私の夫はどクズだけど顔がいいからオッケーです
「カチェリナよ。我が国を救ってくれたこと、国主として心からの礼を述べる。我が国の英雄であるそなたに、なんでも褒美をとらそう」
「なんでも……でございますか」
とある王国の、玉座の間にて。
堂々たる威厳を放つ国王の前に、若い女性が立っている。一国の主を前にしているというのに頭を垂れないなんて本来であれば不敬罪になりかねないが、彼女に対してそのような忠告をする者はいない。
なぜなら、国王こそこの女性に対して礼を尽くさねばならないからだ。
王国は長らく、魔物による被害に頭を悩ませていた。異界に住まい時空の裂け目をこじ開けてこちらの世界にやってくるという魔物。
自慢の騎士団でも歯が立たず、このまま王国は蹂躙されるのか……と思っていた矢先に現れたのが、異国の魔術師であるカチェリナだった。
深紅の髪をなびかせた彼女はたった一人で魔物の軍勢に立ち向かい、圧倒的な魔力をもって魔物を焼き払った。それだけでなく負傷した騎士や兵士たちの治療なども率先して行ったため、カチェリナは『救国の英雄』として国民から絶大な支持を得ている。
国王は、そんなカチェリナを無碍にはできない。
それこそ彼女のために『なんでも』する必要があった。
カチェリナはうねりのある長い髪を掻き上げて、ふふっと笑った。
(……なるほど。国王はどうにかして、私をこの国に留めたいのね)
カチェリナは、異国人だ。王国人としての籍を持っておらず、平民生まれであるため家名もない。だから、いくら王国の英雄と称えられようとこの国を出て行っても何も問題ないのだ。
王国は、カチェリナをここに留めたい。だから国を救った礼も兼ねて、あらゆるものを差し出そうとしているのだ。
カチェリナとしても、この国に悪い印象はない。それに二十四歳という年齢もあってそろそろ腰を落ち着けたほうがよいだろうかと思っていた頃だったので、この国を自分の旅の終着点としてもいいだろう。
……となると。
「では、国王陛下。ほしいものがございます」
「おお、なんでも言うがよい」
カチェリナが乗り気だとわかったからか、国王は玉座から身を乗り出してきた。のほほんとした見た目のわりに抜け目のない国王のことだから、今も頭の中ではすさまじい速度で今後の計画を立てているのではないか。
(ちゃっかりしている人は、嫌いではないわ)
この王の場合、カチェリナの価値をよく理解しているからこそカチェリナの味方になってくれることが確定しているので、こちらとしてもやりやすい。
カチェリナは、微笑んだ。
「それでは……この国で一番の美男子を」
「……美男子、とな?」
「はい。独身婚約者なしで、私に年齢が釣り合うくらいの年頃である、国一番の美男子と結婚しとうございます。陛下、お願いできますでしょうか?」
カチェリナがふんわり微笑みながら問うと、国王はしばし考え込んだのちにうなずいた。
「……見目の麗しい異性を好むのも、何もおかしなことではない。あいわかった。ではそなたの目に適うような若者を探し、改めて提案しよう」
「ありがとうございます! とても、楽しみです」
カチェリナは、ほっとして言った。
数日後、カチェリナの姿は王城の庭園――の隅っこにあった。
「どうだ、カチェリナ。そなたの好みそうな男はいるか?」
「そうですねぇ……」
庭園の隅っこに座るカチェリナは双眼鏡を手に、庭園をじっくり観察していた。
そこには今、若い男性たちが集まっている。
国王によって選ばれた、カチェリナの婿候補たち。
「顔がよけりゃ身分はなんでもいい」とカチェリナが言ったので、下町の大工から傍系王族まで、あらゆる身分、あらゆるタイプの美男子たちが一堂に会している。
国王は彼らには「若い男性だけのサロンを開くから、来たまえ」と適当な命令を下しており、自分たちが『救国の英雄』の婿候補だとは知らない。
だがいずれも独身恋人なしでかつ、結婚の意欲がある者たちばかりだ。カチェリナとて、女性が苦手だとか結婚に興味がないとかいう男性に無理を言うのは人として間違っていると、わかっている。
国王と並んで婿候補ウオッチングをするカチェリナだが、なるほどいずれの男性たちも魅力的だ。
(あの人は、筋肉質で素敵。あっちの人はすごく優しそう。それから……んんっ?)
「……陛下、右端に座ってらっしゃるあちらの方は?」
「……ああ、あれか」
カチェリナが示す先を見て、双眼鏡を下ろした国王は少し困ったように眉を垂らした。
「あれは、とある伯爵家の長男だ。あやつが気に入ったか?」
「はい、それはもう」
おとなしく答えながらも、カチェリナは内心ではじゅるりと涎を垂らしていた。
(きれいに整えられた黒髪……あれは間違いなく、老後までしっかり保つタイプの毛根持ちだわ。色気のあるつり眉垂れ目に、薄い唇。顔の全てのパーツが整っていて……しかも立ったらかなりの身長と見えるわ)
カチェリナが注目しているのは、座っているだけで色香を振りまいている青年だ。
年齢は、カチェリナと同じくらいだろうか。他の男性たちの談笑には交わらず一人で紅茶を飲んでいるがその所作も洗練されているし、なんといっても顔がいい。顔がいい。
大切なことだから、二回言う。
(いいわ……いいわ! 皆なかなかの美男子だけど、あの人が一番だわ!)
