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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転身

作者: 木野キヤ

 自分は今、どうやって死のうか考えている。机の引き出しにあるナイフで手首を切ろうか、一人で森に彷徨い飢え死にするか、自分を殴って殺そうか。考えれば考えるほどアイデアが浮かんでくる。さらにこんな空想をしている。自分が死んだ後、家族はどんな反応をするのか。父は私の体を揺すって必死に呼びかけるのか、母はその場で泣き崩れるのか、妹は呆然と立ち尽くすのか。

 こんな空想をするものの、自分の死は想像できない。死ぬまでの間、痛いのか、苦しいのか、走馬灯が見えるのか、泣くのか。想像するだけで実行には移せない自分にいらだちを覚える。勇気も覚悟も痛みに耐える男気もない。自分は所詮想像するだけの意気地なし。


 一昨日、こんな事があった。自分の趣味を楽しんでいるところに母が自分を叱責した。私はその時とっさに「はい」とだけ言って謝罪の気持ちで埋め尽くされた。しかしすぐ後に、苛立ちが脳を支配した。それは母が私の趣味に理不尽な理由で否定したからだ。私はその時、なぜ趣味を否定されないといけないのか、という理由で怒りを覚えた。その考えが渦巻いたまま眠りについたが、翌日になってもその苛立ちは消えなかった。母と会うことなく学校へ登校し、授業を受けた。やはり母に対して腹がたった。教師の言葉は私の耳に入っても反対側に抜けていくだけで頭には入らなかった。私の脳は際限なく母に対する怒りの気持ちで支配されていた。

 当時私は大学4年生であったため、卒業論文も抱えていた。授業中、卒業論文の構成について考えようと内職をしていたが、案の定、母に不愉快を感じ集中できなかった。

 授業が終わっても私は私の感情に振り回されていた。反抗期にしては遅い反抗をしていると自分でも自覚できたが、どうしても怒りを忘れることは出来なかった。それはその怒りこそ自分を認める第一歩だと信じていたからだ。しかし、卒業論文をするうえでその感情は邪魔だった。ふとAIに相談しようという考えが浮かんだ。

 誰もいないパソコン室の奥に腰を下ろし、AIに相談の文言を入れた。出てくる言葉は全て私の心に寄り添わないものだった。誰が見てもそこに心はなく、ただ解決策がつらつらと書き記されているだけだった。私はそれに対しても苛立ちを覚えるしかなかった。二時間近くAIに時間を取られていることに気が付き、私は机に突っ伏し仮眠を取った。

 顔を上げ、時間を確認すると四十五分ほど寝ていた。まだ考えは変わっていなかった。母と顔を合わすことも嫌になり、晩飯を外食で済ますことにした。店を予約し、それまでの時間暇をつぶした。

 卒業論文を進めようとするも、しつこいほど怒りが目の前をうろうろし、手がつかなかった。論文の研究対象が志賀直哉の「和解」であったため、私の怒りを「不愉快」と表現することにした。私の「不愉快」は順吉と同じほど感じるようになり、ただ「不愉快」だった。

 学校を出て、予約した店に向かう。その店は学校からは遠く、家からは近いため一時間ほど時間を要した。その間、私は興味のある動画で母に対する「不愉快」を忘れようとした。そもそも私はその「不愉快」を忘れようと脳内を手中に収めようとしていたが、忘れようとするたび、そこら中に母に対する「不愉快」が湧き出て鬱陶しかった。だから忘れようと予約した店で酒を浴びるほど飲み、記憶から抹消しようと考えた。

 一人で予約した席は、二人用だったが私は気にすることなく堂々と席に座り酒とつまみを頼んだ。片手に箸、片手にスマホの動画。自分ひとりの宴会を始めた。同時に隣に大学生らしき四人が席に座った。私は食うことと飲むこと、それから動画を見ることに集中したが、度々隣の大学生たちが私を見てきたことで集中が途切れていた。周りを見ても一人できている客はいなかった。私だけが一人で飲み食いしていることがその場で浮いていた。更に不愉快に感じた。なぜ一人でいるだけで変な目で見られないといけないのか。私はその視線を無視しながら胃が満足するまで飲み食いした。

 気がつけば二時間半もその店にいた。流石に食べすぎたのか飲みすぎたのか胃液が逆流しそうになりながらも会計を済ませ帰宅することにした。案外酒を飲んだにも関わらず酔うことはなく、自転車に跨って帰った。母はリビングにいたが私は気にすることなく自分の部屋へ行き、その後シャワーを浴びた。

 深夜になり、また趣味に没頭しようとした。しかし母のことを気にせざるを得なかった。あれほど母に「不愉快」を感じていた私は、それでも母のために気を遣う心があった。その考えに「不愉快」は感じなかったが、ただ、なぜその気持が存在するのか私には理解することは出来なかった。

