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第十三話 七. 鈴木結 請い、願う……コイ

 月曜日の朝。ホームルームの始まるまで、まだ少し時間がある。

 堂々と遅刻する子や、遅刻ギリギリで駆け込む子以外は、ほぼ揃ったクラスに彼が来た。

 見なくてもわかる。この時間。教室の後ろの扉が開いて、真っ直ぐ中央列まで歩く足音。そのまま最後尾の席の椅子を引く音。

(この前、いつもより早く来た時は、驚いたけど……)


 チラリと横目で観察すれば、いつものように右手で頬杖を突き、窓を眺める彼の横顔。

 後ろの席の千晶が、背中を(つつ)いてきて「来たみたいだよ」と小声で語り掛けてくる。私はそれに「何のこと?」と返しながら、机に広げた一限目の予習に取り組む。

 左手で顔半分を隠しているように見えるのも、不思議な事じゃない。単に、先ほどから予習内容が頭に入らないから、頭を抱えているだけだ。……千晶はきっと、何か誤解している。

(そう、誤解だ)

 私はただ、黒田君に絵を描いてもらいたいだけ。千晶も、クラスの皆も、他人の色恋に飢えているのだ。だからそんな誤解が発生する。

(彼は、どうなんだろう……?)

 彼も、誤解して、……くれているのだろうか。

 そんな思いで、また横目で彼の姿を確認すれば、薄目でゆっくり、クラス全体を見渡している所だった。

 小さく、左から右へ。彼の顔が緩慢に動く。その視線の先が、私の所で止まり、重たそうに目蓋が持ち上がって……。


(ッ……)

 私は慌てて視線を逸らした。まるで、世界の全ての視線が、彼の視線の先を追ってきている気がして、心臓がキュッと締め付けられたからだ。

 後ろの席から、押し殺した笑いが聴こえてくる。誤解が、加速している気がする。

(誤解は、早めに解いておかなくちゃ、だよね)

 じゃないと、彼にとっても、……きっと迷惑だ。

 普通の事なのに、胸中が冷める感覚になるのは、きっとさっき心臓を締め付けられたから。

 軽く深呼吸をして、気を取り直す。

 同じ美術部員として、文化祭の共同制作の打診をするのだ。なにも不思議じゃない。

 私が席から立ち上がると、いくつかの好奇の目。みんな誤解しているから、そういう目で見てくるのだ。

(そんな風に見られたら、私まで、誤解しちゃう……)


 あくまでも、平静。普通。少しだけ眉がつり上がってしまうのは、周囲の視線のせいだ。

 マナーモードの心臓の震えが、身体中によく響く。サイレントモードを搭載してくれなかった神様が、少し恨めしい。

 私にやましい所はないのだから、彼の目をしっかり見つめて歩く。

 彼のギョッとした顔。大きな変化はないけれど、目蓋が一瞬、いつもより大きく開かれた。

 次に一度、目を逸らし、何事もないかのように私に向ける視線。

(ほらやっぱり。意識してるのは彼の方で、私じゃ……ない)

 そんな彼の姿に、安心感と高揚が、じんわりと身体に広がる。

 いつかのように、顔を掴みはしない。ひょっとすると、嫌だったかもしれないから。

 代わりに、左手を腰にあて、右手を机に突いて、横から彼の顔を覗き込む。部活サボりの彼を注意する姿勢だ。

(ちょっと威圧的かな……?)

 そう思って、少しだけ顎を引いて、上目遣い。


「黒田君。美術部の、文化祭の出し物の件だけど……」

「ん?……あぁ」

(そういえば、部活動の日は、放課後避けたがってたっけ……?)

 そんな事を考えていると、彼の視線が動いた。

 私の頭を飛び越えた、教室の左から、右へ。私の顔に戻ってきて、少し右下。と思ったら、顔ごと左へぷいっと背けられた。

(少し、右下……?)

