短編 『早いお盆』
『早いお盆』
一日目
七月最後の土曜日、息子の拓也が帰ってきた。四十九歳になった息子は東京で国家公務員として順調にキャリアを積み、今では年収も八百万円を超えている。八月は予算関連の業務で休暇が取れないため、七月の最後の週末を利用した三日間の帰省だった。
私、正雄は七十二歳になった。十五年前に妻を亡くしてからは一人暮らしが続いている。息子の帰省は年に一度か二度程度で、今回も久しぶりの再会だった。
「お疲れさま」
玄関で息子を迎えると、拓也は少し疲れた様子だったが、穏やかな表情を見せた。
「ただいま、お父さん。早いお盆だけど、仕事の都合で」
夕食は近所の寿司屋から出前を取った。妻が亡くなってから、料理をする気力はなかなか湧かない。息子も一人暮らしが長いせいか、こうした簡単な食事に慣れているようだった。
二日目の夜
翌日曜日は、二人でゆっくりと過ごした。午前中は妻の墓参り。午後は家でテレビを見ながら、たまに会話を交わす程度だった。
夕食後、息子がビールを持ってきて、リビングで向かい合って座った。普段はあまり飲まない拓也が、今夜は何杯もビールを空けた。
「最近、どうなんだ?仕事は順調そうだが」
私の何気ない質問から、息子は仕事の話、職場の人間関係、そして最近考えていることなどを話し始めた。時計の針が十一時を回っても、二人の会話は続いた。
「実は、お父さんに話しておきたいことがあるんだ」
拓也が少し真剣な表情になった。私は黙って息子の言葉を待った。
「結婚のことなんだけど…最近、『自由の代償』ということをよく考えるんだ」
「自由の代償?」
「そう。僕は今、完全に自由だ。でも、その自由には代償がある。それが何なのか、最近やっとわかってきたような気がする」
息子の本音
拓也は大学卒業時、就職超氷河期の真っ只中にいた。百社近く受けても内定をもらえず、一年間の就職浪人を経験した。本当はJTへの就職を希望していたが、結果的に国家公務員になった。
「あの頃は本当にきつかった。就職できるかどうかもわからなくて、将来のことなんて考える余裕もなかった」
現在の年収は八百万円を超えている。サラリーマンの中央値の二倍以上だ。経済的には十分安定している。
「正直言うと、結婚はもう考えられないんだ。でも、それは『自由の代償』を受け入れた結果なんだと思う」
拓也の言葉に、私は驚いた。経済的にも安定し、年齢的にもまだ間に合うはずなのに。
「自由の代償とは、具体的に何なんだ?」
「理由はいくつかあるけど…まず、今の生活が快適すぎるんだ。誰にも気を遣わず、自分のペースで生きていける。残業で遅くなっても誰にも文句を言われない。休日は好きなことができる。山登りに行ったり、株の取引をしたり、読書をしたり。読書量は母さん譲りで、なんでも読む乱読の方なんだ。これが僕の選んだ自由だ」
拓也は缶ビールを空けて、新しいものを開けた。
「でも、その自由の代償として失っているものがある。それは…深いつながりだと思う。誰かと本当に深く関わること。誰かのために自分を犠牲にすること。誰かに必要とされること。そういう経験を僕は避けてきた」
「それに、職場の先輩たちを見ていると…家族を持つことの大変さがよくわかる。住宅ローン、子供の教育費、奥さんとの関係。みんな疲れ切っている。家に帰るのが憂鬱だって言う人も多い」
「でも、家族がいることの喜びもあるだろう」
私がそう言うと、拓也は複雑な表情を見せた。
「もちろん、それはわかる。でも、今の時代は昔と違う。結婚しなくても生きていけるし、一人でも寂しくない。SNSもあるし、趣味を通じた仲間もいる。無理して家族を作る必要を感じないんだ」
拓也の言葉は理路整然としていたが、どこか寂しさも感じられた。
「お父さんはどう思う?お母さんを亡くしてから、自由の代償について考えたことはない?一人の方が楽だと思うことはない?」
突然の質問に、私は言葉に詰まった。息子が使った「自由の代償」という言葉が、心に深く刺さった。
妻との記憶
妻の千代子は五十七歳で病気で亡くなった。乳がんだった。闘病生活は二年間続いた。その間、私は仕事と看病の両立に苦しんだ。夜中に病院から呼び出されることもあった。経済的な負担も大きかった。
