第四話 奥州統一へ(一) 其のニ『未有(未だ有るもの)』
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さあ、物語が進みますよっ
りっきゅんの役回りとは?
遅れて現れた男は、縁側に静かに膝をついた。
森力丸――のはずの男。
だが、その気配は、弟のそれとは微妙に違っていた。
蘭丸は眉をひそめる。
「……遅いぞ、力丸」
男は、わずかに首を傾げた。
「やはり、気づきますか」
坊丸が露骨に顔をしかめる。
「はぁ? 何やそれ。朝から気色悪い言い回しやな」
錦之介は、扇子を閉じ、男の指先から視線を外さない。
「ほほぅ……これは、これは」
信長も、何も言わずに男を見つめている。
ただ、その眼差しは、すでに答えに辿り着いている者のそれだった。
「おまえ……誰や?」
坊丸が、直截に問うた。
男は、小さく息を吐き、わずかに姿勢を正した。
まるで、育ちの良い家の子が、師に名を名乗るときのような所作で。
「伊達小次郎政道」
その名が、静かに落ちた。
蘭丸の胸に、氷の刃が差し込まれる。
――伊達小次郎政道。
奥州伊達家十六代当主・伊達輝宗の次男。
あの義姫の子であり、伊達政宗の実弟。
「……冗談にしては、似すぎやろ」
坊丸の声は乾いていた。
顔立ち。
骨格。
声の癖。
すべてが、森力丸そのもの。
いや、力丸の写し絵。
「双子か何かか?」
坊丸が吐き捨てるように言う。
「似ているのは、承知の上です」
小次郎は苦笑した。
「だからこそ、成立する」
錦之介が低く息を吐いた。
「……そういうことですか。森力丸殿」
蘭丸は、昨夜の言葉を思い出す。
――史の中で、消えるはずの者がいます。その空白は使える。
力丸は、すでに答えを示していた。
「力丸は?」
坊丸が問う。
「ここにはいません」
小次郎は、視線を奥の座敷に向けた。
「代わりに、私が“森長氏”として生きます」
その名を口にした瞬間、蘭丸の胸が軋んだ。
森長氏。
弟の名。
それを、この男が背負うという。
「では……力丸は?」
信長が、静かに問うた。
「力丸は、すでに“そこにいる”のだろう?」
小次郎は一瞬だけ目を伏せた。
錦之介が、静かに言葉を継ぐ。
「史に記されぬ者。
消えるはずの名。
その席に、森力丸殿が座る」
蘭丸は、ようやく悟った。
「……入れ替わった、のですね」
坊丸が舌打ちする。
「狂っとる」
坊丸は、額を押さえた。
「おまえ……最初から、そのつもりやったんか」
だが、否定はしない。
否定できないほど、この計画は理に適っていた。
伊達政宗の影となり、奥州統一の中枢に入り込む。
史の裏側から、表の歴史を誘導する。
そして、史に消えるはずの伊達小次郎政道という「空白」を、力丸が埋める。
「……おまえ、覚悟あるんか?」
坊丸が睨む。
小次郎は、少しだけ困ったように笑った。
「ある、つもりです」
その笑みは、どこか育ちの良さが滲んでいた。
甘やかされて育った者の、余裕と柔らかさ。
だが、同時に決意の色もあった。
信長は、杯を取り直す。
「力丸は、伊達政宗の傍らに立つ。
反乱分子ではなく、片腕としてな」
錦之介が頷く。
「伊達の未来は、政宗にある。
その政宗の影で、歴史を支える者が必要。
――伊達小次郎政道は、最適な器です」
蘭丸は、小次郎の顔を見つめた。
そこにあるのは、力丸の面影。
だが、その奥には、確かに別の人生がある。
(力丸は……史そのものになり替わった)
小次郎が、静かに言った。
「森力丸殿から、伝言があります」
