ふたりで、世界を選ぶ
日曜日の午後、街の喧騒から少し外れた河川敷に、ひなたは現れた。
風が春の匂いを運んでくる。
この場所は、俺たちがはじめてまともに言葉を交わした思い出の場所。
「……なんか、懐かしいね。ここ」
「そうだな。あのときは、ひなたの睨みがすごかった」
「うるさい。あんたが怪しかったからでしょ」
そんな軽口を交わせるのは、きっと今だけだ。
これから話すことは、冗談にはできない。
俺は深く息を吐いて、告げた。
「俺、ひなたに全部話す……未来のこと、観測者のこと、この世界のズレのこと、そして……奇跡の選択のことも」
ひなたは黙ってうなずき、真剣な顔で聞き始めた。
過去に起きたタイムリープ。
未来との出会いと別れ。
観測者の警告と選択。
そして――奇跡の道。
ひとつも誤魔化さずに、すべて話し終えたとき、彼女はしばらく黙っていた。
長い沈黙のあと、ふと、空を見上げて言った。
「……なんだか、本当に物語みたいだね」
「そうかもな。俺もまだ現実感があるようでない」
「でも、私、信じるよ。全部」
彼女のその言葉は、まっすぐだった。
揺るぎのない意思がそこにあった。
「だって、田中くんが、信じてほしいって言ったんでしょ。あの観覧車で」
その言葉を、彼女はちゃんと覚えていた。
そして、自分の中で咀嚼して、受け入れていた。
「だから、私も選びたい――ふたりで、未来を」
思わず、胸が熱くなる。
「……ありがとう。じゃあ、奇跡を起こす準備をしよう」
「うん。奇跡、起こそう。みんなの未来を守るために」
その夜。
再びあの夢の中。観測者の空間。
今度は、ひなたも共にいた。
「……本当に、ふたりで来るとは。予想以上だ」
観測者は少しだけ驚いたような声を出す。
「私たちは選ぶよ。ふたりで。未来を切り捨てず、でも今の世界も壊さない。そんな道を」
ひなたがはっきりと告げる。
観測者は静かに言う。
「その選択は、未確定の因果を繋ぎ直す極めて不安定な試みだ。成功する可能性は、一%未満」
「でも、ゼロじゃない。でしょ?」
俺がそう返すと、観測者はかすかに笑ったような気がした。
「……ならば、始めよう。君たちの未来の再創造を」
次の瞬間、空間がきらめく。
空が反転し、視界が泡のように崩れ、光の粒が舞いはじめた。
目の前に、未来の姿が浮かび上がる。
制服姿のまま、少し驚いたような顔をしていた。
「……田中くん……? ひなたさん……?」
「未来。俺たちは、お前を消さない」
「今度こそ、あなたも私たちの未来の一部だよ」
ふたりで手を伸ばした。
その手が彼女に触れた瞬間――世界が、動いた。
未来の手に、俺とひなたの手が触れた瞬間――世界が音を立てて揺れた。
空間が歪み、色が褪せ、あらゆる時間の残像が交差する。
過去と現在と未来が、まるで一枚のフィルムのように重なり始めていた。
「これは――再構築……?」
観測者が低くつぶやいた。
「三つの因果が同時に繋がろうとしている……! そんなこと、本来はありえない……」
だが、俺たちは諦めなかった。
未来の瞳が揺れている。
「私……もういないはずの存在だったのに……どうして、手を伸ばしてくれたの?」
俺は言う。
「後悔したくなかったんだ。未来を、そして今を、誰か一人を犠牲にするなんて、そんな選択をしたら――きっと俺はもう、俺じゃなくなる」
ひなたが続ける。
「あなたがいた時間も、私たちにとっては大切なものだった。それをなかったことにするなんて、できないよ。だから……」
「一緒に、未来へ行こう」
観測者が言った。
「君たちは矛盾を力に変えようとしている。本来、時間の整合性は崩壊を招くが――感情がそれをねじ伏せることも、稀にある」
彼の声はもはや冷たくなかった。
どこか、驚きと感嘆が混ざったような、そんな色だった。
そのとき。
世界の奥から、もうひとつの選択肢が現れた。
【新たな時間軸を生成し、三者すべての存在を受け入れる】
【その代償に、過去の記憶は曖昧になる可能性がある】
ひなたが俺を見た。
未来が静かにうなずいた。
俺たちは、迷わなかった。
「行こう。三人で、新しい未来へ」
――光があふれた。
時間の歯車が音を立てて噛み合い、色を失った世界に新しい軌道が生まれる。
全身を駆け抜けるような衝撃。
眩しさの中で、意識が遠のいていった。
目が覚めたのは、春の陽射しが差し込む教室だった。
窓の外では、桜が満開だった。
隣の席には――未来がいた。
前の席には――ひなたがいた。
ふたりとも制服姿。
でも、違和感はなかった。
自然にそこにいる。
不思議なほど、すべてが元からそうだったように感じられる。
「田中くん、ボーッとしてどうしたの?」
ひなたが笑いながら振り返る。
「もうすぐホームルーム始まるよ。寝不足?」
「ううん。ちょっと……長い夢を見てた気がするだけ」
そう答えた俺の後ろから、未来が声をかけてくる。
「でも、その夢の中で、私たち手を繋いでたよね」
「え?」
「なんとなく、そんな気がしただけ……不思議だね」
記憶は曖昧になっている。
だけど、心の奥にはちゃんと残っている。
何度も失いかけて、ようやく掴んだ今が、ここにある。
未来を捨てなかった俺たちは、ようやく本当の未来に辿り着いたんだ。