千代子とは十五歳のときに知り合った。同じ高校の同級生だった。四十年間を一緒に過ごした。その長い歳月の中で、喧嘩もしたし、意見が合わないこともあった。しかし、それらすべてが私たちの人生だった。
正直に言えば、その時は「一人だったらこんな苦労はしなくて済むのに」と思ったことがある。妻の病気が進行し、介護が必要になったときは特にそうだった。
「お父さん?」
拓也の声で現実に戻った。
「お母さんを亡くしたとき、確かに楽になったと思った部分もある」
私は正直に答えた。
「でも、それ以上に失ったものが大きかった。お前の言う『自由の代償』とは逆で、僕は自由を手に入れたが、その代償として深いつながりを失った。一人でいることの自由はあるが、それは同時に深い孤独でもある。誰かと喜びを分かち合うことも、悲しみを支え合うこともない」
拓也は黙って聞いていた。
「お母さんと過ごした四十年間は、確かに大変なこともあった。十五歳で知り合ってから五十七歳で亡くなるまで、長い道のりだった。お金のことで喧嘩したり、子育てで意見が合わなかったり。でも、それらを含めて人生だったんだと思う。今の自由は楽だが、薄っぺらい人生になってしまった気がする。これが、僕が払った自由の代償なんだろう」
「でも、今の時代は違うよ、お父さん。昔は結婚しないと一人前じゃないって風潮があったけど、今は個人の選択が尊重される。結婚が全てじゃない。僕は自由の代償を理解した上で、それでも自由を選んだ」
拓也の言葉にも一理ある。確かに時代は変わった。
「それはそうかもしれない。でも、人間は本質的に一人では生きていけない生きものだと思う。家族じゃなくても、誰かとの深いつながりは必要なんじゃないか。お前の言う自由の代償を本当に理解しているなら、それでも構わないが…」
「つながりはあるよ。友人もいるし、同僚とも良い関係を築いている」
「でも、それは表面的なつながりだろう?本当に困ったとき、病気になったとき、老いたとき、そばにいてくれる人はいるのか?」
拓也は黙り込んだ。
三日目の朝
翌朝、拓也は早めに起きて荷造りを始めた。午後の新幹線で帰る予定だった。
朝食を一緒に取りながら、昨夜の会話の続きをした。
「お父さん、昨夜は重い話をしてごめん。自由の代償について話したけど」
「いや、聞けてよかった。お前の考えもわかったし、『自由の代償』という言葉も印象深かった」
「でも、お父さんの言葉も心に残ってる。確かに、表面的なつながりしかないのかもしれない。でも、今から深いつながりを求めるのは難しい」
拓也は少し考え込むような表情を見せた。
「ただ、今から結婚を考えるのは現実的じゃない。四十九歳だし、相手も見つからないだろう。それに、東京にいると仕事が忙しくて、出会いの機会も少ない。もう僕は自由の代償を受け入れることにしたんだ」
「そんなことはない。最近は晩婚も珍しくないし、同年代の独身女性もいるだろう」
「まあ、完全に諦めているわけじゃないけど、積極的に探す気にもなれないんだ。自由の代償として失うものと、得るものを天秤にかけたとき、今の生活の方が僕には合っているような気がする」
息子の複雑な心境がよくわかった。理屈では結婚の意味を理解しているが、現実的には一人の生活に慣れすぎてしまっている。そして「自由の代償」という言葉で、自分の選択を正当化しようとしている。
午後二時、息子を駅まで送った。
「また来年、お盆に帰ってくる」
「体に気をつけろよ」
新幹線が見えなくなるまで手を振った。
暑気払いの席
息子が帰った翌日、取引先の幹部社員との暑気払いに参加した。メンバーは田中さん(六十二歳)、佐藤さん(四十五歳)、山田さん(四十三歳)、そして私の四人だった。
会場は市内の割烹料理店。二時間ほどの宴席だった。
最初は仕事の話が中心だったが、酒が進むにつれて私的な話題に移った。
「正雄さんは一人暮らしで羨ましいですよ」
田中さんがそう言った。田中さんは奥さんと大学生の娘さんがいる。
「え?なぜです?」
「いや、自由でしょう?誰にも気を遣わず、好きなことができて」
田中さんの言葉に、佐藤さんと山田さんも頷いた。
「そうそう、うちなんて奥さんの機嫌を損ねないよう、毎日気を遣ってますよ」
佐藤さんは高校生と中学生の息子がいる。
