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 その日、図書館を訪れていた蓮見は学園祭で展示するための書の題材を探していた。

 生徒会とは別に蓮見は書道部に所属している。部員数は二十人に満たないが、歴史のある部活なので、毎年学園祭では教室を一部屋借りて展示会を行う。部活の展示会なので、大きさの決まりや文字数なども特になく、何を書いても自由だった。

 いつもは家に置いてある書道の本などを見て適当に決めているが、なんとなくしっくりくるものがなくて図書館に足を延ばしてみた。蓮見は墨の匂いと同じくらい本の匂いが好きだ。静かな空間でいろいろな人が思い思いのことをして過ごしているのも好ましい。決して干渉されないけれど、一人ではない空気が心地よかった。

(初めて来たけど、普通の図書館とは蔵書の傾向が少し違って面白いな)

 ここは蓮見の通う高校の隣にある大学の図書館で、紫がいつも利用しているであろう場所だ。大学に通う人以外でも利用できることを知って、紫と遭遇しないかという淡い期待を持ちつつ来てみた。

 大学生や院生が利用するだけあって、専門的な本がたくさん置いてある。最近授業でやった古今和歌集の現代語訳の本を見つけて、手に取った。

 古今和歌集の原本に書いてある文字は、今の漢字やひらがなと違ってミミズがのたくったような線にしか見えない。

(これをまずきちんと解読して、しかも和歌の中身まで考察する人がいるんだもんなぁ)

 自分には絶対無理だと思いつつ、先人の恩恵にあやかる。

 古今和歌集に集められた和歌は、日常のとりとめもないことを詠んだ歌や、死者を悼む歌、そして恋人への歌や失恋を詠んだ歌など多岐にわたる。中には共感できるものもあるが、便利になった現代では感じえないような繊細な感傷を詠んだものもあって、面白い。

(あ、これ……)

 紫、という文字を見つけて思わずページを捲る手が止まる。

(むらさき)のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る』

(ただ一本の美しい紫草があるために武蔵野に生えている草はすべていとおしく思われるよ……)

 この和歌を詠んだ人は、単純に紫草の美しさに目を惹かれて詠んだのだろう。

(解釈は少し違うけど、俺の気持ちに似ている)

 紫に出会って、それまでの人生で感じたことのない気持ちをたくさん知った。今の自分の心情にぴったりだと思った。

(でもさすがに……引かれるかな……)

 ため息を吐いたその時、ポケットに入れていた携帯が震えた。そういえば母親にお昼を家で食べるのかを伝え忘れていたので、その連絡だろうかと画面を見ると、紫からのメールだった。

(えっ!紫さん!?)

 慌ててメールを開くと、『いま大学の図書館にいる?』という短い文だけが書かれていた。首を傾げて『はい』と送ろうとしたその時、突然ポンと肩を叩かれて体が跳ねる。

「やっぱり、蓮見だ」

「ゆっ……!」

 大きな声が出そうになって咄嗟に口を塞ぐ。驚きと嬉しさでバクバクと暴れている胸をどうにか押さえつけながら、周りの邪魔にならない小さな声で「こんにちは」と言った。

「蓮見に似てるなーって思ったんだけど、大学図書館だから別の人かなと思ってメールしたんだ。よく来るの?」

「あ、いえ、初めて来ました。学園祭の展示の題材を探しに……!ここなら色々な本が置いてあるかなと思ったので」

「なるほど」

 そう言うと、紫は蓮見が持っていた本に目をやった。

「古今和歌集?」

「はい。最近授業でやったところだったので気になって……」

 肩越しに本を覗き込まれて、あまりの近さにヒュッと喉がなった。

(紫さん、いい匂いがする……!)

 香水?それともシャンプー?ファッションに疎い自分では想像もつかない。同級生から香ったことのない良い匂いに、蓮見は頭がクラクラした。

「あれ、これって、ゆかり?あ、違う。むらさきか」

 その言葉にぎょっとする。自分が見ていたページがまだ紫草の場所だったことに気付いて、本を自分の胸に押し付けるように隠す。紫のことを考えながら読んでいたと悟られたらどうしようと思いながら「偶然見つけて!」と慌てて愛想笑いをした。

「自分の名前で見慣れてるから、ゆかりって読むのかと思った」

 ケラケラと特に気にした風もなく笑う紫にほっと胸を撫でおろす。

「その和歌にするの?」

「あっいえ、これは見てただけで……」

「俺、蓮見が書いた紫って文字見たいなぁ」

「え……」

 優しく微笑む紫に、目を奪われる。

(書いても、いいのかな……)

 確認しようかと思ったその時、本棚の向こうから紫を呼ぶ声が聞こえた。「じゃあ、頑張って」と言って紫はいつものように蓮見の頭を撫でていった。こっそり後ろ姿を見送っていると、友達らしき三人の男女と合流したようだった。

「知り合い?」

「うん、後輩」

「それより、次の授業さー」

 そう言って女性が紫の袖を引っ張っている。小柄で華奢な、可愛い雰囲気の人だ。

 それを見た時、蓮見は頭から冷水を被ったように血の気が引いていくのを感じた。自分が見ているのはコーチとして高校に通っている姿だけ。紫のほんの一面しか知らないのだと。

(彼女はいない。でも好きな人がいないとは限らないんだ……)

 それ以上、並んで歩く二人の姿を見ているのが辛くなって、手元の本に目を落とす。

(俺が紫さんを好きなように、紫さんのことを好きな人はきっとたくさんいるし、その中から同性でしかも年下の俺が選ばれる確率って、いったいどのくらいなんだろう)

 考えても仕方のない疑問だけが、ぐるぐると蓮見の頭の中を回り続ける。

(--よし!)

 勢いよく顔を上げると、本を借りるためにカウンターへと向かう。

(俺が紫さんを好きでいるのは、自由だ。こっそり慕うだけなら誰にも迷惑はかけないはず)

 だから、期間を決めよう。この恋を諦めるための、タイムリミット。

 好きでもない相手に一方的に想われても重いだけだ。女性からならまだしも、同性なら余計に。それは、自分がよくわかっている。

 高校の間だけ、あと数か月間だけ目で追いかけさせてもらって、すっぱり諦めよう。

 そう決意すると、蓮見は不思議と前向きになれた。


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