06. 決着
◇ 8 ◆
サニラが首領を倒すと共に、鬼たちも全ての賊を倒し終わった。
怨みを晴らした鬼たちはその怨みに歪んだ陰惨の気が消え、次々とサニラに礼の言葉を述べ、輪廻へと還って行く。
最後の一体が礼を述べ消えた時、どこからかサニラを呼ぶ声が聞こえた。
「サニラ様」
それはアルカルィク。物陰から首を覗かせ、サニラの名を呼んでいる。戦闘では役に立たないアルカルィクは、闘いが始まると同時に邪魔にならないようにと物陰へと避難していたのだ。
闘いが終わったことを見て取り、アルカルィクは涙を溢れさせながら、サニラの下へと歩み寄る。
「アル兄。終わったよ」
「よくぞ成し遂げられました。きっと亡きご両親もお喜び下されていることでしょう」
アルカルィクは感極まったように、身を屈ませその泣き腫らす顔を両手で覆った。
「ちょっと、アル兄。大袈裟過ぎるよ。ほら、笑ってよ」
「サニラ様」
「アル兄」
二人は熱く見詰め合う。国が滅び、使命を果たした今。押さえてきた思いに素直になる。
「サニラ……」
「アルカルィク……」
アルカルィクは頬に触れ、サニラはそっと瞳を閉じる。アルカルィクの手はゆっくりと下へと降りていく。そして。
「ぐえっ。ちょっ、え、待っ。アルカルィク、く、首、首、締まってるから。ぐるじい、なっ」
アルカルィクに目を向けたサニラは言葉に詰まった。アルカルィクの顔が別人の如き凶相に歪んでいる。
「くぅ、がぁぁぁぁ、ああ……、ぁ、……ク、ククク、クカカカカカッ」
サニラの目が驚愕に見開かれる。不気味な笑い声を上げるアルカルィクのその背に、黒い霞が揺れている。
◆ 9 ◆
「な、にっ」
アルカルィクの背に取り憑く黒い霞。それは視鬼の目を持つサニラだからこそ見える非物質的存在。
アルカルィクの震える瞳がぐるりと反転し、白目を剥いた。しかし、首を絞める力は緩まない。その口からはアルカルィクとは異なる荒々しい声が発せられる。
「クククッ、コ、コ、コ、小娘ェ」
サニラの顔が、驚きに歪む。
「お前は……、首領か」
「クカカッ小娘ェェ」
首領の霊に取り憑かれたアルカルィクは、サニラの首を圧し折らんと締め上げる。気管が潰され息が詰まるサニラの顔は赤黒く変わり、アルカルィクの顔へ向け必死に腕を伸ばし藻掻くが、手は虚しく空を切る。
サニラは腕を高く掲げた。懸命の力を籠め、振り下ろす。狙うは首を締め上げるアルカルィクの肘、その内側部分。
サニラの拳はアルカルィクの腕を打ち、その結果としてアルカルィクの腕は曲げられた。
接近するサニラとアルカルィクの顔。サニラは頭突きをくらわせた。
アルカルィクは呻き、力が抜ける。サニラはしなやかな体捌きでアルカルィクの胸を蹴った。
蹴られたアルカルィクも、蹴りつけたサニラも、自らの身体を支えられない。後方に転がり、床に背中を打ちつけた。
サニラは膝立ちとなり腰の道具入れに手をやった。ない。霊符は空。懐をまさぐる。やはり、ない。全ての霊符を使いきっている。
復讐を目的とし、賊たちを倒すためだけに道術を学んだサニラの修行は偏っている。霊符がなければ術を使えない。
アルカルィクは上から釣り上げられるような奇妙な動きで立ち上がった。動き同様の奇怪な声で嗤う。
「クハハッ。ドウシタ小娘。オ得意ノ霊符ハ品切レカ。クカカカカカッ。ドウスル、ドウスルノダアァァ」
嗤いながら、拳を固め殴りかかってくる。その動きは歪で荒い。しかし、徐々に動きの精度が上がっている。少しずつ首領はアルカルィクの肉体に馴染み、支配を強めている。
サニラは跳ね起き、躱しながら思考する。
鬼となり、怨霊と化した首領を物理的な手段では倒せない。祓うためには定まった術がいる。それも相当に強い術が。
通常、怨霊は弱った人間や特別な繋がりを持つ人間にしか取り憑けない。
しかし、首領はアルカルィクに取り憑き、操っている。あり得ないほどの強い霊力の結果として。それは。
「あれ? ひょっとして、私のせい?」
サニラは首領を騙し討ちによって倒し、嘗めきった態度で小馬鹿にした。それにより、首領は強い怨みを募らせ死んだ。
しかもこの場にはサニラが大量の霊符を派手にばら撒いて術を発動させ、さらには討った百人近くの賊の魂までが漂っている。
そのため、ここは一種の霊域となっている。首領が強い霊力を持った怨霊を化したのは、必然の結果だった。
「ぬわー、ど、ど、ど、どうしよう。これって拙いんですけど」
思わず頭を抱えしゃがんだサニラの頭上を、風切り音を立てるアルカルィクの拳が過ぎ去った。サニラは気持ちを切り替え、眼前に迫ったアルカルィクの胴を乱打。無数に打ち据える。
しかし、アルカルィクは堪えない。アルカルィクの肉体が傷付いても、操る首領には影響がないために。
アルカルィクはサニラを乱雑に蹴った。サニラは辛うじて防ぐが、力に負け大きく飛ばされた。壁に頭をぶつけ、サニラの意識は朦朧とする。
