<4・Mistake>
そのうち戻れるだろう、と当初はローラも思っていた。
正確には、元のローラの魂と人格がそれとなく戻ってきて、自分も成仏するなり別の人間として生まれ変わるなりするだろうとばかり思っていたのである。
ところが一年、二年、三年とどれほど過ぎても本来のローラの人格は戻ってこなかった。ローラとして、どれほど焦り始めたかしれない。
――どどどどどどどうしよう!やめて、私成り代わり夢小説とか地雷だっていうのに!
冷や汗だらだらになりながらローラは何回思ったかしれない。ちょっとローラを演じてお役御免になるとばかり思っていたのに、何で本来のローラの魂が戻ってこないのだろう。まさか本当に、どっかで行方不明になってしまったのだろうか。
そして非常に面倒なのが、ローラがヒロインではなく悪役令嬢のポジションだということである。つまり、最終的にアンディが結ばれるべきはローラではないのだ。あまり好感度を稼ぎすぎてはいけないのである。
いや、そもそも好感度を稼げるだけのスキルなんて自分にあるとは思っていないし、あんな幼い頃に出会ったのだからきっとアンディは友達のようにしか思っていないとは思うけれど――。
「ローラ、聞いてください!」
十四歳。アンディは新しい本を持ってきて、ローラに言ったのだった。親と家庭教師の教育が厳しかったからか、彼は青年期と同じような丁寧な言葉遣いで喋るようになっていた。
「この間、ローラが貸してくださった本です。大変感銘を受けたのですが……この話に出て来た場所、実在しているというのはご存知でしたか?ロザリーとリータが最初に出会った丘が本当に存在するのだそうです!」
「ええ、本当に?どこなの?」
「ジェリンダ公園の中にあるそうです。この町からだと、列車で駅十個くらいですね。少し遠いですが、行けないことはありません。わたくしと一緒にお出かけしませんか?」
婚約者だから、一緒にお出かけして仲を深めなければいけないと思っているのかもしれない。あるいは友達として一緒に遊びにいってみたいというだけだろうか。それでもローラとしては、充分に嬉しい。ローラの見た目なので外見は美人になっているだろうが、中身はうじうじネガティブな地味OLのままだ。学校の成績だって良くないし、料理や裁縫みたいなこまごまとした作業も得意ではない。
そんな何の取り柄もない人間が、本当の意味で誰かに愛されるとは思ってもみなかった。アンディが、人を見た目ではなく中身で評価する人間だと知っているから尚更に。
「……ありがとう。ぜひ、行きたいな」
想いは、募っていく一方だ。ローラの本来の人格ではないはずなのに、どんどんアンディのことが好きになっている自分がいる。年を重ねるたびに、彼の優しさと温かさに涙が出そうになるのだ。
自分はあくまで悪役令嬢。本気の本気で、彼のことを好きになってはいけないと知っているのに。
――それ以上、優しくしないで。どうか。
小説に出て来たロザリーとリータというのは、竜騎士のカップルの名前である。愛を知らない麗しき女騎士ロザリーと、孤独な美しい男騎士リータが初めて出会い、語らう丘があるのだ。後に夫婦となる二人が最初に気持ちを通わせあう場所にお出かけしようなんて言われたら、どうしても勘違いしてしまいそうになるものである。
――あなたはマリーと結ばれないといけないの。だから、私のことなんか気にしすぎないで。
未来を想えば想うほど、間違いを起こしてしまいそうになる自分がいる。
そんなこと、絶対あってはならないと知っているのに。
***
十七歳になった、ある日の夜のことである。
ローラは真っ黒な世界に佇んでいた。夢だ、ということはすぐに気づいた。昨夜ベッドにもぐりこみ、横になったまま本を読みふけっていたところまでは覚えているのだ。その途中で急激に眠気が着て、本を横に置いて目を閉じたということも。
「ここ、どこ?」
眉をひそめて、周囲をきょろきょろ見回す。右も左も、前も後ろも、上も下も真っ黒だ。歩けるということは床があるということなのだろうが、歩いても歩いても景色が変わる様子はない。不思議なことに自分の体だけはうっすら発光していて見えるようだったが。
「夢だよね?……どうせ夢なら、もっと楽しい夢見たいのに……」
ぶつぶつ呟きながらも、ローラは歩き続ける。このままじっとしていても夢は醒めないような気がしたのだ。とにかく、出口が見えるまで歩き続けた方がいいだろう、と。
不思議と怖いとは思わなかった。そこまで闇が得意な方でもないというのに。ぺた、ぺた、ぺた、とネグリジェ姿のまま、裸足で冷たい床を歩き続ける。怖くはないが、さっきからずっと誰かの視線を感じていた。何やら自分のことを、ずっと観察している何者かがいるかのような。
「ねえ、教えてほしいんだけど」
「え!?」
突然、後ろから声がかかる。その声には聞き覚えがあった。なんせ、自分とそっくりな声だったのだから。
慌てて振り返って、ローラは思わず尻餅をつく。驚くのも当然だろう、目の前に女の子がふよふよと浮かんでいるのだから。