双眼鏡を押しつけすぎて目の周りに丸い型ができそうになっているカチェリナに、国王は咳払いをした。
「あー……あやつは確かに見目がよいし、二十五歳という年齢、身分、独身婚約者なしと諸条件を満たすために候補に挙げたのだが……難点があってな」
「足がものすごく臭うとかですか?」
「違う……いや、そうかもしれんが、わしは知らん。そうではなくて、あやつは社交界でも噂になるほどの問題児なのだ」
「問題児?」
「どクズ、ともいう」
「どクズ」
双眼鏡を下ろしたカチェリナは、渋面の国王を見た。
「あやつの名は、レオカディオ・バディア。バディア伯爵家の長男なのだが、家督は弟が継ぐことになっている。というのもあやつは伯爵の第一子ではあるが、私生児なのだ」
「なるほど」
「既に結婚している弟のほうは品行方正な優等生なのだが、腹違いの兄であるあやつはとんでもない輩で……女をとっかえひっかえし賭博にのめり込みあっちにふらふらこっちにふらふらしており、伯爵も頭を悩ませているという」
「そういうことで、どクズなのですね」
もう一度双眼鏡を装着し、国王も認めるどクズ男の顔を見る。
やはり、顔がいい。
「だから、あやつのことは正直勧められん。そなたの婿となったならば多少は素行もよくなるだろうが、間違いなくそなたを困らせる。……わかったか?」
「わかりました。では、そのどクズと結婚します」
「そうかそうか……おい!?」
ばっとこちらを向いた国王に、カチェリナはしとやかな微笑みを向けた。
「私、レオカディオ・バディア様と結婚したいです」
「正気か!? あやつは顔だけが取り柄のどクズだぞ!?」
「どクズでも構いません。だって……あんなに顔がいいのですから」
カチェリナは双眼鏡をのぞき込み、ほう、とため息をついた。
レオカディオ・バディア。
国王も認めるほどのどクズとのことだが……顔がいい。毎日見たって飽きないだろう。
「陛下、私は結婚に愛を求めているわけではありません。ましてや、夫の経済力を宛てにしたいわけでもありません。だって私、強いし偉いのですから」
「確かに」
「私はただ、国一番の美男子の顔を毎日見たいのです。美男子が私に微笑むだけで、お腹いっぱいです。いえ、おかわりが三杯はできます」
「偽りの微笑みでもよいのか? 結婚したレオカディオ・バディアがそなたに笑顔だけ見せて、その後は愛人とよろしくやっていても?」
「構いません。……ああ、さすがに恐喝殺し詐欺窃盗、妊娠した恋人をポイとかをしないのであれば、愛人が百人できても全く問題ありません」
「それもさすがに問題だと思ったほうがよいが」
うーむ、と国王は考え込む。
「あやつも、そなたと結婚することの意味くらいはわかるであろう。わしの記憶では、あやつはどクズではあるが馬鹿ではなかったはずだ。そなたに愛嬌を振りまくくらいのことはできるだろう」
「十分でございます! ああ、あのお顔を毎日見られるのでしたら、私はずっとこの国におりますのに」
そう言いながらチラッチラッと隣を見ていると、国王はしばし渋い顔をしていたがやがて「……わかった」と肩を落とした。
「バディア伯爵令息との婚約の話を、わしが取り付けよう。だが、本当によいのだな?」
「むしろ、レオカディオ様や伯爵家の皆様が受け入れてくださるかどうかのほうが、心配なくらいです」
カチェリナはしおらしく言うが、まずノーの返事はされないということはわかっていた。
国王は、何が何でもカチェリナを手放したくないと思っている。王国貴族であるバディア伯爵家だって、わかっているはず。
もしレオカディオや伯爵家がカチェリナの気分を損ねるようなことをした場合、国王が切り捨てるのは伯爵家のほうだ。
それくらい自分には価値があるのだと、カチェリナはわかっている。わかるほどでなければ、ここまでのし上がることはできなかっただろう。
(ああ……あのお顔を朝見たら、私は一日を幸せに生きていけそうだわ!)
カチェリナは黒髪の美丈夫を、双眼鏡のレンズ越しにうっとりと観察していたのだった。
カチェリナとレオカディオ・バディアの婚約は、あっさりまとまった。
伯爵家側も次男と真逆の放蕩息子をどうにかしたいと思っていたようで、カチェリナの婿にすることでおとなしくなるのならばと、半ば投げやりになりつつ承諾してくれたそうだ。
そして国王が「こういうのはさっさと進めるべきであろう」と言ったこともあり、カチェリナは婚約した翌日には結婚宣誓書を書き、レオカディオ・バディアの妻となったのだった。
レオカディオは両親と弟夫婦が暮らす実家を離れて王都にある小さな屋敷で悠々自適な一人暮らしをしていたそうだが、カチェリナが国王から賜った豪邸に引き取ることにした。
カチェリナとしては別に小さな家でも全く問題ないのだが、国王側の面子の問題もあるそうだ。
そうして両者が顔を合わせないまま結婚宣誓書が提出され、カチェリナは新居にて新郎の到着をわくわくしながら待っていた。
黙って笑っていれば儚げで幸薄そうな見た目であると言われるカチェリナは、ゆったりとした純白のドレスを着ていた。
面倒くさいので結婚式などは挙げなかったが、白いドレスへの憧れはそれなりにあったので、初日くらいはこれを着たかった。
「奥様、レオカディオ様がお越しになりました」
「通してちょうだい」
高級なクッキーをバリバリ食べながら待っていると、メイドが声をかけてきた。彼女がドアを開けると、黒髪の美丈夫が現れた。
(っかー! 顔がいい男が来たわ!)
以前双眼鏡で覗いたときよりさらに身なりを整えているということもあり、白い礼装姿の男――カチェリナの夫となったレオカディオは、直視するのが畏れ多くなるほど美々しかった。
彼は脚を組んでソファに座り口の周りにクッキーの食べかすをつけた儚げな女性を見て一瞬目を丸くしたが、すぐに笑顔になってお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、カチェリナ様。あなたの夫に選ばれる名誉を授かりました、レオカディオ・バディアでございます」
(なななななんとっ、声もいいわ!?)