 私はその位置を自分の目で追って……。


「っっ……!」


 叫びたい気持ちを、思いっきり歯をかみ合わせて堪える。

 腰を曲げ、彼を覗き込む体勢の私の顔の少し右下。つまり……胸だ。

 彼にも『そういった興味があるのか』という感想と『まるで見たくない物の様に顔を背けるのはひどくないか?』という複雑な心境を、引きつりそうな頬に力を込め、口角を上げて誤魔化す。

「昼休み! また、美術室前で! いい?」

「ア、あぁ……。わかった……」


 ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り、教室の扉を開けた先生が「お前ら、席につけー」と号令をかければ、ドタドタと廊下や他の教室からも慌ただしい雰囲気が伝わってくる。

 遅刻ギリギリ組が駆け込んでくる喧噪の中、私も自分の席に戻りながら、胸中のザワめきを抑えられなかった。

(見応えがない……ってほどじゃ、ないと思うんだけど……。大きい子が好き、とか?)



 昼休み。昼食を食べ終えて、美術室に向かう。

 黒田君は、先週と同じように、さっさと食べ終えて教室を出て行ってしまった。

(平常心……平常心……)

 彼を待たせるのは二回目。前回の時は『私も早く食べなくちゃ』とか『駆け足で急いだ方がいいのかも』とか、色々と悩み過ぎてしまったが、それこそ意識のし過ぎというものだ。


 美術室前の廊下で、彼の姿が目視できる。ただし前回と違い、今度は離れた距離からでも気づかれてしまった。

 以前にも見た首だけ会釈に、今日は軽く手を振る仕草を添えられている。


(ッ……平、常……心……)


 そんな小さな変化にドキリとさせられてしまったのが悔しくて、こちらも手を振り返す。

 だというのに彼は『何食わぬ顔』というヤツで、余計に悔しさが増す。

(こっちは笑顔だって向けてるのに……、それは……ズルくない?)

 いっそ子犬のように駆け寄ってやろうか、なんてイタズラも考えるが、今日じゃない。

 彼の驚いた姿が可愛くて、また、もう一度見たいけれど、次の機会にする。


「おまたせ」

「……あぁ」


 それだけ言って、自身の作品の方に向き直る彼。

(……やっぱり、別に……意識なんてして、ないか)

 少しの寂しさ。私は彼にとって、そういう対象ではないのかもしれない。

 でも、『これはチャンスだ』とも思う。ここにきて『そういえば話の切り出し方を考えていなかった』と、思い至った私にとって、彼の意識が作品に向いている今こそ、千載一遇の好機だ。


「やっぱり、すごいよね……」

「……そう?」


 チャンスを逃すまいと、まろび出た言葉は、以前と同じループ再生。

 けれど彼の言葉は以前と違い、拒絶や否定から、少しだけ譲歩してくれた。

(……心境の変化、とか?)


