第十四話 7. 黒田 かき乱れ、絞り出す、単語と、
いつもの美術室前。先週の醜態に学んで、委員長の来る方向を警戒して待つ。
(花火……誘う……誘え、るか……? 俺が?)
改めて自分の絵を見る。絵というのもおこがましい。小学生並みの発想で描き、無我夢中で表現したもの。あの時の熱量が、今の自分には無い。
小さい頃に、祖父と一緒に見た花火。それが忘れられなくて、……穢されたくなくて、形あるものにしたかった。
だったら、また誰かと花火を見ればいいのか。といえば、そういう問題でもない。
(なら、誘うのも無駄か……?)
そう思うと、一縷の望みすら断ってしまいそうで、判断が出来ない。
(チョー優柔不断……)
そんな自分が嫌で、考えるのを放棄した頃、委員長が来た。
軽く首で会釈をして手を振ってみると、向こうはニコニコの笑顔で手を振り返してきた。
(っ……)
口内で舌を軽く噛みしめて、表情変化を抑える。
(やっぱり、よくわからん……)
今朝は怒っていたはずだ。
彼女が自分の席に来て、前屈みの姿勢になった時。揺れる胸の膨らみと、身体の曲線に目を奪われた。咄嗟に顔ごと視線を逸らしたものの、横目で確認した彼女の顔は、物凄い形相となっていた。
(怒りを堪えてくれたんだ、と思うんだけど……)
それが今、一日と立たずして『屈託のない笑顔』というのだから、逆に怖い。
「おまたせ」
「……あぁ」
彼女の明るい声色に戦々恐々としながらも、努めて平静を装う。
「やっぱり、すごいよね……」
「……そう?」
絵を見て感嘆の言葉をこぼす委員長。
思いのほか怒っている感じではない。その声音はどこまでも優しく、穏やかだ。
(顔を歪めるほど、怒ってたのに……?)
胸中の不安が拭えぬまま、一歩引いてみる。彼女の視線を浴びていると、いつまたボロが出るか分からないからだ。
(隣で、絵の方と半々くらいの視線でなら……)
だが彼女にとっては、そちらの方が戸惑うようで、絵の前の空いたスペースとこちらを交互に窺いながら寄ってくる。
その姿が小動物のように感じて、自分の中の緊張が和らいでいくのを感じる。
「……」
ただ、あまり緩み過ぎても格好がつかないので、表情に力を込め過ぎず、緩み過ぎない間を維持する。
「わ、……私! 私……ねっ……」
隣に立った彼女が、急くように言葉を発した。
「……」
今日、呼び出したのは彼女の方なのだから、まずは彼女の話を聞こうと思う。
だから『そんなに焦らなくても大丈夫だ』と、表情だけで伝えてみる。彼女の意識が、絵と自分で半分になったことで余裕が生まれたのか、彼女の様子がずいぶんと可愛らしくみえてくる。
(同級生でそれは、失礼か……)
そんな考えすらも、可笑しく……。
(『いとおしい』は……流石にハズいな)
自分の馬鹿な考えは放っておいて、彼女の言葉に耳を傾ける。
「勉強ってさ、百点を……目指すものだって、思ってたの」
自信の焦りに気づいたのか、ゆっくりと、言葉を組み立てる委員長。
「……」
(百点……は、まぁ、そうなんじゃ? けど『思ってた』……?)
