<5・Impossible>
ホンモノのローラが現れたら、体を譲るつもりでいた。
そしてそのホンモノのローラがやろうとしていることを、邪魔するつもりもなかった。でも――これからも自分がローラとして生きなければならないというのなら、申し訳ないが自分にも矜持はあるのである。だから。
「……ごめんね。それは、できないよ」
立ち上がり、正直に頭を下げた。
「私は、自分がローラ・スピネルになっちゃった時に二つ決めたの。一つ、貴女が現れたら体を返すこと。二つ。もしそれができなかったらその時は、悪役令嬢を演じ切り、アンディとマリーが結ばれる手伝いをすること」
「なにそれ」
「アンディとマリーはね、私の命の恩人なの。ゲームのキャラクターなのにおかしいって言うかもしれないけど……あの子たちがいたから私、ダメな自分を投げ出したり、嫌で仕方ない世界を捨てることもせずに今日まで生きてこられたんだよ」
二人はそんなこちらの事情なんか知りもしないだろう。でも、それでもいいのだ。
ただ自分が、二人を愛していればそれでいい。
誰にも知られずに、二人の幸せを祈っていればいい。それだけで、自分自身も幸せでいられると知ったから。
「私は、何がなんでもアンディを幸せにすると決めた。そして、アンディを幸せにできるのはマリーだけ。マリーを幸せにできるのもアンディだけなんだよ。あなたが私の体に戻ってこられないなら……申し訳ないけど残りの人生は、その報恩に全てを費やすつもり」
例えそれが、己の命を賭けることになったとしても。
「ばっ……」
八歳の姿のホンモノのローラは、驚愕の表情のまま固まっている。そして。
「ば、ばっかじゃないの!?あんた、本当にそれでいいと思ってるわけ!?わたし、知ってんのよ。悪役令嬢として婚約破棄されて、家から追放されたあとのローラ・スピネルがどんな惨めな人生を送ったか!」
「そうかもね」
「今、あんた達いい感じじゃない!アンディと仲良しじゃない。知ってんのよ、わたし、わたしは……」
鬼気迫る表情で、小さな少女はローラのネグリジェの裾を掴む。きつく、きつく掴むのだ。
「あんた……アンディのこと好きなんでしょう?本当は、一緒に幸せになりたいんでしょう!?わたしはホンモノのローラだから、全部わかってんのよ!?」
ああ、そうだろうな、とわかっていた。
むしろローラが本気でアンディを愛し始めているとわかっているからこそ、きっと彼女は現れたんだろうなと。
「アンディの方もそうよ。わたし……わたし、見たの。あいつしょげてたわ。デートに誘えば来てくれる。けど、婚約者なのに妙に遠慮されてるし距離が遠いって。手も繋がせてくれないのは、自分が嫌われてるかもしれないって!……アンディも、あんたのことちゃんと好きなのよ、一人の男として!なのになんでそれ全部無駄にしようとしてるわけ!?」
「アンディの方はきっと違うよ。私は見た目はローラだから美人だけど、中身は地味で、アンディの役になんか今はまだ全然立てていないんだもの。本当に好きになってもらえるはずないよ。婚約者って名前だけど、友達として大事にしてもらえてるってだけだと思う。それだけで、充分幸せだけど」
「そういう意味じゃない!このニブチン!自己肯定感最低女!やめてよそういう考え方超迷惑なんだから!!」
早口でまくしたてるホンモノの目には、うっすら涙が滲んでいる。
彼女の顔を見て、はっきりとわかった。この子は、やがては悪役令嬢になるはずの子だった。マリーに嫌がらせをしたり、使用人たちを奴隷のようにこき使ったり、とにかくヘイトをためた上でざまぁされるためだけに配置されたような可哀想なキャラクター。そう、ローラはどこかで、彼女をそう思っていたのだ。
でも、ここは正確にはゲームの世界じゃない。
ゲームのローラと現実のローラは、似て非なるもの。
この子がこんなに怒っているのは、ローラ・スピネルの誇りを守るためだけではない。――間違いなく、こちらのためを想って言ってくれているとわかっている。掴めるはずの幸せを、むざむざ捨てる気なのか、と。
そう、本当はこんな風に、他人を思いやることもできる優しい子だったのだ。その子の未来を、結局自分は奪ってしまった。もちろんそれは自分はそう願ったことではなかったのだけれど。
「ありがとう。……貴女は、優しい子なんだね。できれば私、貴女が幸せになるのも見たかったな」
ヘイトタンクにされる悪役というのが、どんな物語にも大抵存在する。
でも、そんな者達にだって本来は幸せになる権利があったはずなのだ。この子にも、また同じように。
「だから、本当にごめん。……ローラ・スピネルの名誉を、守ってあげられなくてごめん」
「本当に馬鹿……馬鹿。アンディは、アンディだって……」
「ごめんね」
アンディが仮に、今の自分に恋心を向け始めていたとしても関係ないのだ。
もうすぐ、あの子がこの世界に現れる。マリーが訪れたならば、自分はもうお役御免なのだ。
アンディは必ず、自分よりマリーを好きになる。その背中を押すのが、自分の役目だ。
――ごめんね。
せめて自分は、自分の信念を貫こう。
どれほどアンディのことを思って、胸が痛んだとしても。
***
――とか、かっこいいこと、思ってたけど!
