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「じゃあ、お母さんたちは先に帰るね。そのまま打ち上げに出るんでしょう?」

「うん、適当に時間つぶしてから行くよ。荷物ありがとう。帰るときに連絡する」

 卒業式に出席した両親に卒業証書や鞄を預けて身軽になると、最後に校内を見ておこうかなと生徒会室へ足を運ぶ。教室に残って記念撮影をしたり、教師と最後の挨拶を済ませている生徒もまばらに残っている。

 蓮見も通りすがる後輩や友人たちと会話を交わしながら、六年間通った校舎に名残惜しさを感じていた。

 二年間入り浸った生徒会室は無人だったが、喧噪から少し離れた静かさが心地よかった。

 窓から見える校庭も晴れやかな門出に喜びが溢れている。そんな中で一人、自分だけが何となくモヤモヤした気持ちでいるのが後ろめたかった。

 学祭のあの日、蓮見の恋心が実ることはないと突き付けられた日から今まで、がむしゃらに日々を過ごしてきた。それでも日々の端々に、紫のことを思い出す時間があったのも事実で。

 放課後になると体育館に行きたくなった。一目でいいから紫の姿が見たかった。

 夜になるとメールボックスを開いては閉じて、受信音がするたびにもしかしてと期待して、勝手に落胆して。

 でも、今日あの門をくぐれば、もう高校生ではなくなる。

 そしてこのまま連絡を取らなければ、紫との接点は消える。

 

(覚悟してたはずなのになぁ)


 ぼんやりと視界が滲んできた。鼻の奥がツーンと痛んで、大粒の涙が一つ、ぽろりと瞳から落ちた。

 今日が卒業式でよかった。たとえ泣いていても、誰にも不思議に思われないから。


 その時、ポケットに入れた携帯が震えた。持続的な震えに、着信だと気づく。

 袖口で涙をぬぐうと、慌てて画面に目を落とした。映し出された名前に、一瞬見間違いかと思った。

 しばらく呆然と見ていたが、切れる気配がないので震える指でボタンを押す。

「……はい」

『蓮見?卒業おめでとう』

 耳をくすぐる優しい声音に、思わず喉がヒクリと震える。あの日からずっと聞きたかった、紫の声。

「っあ、ありがとう、ございます……」

 ズッと鼻水を啜ると、堰を切ったように涙が溢れてくる。

『まだ学校にいる?門の前で待ってるから、会ってくれる?』

「えっ……!?」

 その言葉に、蓮見はバッと窓の方を振り返った。そして門の前に立つ紫を見つけた途端、電話が繋がったままだということも忘れて走り出す。

 廊下を走ることなど、初めてかもしれない。半ば飛び降りるように階段を駆け下りて、転びそうになりながら校門へと走った。

 一粒、また一粒とこぼれる涙を頬に感じながら、息を切らせて門の前にたどり着くと、そこにはいつも通りの紫の姿があった。

「久しぶり」

 そう言って微笑んだ紫は、肩で息をしている蓮見の頬に触れた。温かな指が、蓮見の目元を濡らす涙を拭った。

声を聞くだけで、顔を見るだけで、こんなにも紫が好きだと確認する。この気持ちを、忘れることなどできるのだろうか。

「紫、さん……えっと、今日はお休みじゃ……?」

「部活はね。今日は私用だから」

「私用……」

 バスケ部の卒業パーティーとかだろうか。首を傾げながらオウム返しをする蓮見に、紫はフハッと笑った。

「今日で高校も卒業、これで、大人の仲間入りだな?」

「え……」

「あー、このあとクラス会とかある?」

「18時からあります」

「ちょっと、時間くれる?」

「え?」

 手招きされて促されるままに後に続く。駅までの道とは反対の住宅街を通り抜け、五分ほどで着いたのは三階建ての小さなアパートだった。外階段を上ると二階の端の部屋で止まり、紫はポケットから取り出した鍵を差し込む。

「ん、どうぞ」

「ここって……」

「俺の家」

 情報が処理できないまま、足を踏み入れた。ワンルームの小さな部屋には、写真や洋服が飾られ、狭いながらも快適そうに整えられている。背後で扉が閉まる音がして、「お邪魔します」と慌てて靴を脱いで上がった。

「適当に座って。麦茶でいい?」

「あ、はい」

 ありがとうございますと答えながら、混乱する頭で必死に考える。どうして今、自分は紫の部屋にいるのだろう。チラチラと周囲を見回すと、洋服ダンス代わりのラックには見たことのあるシャツやズボンがきちんと並べられ、本棚にはパソコンや大学で使っているのであろう専門書などが並んでいた。

「どうぞ」

 部屋の中央に置かれていた小さなテーブルに麦茶が入ってコップが置かれた。泣いたり走ったりで喉がカラカラだったので、ラグの上に腰を下ろすとありがたく麦茶をいただく。

 その隣にどかりと隣に紫が座った。肩が触れそうな距離に思わず心臓が跳ねる。

「改めて、卒業おめでとう」

「あ、ありがとうございます」

「学園祭の時、早川と話してたこと聞いてた?」

 学園祭、と言われて火照っていた体に突然冷や水をかけられたような気分になる。頭に上っていた血が一気に引いた。

 蓮見は紫から目を逸らして、俯く。

「あ、あの……」

「あの時は、あまりにも早川がグイグイくるから、どうしたものかなと思って。あの時の言葉に嘘はないけど、早川の口から蓮見の気持ちを聞きたくなかった」

 『俺は大人で、蓮見は生徒だから』

 それは紫の本心だった。コーチとして学校に雇われている身で、未成年の生徒に手を出すわけにはいかない。

 そして、蓮見の気持ちを蓮見以外から聞くことも、それに答えることもフェアじゃないと思った。

「でも、もしまだ気持ちが変わっていなければ、というかそもそも俺の自惚れじゃなかったら蓮見の気持ちを聞きたいんだけど」

「え……」

 蓮見の目が丸く見開かれる。紫の真っ直ぐな瞳に自分が写っている。バクバクと心臓がうるさい。息の仕方を忘れてしまったような気がして、指先が震える。

「無理にとは言わない。ただ、蓮見の口からききたい言葉がある」

 紫の強い瞳に射貫くように見つめられて、じわじわと顔に熱が集まる。

 期待してしまって、いいんだろうか。恋愛経験なんて、ほぼないに等しかった自分が、初めて人を好きだと思った。

 隣に並んで、他愛のない話をずっとしていたいと思った。望みのない恋だと思っていた。

「俺は……」

 思わず握りこんだ拳に、痛くなるほどの力がこもる。紫の視線を感じながら、蓮見は俯いて消え入りそうな声で「好きです」と呟いた。

「俺は……紫さんのことが、好きです。きっかけは、助けてもらったことでした。でも、校内で声をかけてもらえて、連絡を返してもらえたり、頭を撫でてもらえるのが嬉しくて、それだけじゃ足りなくて……」

 たどたどしくそこまで言うと、はあ、と震える息を吐き切る。

「すみません。俺、告白なんてしたことないから、なんていえば良いのか……」

 すると、握りしめて白くなっていた蓮見の拳に紫の手が重なった。


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