「子供の塾代も馬鹿にならないし、奥さんのパート代も家計に回ってしまう。自分の小遣いなんて月三万円ですよ」」
山田さんも同調した。
「うちも似たようなものです。休日は奥さんの用事に付き合わされるし、ゴルフに行くのも一苦労。『また遊びに行くの?』って顔をされる。特に僕はサッカーが好きで、チームの遠征試合を見に行きたいんですが、家族がいるとなかなか…一人なら全国どこでも応援に行けるのに」
山田さんは熱狂的なサッカーファンらしく、その愚痴には実感がこもっていた。
三人とも、家族への愚痴を言い始めた。
「でも、皆さん、家族がいることの良さもあるでしょう?」
私がそう言うと、三人は苦笑いを浮かべた。
「もちろん、それはありますよ。子供の成長を見るのは嬉しいし、奥さんが病気のときは心配になる。でも、正直言うと、たまには一人になりたいと思うことが多いんです」
田中さんの言葉に、他の二人も深く頷いた。
「一人暮らしって、どんな感じなんですか?やっぱり自由ですか?」
佐藤さんが興味深そうに聞いた。
一人暮らしの現実
「自由といえば自由ですが…」
私は妻を亡くしてからの十五年間を振り返った。
「確かに、誰にも気を遣わずに済みます。食べたいものを食べ、見たいテレビを見て、好きな時間に寝る。でも、それだけです」
三人は意外そうな表情を見せた。
「喜びを分かち合う相手がいない。悲しみを支えてくれる人もいない。病気になったときの心細さは、皆さんには想像できないでしょう」
私の言葉に、宴席の雰囲気が少し重くなった。
「昨日まで息子が帰省していたんですが、息子も結婚を考えていないと言っていました。東京で国家公務員をしていて、山登りと株が趣味で、『自由の代償』という言葉を使って自分の人生観を説明していました」
「自由の代償?」
田中さんが興味深そうに聞いた。
「息子によると、一人でいることの自由を選ぶ代償として、深いつながりや人生の重みを手放したということらしいです。それを理解した上で、自由を選んだと。世間では未婚率の高さを経済的な理由で説明する経済学者もいますが、息子の場合はそれとは違います。経済的には十分安定しているのに、あえて自由の代償を受け入れている」
「息子さんもですか?」
山田さんが驚いた。
「四十九歳で国家公務員、年収も安定している。山登りや株取引など趣味も充実している。でも、自由の代償として失うものがあることを理解しながらも、今の生活が快適すぎて、家族を持つことの意味を見出せないようです」
「なるほど…自由の代償ですか」
田中さんが考え込むような表情を見せた。
「でも、正雄さんから見て、息子さんの『自由の代償』という考え方は正しいと思いますか?」
「難しい質問ですね」
私はビールを一口飲んだ。
「息子の言い分もわかります。確かに一人の方が楽です。自由の代償として何かを失うことも理解している。でも、人生の深みという点では、やはり家族がいる方が豊かだと思います。私自身、妻を亡くしてから自由を手に入れましたが、その代償として深い孤独も得ました」
家族の意味
「家族って、結局何なんでしょうね?」
佐藤さんがふと呟いた。
「重荷でもあり、支えでもある。面倒な存在でもあり、かけがえのない存在でもある」
私は妻との思い出を振り返りながら答えた。
「妻が病気になったとき、正直、負担に感じることもありました。仕事と看病の両立は本当に大変だった。でも、妻を失ったとき、初めて彼女がどれだけ大切な存在だったかわかりました」
三人は静かに聞いていた。
「妻は私の人生に制約を与える存在でもありましたが、同時に人生に意味を与えてくれる存在でもありました。息子も同じです。子育ては大変でしたが、息子がいたからこそ、父親として成長できました」
「でも、今の若い人たちは、そういう『制約』を嫌がるんですね」
山田さんが言った。
「そうです。自由を最優先に考える。でも、その自由は本当に価値のあるものなのか、疑問に思うことがあります」
田中さんが頷いた。
「確かに、家族がいると自由度は下がります。でも、その制約の中で学ぶことも多い。責任感、忍耐力、愛情。一人でいては身につかないものです」
山田さんが頷いた。
