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紫は小学校の時は身長が低かった。両親は背が高かったし三個上の姉も女性にしては長身だったので、きっと遺伝子的に背が伸びるはずだと信じて、毎日牛乳を飲んだり背伸びをしてみたりするくらいには、コンプレックスだったのだと思う。
そんな折、クラブ活動で初めてバスケットボールに触れた。自分の体には少し大きすぎるボールをどうしたらゴールまで運ぶことができるのか。相手にとられないように、味方にパスをするにはどういう動きをすればいいのか。バスケットをしている時だけは、コンプレックスを忘れて楽しむことができた。
もっとバスケをしたくて、槻谷学園に入学した。近所では運動系クラブが強いと評判の学校だった。入学して二年が過ぎるころには、紫の身長は180㎝近くなっていた。
すると、周りの目が変わる。特に顕著だったのは、部活の試合を見に来ていた他校の女子生徒だった。どこかの学校に試合に行くたびに、数人の女子から手紙や連絡先が書かれた紙をもらった。
手紙を持ってきてくれた女子に対して、連絡してみたこともあったけれど、連絡を重ねるうちに、だんだんと億劫になっていくのだ。昼夜問わず頻繁に届くメール、遊びに行かないかと誘われることもあった。けれど、バスケの時間を潰してまで行きたいと思わなかった。
そして、自分が性的マイノリティだと気づいたのは、初めて付き合った彼女とキスをした直後だった。なにか違う。しっくりこない。そんな違和感を抱えたまま一か月ほど付き合って、彼女がキスの先に進みたそうな雰囲気を出してきたけど、どうしてもその気になれなくてのらりくらりと躱していたら結局別れた。
大人しくて、真面目そうな子だった。耳まで真っ赤に染めながら俯きがちに手紙を渡してくれた時、可愛いなと思った。けれど、その可愛いは家で飼ってる犬や、愛らしい赤ちゃんに対して抱く「可愛い」と変わりなかったことに気付いたのは、彼女が泣きながら別れ話をして、去っていった後だった。
申し訳ないことをしたと紫は猛省した。自分が試しに付き合ってみようなどと思わなければ、彼女は傷つく必要もなかったのに。
それから紫の日常から恋愛の二文字は消えた。誰に対しても平等に、距離を取って接していれば、自分も周りも傷つかない。踏み込まれそうになったら、その分だけ笑顔で距離をとる。笑顔でいれば大抵のことはなんとかなった。
蓮見と初めて会った時、体育館の裏で揉めている声が聞こえたからなんだろうと思って声を掛けた。大柄な生徒の影に入っていて初めは見えなかった蓮見と目が合った瞬間、すごく目を惹かれる子だなと思った。
逃げるようにして走っていく生徒に、体を強張らせながらも「試合頑張って」と声を掛けたことにも驚いた。青ざめた顔を見れば、怖かったであろうことがわかる。それなのに相手を責めるどころか、思いやりを見せるなんて紫には信じられなかった。
(良い子だな)
傷つけるだけの自分とは違う。そう思ったら、自然と頭を撫でていた。驚いたように目を見開いた顔が、実家の犬に似ていて親近感が湧いた。
その後、もう一度会えるとは思っていなかった。初めて入る生徒会室の中で、丸い目をしてこちらを見ている生徒が、あの時の子だと気づくのに時間はかからなかった。
(また、実家の犬みたいな顔してる)
そう思ったら思わず口元が緩んだ。
「まあ、気をつけなっていうのも変だけど……蓮見くん可愛い顔してるし、同性でも用心した方がいいよ」
「え……」
見る間に赤くなっていく頬に、紫は飽きない子だなと思う。
(これは、惹かれるのも少しわかるなぁ)
共学でもモテそうだが、男子校ならなおさらだろう。生徒会長という役職からも人望が伺える。それなのに、少し褒めただけで照れるくらい初心なら、この間の生徒以外にも彼を好きな生徒は少なからずいるはずだ。
「じゃあ、お仕事頑張ってね」
用事も済んだので部活に戻ろうとすると、「あの、紫さん!」と後ろから呼びかけられる。突然名前を呼ばれたことにも驚いたし、赤面しながら下の名前で呼ばれたことにも驚き、反応が遅れる。
(可愛いなと考えてたところに名前呼びは……ちょっと反則だな)
久しぶりに感じる心臓の跳ね方に、紫は困ったように頭をかく。紫が黙っている間にも、蓮見はこちらの反応を拒否だと感じて肩を落としていた。その庇護欲をそそる顔に、さらにキュンとしている自分がいる。
「待って」
とぼとぼと椅子に戻ろうとする蓮見の片手を引いた。びくりと揺れた体を追い越して、「紙とペンある?」と机に近寄ると、蓮見はまるで花が咲いたように顔を綻ばせた。
喜びを隠そうとしない様子に、思わず笑いそうになる。
(可愛い)
アドレスを書き終えると、今度こそ部活に戻るために廊下に出た。歩く速度と同じくらいトクトクと刻む鼓動に、深く息を吐く。これは実家の犬に感じる気持ちと、傷つけてしまった彼女に感じた気持ちと、本当に同じなのだろうか。