これは、カチェリナにとって嬉しい誤算だった。
顔がよければそれでいいと思って彼を選んだのだが、甘さを含んだ低い声音までカチェリナの好みぴったりだ。
(私の萌えるセリフを毎朝囁いてもらうのも、アリかもしれないわ……)
ぐふふ、と内心ほくそ笑みながら、カチェリナも笑顔を返した。
「初めまして、レオカディオ様。あなたの妻となったカチェリナでございます。どうぞよろしく」
「よろしくお願いします。……しかし、救国の英雄と名高い女傑が、まさかこれほどまで可憐な方だとは思っておりませんでした。あなたの指先に口づけることを、許していただいても?」
小首を傾げながら言う様はなかなか手慣れており、カチェリナの頭を『どクズ』の文字がシュバッとよぎった。
(ええと。確か王国では指先へのキスは、賞賛や感謝の意味だったかしら?)
なるほど、カチェリナとの結婚を『名誉』と言えるくらいだから、私はあなたとの出会いに感謝しています……という意味を込めているのだろう。
まあ、どうせ嘘だろうが。
「ええ、喜んで」
カチェリナが笑顔で許すと、カチェリナの前まで来て優雅に跪いたレオカディオがそっとカチェリナの右手を取り、指先に軽く口づけた。
(うーん……この仕草だけで今日はいい夢見られそうだわ……)
目をかっ開いて美男子の一挙一動をガン見していると顔を上げられたので、すぐに鉄壁の微笑みに戻る。
「レオカディオ様。私たちは夫婦ですので、これから結婚生活を送る上でお互い確認するべきことなどについて話しておきたいのですが」
「もちろんです。では、隣に失礼します」
カチェリナの言葉にレオカディオはあっさりうなずき、隣に座った。
(わっ、いい匂い! ……そうか。王国では男性も香水をつけるのね)
故郷では花などを原料とした香水は高価だったので、金のあるごく一部の女性くらいしか常用できなかったものだ。
「レオカディオ様――旦那様。不躾ながら、伺いたいことがございまして」
「我が妻の質問なら、何でもお答えしましょう」
「ありがとうございます。まず、隠し子はおりますか?」
「……えっ?」
レオカディオの顔に浮かんでいた笑みが、崩れた。
彼のハシバミ色の目を見上げながら、カチェリナは言葉を続ける。
「隠し子もとい認知している子、囲っている女性の数を教えてください。そして、彼女らがどこに住んでいるのかについても」
「えっ? あ、あの……カチェリナ様?」
「それから……ああ、そうです。財産と個人的な借金の有無と、普段利用する賭博場の場所などについても、念のために伺っておきたく」
「……な、何をおっしゃることやら」
「まあ、隠さなくてもよいのですよ? 私、あなたがとんでもないどクズであることを国王陛下より聞いておりますので」
カチェリナがそのものずばり言った瞬間、レオカディオの顔から完全に表情が抜け落ちた。鉄壁の甘い微笑みをキープできないほど、驚いているようだ。
(……あら。この様子だともしかして、ご家族からは私の前では猫を被るように言われていたのかもしれないわね)
ふむふむ、とうなずくカチェリナに、恐る恐るといった様子でレオカディオが声をかける。
「……まさかですが、カチェリナ様は私の素行についてご存じで?」
「だいたいは。ですがさすがに愛人や隠し子の数まではわからなかったので、今のうちに聞いておきたく」
「……いや、おかしくないですか? 私がどクズであるのは、まあ、自覚があるのですが、わかっていて私と結婚するのですか? あなたが私を選んだのだと伺っているのですが」
「はい、私があなたを選びました。だって、顔がいいのですもの」
カチェリナは、にっこりと笑った。
「私、旦那様は顔がよければそれで十分です。愛人や隠し子が何人いようと、構いません。殺しや違法薬物所持などの犯罪行為にまで手を出していなければ、多少のやんちゃも全く問題ありません」
「……私の顔がいいから、結婚を望んだと?」
「だめ……でしたか?」
遠慮がちに見つめながら問うと、レオカディオは困ったように視線をそらした。
「いや、まあ、顔で結婚が決まることはざらにあるのでそれはいいのですが……それにしても、顔がよければクズでもいいのですか?」
「はい、クズで結構です」
カチェリナは微笑みを絶やすことなく言う。
「私が旦那様にお願いしたいのは、そのお顔を大切にしていただくこと、それから毎日私にお顔を見せていただくこと。それから……旦那様は声も格好いいのでせっかくですから、甘いセリフでも言ってくださることくらいでしょうか」
「……」
「私、結婚しても毎日お城に行って仕事をする必要があるのです。仕事自体は好きなので全く問題ないので、旦那様から毎日の活力を提供してもらいたいのです。ああ、旦那様は働かなくて大丈夫ですよ。必要であれば、私のお給金から愛人用の別荘を買ってくださっても結構です」
「……それはさすがに屈辱です」
レオカディオの声が震えている。
さすがに男の矜持を傷つけたのかもしれないが、カチェリナはなおも笑顔を絶やさない。
「それは失礼しました。では、旦那様はお好きに過ごしてください。ただ、毎日愛人の家に泊まっていると私がその美貌を見られないので、ちゃんと帰宅してくださいね」
「……。……救国の英雄は心の美しい可憐な女性と聞いていたが、そうではなかったということか」
「あら、でしたらどクズなあなたとお似合いではなくて?」
皮肉を言ってきたレオカディオに反撃すると、彼は複雑そうな表情で黙った。こんな表情でもうっとりするほど美しいのだから、美男子は得な生き物である。
「私もクズ、あなたもクズなら、何も問題ないでしょう。私、表面上を取り繕うのは得意なのです。それともご自分の爛れた生活を棚に上げて、心清らかで純粋無垢な乙女を妻にしたいとお思いで?」
「……まさか。俺は、一生一人で生きていくつもりでした。クズにはクズなりの、生き方と信念がありますのでね」
