再構築される世界
未来が去り、ひなたと過ごした誕生日の夜が静かに明けた。
あの歪みの記憶は、今もはっきりと残っている。時間がねじれ、再構築された空間で、未来と再会し、そして別れた。
だけど……それで終わりじゃなかった。
次の日。
職場での仕事を終え、帰ろうとスマホを見た瞬間、異変に気づいた。
日付が――一日戻っていた。
しかも、メール履歴も、ニュースアプリの内容も、昨日のままになっている。
だが、俺の記憶は明確に「翌日」のことを覚えている。
「……まさか、俺だけ?」
念のため、ひなたに連絡を入れる。
「お前、今日って何日だと思ってる?」
《え? 十四日だけど……どうかした?》
「……いや、大丈夫」
ひなたには時間の巻き戻りが起きていない。
俺だけが、前へ進んだ時間を覚えていて、世界はまた一歩後ろへ跳ねた。
その夜、再び――あの夢を見た。
観測者の空間。時の狭間。
「ようこそ、再び」
あの男――観測者は、もはや驚いた様子も見せない。
「今度は……俺だけ?」
「そうだ。今回のズレは、君一人にだけ影響した」
「未来と、ひなたには……?」
「彼女たちは、再構築された世界に適応している。だが君は、完全には同調できていない」
観測者は小さくため息をついた。
「未来を思い出し、認めたことで、君は本来存在しないはずの因果と接続した。その結果、君の中に並行する記憶が残り続けている」
「……このままだと?」
「やがて君の存在そのものが、世界にとって矛盾になる」
観測者は言い放つ。
「選ばれた時間を守るか、自ら消滅するか――その選択の時が、近づいている」
――選ばれた時間。
それは、ひなたが生きていて、未来が消えた世界。
でも、それはほんとうに正しい選択なのか。
目覚めた俺は、汗でシャツが張りつくのを感じながら、ベッドの上でしばらく動けなかった。
数日後。
俺とひなたは、再び遊園地を訪れていた。
「リベンジしよう」と言って誘ってくれたのは、ひなたのほうだった。
「前回、射的もジェットコースターも、私の圧勝だったもんね」
「おい、俺のプライドを踏みにじるな」
「事実でしょ?」
そうしてふたりで笑い合うこの時間は、本当に尊くて、大切で、壊したくない。
でも。
俺の中には、もうズレが確実に根付いていた。
ほんのわずかな違和感。すれ違う記憶。デジャヴのような感覚。
まるで、世界が俺を拒んでいるようにさえ感じる。
観覧車に再び乗り込み、ふたりきりの空間になったとき、俺はつい口を開いた。
「なあ、ひなた……もし、俺がいなくなったら、どうする?」
ひなたの顔が強ばる。
「やだよ、そんなの……なんで急にそんなこと言うの?」
「仮の話だ。でも、考えておいてほしい。何かあっても、お前は前に進めるように」
「嫌だってば……!」
ひなたは俺の手を握る。
震えていた。
「今が、どんなに不確かでも、私はあなたといたい。過去も、未来も、今この瞬間も――全部」
俺は黙ってうなずくしかなかった。
彼女の言葉が、痛いほどに胸を打つ。
だけど、その言葉が強くなるほど、俺の存在の不安定さが際立っていく。
――俺は、本当にここにいていいのか?
その答えは、まだ出ないまま。
夕焼けの中、観覧車が地上へと降りていく。
次の選択の時は、もうすぐそこまで迫っていた。
観覧車を降りたあと、俺とひなたは無言で歩いていた。
遊園地の出口が近づくにつれ、胸の奥がざわついていく。
「……田中くん。さっきの話、あれって本当に仮の話?」
ひなたが足を止める。
真っすぐな目で、俺を見ていた。
「何か、隠してるよね。私に言ってないこと」
ドクンと心臓が跳ねた。
――このまま、何も言わずにいれば、穏やかな時間は守れる。
でも、それは嘘を積み重ねるということだ。
だから、俺は静かに口を開いた。
「俺は……この世界に完全には適合できてないらしい。未来と再接続したせいで、時間にズレが起きてる。俺だけが」
ひなたは黙って聞いていた。
「観測者って存在に言われた。いずれ、俺はこの世界にとって矛盾になる。放っておけば、存在が消えるかもしれないって」
言葉にすると、それはあまりにも非現実的で、馬鹿げた話のように響く。
でもひなたは、そんな俺を否定しなかった。
「……私も、薄々気づいてた。あなたの言葉の端々に、何か隠してるものを感じてたから」
そう言って、彼女は一歩、俺に近づく。
「でも、ね。私はもう後戻りしないよ。たとえ世界があなたを矛盾と呼んだって、私の中では――あなたは確かにここにいる」
俺の胸元に、小さな拳が当てられる。
「ちゃんと、ここにいる。感じてる……だから、いなくならないで」
涙が、こらえきれずにこぼれていた。
俺はその頬をそっと拭いながら思う。
――これ以上、何かを失いたくない。
けれどその夜。再び、観測者は現れた。
「選択の時だ」
例の夢の中。変わらぬ無機質な声。
「このまま、再構築された世界に順応するには、君の記憶の一部を消去し、未来との因果を切断しなければならない」
「……つまり、未来のことを忘れろって言ってるのか?」
「そう。記憶から存在を抹消し、因果を絶てば、君の時間はこの世界に溶け込む」
観測者は淡々と続ける。
「逆に、それを拒めば――君は時の亀裂として、やがてこの世界から弾かれる」
どちらを選んでも、代償は重い。
記憶を捨てれば、未来を裏切ることになる。
拒めば、今の生活、そしてひなたとの未来が危うくなる。
俺は問う。
「どちらも守る道は……ないのか?」
観測者は一瞬だけ、黙った。
そして、ほんのわずかに口元を歪めた。
「ただひとつだけ、可能性はある。すべてを受け入れ、すべてを繋げることができれば、世界は新たな構造を許容するかもしれない」
「……それって、どういうことだ?」
「君と未来、ひなた――三者の因果を同時に成立させ、なおかつ世界に干渉を与えない。それができるなら、再創造は理論上は可能だ」
「それって、奇跡だろ」
「そう。奇跡だ。だが、時間に抗ってここまで来た君には、その資格があるかもしれない」
次の瞬間、視界が崩れた。
目が覚めた俺は、夜の静寂の中で、天井を見つめていた。
心に決めたことがある。
――俺は、奇跡を起こす道を選ぶ。
どちらかを切り捨てるなんて、もう二度としない。
翌日、俺はひなたを呼び出した。
伝えなければならない。すべてを。
そして、共に選ばなければならない。
これは、ひとりじゃなくて、ふたりで創る未来なんだから。