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 普段よりも幾段浮足立った生徒達の声と大勢の来校者達の気配を扉の向こうに感じながら、蓮見は壁に並んだ部員たちの作品を眺めていた。題材も字体もバラバラで、それぞれの個性が出ていて面白い。

 槻谷学園祭は二日間行われる。中高合同開催で、中学は作品展や演劇、高校に上がると食べ物の出店やお化け屋敷などの出店が認められる。それとは別に各部活の発表の場でもあるので、それをまとめる生徒会の負担はかなり多い。

 書道部は毎年一つの教室を貸し切って展覧会を行っており、部員で一時間ごとに交代で店番をしている。蓮見は生徒会長の仕事もあるので、一日目に二時間まとめて店番をすることで、他の部員とバランスを取っていた。

(午後からは警備の確認と、一度共用部のごみ箱の様子も見ておくか)

 誰かと待ち合わせて学園祭を回る暇もないほど、予定が立て込んでいたが、仕事をしていると自然と校内の様子がわかるので、蓮見は十分学園祭を楽しめていた。

 ふいにコンコンと扉がノックされ、扉が開いた。顔を上げると早川が立っていた。

「よお、蓮見!これ差し入れ」

「早川、いらっしゃい」

 早川が持ってきたのは、バスケ部が出している模擬店の焼きそばだった。

「昼飯まだだろ?ここで一緒に食っていい?」

「もちろん。買いに行く手間が省けて助かったよ」

 蓮見の隣に腰かけると、焼きそばの入ったパックと割りばしを一つ蓮見に手渡してくれた。いただきます!と元気に手を合わせて、焼きそばを食べ始める。

「模擬店の売り上げはどう?」

「大盛況!休憩時間までノンストップで鉄板に向かってたから暑かった~」

 青のりとソースの良い香りが鼻腔をくすぐる。蓮見もいただきます、と手を合わせて焼きそばを食べ始めた。大量のキャベツともやし、それに麺をソースと絡めながら混ぜ合わせるのがいかに大変かを聞きながら、出来立ての焼きそばに舌鼓を打つ。

「そういえば、さっき店にコーチがきたよ」

「そうなんだ」

「あとで蓮見のところも寄るって言ってたからもう少ししたら来るかも」

 紫からは昨日の夜に、激励のメールが届いた。蓮見の店番の時間を訪ねていたから、遊びに来てくれることは知っていた。二時間のうちの何時に来てくれるかわからなかったので、先程までそわそわと教室内をうろついていたのは内緒にしておこう。

「ごちそうさまでした。おいしかった!」

 あっという間に食べ終わてしまったやきそばのゴミを袋に詰めると、「あ、そうだ」と蓮見は机の上に乗っていたプリントを手に取った。

「これ、書の説明のプリントなんだけど、数が少なくなってきたからコピーしに行きたいんだ。少しだけ留守番をお願いしてもいい?時間ある?」

「おー、いいよいいよ。行ってきな」

 ありがとう、と早川にもプリントを一部渡して足早に教室を出る。コピー機があるのは一つ下の階なので、五分ほどで戻れるはずだ。

(早川ならもし紫さんが来ても、俺が戻るまで引き止めておいてくれるはず)

 蓮見は人波を縫ってコピー機へと急いだ。


「お、蓮見のこれかぁ。すげー」

 人の背丈ほどある大きな縦長の紙に、堂々と書かれた和歌。

「達筆すぎて読めねぇな。えーと、なになに……」

 プリントの説明に目を走らせる。その文字を見て、早川は眉を寄せた。

 小さいころから、書に向き合う真剣な姿を知っているので六年間の集大成として書き上げたであろうこの作品に、わざわざ紫という文字が入っているのは偶然ではないだろう。

(本当に、本気なんだな。コーチのこと)

 幼馴染として、どうにか彼の思いを成就させてやりたかった。でも、自分にできることなどたかが知れている。

 悶々としている早川の耳に、コンコンと軽快なノックの音が響いた。

「失礼しまーす、あれ、早川?」

「コーチ、どうも」

 紫は室内を見回すと「蓮見は?」と聞いてきた。

「いまコピーに行ってます。すぐ戻ると思うんで、作品見て待っててください」

 早川は自分が持っていたプリントを紫に手渡した。

「ありがとう」

 紫はプリントと作品を交互に見ながら、順番に部屋の中を回っていく。そして、蓮見の作品の前で立ち止まると、薄く微笑んだ。

「すごいな。書道とかよくわからないけど、かっこいい」

 嬉しそうに目を細める紫の顔を見て、早川は息をのんだ。

(コーチってこんな顔するんだ)

 部活の時に見せる真剣な顔や後輩たちと笑いあっている時の笑顔とは違う。バイト先のカフェに行った時だって、同級生の女の人と冗談交じりに話している時とも、全然違う。

(こんなの、第三者の俺から見たら、絶対……)

 早川はぐっと拳を握ると、紫の隣に並んで立った。



 ずっしりと重たい紙の束を抱きかかえながら、廊下を通り抜けて教室に戻っていると、扉の中から早川と紫の声がした。

(しまった、もう来てたんだ……!)