全員の視線が集まる。
「――“詳しくは明日”。
その“明日”は、今日です」
坊丸が乾いた笑いを漏らした。
「……えげつない男や」
信長は、満足げに目を閉じた。
「これで奥州は、我らの影の下に入る」
蘭丸は、胸の奥に奇妙な感情が渦巻くのを感じていた。
蘭丸は、その言葉に小さく目を細めた。
弟ではない。
だが、弟と同じ「覚悟」を持つ者。
「……小次郎」
信長が、ゆっくりと呼んだ。
小次郎は、深く頭を下げた。
「はっ」
ひとしきりの沈黙の後、男――伊達小次郎政道は、改めて背筋を伸ばした。
「……申し上げねばならぬことが、もう一つございます」
場の空気が引き締まる。
「私は力丸殿の代わりに、此処におりますが――今後のため、新しく名乗る名がございます」
蘭丸は、はっと息を呑んだ。
討死した者の名を背負い続けるわけにはいかない。
それは、すでに森の兄弟が通った道でもある。
「これからは――甲斐紅蓮と名乗らせていただきます」
低く、確かな声だった。
「これは、力丸殿から名付けていただきました。
燃え尽きるまで前に進め、と」
坊丸が鼻で笑う。
「……似合わんな。派手過ぎるわ」
だが、その声音には、奇妙な認める色があった。
信長は、面白そうに顎に手を当てる。
「ほう。ならば、儂は何とするか」
その問いに、小次郎――いや、紅蓮は一瞬だけ逡巡し、それでも踏み出した。
「お恐れながら……甲斐の姓を名乗っては、いただけませぬか」
信長の眉が、わずかに動く。
「……なぜだ」
「力丸殿の、たっての願いにございます」
静かな断言。
信長はしばし沈黙し、やがて小さく笑った。
「わかった」
その一言に、場の空気が震えた。
小次郎“紅蓮”は、安堵の表情を浮かべた。そして、思い出したように。
「では、甲斐紫電様と」
「この歳で紫電とは」
信長の声は、冗談めかしながらも、確かに新たな名を刻んだ。
顔つきが変わり、ふと、思いついたように
「なりゆきとは言え、のう?ふふっ」
オジサンは、ドヤった。
「では、甲斐紫電成行」
上手い事言えた感が全身から伝わる。
一同がリアクションする前に続ける。
「そして、お前は」
小次郎“紅蓮”を見据えて言う。
「為成、甲斐紅蓮為成じゃ」
蘭丸“柳原戸兵衛”は、その名を胸中で反芻する。
甲斐紫電成行。
甲斐紅蓮為成。
討死した者たちが、影で生きるための、新しい雷と炎。
伏目がちの錦之介“安倍安定”が静かに言う。
「流石はご隠居様、“為せば成る”と、言う事ですな」
「わかるか」
笑った。
甲斐紫電成行は、名を変えても、いや、隠居となり名を変え、ようやく本来の自分の笑顔を取り戻したようだった。
坊丸“世瀬蔵人”が腕を組み、ぼそりと言った。
「……ほんまに、戻れんとこまで来たな」
小次郎“紅蓮”は、わずかに笑った。
「ええ。ですが――それで良いのです」
蘭丸“柳原戸兵衛”は、昨夜の力丸の背中を思い出していた。
史の空白に入る者。
史の外へ出る者。
どちらも、戻れない。
「……兄弟が一人、増えたと思えばええんか?」
坊丸“世瀬蔵人”がぶっきらぼうに言う。
小次郎“紅蓮”は、少しだけ照れたように笑った。
「そうしていただけると、助かります」
その言葉に、坊丸“世瀬蔵人”は鼻で笑った。
「甘いな、お坊ちゃん」
その一言が、冗談か、警告か、励ましか――
まだ誰にも分からなかった。
史の中では、失われた“名”と、
未だ有るもの
つづく
りっきゅんの想い
それが垣間見える部分が
あります。
意味があるのか?ないのか?
それはまた、別の話