しかもローラと、まったく同じ顔をしている。
正確にはあちらは八歳の少女のローラの顔をしてはいるが。
「なんでそんなにびっくりするのよ。あんた、わたしのこと探してたんじゃないわけ?」
彼女は腰が抜けているローラの前にしゃがみこみ、じっと顔を覗き込んでくる。
「わたしに成り代わった気分はどう?ニセモノさん」
「ま、まさか」
自分をニセモノだと知っているのは、一人しかありえない。
「まさか、あなた……ホンモノの、ローラ・スピネル?」
ローラの問いかけに、彼女は頷いた。これは、本当に夢なのか。あるいは自分が都合よく見ているただの幻なのか。正直まったく確証は得られなかったが、ホンモノかもしれない可能性があるなら言うべきことは一つだ。
「ほ、ホンモノさん!お願い、急いで私の体に戻って!もう私、十七歳になっちゃった。早くしないと、あなたの人生が……!」
そうだ、自分はずっと、ホンモノのローラの到来を待ち望んでいたのだ。他人の人格を殺して、体を乗っ取って生きるなんてあまりにも残酷がすぎる。一刻も早く、この体を本物のローラに返さないといけないと知っていた。彼女の人生も、体も、何もかも全て彼女のものであって自分のものではないのだから。
ところがホンモノのローラは、眉をひそめて「それができるならとっくにやってるわ」と言った。
「貴女、何もわかっていないようだからいろいろ説明してあげる。つか、あんまりにもわかってなさすぎて不憫だからわたしが参上してあげたの。感謝しなさいよね」
「あ、ありがとう……」
あ、間違いなくこの高飛車なかんじ、ホンモノだ。どこかで安堵してしまうローラである。
「神様が親切にいろいろ教えてくれたの。本当なら対価を要求するところよ、この情報。タダ働きほどくだらないものはないんだから」
はあ、とため息をつくホンモノ。
「あのね、まずあんたが今いる世界は……正確にはゲームの世界じゃないのよ」
「どういうこと?」
「あんたが大好きな『トパーズの空』ってゲームはね、あんたが今いる世界を夢で覗き見た人間が、そのまま自分のアイデアとして流用して脚本書いちゃったものなんですって。時々いるそうよ、異世界の様子を夢で見る人間が。そういう人間がクリエーターだったりすると、しばしば面倒なことになるみたい。ゲームの世界に転生しちゃった、みたいな話は大抵がそのパターンみたいね」
「ま、マジ……?」
なるほど、それなら納得できなくもない。ゲームの世界に直接転生したのではなく、ゲームの元となった異世界に転生した。その方がずっと筋が通る話だ。
「ただ、『トパーズの空』のシナリオは、かなり史実に忠実だった。だから、本来その世界で起きるはずの出来事が、そのままゲームになっていたのは間違いないようよ」
でも、とホンモノは髪を掻き上げる。
「イレギュラーが起きちゃったのよ。それが、わたし。……八歳でベッドから落ちてうっかり頭ぶつけて死ぬなんて、自分で言ってても情けないったらないわ……」
「ええ!?」
まてまてまてまて。思わずローラは、自分の額をさすってしまう。確かにあの時、結構頭痛かったような気はするが。
「……え、あれでローラ、死んじゃってたの?」
「ドン引きした顔しないでくれる!?当たり所が悪すぎたのよ!……とにかくそのせいで本来のわたしは死んじゃって、あるべき史実が成り立たなくなっちゃったの!パラレルワールドみたいになっちゃったのよ!事故みたいなもんだったんだからしょうがないでしょー!?」
「え、ええ……」
何それすごい。いや、これは笑い話ではないのだが。
だって、それって、つまり。
「まさか、ローラさんが私の体に戻ってこられないのって……」
「死んじゃったからに決まってるでしょ。察しなさいよそれくらい。大人のくせにバカなんだから」
毒舌いっぱいではっきり言われるローラ。なるほど、死んだことで魂が抜けたらもうどうしようもない、ということか。いや、だからって、しかし。
「まさか、私がローラさんの体に入ってしまったのって……たまたま同じタイミングで、別の世界で死んじゃったからとか、そういう?」
ローラの言葉に、ホンモノは頷いた。
「みたいね。神様がわたしの代わりにシナリオを演じさせるために、適当な女の魂をねじこんだってことみたい。屈辱的だわ、あんたみたいに気弱でみみっちい女が『ローラ・スピネル』をやるだなんて!」
でもこうなった以上仕方ないのよ、と彼女は続ける。
「仕方ないから、全力で演じてもらうしかないわ。あんた、ローラとして恥ずかしくない振る舞いをしなさい。いつまでも、前の人生引きずってうじうじしてんじゃないわよ!」
ずびし!とホンモノはローラの顔面を指さして言う。
「でもって、ローラ・スピネルをちゃんと幸せにしなさい!婚約破棄されて追放されるなんてシナリオ、わたしはまっぴらごめんだわ!」
「え……」
その言葉には――流石にローラも、うんとは言うことができなかったのだ。