 慌てて扉を開けようとしたが、二人が話している内容が耳に入り、扉にかけた手が止まる。

「書って、書いた人の心を映すんですよね。どうですか、蓮見の書は」

「……感想は、本人に直接言おうかな」

 ドクンドクンと耳元で心臓の音が響く。喉元にナイフをひたとつけられているように、蓮見の体は強張って動けない。

「コーチ、蓮見の気持ちに気付いてるんでしょ?」

 確信したようにそう告げた早川に、蓮見の体中からドッと嫌な汗が噴き出した。

(なに、なんの……話……)

「ん?気持ちって?」

 自分の意思を無視して繰り広げられる会話に、蓮見は目の前が暗くなるのを感じた。息を吸えているのかいないのか、わからない。水の中に落とされたように、どんどん苦しくなっていく。

 けれど、扉の外に蓮見がいることに気付いていない早川はなおも言葉を続けた。

「もし告白されたら、付き合う可能性とかあるんですか?」

 手に持っていた紙を落としそうになって、縋るように抱き締める。いまここにいることが知られたら紫の答えが聞けない。けれど、それが自分の望んだ答えではなかった場合、どうしたらいいのかもわからない。止めたいのに、早川にやめてと言いたいのに、言葉は喉に詰まったまま出てこない。

「どうかなぁ」

 苦笑するように答えをぼやかす紫に、早川は少し苛立った様子だった。

「はぐらかすのは男同士だからですか」 早川がそういうと、紫は少し逡巡したあと、ため息を吐くように言った。

「……俺は大人で、蓮見は生徒だから」

 気を使ってくれたのかもしれない。やんわりとした言い方ではあったが、優しい言葉の裏にはっきりした拒絶を汲んで、蓮見は頭の中が真っ白になった。

「それって……!」

「それにそもそもそういうのは本人と話し合うべきことだろ。早川には関係ないよ」

 紫の一言で、話は切り上げたようで何も聞こえてこない。それでもどういう顔をして二人の前に出ればよいのかわからなくて、時間を置くために踵を返そうとしたその時、

「あっ、蓮見先輩!」

 廊下の向こうから田端に声を掛けられて、持っていたプリントがばさりと床に散らばった。走り寄ってきた田端が拾うのを手伝ってくれたのでお礼を言いつつも、教室の中の空気が気になってプリントを拾う手が震えた。

「今から店番ですか?よかったー!間に合って!」

 ドクドクと鳴る心臓を落ち着けるように、蓮見は一つ息を吐いた。プリントを渡してくれた田端に「来てくれてありがとう、嬉しいよ」と答えると、ガラガラとわざと大きな音を立てて扉を開ける。

(大丈夫、落ち着いて)

 扉が開くと、少し目を見開いた紫がこちらを向いていた。蓮見は瞬きを一つすると、いつもと同じように、同じ顔で平静を装って笑う。

「あれ、紫さん来てくれてたんですね」

 早川はバツが悪そうな顔をして俯くと、蓮見の脇を通って教室から出て行った。

「早川先輩、どうしたんですかね」

「さっき友達からメールが来てたから、待ち合わせに行ったのかな」

 蓮見がそういうと、それまで黙っていた紫が、いつものように微笑んで「いい作品だね」と言った。

 それに応えるように蓮見は笑って「ありがとうございます」と言った。蓮見は田端にプリントを一枚手渡すと、紙の束を机に戻して紫の隣に並んだ。

「紫は字のバランスをとるのがすごく難しかったです」

「専門的なことはよくわからないけど、俺は好きだな」

 何気なく言うその言葉に、蓮見は涙が出そうになった。たった数分の間に天国と地獄を行き来しているようで、情緒がぐちゃぐちゃだ。俯いて一度だけ鼻を啜ると、顔を上げて作品を見る。

「母や先生にも褒めてもらいました。最後の学祭で、納得のいく書が展示出来てよかったです。もう、思い残すことはありません」

 それは、自分に言い聞かせるための言葉だった。

 肩が触れそうなほどの距離にいるのに、心は途方もなく遠い。焦がれても焦がれても、決して届くことがないと、今日はっきりわかってしまった。

「この後はどこを見に行くんですか?みんな今日までたくさん準備して頑張ってきたので、たくさん回ってあげてくださいね」

「蓮見……」

 紫が何かを言いかけたとき、数人が連れ立って教室に入ってきた。蓮見は紫に頭を下げると、作品に関するプリントを渡すために紫から離れた。

 部員の家族や友達らしく、話しながら展示を見ている人達に応対していると、いつの間にか紫は教室からいなくなっていた。


 怒涛の一日目が終わり、明日のスケジュールを確認して生徒会室を施錠する。その頃にはほとんどの生徒は帰宅していて、しんと静まり返った校舎には数個の明かりがぽつぽつと灯るだけだった。

 職員室に鍵を返しに行って下駄箱へ降りると、そこには項垂れるように座り込んだ早川がいた。

 蓮見は苦笑すると、「お疲れ」と声を掛ける。

「蓮見、あの、昼間のことだけど……ごめん、俺、勝手なことして……」

 早川と紫の会話を蓮見が聞いていたことに気付いていたらしい。蓮見は靴を履き替えると、「帰りながら話そう」と座り込む早川を促した。

「まあ、いきなりだったからちょっと驚いたけど、大丈夫だよ」

「でも……!俺が聞くべきじゃなかった。ちゃんと蓮見のタイミングで、蓮見の言葉で言うべきことだったのに……」

 蓮見と紫の仲を取り持とうと、早川なりに考えてくれたのはわかっている。蓮見としてはそこを責める気はなかった。

「……受験前にはっきりフられて良かったかな」

「!」

 蓮見は歩きながら、すっかり暗くなった辺りを照らす街灯を一つ、二つと心の中で数えていた。

「自分でも知らなかったんだけど、好きな人ができるとずっとそのことばかり考えるタイプだったみたいだから、受験勉強に身が入らなかったと思うんだよね。だから、大丈夫」

 大丈夫、と繰り返す蓮見に、早川はそれ以上言葉を紡ぐのをやめた。二人で夜道を歩きながら、蓮見は「明日もたくさん人が来てくれるといいね」とぽつりと呟いた。


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