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『これで、第五十七回槻谷学園祭を終了します。ありがとうございました。』
蓮見の放送をきっかけに学校内から拍手と歓声が沸き起こる。生徒一同が必死に準備してきた学園祭を無事に終えて、達成感と満足感が校内にあふれていた。
放送機材の電源を切って放送室の片づけをしていると、ポケットの携帯が震えた。取り出した画面に映し出された「紫さん」の文字に、それまで耐えていた涙が堰を切ったように溢れてきた。
しゃくりあげそうになるのを必死に抑えて、床にうずくまる。本当は、学園祭の間中何度も紫の言葉が頭をよぎっていた。
早川には強がって「大丈夫」だと言ったが、それは半分以上虚勢だった。
(紫さんは、優しい)
蓮見の好意を否定しなかった。けれど、それは紫の恋愛対象にすらなれていないという現実を蓮見に突き付けただけだった。
紫の一言に一喜一憂して、頭を撫でられると嬉しくて、何もなくても顔が見たくて。でも、こんなに好きで苦しいのは自分だけ。その事実が蓮見の胸を深く抉った。
(恥ずかしい、何を思いあがっていたんだろう)
男である自分が、紫の恋愛対象になれるかもしれないなんて。
少し優しくされたから、勘違いしていたのだ。紫の優しさは蓮見だけに向けられるものじゃない。自分は所詮、大勢いる後輩の一人だというのに。
(紫さんの特別になりたかった……)
結局、紫からのメールを開けたのは泣き腫らした目のまま家に帰り、倒れこむように眠りについた翌朝のことだった。
学園祭の次の日は通例で学校は休みになる。家にいてもぼーっとしてしまうので、気分転換に勉強道具を持って図書館へ向かう。
紫が通う大学の図書館ではなく、いつも行っている近所の図書館。平日で人もまばらな館内はいつもより静かで、鼻をくすぐるインクの匂いに少し気持ちが落ち着いた。
その図書館の前の道には銀杏が植えられており、その銀杏並木が見える窓際の席が蓮見のお気に入りの場所だった。問題集とノートを広げてみるが、なかなか勉強する気にはなれない。
(紫さんに初めて会ってから、三ヵ月か……)
たった三ヵ月の間に蓮見は初恋を知り、その恋が実らないことを知った。携帯を開くと、紫専用に作ったメールボックスを開く。本当に他愛のない内容を、飽きもせず何通も送った。そして紫もそれに付き合ってくれた。好きな本、カフェでバイトを始めた理由、大学で学んでいる内容。そのどれもが些細な話題だったけれど、紫から届くメールの一文字一文字が愛おしかった。
(幸せだったな……)
初恋の相手が紫で良かったと心から思う。
一番上に表示された昨日のメールには、早川との会話については何も書かれていなかった。
(気を使ってくれてるんだろうな)
だから蓮見もそこには触れずに、これから本格的に受験勉強に専念することになります、と連絡した。
そして、メールボックスの編集をタップする。
『このボックスを消去しますか?』
震える指で『はい』と押そうとするが、なかなか指が動かない。メールを全て消して、すっぱり忘れてしまいたい。でも、例えメールを消しても、内容をほとんど覚えてしまった。それほどに、蓮見は何度も紫からのメールを読み返していた。
ため息を吐くと、携帯をポケットにしまう。
はらはらと落ちる黄色の葉っぱを眺めながら、滲んできた視界を遮断するように瞼を閉じた。
それから、二人の間を繋いでいたメールはぱたりと止まった。
(結局、最初から俺の独り相撲だったってことだな)
ため息を吐いて辞書を捲る。
放課後も休日も塾に通い詰め、勉強に追われている方が不思議と心が楽だった。
そんな蓮見の様子に早川は最初こそ何か言いたげだったが、いつも通り過ごそうとする蓮見の気持ちを察したのか、紫について触れることはなかった。
秋が過ぎ、蓮見は生徒会長を引退した。新しい生徒会の運営を補佐しながら、受験に向けてラストスパートをかけ始める。
冬が明けて、木々から雪が解け落ちるころ、蓮見は志望校に合格した。早川もバスケで推薦を受けていた大学に進路が決まり、二人でささやかにお祝いをした。
そして麗らかな春の日、蓮見の卒業生代表の挨拶を持って、三年生は槻谷学園を卒業を迎えたのだった。