そして、現在。
ローラは大混乱に陥っていた。というのも、自宅屋敷の庭を散歩していたら、突然空から女の子が降ってきたからだ。
親方!空から女の子が!――のジブリの物語だったなら、力持ちの少年が彼女を抱きとめてくれたことだろう。だがしかし、残念ながらこの世界にパズーもいなければ飛行石もないわけで。落ちて来た少女は、もろに頭から庭の花壇につっこむことになったのである。
それも、スカートがめくりあがり、パンツ丸出しになった残念な姿で。
「え、ええええ……?」
その白いワンピースは見覚えがある。聖女マリーがこの世界に現れた時、最初に着ていた服装がそれだったからだ。ピンク色のふわふわとした髪の、可愛らしい女の子。誰が見ても守りたくなるような美少女。マリーの容姿はまんまそう表現できるものだったが、いやしかし。
「はらほれひれはれ……ふほげっ……」
意味不明なことを喋りながら目を回しているマリーは、髪の毛もぐっちゃぐちゃだし、服も花壇の草のシミだらけになっているしとかなり凄い状態だ。
もっと言えば。
――なんでうちの庭に落ちてくるのおおおおお!?
マリーが最初にこの世界に来る場所がどこか、についてはゲームに記載がなかった。いきなり異世界転生してきて、保護されたところから物語が始まっているからだ。
いやでも、だからって多分、悪役令嬢のおうちの庭の花壇に頭からつっこんできて目を回してるところからスタートなんて、きっとそんなことはなかっただろう。もしそうなら、いくらなんでもキャラ崩壊がすぎるではないか。
「ちょ、ちょっと……あのお?」
流石にこのままほったらかしにすることはできない。慌ててローラは駆け寄って、彼女の足を引っ張った。思い切り土と草に頭から突っ込んでいってしまっているので、みっともなかろうがそれ以外に救出方法がなかったのである。
すぐに他の使用人たちも現れて、マリーの救出を手伝ってくれる。気分はあれだ、大きなカブを引っこ抜こうとするおじいさんだ。
「どっこら……せええええええい!」
「あっひゃああああああああああああああああ!」
しばらく格闘した後、すっぽーん!という軽快な音とともに、少女はひっこぬけた。そして、漫画のように目をぐるぐるにしながら、ひっくり返った声で言ったのである。
「す、すみませ……ありがとうご、じゃいますう……」
「……コレが聖女……」
おかしい。何かがおかしい。
――わ、私が知っているマリーっていう子はすんごい魔力を持ったチート異世界転生者でだけどとってもぶきっちょで努力家で頑張り屋さんですっごく可愛いんだけども本当の笑顔を向ける相手はアンディだけで白いドレスが似合う清楚な聖女様でいろんな人の嫉み嫉妬に晒されながらもめげずに立ち向かう勇ましいところもある女の子で共感できるけど結構理想的なところもあるというか断じてこんなギャグワールドの住人というわけでは……!
その盛大なキャラ崩壊に固まりつつ、ひとまずこのままにもしてはいけないのでローラは彼女をおんぶすることにした。十八歳になると、ローラはかなり背が伸びて一般的な成人女性よりだいぶ上背があるタイプとなったのである。設定資料集も買ったので知っているが、もしその通りならばその時点でマリーの身長は158cmで、ローラは169cmになるのではのなかっただろうか。
「ほら、しっかりして!とりあえずお部屋に運んで手当するから!」
「ろ、ローラお嬢様!お召し物が汚れてしまいます!」
「そんなの気にしないって!怪我人の手当が大事!ていうかあなたじゃ運べないって!」
駆けつけてきたメイドたちは小柄な者が多かった。大柄な自分がおんぶして救護室に運んだ方が絶対早いだろう。
マリーは目を回していながらも、自分を助けてくれようとしているのは理解できたのか、ローラの背中に捕まってぽつりと呟く。
「うう、ありがとう。あたし、わけわかんなくて……それなのに助けていただいて。優しいんですね、あなた……」
「!」
そうだった、とローラは思いだす。自分は、悪役令嬢にならなければいけない。最終的に、このマリーをいじめていじめていじめまくって、その結果アンディに嫌われなければいけないはずなのだ。それが、ついうっかり第一印象でポイントを稼いでしまったのだとすれば、それはだいぶまずいのではないだろうか。
いや、でも、しかし。
――このままほっとけないし……ああもう!
とりあえず、なんでよりにもよってうちの屋敷に彼女を落としたのだろう神様とやらは!
電話ができるのなら、今すぐクレームを入れてやったところである。




