<2・Substitute>
ローラがまだローラではなく、令和を生きるOLだった頃。
うまくいかないことがあまりも多くて、そのたびダメな自分にしょげていた時、心の支えとなったのがアニメとゲームだった。特に大好きなファンタジーゲーム『トパーズの空』には本当にお世話になったのだった。主人公は魔法の世界から異世界転生してきた少女・マリー。彼女はその特別な力と知識ゆえに聖女と呼ばれ、王家騎士の家であるベリル侯爵家に世話になることとなったのである。
心優しい青年騎士であり、ベリル家跡取りであるアンディに心惹かれていくマリー。しかし、アンディには既に婚約者の令嬢・ローラ・スピネルがいる。自分の想いに蓋をして、聖女としての力をトパーズ王国の役に立てようと頑張るマリーだったが、やや距離が近いマリーと婚約者の姿を見てローラが激怒。マリーに対して、嫌がらせを始めるという物語だ。
この話は異世界恋愛の側面と、異世界ファンタジーの側面を両方持っている。プレイヤーはマリーとして、魔法を使った依頼をきっちりこなしていき、さらにはアンディの好感度を上げていかないと最良のハッピーエンドは得られない。マリーは誠実で一生懸命な性格であるため、プレイヤーは第三者としても段々彼女を応援したくなっていく。実際、自分にとってもそれは同じだった。
ハッピーエンド確定となると、最終的にアンディがいじめばかり繰り返すローラを見限り、マリーとの結婚を決意するという婚約破棄イベントが起きる。その後ローラがどうなったかは誰にもわからないが、考察サイトによるとそのあと家から追放されたとか、それどころか王国そのものから追い出されたんじゃないかとか散々言われているらしい。
で、自分はその悪役令嬢・ローラになってしまった、というわけである。
話の大まかな流れ、世界観はわかっているとはいえ――まさか、その幼少期に遡って成り代わってしまうとは。そもそも、ゲームの世界に異世界転生なんて、実際にそんなことありえるのだろうか?一体どういう理屈でそうなる?まったくもってわけがわからない。
とりあえず何もかもわかっていないし、本来のローラそのままの性格を演じられる気もまったくしないので、ここは記憶喪失ということにさせてもらうことにしたのだ。ベタだが一番簡単なやり方だろう。
「……ベッドから落ちただけでそうなるなんて」
案の定、目の前のお母様ことミスティはめちゃくちゃ微妙な顔をしている。
「信じられないわ。あなた、そんなにヤワな体だったかしら。よっぽど強く頭をぶつけたってこと?心配だわ、お医者様に見てもらわないと」
「た、大したことないです、お母様!私は元気なので!」
「やっぱりいいいいいいいいい!うちのローラが、こんな綺麗な敬語を喋れるはずないわ!ドクター!ドクター!」
「ええええええええええええ」
想像以上に母はテンパっている。とりあえず痛みはないこと(正確には頭よりお尻の方が痛かったりする)を丁寧に説明し、ひとまず落ち着いてもらうことにしたのだった。
その上で、この世界と、自分の現状をかいつまんで話してもらうことにする。やっぱりというべきか、この世界の自分はまだ八歳の子供であり、当然マリーも異世界転生してくる前ということで間違いないようだった。
聞いた範囲で、ゲームの設定と差異はない。
どうしてこんなことになってしまったのか気になるところではあるが――今は、自分は本物のローラということにして、話を合わせていくしかないだろう。
「今日は、ベリル侯爵家のお子さんがいらっしゃる日なの。本当に大丈夫?」
「ベリル侯爵家のお子さんって?」
「長男のアンディ様よ。写真は見たことくらいあるでしょう?それも覚えていない?」
「す、すみません」
ここで、顔だけ覚えていますと言うのもなんだし、知らないことにする。
そうか、とローラは理解した。どうやら、自分はローラとアンディが初めて出会う日に転生してきてしまったということらしい。本物のローラも楽しみにしていただろうに、自分がそれを奪ってしまった――そう思うと、申し訳なさが募る。
だが、いつ本物のローラが戻ってきてもいいようにするためには、自分が彼女の代わりにシナリオを進めるしかない。ローラは咳払いをして気持ちを落ち着けると、ミスティに告げたのだった。
「私は大丈夫です。記憶はないですが、ある程度事前の知識をいただければなんとか対応できると思いますし。それよりも、こんなことでアンディ様との予定をキャンセルする方が失礼だと思うので」
「まあ、まあ、まあ」
母は何故か、涙をハンカチで拭いながら言ったのだった。
「記憶がなくなった途端まっとうな子になるなんて、そんなことある?つい昨日まで『私の下僕になれる男じゃないと嫌だから!』とかめっちゃ女王様みたいなこと言ってたのに!」
「ええええええ……」
元々のローラってば、どういう性格だったっちゅうねん!
