<9・Tantrums>
「マリーさーん?」
呼びかけながら、ローラは彼女の為に与えられた部屋を歩く。
彼女は客人であるので、使用人の部屋ではなく客人用の一人部屋を与えられていた。やってきて間がないこともあって、部屋に私物はほとんどなくこざっぱりとしている。ベッドのシーツは乱れているが、傍に貸し与えた私服がない。その上でネグリジェがやや乱暴に折りたたまれて置かれているあたり、彼女が自分で着替えて出て行ったのは間違いなさそうだが。
「もしもーし?マリーさん、どーこーでーすーかー……?」
思わず、昔知り合いの家に行った時に猫を探した時を思い出していた。あの時と同じように、ついついベッドの下や、クローゼットの中まで覗き込んでしまう。が、もちろんマリーの姿はどこにも見つからない。
部屋の中心をぐるぐる歩き回りながら、ローラは冷静になって考える。
――彼女は使用人じゃないから、朝からやらなきゃいけない仕事なんてない。ていうか、当番でもない限り五時起きの仕事なんて使用人にもないはずだよね。
さすがに十年この家にいれば、おおよその使用人のローテはわかっている。その仕事内容も。
――でもって、ドアの鍵も開いていた。この部屋の鍵は彼女に渡してあるし、外に出る時はなるべく鍵をかけなさいとも言ったはず。……なのに開けっ放しで出て行った。
ベッドのシーツも乱れていたし、ネグリジェの畳み方もいい加減だった。彼女はあまり器用なタイプではないとはいえ、そういうことはしっかりこなすタイプだったはずなのだが。
――何かトラブルがあって、慌てて出て行った?見知らぬ人間ならドアの鍵を開けることもないはず。と、いうことは……。
足は自然に、ある場所に向かっている。それは、家族が使うための大浴場である。大浴場や脱衣所の掃除は、使用人たちの仕事だ。毎日当番で誰かしらが掃除をすることになっている。基本は夜行うが、大掃除の時だけは朝に行うことになっていたはずだ。
そして今日は曜日からして大掃除の日。
今日の当番は、自分の記憶違いがなければメイドのアネットとシューラであったはず――。少なくとも彼女達は今そこにいるはずだ。何か事情を知っているかもしれない。
「ちょっとアネット、シューラ。いる?」
自分はこの家の長女なので、特にノックなんぞをする必要もない。脱衣所のドアを開け放ったところで、もわ、という熱気が顔に吹き付けてきた。風呂の湯を使って掃除しているならばそこはなんらおかしなことではない。だが。
「ろ、ローラお嬢様!?ど、どうしてこんな朝早くに、こんなところに!?」
慌ててすっ飛んできたのはアネットだ。赤いおさげ髪の、十五歳の少女である。彼女は明らかに動揺した様子でローラを見ている。
「ちょっと用事があってね。たまには朝早く起きるのもいいもんだし」
予感がした。なので、マリーを探していることは言わず、にっこりと微笑んで見せる。
「ところで、お風呂掃除はどう?順調?たまには使用人の皆さんのお仕事を見て、私も勉強させてもらいたいと思ってね」
「そ、そのようなこと、お、お嬢様がする必要はありません!こ、これはわたし達の仕事ですから、お構いなく!」
「そうだとしても、使用人を束ねる家族としては知っておくべきことはあるでしょう?……それともなに?私に見られたらまずいものでも?」
「そそそ、そういうわけではないですけど、その、よ、汚れてしまいますし!」
「ふうん?」
明らかに、アネットは通せんぼをしてくる。浴室に行かれるのが嫌なのは明白だ。そもそも。彼女は明らかに脱衣所の出口付近で見張っていた様子だった。だからすぐにすっとんできたのだ。
「……アネットとシューラだったよね、今日のお風呂の、大掃除当番」
週に一度、お風呂は少し長めの掃除をすることになっている。この当番は使用人たちの中でも大変嫌がられていることはわかっていた。濡れるし、汚れるし、とても疲れてしんどいからだ。申し訳ないと思いつつ、彼女達はこれでお給金を貰っているので頑張ってもらうしかないのだが。
で、その当番のはずのアネットである。明らかに、メイド服が濡れていない。掃除をしていたならば濡れないはずがないというのに。
「なんで濡れてないの、あなた?ちゃんと仕事してる?」
「そ……」
「中、見させてもらうから」
嫌な予感しかしない。ローラは強引にアネットを押しのけると、ずけずけずんずんと風呂場に踏み込んだ。靴が多少濡れたがどうでもいい。それよりも重要なのは。
「ちょっと、もっと力入れてこするんだよ!マジで使えないのね、アンタ!ほら、アタシの靴に泥跳ねただろうが!」
「ご、ごめんなさい……」
ぷりぷり怒っているシューラの声が聞こえた。そしてもう一人、しょんぼりした少女の声。間違いない、マリーだ。
「マリー!」
ローラが踏み込んでいくと、明らかにシューラはぎょっとしたような顔でこちらを見た。黒髪をお団子状にまとめた十九歳。この家には九年務めている、比較的古株の女性であるが――。