やや口調が崩れたレオカディオが自嘲の笑みを浮かべながら言うので、カチェリナは笑顔で手を打った。
「では、何も問題ないでしょう? ……それで、愛人と隠し子の数は?」
「ふっ……ここまで堂々と聞かれると、答えざるを得ないでしょう。女性関係が派手な自覚はありますが、そこまで深い仲の者はおりません。また、これでも伯爵家の血筋であることを理解しておりますので、やたらと種を播くようなこともしておりません」
「つまり隠し子も、結婚してからも付き合う予定の愛人もいないと?」
「そういうことです。それから賭博などの普段出入りする場所も……後で全てリストアップします。なんなら、連絡先も書きましょうか」
「そうですね。あなたがここにいないときに探す場所は確定させておきたいので」
カチェリナがうなずくと、レオカディオは立ち上がった。
「……話は終わりましたね。では今後は夫婦として『うまく』やっていきましょう」
「ええ。では今日のシメに……とっておきの笑顔をお願いします、旦那様」
カチェリナがクールに、だが内心では鼻血を噴きそうなほど興奮しながらねだると、レオカディオは一瞬顔を引きつらせたものの――
「……おやすみなさい、私の愛しい妻よ」
キラァッと周囲に大輪の薔薇が咲き誇りそうな華やかな笑みを浮かべて、
「デュッ!」
カチェリナは奇声を上げてソファにぶっ倒れたのだった。
カチェリナとレオカディオのクズ同盟による婚姻だが、なかなかどうして穏やかに時間が過ぎていった。
レオカディオがカチェリナのもとに婿入りした形になるが、カチェリナには名字がないためカチェリナ・バディアの名前になった。王国貴族の仲間入りした彼女は毎日城に足を運び、『救国の英雄』と呼ばれる魔術師として仕事をした。
王国にも魔術師はいるが、養成機関などはない。
よってカチェリナは王国の今後を見据えて魔術師の学校を作ることを提案して学校運営や校舎建設についての準備を進めつつ、生徒となる魔術師たちを集めつつ、王国内に出没する魔物を倒すべく国中を飛び回っていた。
カチェリナは元々平民なので、働くことは苦ではない。それに有り余る魔力を発散させられるので、わりと好んでいろいろな仕事を請け負っていた。
「義姉様は、素晴らしいですね。わたくし、カチェリナ様が義姉様になってくださって、とても嬉しいのです」
バディア伯爵家の庭園でそう言うのは、美しい金髪を持つ若い女性。
本日カチェリナを義理の姉としてお茶会に招待してくれた、レオカディオの弟嫁であるブランカだ。
バディア伯爵家の跡取りはクズでかつ私生児であるレオカディオではなくて、正妻の子である弟のセレドニオだ。
ブランカは彼の妻で、クズな兄とは真逆の温厚で優しいセレドニオとはおしどり夫婦として知られているという。
ブランカは義兄嫁であるカチェリナの活躍を前々から耳にしていたようで、目をきらきらさせて話しかけてくれる。
「お義兄様とカチェリナ様は、王城の夜会で出会われたとか。カチェリナ様と結婚されてからお義兄様も落ち着かれたとのことで、お義父様やお義母様も安心なさっているのですよ」
「うふふ、そう言ってくださると私も嬉しいです」
今日のためにしとやかな薄桃色のドレスを着ているカチェリナは、内心では冷や汗だらだらだった。
カチェリナとレオカディオの結婚が『顔面偏差値で決まったクズ同士の婚姻』であると知るのは、当の本人たちと国王くらいだ。
他の者には、「夜会で『救国の英雄』に一目惚れしたレオカディオからのアプローチがきっかけ」と教えている。
(でも確かに、レオカディオは思ったほどの放蕩ではなかったわね)
カチェリナとしては毎日あのご尊顔を見せてくれればそれでいいのだが、レオカディオは朝帰りなどはせずに毎日屋敷に帰ってくる。
それにどうやら実家とは関係ない商売もしているようで、それつながりの者が屋敷に来て「レオカディオ様にはいつも、大変よくしていただいています」と言われたりもする。
働き者で、部下からも慕われて、毎日ちゃんと帰宅する。
さらにあの顔面による笑顔を賜れるのだから、カチェリナとしては夫に何の不満もない。
……二人の間にほぼ会話はないが、別にお互い必要ともしていないのだから問題ないだろう。
そこでふと、ブランカが庭園の入り口のほうを見てはっとした。
「あっ、セレドニオ様!」
「やあ、ブランカ。義姉上とおしゃべりかい?」
ブランカの夫が来たようだ、と思ったカチェリナは……驚いた。
(この人が、セレドニオ様? 声が、レオカディオとそっくりだったわね)
使用人を伴ってこちらに来た青年は、レオカディオと違って栗色の髪で、顔立ちもあまり似ていない。
だがその声は兄弟でそっくりの美声で、レオカディオとさほど会話をしていないカチェリナは夫が来たのかと思ってしまった。
レオカディオより穏やかな顔立ちのセレドニオはカチェリナを見て、笑顔でお辞儀をした。
「義姉上ですね、ようこそ我が家へ。多忙な中、お越しくださりありがとうございます。ブランカが、あなたに会いたいと駄々をこねていたのです」
「もうっ、そんなこと言わなくていいでしょう!」
夫にバラされたブランカは真っ赤になって抗議し、そんな妻をセレドニオは愛情溢れる眼差しで見ている。
(ああ。理想の夫婦っていうのは、こういうのを言うのでしょうね)
カチェリナとレオカディオとは、全く違う。愛によって結ばれた、幸せな夫婦の姿がそこにはあった。
カチェリナはブランカとセレドニオからたくさんのお土産をもらい、それを馬車に積んで屋敷に帰った。既にレオカディオも帰宅していたようで、書斎で持ち帰りの仕事をしているという。
(一応、報告はしないとね。お土産もあるのだし)
「旦那様、失礼します」
「お入りください」
書斎のドアをノックすると許可が下りたので、ドアを開く。ほぼ沈みかけた夕日が投げかける陽光を背に受け、レオカディオがデスク前の椅子に座っていた。
(ウッ、顔がいい!)