個人的には、テストが何点だろうと関係ない。あくまで力量を客観視するためのイベントくらいにしか思っていない。けれど、百点を目指すのだって、悪い事ではないように思う。そういった人達がいて、それが良い事だと認識されるから、客観視する価値があるものだと思えるからだ。
「お父さんとお母さんの言う事を聞いて、勉強して、お手伝いをして、大学に行って、就職をして……。そうすることが、立派な大人になる道なんだ。……って」
彼女の口調が早くなる。呼吸を挟んで、また落ち着いた。
父と母。きっと彼女の見ている両親は、立派な大人なのだろう。
(けど……『思ってた』)
それが、揺らぐ事があったのかもしれない。
自分と彼女の前には一枚の絵。自分が、オトナ達への反骨で描いたもの。
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』
自分の想いが『届いた』と思う反面、そんな良いものにまで反発したかった訳ではないと、恐ろしくなる。
不安気にこちらを見つめる委員長。その姿を見つめ返して、彼女の言葉の一言一句を傾聴する意思を固める。
「……」
自分の言葉の何が影響するか分からなくて、表情だけで続きを促す。
「でも……、テレビやネットを見てると、不安になるの。……『本当にそれだけでいいのかな』って……」
その言葉は、自分も抱いていたものだ。
政治の問題・戦争の問題・環境問題・ジェンダー問題……。
普段口にしないだけで、関心がないわけではない。親がテレビをつけて、ニュースを見ている間は、どうしたって聞こえてくるのだから。
「そんな時に、黒田君の絵に出会ってね。……なんていうのかな……『もっと、もっと自由でもいいんじゃないか』って、思えたの」
その『自由』は、本当に良いものだろうか。
「……大人ってほんっと」
一拍の間の後、彼女の口元の笑顔と眉間の皺を見て、言葉を遮った。
「別にいいんじゃない?」
強張った彼女の顔が落ち着くように、気楽で気の抜けるような声を発した。
「え?」
「委員長の両親が、どんな人か知らないけど。たぶん、いい人達だよ」
少なくとも、彼女自身が『立派な大人になれる』と信じてこれたくらいには、良い親なのだと思う。
ただ、少しの疑念があったのかもしれない。そこにたまたま自分たちの前にある、この『絵』が引っかかったのだ。
(だったら少しだけでも、その疑念を和らげてたい)
突き放された子供みたいに「でも……」なんて追いすがる彼女に、なんとなく考えていた自論を話す。
「別に親だからって、子育てのプロってわけじゃないんだからさ。いいじゃん。親と子、協力して成長していければ」
後半の言葉は、自分でもまだ『出来ている』とは言えないような言葉。だけど彼女なら素直にそれが出来る気がして、そんな彼女を見ていれば自分も見習える気がして、添えてみた。
上目遣いでこちらを見る彼女の姿に、じんわりと胸の奥が温かく感じる。
(かわいい……)
思わず吹き出しそうなほどの笑いが込み上げるのを抑えながら、つい、その頭に手を伸ばしてしまった。
「あっ! ごーめん。なんかホントに子供っぽく見えたから……つい……」
(って、同級生相手に『子供っぽい』も失礼か……)
自分はどうしてこんなにも、失言や過ちが多いのか。考えれば分かる事なのに、やってしまってからしか、考えられない。
「~~ッ!!」
両手で顔を覆う委員長の感情が読めない。けれど、その手の下には、今朝にも見た物凄い形相が隠れている気がする。
「いやほんと! 嫌だったらホンット! ゴメン!」
他に為す術もなく、両手を合わせて、ひたすら拝み倒す姿勢で謝罪する。
すると、顔を伏せたままの委員長が、両手をこちらに伸ばしてきた。
一瞬見えた彼女の顔は、困っているような、怒っているような、睨みつけているような、複雑な顔だ。
(同じ上目遣いなのに、ずいぶん印象が変わる……)
そしてその伸ばされた両手は、こちらの頭を両サイドからワシりっ、と言った感じで鷲掴み……。
「え……あ、ちょ……」
わしゃわしゃと、髪を混ぜ込むように撫でられて、くすぐったい。
「おあいこ! おあいこだから、イヤじゃないっ!」
(なるほど……?)
ソっと離れる彼女の手に『もう少し撫でられていたかった』と、思う。
(けど、相手が同じとは限らないよな……)
その証拠に、彼女の語気は強めだし、顔はそっぽを向いてしまった。
(……待てよ? 『おあいこ』って言うには委員長の方が激しくないか?)
