し、それでも己の非を認めない。民の顔も覚えず、人を飾りとしか見ず、君を父上の遺した道具としか思っていない。——あのような方に、この国の民は、守れない」


「……それは、反逆です」


「ああ。分かっている」


ノア様は、否まなかった。


「だが、王に正面から弓を引けば、ただの反逆で終わる。私一人が捕らえられて、それまでだ」


「だから、この二日、人目を忍んで、味方を集めてきた。重臣を、一人ずつ。鐘が何だったのか。それを失えば、どうなるのか」


「でも、彼らは、まだ半信半疑だ。鐘が、ただの音ではないということを——頭では聞いても、心では信じていない」


ノア様は、私の前に膝をついた。


王族が、外された女の前に。


「だから、見せてやりたい。君の鐘が、何を守っていたのかを」


「私が……?」


「明日の朝、鳴らしてくれないか。兄上の許しはいらない。重臣たちに、ただ、平穏な朝を一度、味わわせてやってほしい」


私は、震える声で訊いた。


「……私が鳴らして、何になるのですか。私はただ、捨てられた道具です」


「違う」


ノア様の声は、即座だった。


「君は、道具じゃない。十年、この王宮の朝を、たった一人で支えてきた人だ。——私は、それを知っている。誰よりも、知っている」


その言葉が、十年分の何かを、私の中で崩した。


道具ではない、と。


誰も、言ってくれなかった言葉だった。


「この十年」


ノア様は、続けた。


「私はずっと、君の鐘の音だけを数えていた。その朝の数だけ、君に救われていた。——本当は、ずっと前に、こう言いたかった」


「君の鐘は、世界で一番、得難いものだ」


夜明けの遠い気配の中で、その言葉は、嘘のひとつもなく響いた。


私は、頷いていた。


「……鳴らします」


兄の許しもなく。誰に命じられたからでもなく。


初めて、私自身の意思で。


別れぎわ、ノア様は、そっと私の手を取った。


冷たい夜に、その手だけが、温かかった。


「明日、隣にいる」


その手を、私は、振りほどかなかった。



◇ ◇ ◇



【そして、夜明け前】


まだ暗いうちに、ノア様が迎えに来た。


私たちは、誰にも見られぬよう、鐘楼への階段を登った。


十年、務めとして登ってきた階段。


けれど、今日は違った。


隣に、人がいた。


鐘楼の上で、私は綱を握った。


「いいのか」


ノア様が、静かに訊いた。


「兄上に知られれば、ただでは済まない」


「いいえ」


私は、首を振った。


「もう、誰かの許しを待つのは、やめにします」


私は、鐘を鳴らした。


私の意思で、初めて。


朝が、王宮に満ちた。


三晩のあいだ溜まっていた悪夢が、混じり合った夜が、澱が晴れるように祓われ、また、そっと仕切られていく。


王宮が、深く、息を吐いた。





その朝、王宮の者は、嘘のように穏やかに目を覚ました。


三晩、人を苛んだ悪夢は、影も形もなかった。


侍女は、よく眠れた顔をしていた。近衛兵は、背筋を伸ばして立っていた。人々の顔から、隈が消えていた。


久しく忘れていた、ただ穏やかなだけの朝。


重臣たちが、顔を見合わせた。


——この朝は、なぜ戻った?