やはりカチェリナの夫は、朝見ても夕方見ても夜見ても顔がいい。今日の夕食は、いっそうおいしく食べられそうだ。
「ブランカ様のお招きに応じて、お茶会に行ってきたわ」
「そのように聞いています。……ブランカとは、仲よくなれましたか?」
(……ん?)
書類から顔を上げたレオカディオに尋ねられて……カチェリナの本能が、何かに気づいた。
ブランカの名前を出したときのレオカディオの表情は、とても優しい。心なしかしゃべり方も、いつもより柔らかい気がする。
(まさかの、弟嫁への恋……?)
我ながらゲスな勘ぐりだとは思うが、思うだけなら自由だろうから許してほしい。
頭の中でゲスな想像を繰り広げつつ、カチェリナは微笑んだ。
「ええ、おかわいらしくて、とても素敵な方だったわ」
「ブランカは、俺たち兄弟の幼馴染みでもあります。昔から人懐っこくて、愛嬌のある子でした。できればブランカとは、損得勘定なしに付き合ってもらいたいと思っています」
「ええ、もちろんよ」
カチェリナとて、ブランカにはとてもいい印象を抱いた。こんなクズな兄嫁ですんませんとは思うものの、義理の姉妹として仲よくなりたいという気持ちは本物だ。
「あ、そうだ。それからセレドニオ様ともご挨拶したわよ」
「……あいつと?」
その瞬間、レオカディオの目つきが鋭くなり声に棘が混じった。
(そ、想像以上に険しいわね……)
兄がどクズで弟が優秀な腹違いの兄弟とのことだが、二人の仲自体はそこまで悪くない、というのは国王やブランカ、バディア伯爵夫妻からも聞いていたのだが。
レオカディオは、じろっとカチェリナを見てくる。とはいえその鋭い眼差しもご褒美なのでカチェリナは内心ではじゅるりとおいしい思いをしつつも黙っていると、やがてため息が聞こえてきた。
「……俺とは違って、いいやつだったでしょう?」
「優しくて愛妻家な雰囲気は伝わってきたわ。それに私は別に、あなたのことはそれほど悪い人だとは思っていないわ」
「ふん、顔だけいいクズだと言ったのはあなたでは?」
レオカディオが自嘲気味に言うので、カチェリナは肩をすくめた。
「そりゃ、あのときはあなたのことを噂で聞くだけだったから。でもあなたは自分で見つけた仕事を頑張って、周りの人にも優しくしているらしいし、十分いい人だったとわかったわ。誤解して、ごめんなさい」
「……別に、謝ってほしいわけではありません」
レオカディオはもごもごと言ってから、ふいっと視線をそらした。
「……報告、ありがとうございます。俺はもう少し、仕事をするので」
「わかったわ。そういえば今晩はオムライスだそうだけど、あなたはとろとろ卵と固めの卵、どっちが好き?」
「……とろとろで」
視線をそらしたまま言うので、カチェリナは小さく噴き出し、レオカディオに「なにが悪い!」と拗ねられてしまったのだった。
魔術師としての仕事をしつつ、屋敷でレオカディオの尊顔を見ては「ヴッ!」とうめきつつ、たまにブランカと一緒にお茶を楽しんだりしていたカチェリナだったが。
「……えっ? うちの夫が?」
「うむ……やはり、どクズの血が騒いだのだろうか」
場所は、王城の隅っこにある焼却場。
そこで廃棄物焼却処分を手伝っていたカチェリナのもとに国王がやってきて、とある報告をしてきたのだった。
普通の炎だとなかなか燃えないものを焼くためにカチェリナが魔法の炎で燃やしていると、「寒いのう」なんて言いながら国王が来た。そうしてごうごうと燃える火に手をかざしながらこそこそと言うので、カチェリナは肩をすくめてしまった。
(わざわざこんなところに来てまで……とは思うけれど、確かにこういうことは皆の前では口にできないものね)
「現場は、商業区三番街にある連れ込み宿。相手の女性は、『レオカディオ・バディア』という名前をしっかり聞いたそうだ」
「……ちょっと待ってください。いくらどクズだからって、行きずりの女性に本名を明かすものですか?」
どうやら夫は昨夜、王都の商業区で若い女性と関係を持ったらしい。国王の側近が現場を見て相手の女性に問うたことで判明したそうなのだが……。
少し離れたところで作業員たちが廃棄物をぽいぽい投げ込むのを眺めながらカチェリナが問うと、国王は首をひねった。
「わしも前々からそう思っているのだが、レオカディオに問い詰めると他ならぬ本人が『名乗りました』と言うのだよ。だからこそ、あやつの悪行の数々はあっさり明らかになるのだが」
「……私が見るに、あの人はそこまで馬鹿ではないと思うのですが」
火力を調節しながら、カチェリナは言う。
レオカディオと結婚して一ヶ月ほど経ったが、やはり彼は勤勉で人当たりのいい青年だった。メイドなどにも丁寧に接するし、目下の者を虐げたりもしない。
……そんなレオカディオが果たして博打やら女遊びやらをするのかとも思うのだが、本人に聞いても「私だって、そういう気分になります」とはぐらかすだけなのだ。
「そうだな。しかし、わしにはそれ以上踏み込む道理もない。あやつのやっていることはクズかもしれんが、犯罪ではないのでな」
国王もレオカディオの言動の矛盾に気づきつつも、本人が主張するならと流しているようだ。
「……やはり気になるかね?」
「そうですね。でもどちらかというと……なにか事情があるのなら言えばいいのに、と思います」
指先に小さな炎を灯し、カチェリナは小さく笑う。
(言うはずがないわね。だって私は自分勝手な理由であの人を縛り付けた、クズな女なのだもの)
それに、レオカディオの言い分だってわかる。クズな妻に縛られているのだから、たまには息抜きをしたいと思うはずだ。
その息抜き方法がよその女性との火遊びくらいなら、妻として目をつむるべきだ。
国王と同じくカチェリナにも、レオカディオの『遊び』に踏み込む道理はないのだから。
(……とはいえ)
「……気になるから、調べるくらいはいいですよね?」
カチェリナがにっこりと笑うと、火に当たっているというのに国王はぶるっと震えた。
「……わしはどうやら、とんでもない人間を国に引き入れてしまったようだの」
「後悔しますか?」
「いいや。……そなたの好きなようにするとよい、カチェリナ・バディア」
そう言う国王の笑顔はなかなか爽やかで、彼があと四十歳ほど若ければカチェリナのターゲットになっていたかもしれない、と思わされた。
国王と話をした、数日後の夜。
「今晩、旦那様はお仕事の都合で外泊されるそうです」
使用人からその報告を聞いたカチェリナは、「来た!」とピンときた。
(さては今日も、『夜遊び』の日みたいね!)