 作品の前に立つ彼が、そっと左に移動して、私一人分の空間ができる。

 これまでとの違いに戸惑う私へ、彼が向ける視線。それは『来るもの拒まず、去る物追わず』と、言っているようにも受け取れる。

 私はその空間、彼の右隣りに、呼吸を整えながら歩み寄る。

 どこまで近づいていいのか、おっかなびっくり。まるで(おび)きだされた猫のように、彼の様子を窺いながら間合いをはかる。


「……」

 沈黙を保つ彼に、『隣に居てもいい』という安堵と『なにか言わなきゃ』という焦りが沸き起こり、目頭が熱くなる。


「わ、……私! 私……ねっ……」

「……」

 私の焦りも見透かしたように、静かに佇む彼の存在が、ミントタブレットのように胸の内に広がっていく。


「勉強ってさ、百点を……目指すものだって、思ってたの」

「……」

 脚色も監修もない、自分の言葉。それを口に出すのは、とても、勇気が必要だ。


「お父さんとお母さんの言う事を聞いて、勉強して、お手伝いをして、大学に行って、就職をして……。そうすることが、立派な大人になる道なんだ。……って」

 勇気を越えると、早口になってしまい、彼との距離感を測り間違えそうで、怖い。

 言葉を切り、彼を見れば、彼もこちらの様子を気にする素振りだ。

「……」

 彼の言葉はない。けれど、両眉を一瞬上げる動作は、続きを促してくれているように思える。

 恥ずかしい自論を茶化さず聞いてくれる彼の姿は、幼い頃に、どんな話も優しく聴いていてくれた()()()()みたいだ。


「でも……、テレビやネットを見てると、不安になるの。……『本当にそれだけでいいのかな』って……」


 別に、両親の事を信用していないわけではない。そう思うと、途端に『願望のために嘘をつく、イヤな自分』に気づかされる。


「そんな時に、黒田君の絵に出会ってね。……なんていうのかな……『もっと、もっと自由でもいいんじゃないか』って、思えたの」

 100%の嘘ではない。ただ時々、思ってしまう事。

 それは例えば、お風呂の鏡を掃除したとき……。


『はぁぁ……もう……。あんまり勝手な事はしないで。ユイも子供じゃないんだから、考えればわかるでしょ?』

 考えないように。気にしないようにしていた記憶。

(直接教えてもくれないのに……『考えれば』って……何?)

 100%でない嘘が、言葉にすると、だんだん真実に寄ってくる。


『子供の頃は細部があやふやだけど、視野が広い。大人になるにつれて細かく描き込めるのに、視野は狭い』

 それでも、彼の絵を見たいから、嘘でも何でも、彼の考えに近づくために……言葉を発する。


 笑顔を作って、嘘で塗り固めて、彼の考えに沿うように……。

「……大人ってほんっと」

「別にいいんじゃない?」


 なのにどうしてか、私のウソは、彼の言葉に遮られた。


「え?」

「委員長の両親が、どんな人か知らないけど。たぶん、いい人達だよ」


 私にとって、一世一代の大ウソは、アッサリへし折られて。彼の優しい顔が、これ以上近づけない距離のように感じた。そのせいで、私の口からは「でも……」なんて、子供みたいなスガり方しか出来ないのに、彼は……。


「別に親だからって、子育てのプロってわけじゃないんだからさ。いいじゃん。親と子、協力して成長していければ」


 まるで子供をあやす時のような抑えた笑いが聞こえて、ソッと私の髪に触れる彼の手のぬくもりが……。


「あっ! ごーめん。なんかホントに子供っぽく見えたから……つい……」


 すぐに離れてしまった彼の手を、あまりに一瞬なそれを『コイしい』なんて考えてしまう。


「~~ッ!!」

「いやほんと! 嫌だったらホンット! ゴメン!」


 バツの悪そうな顔の前で、両手を合わせる彼の姿がもどかしい。

(やっっぱり! 何にも分かってない!!)

 パパも、黒田君も、どうして男の人はわかってくれないのか。そんな怒りで、彼の頭を両手でクシャクシャにしてやる。


「え……あ、ちょ……」

「おあいこ! おあいこだから、イヤじゃないっ!」


 そう言って、彼の頭から手を放す。

(今、この手を嗅いだら……黒田君の匂いが……)

 そんな好奇心の誘惑を抑えて、両手の指を前で組んで、無防備に後頭部を彼に向ける。

(仕返しに撫で返して来たら、驚いたフリして、手を口元にやって……)

 どうせ男の人はわかっていないのだからと、好き勝手に妄想する。

(でもどうせ……)

 そんなドラマみたいな事、起こるわけもないのだからと、本題に戻るために彼に向き直る、その刹那。


 ――とん。と、つむじを一突きされた。


 妄想を実行してやろうなんて、余裕も生まれないほどの不意打ちだ。私の身体は、電流が走ったみたいに、肩からビクリッと、跳ね上がった。


「ははっ! やっぱり、いいお父さんとお母さんなんだと思うよ」


 黒田君の、子供みたいに笑う姿は初めてみる。黒岩君や、友枝君といる時でさえ、彼はどこか、一歩引いた位置で笑っている気がする。それが何だか、特別な事のように感じて……。

(~~ッ! もうっ! もぅもぅもぅもぅっ!! もうっ!!!)


 堪えかねる感情を、両手に込めて――パチンッと、自身の頬を張る。

(彼の反応なんて関係ない。私は、自分のしたい事のために行動する!)

 彼の顔を真っ向から見つめる。たじろいだって逃がさない。


「私は! 今のアナタが描く絵が見たいです。描きたい物が無いなら一緒に探すし、制作だって協力する」


「だからお願いします。一緒に、文化祭の共同制作をしてください」

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