思わず関西弁でつっこみそうになったローラだった。
***
この顔合わせが、そのままお見合いに通じていることはわかりきっている。実際、会食のあとは子供達は体よく庭へと追い出された。親同士で、しっかりきっかりご相談を進めるつもりなのだろう。
この国の貴族たちは、早い段階で婚約者を決めることが少なくないと知っている。なんなら、早いと赤ちゃんの段階で婚約者が決まっているケースさえあるらしい。
もちろん、結婚できるかどうかは別問題。この国の法律では、結婚は男女ともに二十歳以上でなければいけないと定められているからだ。なお、二十歳未満で姦通を行った場合、たとえ婚約者同士でも法で罰されることになるので注意が必要だったはずである。これは、どっちが未成年であった場合も適用される。
と、いうわけで。
とりあえずローラは、アンディと一緒に庭で遊ぶことになったわけだが。
――き、貴族の子供って何して遊ぶんだろ。
自分の知識はゲームやアニメのそれしかない。あれだって本当のことかどうかわからないのに、この大抵の異世界系ゲームは幼少期から話が始まることが少ないのである。よって、本当に何をすればいいかわからない。
特に、ローラは一応、侯爵家のご令嬢ということになっている。鬼ごっこしましょうとか言ってもいいものかどうか。そもそも、お花摘みしましょう、では男の子であるアンディが面白くないかもしれないし――。
「ねえ、ローラ」
困っていると、庭のオオザクラの木の下でアンディが声をかけてきたのだった。ちなみに今の季節は初夏であり、オオザクラの木は完全に葉っぱだけになっている。
「あのね、本当に申し訳ないんだけどね」
「うん?」
「ぼく、あんまり体が丈夫じゃないから、走ったり飛んだりってこと得意じゃなくって。だから一緒に遊んでも、つまんないかもしれない。ごめんね……」
どうやらずっと大人しくしていたのはそれが原因だったらしい。外にいるのは好きだし、庭をぼんやり眺めるくらいなら問題ないという。でも、少し走っただけで胸が痛くなってしまって、倒れてしまうこともあるのだと語った。そういえば、ゲームの中でアンディが「子供の頃は長生きできないと言われるほど体が弱かった」みたいなことを語っていたような。
「……そっか」
庭で遊べ、とは言われている。でも、何をして遊べとは言われていないわけで。
――ご両親が相談している食堂にだけ近寄らなければ多分いい、よね。
ローラは頷くと「あのさ」と口を開いた。
「アンディ。君は、本は好き?」
「え?うん、好きだよ。家では本読んでること多いから」
「そっかそっか。じゃあさ、うちの書庫、探検してみない?実はね……」
ローラは説明する。自分が今日まさに記憶喪失になってしまったこと。過去に読んだ本なんか全然覚えていないこと。そして、玄関に行く途中に、大きな書庫があることに気づいたことなど。
その話をすると、アンディはわかりやすく目を輝かせた。やはり、今まで入ったことのない書庫に行くのは楽しみらしい。他の遊び方を思いつかなかったローラとしては、ちょっとだけ安堵したのは此処だけの話である。
「いいの?」
「いいよいいよ!だって私の家だよ?入っちゃダメとか言われてないし、大丈夫だよきっと。ダメって言われたら、その時は一緒に叱られよう!」
「……ふふ、そうだね」
彼の手を引いて、屋敷の中へ入っていく。書庫への道は覚えているし、鍵もかかっていなかったはずだ。中に入ると、古い本特有の匂いが立ち込めていた。小さな子供から見ればノッポの巨人としか思えないような、大きな大きな本棚がずらずらと並んでいる。辞書のように分厚いものから、子供が読める絵本まで様々な種類が揃っているようだ。
はっきり言って、何がどこにあるかなんてまったくわからない。この世界は設定上英語圏らしいが、ローラとなってから文字は自然と読めるようになっているのでなんとかなるだろう(多分喋っている言葉も、自分の耳には日本語に聞こえているだけで実際英語になっているのだと思われる)。
二人でそのまま、本棚の群れの中へと連れ添って入っていく。
「うふふ」
最初の本棚の前で立ち止まると、アンディは分かりやすく嬉しそうな顔をした。
「本当に、よかった」
「うん、楽しそうな本たくさんあると思うよ!」
「あ、それだけじゃなくて……」
アンディは少し恥ずかしそうに俯いて、ぽつりと言ったのだ。
「ぼくね、ローラはその……とっても気難しい女の子かもしれないから気をつけなさいって、お父様とお母様に言われてたんだ。でも、ぼくが体弱くてお庭であんまり遊べないって言っても怒らなかったし……僕が楽しめそうなこと、教えてくれたし。ローラは、とっても優しいね。本当に、ありがとう」
「あ、いや、そ、そんなことは」
再三になるが。
ローラの見た目は八歳でも、元の中身は三十五歳のオタク女なわけである。でもって目の前にいるのは、最終的にローラの推しとなるイケメン婚約者なのだ。
その婚約者の幼少期である。こんないじらしいことを言われて、萌え上がらないはずがなく。
――かんわいいいいいいいい!か、神様、ありがとおおおおおおおおおおおお!
もし人がいなければ、この場で喜びの舞を踊り狂っていたはずだ。ローラは鼻血を出さないよう、必死でこらえなければいけなかった。