「そう、わかったわ」
「……あの、奥様」
使用人が不安そうな顔をするので、カチェリナは彼に微笑みかけた。
「大丈夫よ。じゃ、今日は私も先に寝るわ。またね」
「……はい。おやすみなさいませ」
使用人は、少し寂しそうな顔で頭を下げた。きっと彼らも、今夜主人が『夜遊び』をすることを察しており……そのことを悲しく思っているのだろう。
(でももしかしたら、レオカディオにも理由があるのかもしれないわ)
自室に上がったカチェリナは部屋の鍵を閉め、そしてクローゼットから露出の高いシンプルなドレスを出した。
それに袖を通してから、自分の顔にも魔法をかけ――普段とは全く違う、銀髪に色っぽい目元を持つ美女に顔を変えた。
これからカチェリナは、王都に偵察に行く。魔力を持つものにならバレる程度の変装だが、これくらいで十分だろう。
窓を開けて、たんっと飛び降りる。魔法で体を浮かせたカチェリナは緩やかな速度で屋敷の庭を飛び、そのまま夜の王都の街並みに溶け込んだ。
(うーん、さすが王都だけあって、夜でも賑やかね)
まだ灯りの灯る店を順に眺めながら、カチェリナは故郷を思い出していた。
カチェリナの生まれ故郷では、夜になるとほぼ全ての店が閉まっていた。人口が少ないので、夜に店を開いても客が来ないからだ。
だが、王都は違う。健全そうなカフェやあやしげなパブまで、いろいろな店が元気に呼び込みをしていた。
(で、レオカディオが『夜遊び』しそうな場所も、こういう時間に営業しているのよね……)
できれば、レオカディオを探したい。
だから、彼の行き先だという賭博場などを当たっていこうかと思ったのだが。
「……失礼、そちらのかわいらしいお嬢さん」
きょろきょろとあたりを見回していたカチェリナは……艶のある声に、ぎくっとした。
この声は――
(レオカディオ!?)
まさか早速見つかるとは、と思って振り返ったカチェリナだが、目を丸くした。
そこにいたのは、黒髪の男性だった。だが、レオカディオではない。
(……声のよく似た、別人かしら?)
ナンパ目的なのだろうが、別人には興味がない。
カチェリナはにっこり微笑みながら、少し相手の男との距離を取った。
「こんばんは。私に何か用かしら?」
「もしお暇なら、僕と一緒に過ごさないかと思いまして。おごりますよ?」
「あら、ごめんなさい。私、夫がいますので」
やはり、ナンパだった。
ほほほ、と笑ってやり過ごそうとしたカチェリナだったが、相手の男は素早く手を伸ばしてカチェリナの手首を掴んだ。
(……えっ?)
「あ、あの……」
「それならお気になさらず。僕も妻がいますし、結婚していても恋愛の自由はあるのですから」
「……は?」
いやおまえも既婚者なんかい、と突っ込みそうになったカチェリナだったが、
「ああ、申し遅れました。僕の名は、レオカディオ。レオカディオ・バディアと申します、美しい方」
……あろうことか、ナンパ男はカチェリナの夫の名前を持ちだしてきた。
一瞬呆然としたカチェリナだったが……ぴん、とひらめいた。
(さては、この男がレオカディオの名前で悪さをしてきたのね!)
レオカディオ本人ではなくて、彼に化けた偽者がレオカディオの名前を使い、女性を誑かす。
そういうことだったのだ。
……この時点でのカチェリナはこの推理にまだ大きな穴があることに気づかず、義憤に駆られるまま空いているほうの手で男の手首を掴み返した。
「えっ? ……う、わ、わぁぁぁ!?」
「私の顔面国宝の名前を穢すんじゃないわよこの偽者風情がぁ!」
パチパチパチ、とカチェリナの手首から青白い光が漏れ、ちゅどーんと爆発が起きた。
相手は一般人なので音と爆風のわりに威力はたいしたことはない見せかけの魔法だが、男は「ぎゃあああ!?」と大袈裟なほど叫んでから吹っ飛び、近くの飲み屋の壁にべちゃっと突っ込んだ。
(ふん、ざまあみろ!)