その問いの答えを、ノア様が、謁見の間で告げた。


「今朝の鐘を鳴らしたのは、リリアだ」


ざわめきが、走った。


「陛下が、地味でつまらぬ女と呼び、婚約者からも鐘からも外した、あの娘だ。——この三日の悪夢と、今朝の違いを、皆、その身で味わったはずだ」


重臣たちは、言葉を失っていた。


頭で聞いても信じられなかったものを、彼らは今朝、確かに体感していた。


三晩の悪夢と、穏やかな朝。その落差そのものが、何より雄弁な証だった。


老いた宰相が、長い沈黙の末に、口を開いた。


「……我らは、とんでもないものを、失いかけていたのですな」


そして、深く、頭を垂れた。


私に向かって。


一人、また一人と、重臣たちがそれに倣った。


「この朝を作れる娘を、陛下は、自ら手放された」


宰相は言った。


「その値打ちも知らず、道具と呼んで」


「異変を告げる我らを、片端から黙らせ、三晩、王宮が壊れるのを見過ごした」


「……そのような方に、この国の民は、託せませぬ」


重臣たちが、静かに、ノア様の側へ歩み寄った。


誰に強いられたのでもない。


ただ、今朝の穏やかさと、この三日の苦しみが、彼らをそうさせた。





そこへ、レオン様が現れた。


「何の騒ぎだ」


朝の異変に、ようやく気づいたのだろう。


けれど、もう、遅かった。


謁見の間の空気が、自分に背を向けていることに、彼はすぐには気づかなかった。


「兄上」


ノア様が、進み出た。


十年、兄の後ろで口を閉ざしてきた弟が、初めて、玉座の前にまっすぐ立った。


「今朝、王宮は穏やかに目覚めた。三晩の悪夢が、嘘のように消えた。——なぜか、お分かりになりますか」


「鐘が、鳴ったからだろう」


レオン様は、苛立たしげに言った。


「誰が鳴らそうと、鐘が鳴れば朝は来る。それだけのことだ」


「いいえ」


ノア様の声は、静かだった。静かなほど、重かった。


「リリアが鳴らしたからです。あなたが、誰でも鳴らせると侮り、捨てた、あの人が」


「この三日、別の者が鳴らした鐘は、王宮の眠りを救えなかった。今朝、リリアが鳴らした鐘だけが、それをした。——その違いを、ここにいる全員が、その身で知っています」


レオン様が、周囲を見回した。


そこで、初めて気づいたのだろう。


重臣たちの誰一人、自分の側に立っていないことに。


「……お前たち」


「己を支えていた者の価値も知らず、侮り、捨てる。異変を告げる声を、力で黙らせる」


宰相が、静かに言った。


「その方に、この国の民は、託せませぬ」


レオン様の顔から、血の気が引いた。


玉座は、もう、彼を支えていなかった。


権力で人を捨て、力で声を封じた王は、その人がいなければ守れぬ朝に、見放された。


「レオン」


ノア様が、王宮中に届く声で、言った。


「あなたを、玉座から下ろす」


レオン様は、何かを言おうとして——


言葉を、見つけられなかった。


最後まで、自分が何を失ったのか、分からないまま。


それが、終わりだった。



◇ ◇ ◇



レオン様は、その日のうちに、遠い北の離宮へ送られた。


王位を剥奪され、表舞台から、退くことになった。


連れ立つ者は、ほとんどいなかった。


カミラ様は、真っ先に去った一人だった。


彼女は、王妃になれるからレオン様の隣にいた。王でなくなった人の隣に、留まる理由はなかったのだろう。


見栄えのいい飾りとして選ばれた人が、王の座を失った男を、飾りごと捨てて去る。


人を飾りとしか見なかった男は、最後に、飾りに見限られた。


去り際、レオン様は、一度だけ私を見た。


その目は、最後まで、問うていた。


なぜ、自分がこうなったのか。私の何が間違っていたのか、と。


その答えに、彼が辿り着くことは、きっと、ない。


何も私は言わなかった。


もう、彼に告げる言葉を、持っていなかった。





ノア様が、王位に就いた。


夜明けの鐘は、もう、王の婚約者の義務ではない。


王宮の正式な職として、扱われることになった。


鐘楼の上で、ノア様は私の手を取った。


今度は、ためらわなかった。


「もう、誰の後ろにも隠れない。兄上の婚約者だからと、君から目を逸らすことも、しない」


ノア様は、笑った。


そして私にそっと近づいた


「これからは、ずっと君の隣にいる」


私は小さく頷いた。




時が経ち、私は、一人の弟子をとった。


下働きの娘だった。「夜のあいだ、人の悲しい夢が視える」と、怯えていた子。


私には、分かった。この子は、私と同じものを持っている。


「鐘など、誰でも鳴らせる」と、あの人は言った。


違う。誰でも、ではない。


けれど——私一人、でもなかった。


「あなたの力は、得難いものよ」


私は、その子に言った。誰も、私には言ってくれなかった言葉を。


今朝も、私たちは並んで鐘楼に登る。


たどたどしくも、確かに朝を呼ぶその子の鐘を、隣で聞きながら。


そして、その朝を——王になっても変わらず鐘楼へ登ってくる、あの人と、共に迎える。


私の十年は、道具の務めではなかった。


受け継がれ、認められ、そして愛された、一つの人生だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