婚約解消
リーリエ視点です。
先日、ユフィニー家の屋敷にフワル家から手紙が届いた。
要約すればこうだ。
『当家のノークス・フワルとリーリエ・ユフィニー子爵令嬢との婚約を解消したい。
ついてはその話し合いのために侯爵家までご足労願いたい』
ついにこの時が来た。
覚悟はしていたけれど、実際に婚約解消を求める手紙が来た時は動揺してしまった。
どこかで婚約の解消はないと思っていたのかもしれない。
ノークス様は恋より家の利を取るのではないかと。
だけれどそんなことはなかったようだ。
あるいはもっといい条件の家や結婚相手が見つかったのだろうか?
わからない。
ただわたしとの婚約解消の理由を見つけたのだけは確かだ。
だからこそ婚約解消に至ることになったのだから。
そうでなければフワル侯爵が認めないだろう。
わたしとの婚約よりも利になることを示すことができたから解消することに同意を得られたのだろう。
それは少なくともわたしやユフィニー家の失態でもない。
そうであればその旨を書き、違約金や賠償金についても書かれていただろう。
場合によれば解消ではなく破棄されることになったかもしれない。
だけれどそんなことは一切書かれていないのだ。
ただ婚約解消の旨だけが書かれていた。
*
わたしは両親と三人でフワル侯爵家を訪れた。
道中、三人とも無言だった。
両親の気遣う視線を避けるためにわたしはずっと視線を伏せていた。
わたしにはそのような気遣う視線を受ける資格などないことがわかっていたから。
今、並んで座るわたしたちの前にはフワル侯爵夫妻とノークス様が座っている。
「ご足労いただいて申し訳ない」
「いえ」
定型の挨拶だ。
そこには何の感情もない。
「早速本題に入らせてもらう」
「はい」
全員の背筋が自然と伸びる。
静まり返り、視線が集中する中でフワル侯爵が口を開く。
「ユフィニー家との事業提携の終了とそれに伴い、リーリエ嬢とノークスの婚約の解消を願いたい」
心の中だけで息を呑む。
表に出さなかったのは夫人教育のお陰だ。
わかっていたことなのに、言葉の重みがのしかかってくる。
繋いできたものが一瞬で断たれるのだ。
それが軽いもののはずがない。
今この時まで実感として得られていなかった。
「事業の提携の終了並びに婚約解消について了承しました」
父は理由を聞かなかった。
理由を知っているのか、それとも覆らないとわかって粛々と受け入れたのか。
母も異論はないようだ。
たぶん今日までに両親は散々話し合ったはずだ。
それで出た結論が、反論せずに受け入れることだったのだと思う。
どう思ったのか一度聞いてみるべきだったかもしれない。
「こちらからの婚約解消の申し出だ。リーリエ嬢は当家に嫁ぐために努力してくれていたこともある。慰謝料は払おう」
「ありがとうございます」
どちらにも非はない双方納得の婚約解消の場合では慰謝料が支払われないことも多い。
爵位差があり、高位の家から婚約解消を申し出をした場合は特に。
だから慰謝料を払うのはまだ誠意のあることだと言える。
ただ多少の慰謝料を払うのは、反発の芽を摘む常套手段でもある、とは聞いた。
今回もそうかもしれない。
父が受け入れたのならわたしに言うことはない。
家同士のことだ。当主である父の意向に従うだけだ。
すっと二枚の書類が差し出された。
「提携事業の終了の要件と慰謝料等のことはこちらに書いてある」
「失礼します」
父が書類を取って目を通す。
一枚終わってもう一枚も同じように目を通した。
書類は二枚とも本来は同じもののはずだ。
それぞれの手に渡る書類なのだから。
ただ慎重を重ねて二枚ともに同じ内容が書かれているかも確かめなければならないのだ。
ひどいものだと二枚とも別々のことが書かれており、有効でないサインを使って騙すこともある。
書類にサインしてしまえば泣き寝入りするしかなくなる。
さすがにフワル侯爵家ではそんな詐欺まがいのことはしないだろうけれど。
父が確認を終え、書類を置いた。
ちらりと見ればフワル侯爵のサインは既にされている。
見る限りは同じものだ。
「結構です」
「では書類にサインを」
父がサインをする。
これで婚約は解消された。
一枚はフワル家にもう一枚はユフィニー家に、それぞれの当主が手に取る。
この国では婚約に際しては国に届け出を行わない。
婚約解消も当主がお互いに書類にサインすればいい。
情勢によりいくらでも婚約の解消があり得る我が国だからこそだ。
いちいち国に書類を提出していては王宮の事務作業が膨大になってしまう。
ただでさえ忙しいのだからそんなことになれば反発は必至だ。
婚姻届のみ、国への提出が義務づけられている。
「共によき仕事ができてよかった。これからの貴家のますますの発展を願おう」
「ありがとうございます。貴家のますますの繁栄を願わせていただきます」
これもまた定型の挨拶だ。
当主同士がお互いの家の発展や繁栄を願うことで蟠りなく別々に進もう、という意味のこもったもの。
当主同士の挨拶が終わる。
わたしがお世話になったのはフワル侯爵夫人だ。
彼女に挨拶をしなければ。
わたしはフワル侯爵夫人を見た。
こういう時は身分や立場の上の者から声をかけるのが正しい手順だ。
フワル侯爵夫人はわたしを見て一言だけ告げた。
「貴女は物覚えがいいから残念だわ」
それだけだった。
婚約してからずっと夫人教育でそれなりの時間を一緒に過ごしたのだけれど、フワル侯爵夫人にとってわたしはその程度の者なのだろう。
苦い気持ちが沸き起こる。
勿論表には出さない。
穏やかに微笑む。
「今日までご指導ありがとうございました」
フワル侯爵夫人に向かって頭を下げる。
それに返る言葉はなかった。
「リーリエ嬢」
呼びかけられてノークス様に視線を向ける。
ノークス様がわたしを真っ直ぐに見ていた。
もう婚約者ではないので呼び捨てにはされない。
大好きだった笑顔で告げられる。
「今までありがとう。どうか元気で」
「わたしのほうこそありがとうございました。お元気で」
お幸せに、と言いかけて飲み込む。
その言葉はこの場には相応しくない。
恐らくノークス様は彼女とのことをわたしが知っていることもご存知ないのだろう。
それならそのことは知られないほうがいい。
この後は彼女と婚約をするのだろうか?
そう思ったけれど、すぐに思い直す。
いえ、もうわたしには関係のないことだわ。
この先、ノークス様ともフワル家とも他人になるのだ。
それを知ったところで何か変わるわけでもない。
父の目配せで立ち上がる。
「それでは私たちはこれで失礼します」
フワル一家に丁寧に礼をして退室した。
読んでいただき、ありがとうございました。