パンパンと両手を叩いたカチェリナは、ずるずると倒れ込んだ男の髪を掴んで……案の定かつらだったそれをぽいと投げた。
レオカディオに真似るために使っていた黒いかつらの下は、茶色の髪だった。ショックのあまり広げた両脚をがくがくと震わせて恐怖の表情でこちらを見上げる男は――
(……ん? この顔って……)
「き、貴様! よくもこの僕に暴力を!」
あれ、と首をひねるカチェリナに構わず、男はまくし立てた。威勢だけは十分だが、まだ脚は震えているし顔色も悪い。
「バディア伯爵家に対する暴挙、決して見逃しはしない!」
「……え。あなたって、もしかして……」
カチェリナがあることに気づいた、直後。
カタン、と音がして、カチェリナと男は振り返った。
路地の先にいる、こちらを見る人は――
「レオカディオ……?」
「っ……おい! なぜこっちに来た!」
呆然とつぶやくカチェリナと、わめき立てる男。
路地に立つ男――レオカディオは目を丸くしてこちらを見ており、その目がカチェリナの足下で座り込む男に向けられる。
「……すごい音がしたから、何事かと思って。だが、あなたは……」
「レオカディオ」
カチェリナは、すっと顔の前で手を滑らせた。
魔法が解除されて、銀色だった髪は赤色に、色っぽい美貌はぽやんとした平凡な顔になり、レオカディオだけでなく足下の男も息を呑んだ。
「お、おまえはまさか……」
「……なるほど、そういうことだったのね」
カチェリナはため息をついて、ゆっくりとレオカディオのもとに向かった。そして呆然とする彼の肩にそっと触れて、「よかった」と囁く。
「あなたは、クズなんかじゃなかったのね」
「カチェリナ……?」
「そうでしょう? ……セレドニオ・バディア」
振り返ったカチェリナに睨まれて、茶色の髪の男――義弟のセレドニオは、悔しそうにうめいたのだった。
レオカディオが弟の本性に気づいたのは、今から十五年近く前のことだった。
『ねえ、兄上が僕の代わりに叱られてよ?』
セレドニオは薄笑いを浮かべてそう言い、自分が壊した壺を「兄上が割った!」と、使用人に報告した。
私生児であるレオカディオと、正妻の子であるセレドニオ。
伯爵は二人をなるべく平等に扱ったし、伯爵夫人も思うところはあるもののレオカディオのことも尊重してくれたのだが、セレドニオは違った。
彼は兄の立場が弱いことを知って、悪さをしては兄になすりつけようとした。最初は抵抗したレオカディオも、この屋敷では自分の発言力が弱いことを知っていた。
レオカディオがおとなしく弟の尻拭いをすれば、あまりにも酷いことはされなかった。弟はきっと、そのあたりの調節も上手だったのだろう。
やがてレオカディオは『バディア伯爵家のクズな長男』と呼ばれ、セレドニオは『バディア伯爵家の優秀な次男』と呼ばれるようになった。家督も当然、弟に譲られる。
やがて兄弟の幼馴染みであるブランカが、セレドニオと結婚することになった。
あのセレドニオもブランカのことは本当に大切に思っているようで、婚約してから弟がレオカディオの名前で夜遊びをすることはなくなった。
だがここ最近、またレオカディオは弟に夜に呼び出されるようになった。「おまえはもう結婚しているだろう」と言っても、「もし兄上がバラしたら、悲しむのはブランカだよ?」と、どの口が言うのかという理論で返してくる。
レオカディオは、ブランカを悲しませたくなかった。
彼女に恋愛感情はないが、幸せになってほしいと思っていた。
ゴミのような本性を持つ弟も、ブランカのことは裏切らないと思っていたのに。
ブランカのことを思うと、レオカディオは抵抗できなかった。
そうして彼はまた弟に名前を奪われて夜遊びをされ、その悪名を押しつけられるようになった。
でも、別にいい。これでいい。
弟の本性を知らないブランカは、毎日幸せそうだった。
自分はちゃんと手に職をつけているし、クズ呼ばわりされようと生きていくことはできる。
かわいい幼馴染みのために、レオカディオは自分が一生我慢しようと思っていた。
「ばかぁーっ!」
「ぶっ!?」
話を聞いたカチェリナの平手が、レオカディオの右頬に決まった。
威力こそ抑えていたものの、まさか妻に殴られるとは思っていなかったらしいレオカディオはよろめき、きょとんとした顔でカチェリナを見下ろした。
「い、いきなり殴らなくても……」
「はっ、そうだわ。ごめんなさい、レオカディオ。あなたの国宝級美顔を……」
「いや、そうではなくて」
よしよしと自分がぶった場所を撫でて回復魔法も施すカチェリナに、レオカディオが冷静に突っ込んだ。
カチェリナとレオカディオの家である屋敷の、リビング。
夫から彼がこれまで受けてきた仕打ちの数々を明かしてもらったカチェリナは、思わず夫に平手打ちを食らわせてしまった。
「もう痛くない? ごめんなさい、いきなり殴って」
「いや、もうなんともないからいいのです。……ですがなぜ、殴ったのですか?」
「だって……あなたが自分のことを自分で雑に扱っていたんだもの」
カチェリナはそう言いながら、またしても怒りが湧いてきた。
無論、その矛先は現在バディア伯爵邸に軟禁されているセレドニオだ。
カチェリナはセレドニオを伯爵邸に連れて行き、伯爵夫妻に引き渡した。
その時点でのカチェリナはまだ夫から過去の話を聞いていなかったものの、「義弟にナンパされました」と言うと伯爵夫妻は真っ青になり、事情を問いただすといってセレドニオを地下室に入れた。
なお、このことはブランカの耳には入れていない。彼女に言うタイミングは少なくとも今ではないと、カチェリナもレオカディオも伯爵夫妻も思ったからだ。
「レオカディオ、そんなに辛い思いをしていたのね。でも、ブランカ様のために自分を犠牲にするなんて……」
「仕方ないでしょう! ブランカと結婚すれば落ち着くだろうと、結婚を止められなかった俺にも責任があります。だからブランカを悲しませないためには、俺が盾にならないといけないと思って……」
「そこが馬鹿なのよ!」
カチェリナは、ダンダンと床を踏みしめてレオカディオに詰め寄る。
「私はこの国最強の、『救国の英雄』様よ! せっかくそのご尊顔で私に射止められたんだから、弟のことをどうにかしてほしいって相談してくれてもよかったのに!」