ボサボサにされた自分の頭を直しながら、彼女の理不尽な行動に、悪戯心を刺激された。
具体的には、その無防備な彼女の後頭部、そのツムジだ。
自分がボサボサにされたからと言って、女の子の髪をボサボサになるほど撫でるのも憚られるので、とんっ、と突いてみた。
――ビクリッ。と、電流を流されたみたいに跳ねる彼女の肩を見て、成功した悪戯にほくそ笑む。
怒って激昂されるかとも思ったが、そんな様子もない。或いは育った環境がそうさせるのかと思い、一石を投じてみる。
「ははっ! やっぱり、いいお父さんとお母さんなんだと思うよ」
勝手な決めつけではある。それを彼女が肯定するのか、否定するのか。
だが、彼女の次の言葉は、そんな探り合いを一瞬にして蹴散らすものだった。
パチンッと、自身の頬を張る委員長。その顔に満ちるのは、決意と不退転、そしてこちらを逃がさないとする意志のように見える。
「私は! 今のアナタが描く絵が見たいです。描きたい物が無いなら一緒に探すし、制作だって協力する」
そこでようやく、花火に誘おうと考えていた事を、思い出した。
「だからお願いします。一緒に、文化祭の共同制作をしてください」
(ッ……)
彼女の言葉に、他意は感じない。只々、同じ美術部員として興味があるだけ。
ただし自分の側には、デートなのかとか、付き合うのかとか、三島が委員長に惚れてるらしいとか、変な嫉妬や誤解は面倒くさそうとか、自分自身はどうしたいのかとか、グチャグチャと脳内がかき乱れてしまう。
そんな中、ふと、傍にある自分の絵を見て言えたのは……。
「花火……」
「え?」
なんとも情けない。端的すぎて、言いたい事も伝わらない単語。
「……花火を、最近……見てないな……、って……」
(『だから、一緒に見に行こう』……『描きたいものを探したい』……、どう言葉を繋げたら良い……?)
心臓の音がバクバクとうるさい。言葉の続きを探して、そもそも言葉の出だしを間違えている気がして、何も考えがまとまらない。
自分の失態に頭を掻きむしりたい気持ちを抑えていると、ゴクリっと唾を飲む音が聴こえた。
「じゃあ……、一緒に、行く……?」
「あ、……あぁ」
渡りに船。委員長からの救いの言葉に、首肯する。その首は、自分でもわかるほどガチガチに緊張していて、きっと錆びついたロボットのような動きに見えていることだろう。
そこからは話が早かった。
委員長が取り出した可愛らしい手帳から、後ろのページ一枚を破り取り、日時と待ち合わせ場所を書いた物を渡される。
さらに……。
「はいこれ」
「ん?」
「連絡先、必要でしょ?」
そう言って渡されたのは、メッセージアプリのIDだ。電話番号とメールアドレスまで添えられている。
コミュ力、というのだろうか。連絡先を渡す彼女の所作は慣れたものだ。
連絡先の書かれた紙片も、最近書いたものではなく、以前から当たり前に持っているものだと紙の質感で伝わってくる。
「……早く仕舞って。……一応、個人情報だから」
「あ、あぁ」
彼女の指摘で、ようやく自分の不作法に気づいて、そそくさとズボンのポケットに入れる。
(? なんだろ?)
紙片をポケットに仕舞うまでを、ジッと見つめる彼女の視線が気になった。
委員長は、しばらく紙片の入ったポケットを見た後、くるりと背を向ける。
「それじゃ、帰ってからでいいから、連絡入れておいて」
それだけ言って、去っていく委員長の背中を呆然と見送りながら、改めて感心する。
物事が決まった後のテキパキとした姿は、舌を巻くしかない。それに比べて、自分の言動のなんたる不甲斐なさか。
(委員長って、すげー……)
彼女のペースに飲み込まれ、圧倒されて『やはり良い親なのだろう』と納得する。
そして何より、委員長のそういった所は、自分の足りなかった所に『丁度いい』のかもしれない。