 振り返ってみると、趣味に没頭している間も「不愉快」という感情はなく、ただ母を気遣うことでいっぱいだった。


 気がつくと日付は変わり、バイトのために家を出る時間を過ぎていた。急いで支度し、飛び出した。急く気持ちで「不愉快」は感じなかった。同僚たちに遅刻したことを謝罪し、すぐに仕事についた。バイトをしている間、なにか考える質だったため無意識的に家族に対する苛立ちを考えていた。私は三月頃、父と不和を起こし殴り合いの喧嘩の末、警察を呼ぶ出来事があったため、そのことを考えた。どう考えても私に否はなく、父のせいにしていた。さらに母の不愉快も考え、その時同僚が私の想像通りに動かないことにも苛立ちを覚え、なお心と脳内は「不愉快」で埋め尽くされていた。

 バイトが終わり、ある程度「不愉快」も収まったと自分でも自覚できていた。バイト中、母に対する怒りや「不愉快」とも決着がつきそうだと考えていた。仲が悪くなると大概、時間経過でなんとかなっていたという考えから、母と顔を合わしても「不愉快」を忘れ、いつも通り接することができると感じていた。

 夕飯時になり、母と顔を合わしても予想した通り、「不愉快」はなかった。母は珍しく天ぷらを揚げており、食べる時間がいつもより遅くなっていた。父は食に関して厳しく食事の時間が遅くなっていることに腹を立て、母を急かしていた。そのことに私は「不愉快」を覚えた。母は父に、先に食べておくように促しても、父は言うことを聞かず自分勝手の行動をしている。こうなると夫婦間の対立は止めることは出来なかった。昨年も似たことがあり、家族内で紛争があった。私はその事を思い出し、一層「不愉快」になった。父が話しかけても愛想のない返事を返した。父は私の返事に腹を立てたのか、自分が優位に立てる話題を振った。そのことになると私は機嫌をとるしかなくなる。父は自分の子供にマウントを取って自分が気持ちよくなりたいだけだと、私は考え、はいはいと答えて自分の部屋に行った。その日、母に対する「不愉快」は消えたが、代わるように父に対する「不愉快」が生まれた。志賀直哉の「和解」と似たような状況になったことに何かしらの快い気持を覚えた。昨年、授業の発表においても志賀直哉の「児を盗む話」を取り上げ、主人公と同じ気持ちになったことに心が踊り、さらに父に対する「不愉快」も影響された。今回は就職活動も重なり、昨年に増して父への「不愉快」は増した。

 その日は趣味に没頭しきれず、仕方なく眠りについた。翌朝、父に就職活動を再開しろと言われていたため、学校に登校し相談しなければならなかった。だが、父の言葉通り行動することに「不愉快」を感じ、その日は家にいることにした。昼過ぎまでふとんの中で過ごし、昼から身の入らない論文を書いたり、何となく就活をしたり、その日を過ごした。

 父が仕事から帰って来る時間に近づくに連れ、私の心は騒がしくなった。「不愉快」に感じる心に加えて、恐怖も湧き始めているのを実感した。私は幼少期から父に対する恐怖に支配されていた。何をするにしても、父が私を叱りつける場面が想像され、反抗することも、自分のしたいことも出来なかった。小さい頃の恐怖が今も続いており、父が帰ってきたと同時に殴りかかってくる場面を想像していた。それを思い出すたび、家から逃げてどこか遠くへ行きたいと思う気持ちが出てきた。しかし、父から逃げたという気持ちが自分の中で生まれると、いつになっても父に従わなければいけないという考えが頭に定着して、父の言葉に従う奴隷になる気がしていた。そう考え出してからは私の心は弱くなっていた。コーヒーを三、四杯飲んでいた私は自分を否定する気分になっていた。そのため自分の気持ちをただ否定したくなった。父の奴隷でもいいという考えが頭に引っ付いてしまうと、その考えを引き剥がすことはできなくなっていた。今までと同じように父の言うことに従うだけの機械になり、人生を終えるという想像もしていた。カフェインのせいで否定的な考えは勢いを増し、自分が死んだほうが、夜のためになるのではという気もしていた。なんの役割もない自分に生きる価値を見いだせない、堂々巡りをしていた。その想像に陥った私は、どう死ぬかについて考えることでいっぱいだった。


 暗い部屋のなか、論文を書く気にもなれず、遊びに没頭する気にもなれず、ただ気が重くなることを感じるしなかなった。死ぬことを考えるたび、引き出しの中にあるナイフで手首、もしくは首を切って自殺することを思い浮かべる。血が絶えず流れ出て、床と自分を真っ赤に染めて死ぬさまが想像に難くなかった。折角の機会なので自分の気持ちを、志賀直哉に倣って記して置こうと思った。

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