「そうですね。僕もサッカーの遠征に行けないことは不満ですが、息子が少年サッカーを始めたとき、一緒に応援に行くのは嬉しかった。一人だったら味わえない喜びでした」
現代の家族観
「でも、時代は変わりましたからね」
佐藤さんが言った。
「昔は家族を持つのが当たり前だったけど、今は選択肢の一つでしかない。個人の価値観が尊重される時代です」
「それも一理ありますが」
私は少し考えてから答えた。
「選択肢が増えることは良いことですが、同時に人間関係が希薄になっているのも事実です。SNSでつながっているといっても、それは表面的なもの。本当に困ったとき、助けてくれる人がどれだけいるでしょうか?」
山田さんが深く頷いた。
「確かに、友人関係は年を取るにつれて薄くなっていきます。でも、家族は最後まで残る」
「そうです。血のつながりは特別です。どんなに喧嘩しても、最終的には家族なんです」
田中さんも同意した。
「うちの娘も大学生になって、最近は反抗的ですが、それでも心配になるし、成長が嬉しい。これは他人では味わえない感情ですね」
人生の重み
宴席も終盤に近づいた。四人とも、酒の力もあって本音を語り合っていた。
「正雄さんの息子さんには、ぜひ結婚を勧めてください。自由の代償という考え方も理解できますが」
田中さんが真剣な表情で言った。
「一人でいることの楽さはわかりますが、人生の重みを知るには、やはり家族が必要だと思います。自由の代償として失うものがあっても、それ以上に得るものが大きいはずです」
「重みですか?」
「そうです。責任を負うこと、誰かのために生きること。それが人生に深みを与えるんです」
佐藤さんも頷いた。
「確かに、家族がいると大変です。お金もかかるし、時間も取られる。でも、それ以上に得るものが大きい」
「何を得るんですか?」
私が聞くと、三人は少し考えてから答えた。
「愛情でしょうか。与える愛情と、受ける愛情」
山田さんが言った。
「成長ですね。自分だけでなく、家族全体の成長を見守ること」
佐藤さんが続けた。
「継続性です。自分の人生が次の世代に続いていく実感」
田中さんが最後に言った。
帰り道
宴席を終えて帰る道すがら、私は今夜の会話を反芻していた。
息子の拓也は「自由の代償」という言葉で自分の選択を説明した。一人でいることの快適さを選び、その代償として深いつながりを手放したと。それは現代的な価値観であり、決して間違いではない。経済的にも安定しているし、趣味や友人関係も充実している。
一方で、今夜出会った三人の男性たちは、家族の存在を時に重荷に感じながらも、その価値を理解していた。家族がいることの大変さを愚痴りながらも、根本的には感謝していた。彼らにとって、自由を犠牲にしても家族という代償を得ることの方が価値があると考えているのだろう。
そして私自身は、妻を亡くしてから自由を手に入れた。息子の言う「自由」を手に入れたが、同時に深い孤独という代償も支払った。
エピローグ
家に帰ると、静寂が私を迎えた。息子がいた三日間の賑やかさが嘘のようだった。
リビングに座り、妻の写真を見つめながら考えた。
「自由の代償」とは何なのか。息子にとっては、深いつながりを手放すことだった。私にとっては、妻を失った後に得た孤独だった。
息子の拓也は自由を選んだ。それは彼の人生であり、彼の選択だ。しかし、その自由の代償として失ったものが、本当に彼を幸せにするのだろうか。
今夜出会った三人の男性たちは、自由を犠牲にして家族という代償を得ている。時に重荷に感じながらも、その中で人生の深みを見出している。
私は妻を亡くし、息子は独立し、一人になった。この孤独は確かに辛いが、同時に妻や息子と過ごした時間の価値を深く理解させてくれた。
自由には必ず代償がある。家族という制約を避けることで得られる自由もあれば、愛する人を失うことで得られる自由もある。しかし、その代償として失うものの重さを、本当に理解できるのは、失った後なのかもしれない。
息子の拓也が、いつか「自由の代償」の真の重さに気づいてくれることを願いながら、私は妻の写真に向かって小さくつぶやいた。
「千代子、自由の代償を払ってでも、お前がいてくれて、本当によかった」
静寂の中に、妻の優しい笑い声が聞こえたような気がした。