慣習の違いとこれからの関係
リーリエ視点です。
視界の端で侍女が動いた。
そろそろ時間のようだ。
サージェス様も気づいたようだ。
「戻りましょうか」
「はい」
二人きりで話すことができてよかった。
サージェス様の考えを知ることができたから。
そのことだけは侍女たちが傍に来る前に伝えたい。
「お話しできてよかったです」
ふわりとサージェス様が微笑う。
「私もです。貴女の意見が聞けてよかったです」
そこに安堵したような響きも感じた。
ふとサージェス様も不安だったのかもしれない、と思った。
わたしたちはお互いにどう思っているのかわかっていなかったのだ。
それだって仕方ないことだ。
意志を確認された後は一度も会っていなかったのだから。
手紙のやりとりも、グレイス様に頼んで伝言の仲介をしていただいたこともない。
だからお互いにどう行動してどう思っているのか知ることはできなかった。
そもそもが親しい関係ではなかった。
連絡を取らずともお互いのことがわかるような関係では決してないのだ。
だからこうやってお互いの気持ちを確認できたことはよかった。
その時間をもらえたことは幸運だった。
感謝の気持ちも伝えることができた。
交流などなかったわたしのために動いてくれたことには本当に感謝しているのだ。
ハンカチを貸してくれただけでも紳士的な行動なのだ。
ハンカチを返してそこで縁が切れてもおかしくはない。
むしろそれが普通だ。
それなのにサージェス様はそれだけではなく、わたしに手を差し伸べてくださった。
サージェス様が手を差し伸べてくださらなったら、今でもわたしは苦しい思いをしていただろう。
ノー……フワル侯爵令息の今の恋人はサージェス様が仕掛けたことだけれど、サージェス様が何もしなくても、ノー……フワル侯爵令息が恋人を作る可能性は今回の一件を見ても十分に有り得たことだ。
その時、一人でわたしは耐えられただろうか?
自信はない。
ノー……フワル侯爵令息との婚約解消は、わたしの個人的な気持ちで求めたものだった。
本来ならそのようなことは許されることではなかった。
だけれど、フワル家との婚約ではうちの利益はあまりなかったとのことだから結果的に解消されてよかったのだ。
「行きましょうか」
「はい」
わたしはずっとエスコートされたままだったのでそのまま屋敷に向かって歩き出す。
わたしたちが動き出したことで侍女とサージェス様の従者が寄ってきた。
温かく見守られていたのか、みんな笑顔だ。
少し、気恥ずかしい。
そっとサージェス様を見てみたけれど、気にされていないようで平然とされていた。
わたしの視線に気づいたのか、サージェス様は軽く首を傾げて微笑みかけられた。
「どうしましたか?」
気づいていないのか気にしていないのか。
どちらも有り得る。
高位貴族であるサージェス様は使用人の視線などいちいち気にはなさらないだろうから。
これは敢えて言わなくてもいいようなことだ。
だけれど、言わなければまた悩ませてしまいそうだ。
「侍女たちが微笑ましそうに見守っていたみたいで、少し、気恥ずかしいです……」
伝えるのもまた気恥ずかしい。
サージェス様は軽く目を見開いた。
本当に気にしていなかったようだ。
やはり、サージェス様は高位貴族なので使用人は空気のようなもの、なのかもしれない。
フワル侯爵令息もそうだった。
そう育ってきたのだからそれは仕方ないことだ。
フワル侯爵令息やフワル家は嫁いでくるのだから、とやんわりとわたしに意識改革を求めてきていた。
高位貴族に嫁ぐのだから彼らの要求は正しい。
ただ長年の慣習を変えるのはなかなか難しい。
気を抜くとすぐに出てきてしまう。
そうする度にフワル侯爵夫人や令息は視線だけで咎められたものだ。
その度に失望されたのではないかと、身が縮こまった。
サージェス様は、トワイト家はどうだろう?
やはりフワル家と同じだろうか?
緊張してサージェス様の反応を待つ。
サージェス様は表情を緩めた。
「そうでしたか。私は人の視線に鈍感なので、貴女一人に恥ずかしい気持ちを味わわせてしまいましたね」
サージェス様は御自分が視線に鈍感だったから、と責任を自分のほうに寄せた。
本当に優しい方だ。
そんなことを気にしなくてもいい、と告げたってよかったのだ。
使用人の視線なんて無視しろと言われたっておかしくはない。
フワル侯爵家ではそう言っていた。
それなのにだ。
サージェス様はわたしを咎めるようなことはなさらない。
「いえ。わたしが敏感すぎたのかもしれません」
サージェス様だけの咎にするわけにはいかない。
わたしのほうにも責任を寄せる。
どちらのせいでもないのだ、と持っていきたいところだ。
実際どちらが悪いわけではない。
ただの慣習の違いだ。
サージェス様はわたしに微笑いかける。
何も気にしないでいいと言ってくれているかのようだ。
「では、お互い様、ということにしましょう」
「そうですね」
意図を読み取ってくれたのかもしれない。
よかった。
それに対しても怒ったりはしなかったようだ。
人によっては自分の気遣いを無下にしたと怒り出すこともある。
サージェス様は怒らないとは思うがわからなかったのだ。
人によって気に障ることというのは違う。
どのようなことが気に障るのか、知るほどの付き合いはなかったので、一抹の不安はあった。
だけれど大丈夫だったようだ。
よかった。
こんなふうに少しずつお互いのことを知っていけたらいい。
そうやって穏やかに関係を作って歩んでいけたらそれが一番いい気がする。
サージェス様もそう思ってくれていると嬉しい。
読んでいただき、ありがとうございました。