サニラには打つ手が見当たらない。
いくら首領が操ろうとも、元々、荒事が苦手なアルカルィクを打倒することは不可能ではない。
しかし、それは操られているアルカルィクを傷付けるだけ。操る首領の怨霊そのものは倒せない。
首領はたとえアルカルィクの肉体が取り返しのつかない損傷を受けたとしても、その身が動く限りどこまでも平然と襲ってきて、アルカルィクの肉体が完全に壊れれば、次の肉体に取り憑くだけだろう。
方法がいる。怨霊だけを倒す手段が。
その時、霞むサニラの視界の隅で、陽光を反射し青い光が煌めいた。
サニラは思い出す。この場には霊的存在を斬ることができる器物があることに。神剣テングリ。あの剣ならば、怨霊も斬ることができる。
サニラは床に転がるテングリへ向け、駆け出した。同時に首領もサニラの意図に気付いた。二人はテングリへと駆け寄る。
テングリにはサニラのほうが近い。しかし、先ほどまで意識を朦朧とさせていたサニラよりも、首領が速い。
首領はサニラに追いつき、テングリに手を伸ばしたサニラを蹴倒した。そのまま馬乗りとなり、サニラの首に手を掛ける。
「クカカッ、残念ダッタナアァア小娘。オ前モ終ワリダ」
歪んだ笑みを浮かべ、首を締め上げる。サニラは咄嗟に首と締めるアルカルィクの手の間に左手を差し込んでいた。
懸命の抵抗を試みるが、緩めるまでには至らない。
サニラは必死にテングリへと手を伸ばす。だが、届かない。指の先、あと指一本分の距離がどうしても届かない。
サニラは願う。強く願う。
届け。届いて。あと少しなのに。お願い、届いて。父上、母上、助けてっ!
不意にいずこからか朧な手が現れ、テングリに触れようとした。ただ、その手はテングリを擦り抜け、触れることができない。
それでも、その現象は一つの好機を生んだ。
手の出現に気を取られ、首を絞める首領の手がわずかに緩んだ。サニラは満身の力を籠め、首領の腹を突き飛ばした。身の下から脱出。テングリを掴んだ。
首領は己の胸を晒し、挑発する。
「クカカッ。イイゼ、ホラ、ヤレヨ、ヤッテミロ。オ前ノ愛シイ男ゴト斬ッテミロ」
サニラは躊躇する。救いの道はある。しかし、それは細い道。万分の一、億分の一の可能性。
首領は防御を一切気に掛けず、高笑いしながらサニラへ向け固めた拳を振りかぶる。サニラの躊躇いは反応の遅れにつながり、拳を躱すが身を掠められる。
このままいつまでもは避けられない。じきに追い詰められる。それがわかっていながらも、サニラは手にした剣を振ることができない。
首領は高笑いと共に、次から次にと拳を繰り出してくる。ついにサニラは躱しきれず、拳をくらう。打たれたサニラは壁へと打ちつけられた。
「死ネ、小娘」
首領は止めの一撃を繰り出した。
しかし。その一撃は、サニラに当たる直前に止まる。首領の顔が苦痛に歪む。
「テ、手前ェ。クッ、グアァァァ」
サニラは目を見張る。首領の、さっきまで怨みに歪んでいた表情に、誠実な人柄が現れている。
「……サ、サニラ。早く。今のうちです。どうか、斬ってください」
徒人であるアルカルィクが、桁外れの霊力を持つ怨霊に抵抗している。それは通常ならあり得ないこと。
可能としたのは、アルカルィクが抱くサニラに対する理を曲げるほどに強い思慕の情。己が命を犠牲としてもサニラを生かそうとする。
「アルカルィク! そんな……」
だが、サニラにはできない。幼き日、お兄ちゃんと慕い、淡い恋心を抱いた相手を、いつかまた会えると信じ、それを希望に過酷な修行を耐えることができた心の支えを、アルカルィクを斬るなどできる筈がない。
ただし、アルカルィクが首領を止めていられるのは、常識を外れた奇跡。どれほどの想いを掻き集めようとも、長くは保たない。
「これ以上、止めていられません。どうか、早ク。グ、ウウ」
アルカルィクが苦痛に歪む。アルカルィクの懸命の抵抗も限界を迎える。サニラは覚悟を決める。
瞳を閉じ、深く息を吸う。丹田に気を集め、テングリを構えた。
心を絞り、ひたすらに願う。代々、己が一族が守り伝えてきた神剣に。
「天より賜りし、偉大なる神剣テングリよ。汝を祀りし一族の末裔が願う。悪しき者を斬らんがことを」
首領はアルカルィクの抵抗を捻じ伏せ、再び肉体の主導権を握った。
「ガアァァァァァ」
首領の拳が迫る。サニラは瞳を開く。短く息を吐き、踏み込んだ。
「応えて、テングリ」
テングリは青い燐光をまとう。
一閃。静寂。
首領の身体はぐらりと崩れ、膝をついた。
「ク、ヘへ、ヘッ、ヤルジャ、ネエカ」
アルカルィクの背から黒い霞が抜けていく。渦巻く霞は最後の力でサニラを害さんと襲いかかる。
「怨霊、滅すべし」
霞を斬り裂いた。
「クヒヒッ、精々、後悔シヤガレ、小娘」
首領は呪いの言葉を残し、消え去った。