彼女の足元には、服をびしょびしょにして必死で床をタワシでこすっているマリーの姿が。さっきの言葉といい、シューラが風呂掃除をマリーにさせていたのは明らかだった。
「え?ろ、ローラお嬢様?」
驚いたようにこちらを振り返るマリー。その顔や髪まで洗剤の泡が飛んでいる。
「これはどういうことなのかな?」
自分でもびっくりするほど低い声が出た。シューラと、それから後ろから追いかけてこようとしていたアネットがびくりと体を震わせたのがわかる。
「あ、あの、その、お、お嬢様、あのですね……」
「言い訳なんか聞きたくないよ、シューラ」
口をもごもごさせながらしゃべろうとするシューラを、ローラはぴしゃりと遮った。
「私の目には、貴女たちが客人に面倒な風呂掃除を押し付けていじめていたようにしか見えないんだけど?反論の余地、ある?」
「そ、それは、その」
「週に一回の大きなお風呂掃除を、貴女たちが面倒に思っているのは知っている。いつも頑張ってくれて、家主の一人としてはとっても感謝しているよ。大変だよね。辛いよね。でも……大変だってわかってるなら、なんでそれを人に押し付けるの?仕事が辛くて改善してほしいなら、まず私達家族に言うべきことのはずだよね」
よく見ればマリーの目には涙が浮かんでいる。果たして一体何時に叩き起こされて、掃除に駆り出されていたのか。
ローラはマリーの体を支えて起こした。ドレスに泡やらなにやらがくっついたがどうでも良かった。そんなことより、大事なことがあるからだ。
「この子は客人であって、使用人じゃないよ。どうしても手伝って欲しいなら、それも私達に一度話を通すべきでしょ?……それを言う勇気もなく、影でこそこそ仕事やらせてバレないとでも思った?」
ギロリ、と二人のメイドを睨む。
「マジで最低」
お嬢様らしからぬ口調になったのは否定しない。だが、とにかくふつふつとした怒りだけがローラの中にあったのだ。
それは、無意識に自分とマリーを重ねていたからでもある。
自分も現代日本で生きていた頃、こういったいじめを受けたことがあったのだ。いや、いじめというには些細なものだったかもしれない。でも、お前は一番仕事ができないからということを遠まわしにねちねち言われた挙句、みんなの代わりに日直業務を毎日こなせと押し付けられた時は正直とてもしんどかった。朝早く来なければいけないこともあるが、何よりそこまで人に嫌われ、恨まれているという事実そのものが恐怖でたまらなかったのだ。
「……んで」
やがて、震えながら黙っていたシューラが口を開く。
「なんで、お嬢様、そいつの肩持つんですか」
「へえ、よくこの状況でそういうクチが効けたもんだね。いい度胸だ、言ってみ?」
「……あ、アタシたちは、毎日毎日大変な仕事ばっかして……も、もちろんスピネル家には仕事くれてる恩ありますから、全力でお助けしたいという気持ちはあります。でも、でも、その人、突然この家の庭に落ちてきて、迷惑しかかけてないじゃないですか。こいつのせいで、庭の木も荒れちゃって仕事増えたし!」
これが本音だ、と。彼女の目が言っている。
「それなのに、聖女だとかいきなりチヤホヤされて、アンディ様にもローラ様にも目をかけられて!一人お客人の綺麗な部屋にいて、ご家族と同じ御馳走食べてお風呂に入って!なんでですか、こいつ何もしてないのに、なんで!!」
多分。今まで、いろいろ溜まっていたうっぷんはあったのだろう。ひょっとしたら、メイドたちに負担をかけすぎていた、ということもあるのかもしれない。それで突然現れて丁寧に扱われる同年代の少女を見て、イライラした気持ちが爆発してしまったのかもしれなかった。
わからない感情ではない。ローラだって、他人に嫉妬することなどいくらでもあるのだから。
でも。
「さっきから言ってる。ならその不満は私達に言うべきだった。あんたらね、やってることが幼稚すぎるんだよ。マリーがあんた達に何したっての?完全に八つ当たりしてるだけってわからない?」
「……っ」
「この子のこと、私はまだ全然よく知らないよ。でも……見知らぬ世界に突然来て、右も左もわからなくて、知ってる人も友達も家族もいなくて……どんだけ不安かって思ったら胸が潰れそうになる」
自分も、そうだったから。
「それなのに、この世界で頑張ろうとしてるその子を、応援したいと思って何がいけないの?」
そうだ。
自分はゲームでもずっと、そうやってマリー・ゴールドの頑張りに支えられて生きていたのだ。
自分が恩返しをしたい相手はアンディだけじゃない、マリーに対してもそうなのだ。
「シューラに、アネット。今日のことは、お父様とお母様、それからメイド頭のジュリアナにはきちんと報告させてもらいます。……なんらかの処分が下る可能性があるけど、それは自業自得。甘んじて受けなさい。それから」
もう一度二人を睨んで、ローラは断言する。
「自分達がやったことは人として最低であるってこと、ちゃんと自覚して反省しなさい。これは命令だよ」