「言っていることがよくわかりませんが……」
「もうちょっとは私を頼ってって言いたかったの! そ、そりゃあ、私みたいな面食いのクズなんかのこと、信頼していないだろうけど……」
「そんなことはない。……あなたには、申し訳ないと思っていました」
もう痛くはないのだろうが、右頬を撫でながらレオカディオは首を横に振る。
「俺のようなクズは、誰とも一緒になるべきではない。それなのに、英雄であるあなたを巻き込んでしまったことを、本当に申し訳なく思っていました」
「そ、そんなの、あなたが気に病むことじゃないのに……」
もごもごとなりながらカチェリナが返すと、レオカディオは小さく笑った。
「……どうやら俺たちはお互いに、ずれていたようですね」
「私は自分でもちょっとやばい人間だと思っているけれど、あなたは友人想いの部下想いな、素敵な人じゃない」
「まさか。あなただって、勇敢で気高い、素敵な女性ではないですか」
ぷいっとむくれるカチェリナにレオカディオは微笑みかけてから、そっと手を伸ばしてカチェリナの赤い髪の房に触れた。
「……ありがとうございます、カチェリナ。あなたが飛び込んできてくれたから、俺は弟の行いにもちゃんと目を向けようと思えました」
「レオカディオ……」
「ブランカのことは……伯爵家の者として、きちんと考えます。クズな弟を御しきれなかった責任は、俺にもあるのですから」
でも、とレオカディオは真っ直ぐな眼差しでカチェリナを見つめた。
「……あなたの力も、借りていいでしょうか? できれば、その……あなたの意見と力も借りていきたいのです」
「……っ、ええ、もちろんよ! この『救国の英雄』様にどんっと頼りなさい!」
ふふん、と胸を張ってから、カチェリナはレオカディオの手を掴んで自分の頬に当て、にっこりと笑った。
「……ねえ、レオカディオ。私、あなたのとんでもなくきれいな顔も好きだけど……あなたという人のことも、ちゃんと好きだからね」
「か、カチェリナ……?」
「……いや、その、迷惑だったらごめん。でも、顔だけじゃなくて私はあなたの中身もちゃんとわかっているって、それだけ言いたくて……」
最後まで言うことはできず、カチェリナの体はレオカディオによって抱きしめられた。
(……えっ?)
「……嬉しい。ありがとうございます、カチェリナ。俺も、あなたのことが好きです」
「……ふえっ?」
「ありがとうございます、カチェリナ。あなたに出会えるきっかけになったのだから……この顔をもって生まれたことを、心から嬉しく思います」
そう言ってレオカディオは体を離して、至近距離でカチェリナを見つめるので。
「デュフッ!」
「カチェリナ!?」
カチェリナは夫の腕の中で鼻血を噴いてしまったのだった。
セレドニオ・バディアの行いについて、王国の法律では罪には問えなかった。
だがレオカディオから事情を聞き、またセレドニオ本人も自白したためバディア伯爵夫妻は次男の本性に驚き悲しみ、セレドニオを領地に送ることを決めた。
彼の妻であるブランカには、「セレドニオは急な病のため、跡継ぎから外して療養することにした」と教えた。
ブランカはその言葉を静かに聞き、そして「あなたに重責を負わせることはできないから、離縁してくれていい」と言われた結果、彼女は静かに離縁を受け入れた。
ブランカが、夫の本性を知っていたのかどうかはわからない。
だが別れの挨拶をするとき、ブランカは儚くもしっかりとした笑顔で、「ありがとうございました、お義兄様、お義姉様」とカチェリナとレオカディオに告げた。
ブランカは実家に帰るというが、カチェリナたちとはこれまでと同様に仲よくしたいと言ってくれた。そこでカチェリナは義姉妹ではなくて普通の友人として、ブランカと文通をすることにした。
きっと今は、これくらいの距離感がいいのだろう。
そうして伯爵家の跡継ぎ問題になったのだが、ここで国王が「わしに任せぃ!」と乗り込んできて、私生児のレオカディオが伯爵夫人の養子になったことにして、伯爵家の正統な跡継ぎに据えられることになった。
「私、伯爵夫人なんてタマじゃないんだけど?」
国王の力でいろいろなことがスムーズに決まったカチェリナはいたく不満だったが、その隣のレオカディオは明るく笑っている。
「いいじゃないですか。むしろ俺としては俺が伯爵になるより、『救国の英雄』であるカチェリナに伯爵になってもらいたいくらいなんですから」
「無理無理無理無理絶対無理! だったら伯爵夫人でいいから、レオカディオがいろいろやってよ!」
「はは、了解ですよ、奥さん」
カチェリナと違ってレオカディオのほうは既に腹を括っているようだし、もう弟の尻拭いをしなくていいからかすっきりとした表情になることが多くなっていた。
レオカディオは伯爵家の跡継ぎになったものの、彼がこれまで個人的に行っていた仕事も継続して請け負うことを決めた。
夫が過労で倒れないかカチェリナは不安だったが、伯爵夫妻が全力でサポートしてくれるし屋敷の者やレオカディオの部下たちも非常に協力的なので、なんとかやっていけそうだという。
そしてカチェリナは彼の妻として、レオカディオを支えると決めている。
「そういえば。……俺の潔白は明らかになったのだし、そろそろ考えてもいいでしょうか」
「ん、なにを?」
王城の廊下を歩きながらカチェリナが問うと、きらりとした美貌で微笑んだレオカディオはカチェリナを抱き寄せて、耳元で囁いた。
「……これまで俺たちは清い関係でしたが、そろそろ先のステップに進んでもいいのではないか、と」
「……」
カチェリナは、ゆっくり瞬きをして……隣の夫を見上げた。
きらきらの笑顔に、とろけそうな目元。
「愛しています、カチェリナ」
そんな夫に愛を囁かれて、頬にキスされるものだから。
「……ミ°ッ!」
死にかけのセミのような悲鳴を上げて、カチェリナは気を失ったのだった。
『救国の英雄』と呼ばれる女傑が夫と次のステップに進めるまで、まだまだ時間がかかりそうである。
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